その瞳は囚われて

豆狸

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第六話 残された婚約者

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 レオニーがルロワ侯爵家を出て行ったのだという。
 婚約者なのに、ローレンがそれを知ったのはすべてが終わった後だった。
 学園へ登校するときに馬車で迎えに来なくてもいいと告げられたのは覚えていたが、いつから学園で彼女レオニーを見なくなったのかは思い出せなかった。初めてマルールと会ったときから、僕の瞳はずっと彼女マルールに囚われていたからだ。

 金の髪に緑の瞳。婚約者のレオニーの異母妹は、正妻の娘である異母姉と違って明るく朗らかな少女だった。
 レオニーは正妻の厳しい教育もあって少し陰気な少女だったのだ。
 僕もあまり明るいほうではないけれど、だからこそマルールの明るさに心惹かれた。彼女はだれからも愛される魅力を持っていた。レオニーにはなかったものだ。

「ローレン」

 その日、僕はドゥニ伯爵家の当主である兄に呼ばれてレオニーのことを聞いた。
 ルロワ侯爵家との婚約はどうなるんだろうか。
 マルールはオサール公爵令息を愛しているから、異母姉の代わりに僕と婚約するなんてことはないだろうし。そんなことをぼんやりと考えていた僕は、兄に名前を呼ばれて顔を上げた。

「なんですか、兄上」
「レオニー嬢がルロワ侯爵家を出ることになったのは、侯爵が差し向けたならず者に襲われかけたからだ」
「え」
「レオニー嬢から連絡があるまで、お前は毎日彼女を馬車で迎えに行っていたよな? どうしてその日は送って行かなかったんだ?」
「それは……」
「まさかとは思うが、侯爵に頼まれてわざと徒歩で帰らせたのか?」
「い、いいえ! 違います! そんなことするはずがありません!」
「ではどうして彼女を徒歩で帰らせたんだ?」
「……学園に、用事があって」

 夕暮れの裏庭で、オサール公爵令息と笑い合うマルールを見ていた。
 彼女が僕など振り向かないことはわかっていた。
 僕は地味で目立たない男だし、身分だってオサール公爵令息のほうが上だ。それに、僕はレオニーとの婚約を破棄してまで彼女を求めるほどの情熱はなかった。ただ、見つめることしか出来なかった。

「お前はもう最終学年だ。部活動も委員会もないのではないか? そもそも婚約者のレオニー嬢よりも優先させなくてはならない用事とはなんなんだ?」
「……」
「レオニー嬢の伯父であるヌヴー伯爵から我が家に調査書が届いている。お前はその日以外もずっと彼女を送っていなかったらしいな」

 朝は迎えに行った。
 オサール公爵令息がマルールを迎えに行く前にルロワ侯爵邸へ行けば、彼女に挨拶することが出来たから。
 自分でも最低だとわかっている。でも恋する心は止められなかった。どうしても僕の瞳は彼女に囚われていた。

 レオニーには悪いと思う。
 思うけれど、婚約者として最低限のことはしていたつもりだ。
 マルールのことを想っていても実際に浮気する気はなかった。向こうにも相手にされなかっただろうし。レオニーを裏切っていたわけじゃない。

「……申し訳ありません」
「私に謝っても仕方がない。まあ、もうレオニー嬢に謝罪することは出来ないしな。それでお前の新しい婚約者なのだが」
「あ、はい……」

 ドゥニ伯爵家はさほど裕福ではない。
 婚約者のレオニーを通じて、彼女の母親の実家であるヌヴー伯爵家から援助を受けていた。レオニーがいなくなったということは、その援助もなくなるのだろう。
 兄を盛り立てる才のない僕は、少しでも家のためになる相手と婚姻を結ばなくてはいけない。

「このままルロワ侯爵家のマルール嬢と婚約するということでかまわないか?」
「え? マルールと? 僕がマルールと婚約出来るんですか?」

 兄の眉間に皺が寄った。ヌヴー伯爵から届いたという調査書には、マルールを見つめる僕の態度も記されていたのかもしれない。
 若さの割に苦労をしている兄は、周囲が感心するほど真面目で誠実な人間だ。ヌヴー伯爵が姪の婚約者に僕を選んだのは、兄と似ていることを期待したからだろう。
 実際見かけだけなら僕と兄はよく似ている。

 僕は俯いて兄から目を逸らした。

「……あの、彼女には好きな相手がいたと思うのですが」
「オサール公爵家のご令息はひとり息子だ。ルロワ侯爵家の婿にはなれない。レオニー嬢がいなくなって跡取りになったマルール嬢がオサール公爵家へ嫁ぐことも出来ない」
「そ、そうですね」
「大体正妻がいなくなって当主の独断で跡取りとなったとはいえ、元は愛人の産んだ庶子に過ぎない娘と縁を結びたいだなんて、まともな貴族が思うはずがないだろう。今のルロワ侯爵家にはヌヴー伯爵家の援助もない」
「そう、ですか。……我が家は縁を結んでも大丈夫なのでしょうか?」

 兄が溜息をつく。

「お前は自分の立場をわかっていないのか? お前はな、婚約者の異母妹に恋をして、本来の相手を徒歩で帰らせてならず者に襲わせようとしたロクデナシだ。お前はまともな貴族ではないのだよ」
「ち、違います! 僕はそんなことしていません!」
「周りがどう見るかの話だ。……ヌヴー伯爵の調査書が届く前から、お前があの庶子を見つめているという噂は耳に入っていた。それでもレオニー嬢がなにも言ってこないのをいいことに、見ない振りをしてきた私にも問題がある。若気の至りで、卒業すれば落ち着くものだと思っていたが……学園への送り迎えさえまともにしていなかったとは」
「レオニーを粗末にしていたわけではありません」
「……お前はそう思っているのか」

 再び兄が溜息をついて、僕はいなくなったレオニーの代わりにマルールと婚約することになった。
 いけないことだとわかってはいたけれど、心臓の動悸が速まるのは止められなかった。
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