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第三話 辺境伯家当主の言い分
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「王太子殿下と娘の婚約破棄に対しての慰謝料をいただきましょうか、陛下」
王宮に娘を迎えに来たハイニヒェン辺境伯は大広間で、国王ベンヤミンを前にして言った。
彼は兜だけ外した全身鎧姿だ。同行している騎士達も武装を解いていない。
四季を問わず時間を問わず魔獣の森と対峙し、この国を護っている辺境伯家に意見出来る者などこの場にはいなかった。死が身近過ぎるがゆえに、彼らが恐れるのは死後の幸福を謳う神殿からの破門だけだ。
「ど、どういう意味だ。婚約破棄を望んだのはそのほうの娘であろう」
「望ませたのは王太子殿下です。そもそも娘の長子を王にするというお約束での婚約にも関わらず、不貞の子を長子として偽れとはどのようなご了見でいらっしゃるのでしょうか。それは婚約を認めてくださった聖王猊下ひいては神殿への背反にほかなりません。結婚後に実行されていたとしたら、結婚を祝福してくださるであろう神様に対しても虚偽の罪を犯すこととなっていたでしょう」
「……金はない」
ベンヤミンは辺境伯から目を逸らし、吐き捨てるように言った。
王家には金がない。
今の聖王が選ばれたときの選挙で、彼が選ばれるよう裏工作をするのに使ったからだ。おかげで三年前の大寒波の際も各地に十分な援助が出来ず、領地持ちの貴族の多くは王家に不信感を抱いている。
そこまでして今の聖王を支持したのは、神殿の掲げる神がこの国の王家を認めているというお墨付きが欲しかったからだ。
この国は元々群雄割拠の土地だった。
王家はハイニヒェン辺境伯家を始めとする辺境貴族達が勢力争いで弱ったとき、他家との交渉を受け持ったことでまとめ役を任されるようになった存在に過ぎなかった。今も権力は弱い。だからこそ神殿を味方につけ、それらしい証を求めたのだった。
「存じておりますとも」
辺境伯は嘲笑を浮かべた。
あのとき彼が支持していたのはべつの聖王候補だった。
なにかと黒い噂が絶えない今の聖王と違い、清廉潔白とまでは言いきれないものの少なくとも有能なことは間違いない大神官だ。当然辺境伯は、王家が大枚をはたいて今の聖王をその地位に就けたことを知っている。
「ですから金銭での慰謝料は求めません。辺境貴族同士での結婚の自由を認めていただきたいのです」
「……」
ベンヤミンは唇を噛んだ。
ある意味口先だけで王となった先祖しかいないので、王家の持つ土地は少ない。財産も民からの信頼も辺境貴族達に劣る。
だからこそベンヤミンは、辺境貴族同士が婚姻によって結びつき力を増すことを嫌っていた。さすがに跡取りとなれない人間の結婚にまでは口出ししないが、跡取りの結婚には煩く注文を付けてきた。そんなことが出来るようになったのも、聖王の後ろ盾を得たからだ。
だが、聖王の任期は終身制ではない。いずれ終わる。
そしてベンヤミンの裏工作を受け入れたように、いろいろと後ろ暗いところのある今の聖王は任期終了を待たずに罷免を求められていた。
どんなに今力を持っていても、それは辺境貴族の持つ土地と財産と民からの信頼のように確固たるものではない。水面に浮かぶ泡のようなものだ。
「そのほうの娘とフィヒター侯爵家のテオの結婚か」
ハイニヒェン辺境伯家のヘレナと隣のフィヒター侯爵家のテオが恋仲だったのかどうかは、ベンヤミンも知らない。
だがこのふたりの婚約を結びたいという申し出は早くから受けていた。
ひとり娘のヘレナが侯爵家へ嫁げば分家のモニカが辺境伯家を継ぎ、長男のテオが辺境伯家へ婿入りすれば次男のトビアスが侯爵家を継ぐという話だった。ふたつの家が結びつくことでさらなる力を得るのを恐れて承認を延ばし延ばしにし、最終的には聖王の力を借りて話を潰した。
その上で王家からの縁談をハイニヒェン辺境伯家へ持ち込んだ。
辺境伯令嬢を王妃にすることで王家の求心力が増し、王都を遠く離れた辺境貴族達への抑止力にもなる。ひとり娘のためとあれば、辺境伯家はその財産を惜しみなく王家へ捧げるだろうとベンヤミンは思っていた。
息子である王太子にもヘレナを大切にするよう重々言ってはいたのだ。
(リューゲをどこかへ嫁にやってさえいれば……)
今さら考えても仕方がないことをベンヤミンは思う。
王太子と姪が男女の関係になっていることには薄々気づいていた。
ふたりを引き離せなかったのは、聖王選挙に金を注ぎ込んだせいで救うことが出来なかった妹の嫁ぎ先への罪悪感だったのかもしれない。
王宮に娘を迎えに来たハイニヒェン辺境伯は大広間で、国王ベンヤミンを前にして言った。
彼は兜だけ外した全身鎧姿だ。同行している騎士達も武装を解いていない。
四季を問わず時間を問わず魔獣の森と対峙し、この国を護っている辺境伯家に意見出来る者などこの場にはいなかった。死が身近過ぎるがゆえに、彼らが恐れるのは死後の幸福を謳う神殿からの破門だけだ。
「ど、どういう意味だ。婚約破棄を望んだのはそのほうの娘であろう」
「望ませたのは王太子殿下です。そもそも娘の長子を王にするというお約束での婚約にも関わらず、不貞の子を長子として偽れとはどのようなご了見でいらっしゃるのでしょうか。それは婚約を認めてくださった聖王猊下ひいては神殿への背反にほかなりません。結婚後に実行されていたとしたら、結婚を祝福してくださるであろう神様に対しても虚偽の罪を犯すこととなっていたでしょう」
「……金はない」
ベンヤミンは辺境伯から目を逸らし、吐き捨てるように言った。
王家には金がない。
今の聖王が選ばれたときの選挙で、彼が選ばれるよう裏工作をするのに使ったからだ。おかげで三年前の大寒波の際も各地に十分な援助が出来ず、領地持ちの貴族の多くは王家に不信感を抱いている。
そこまでして今の聖王を支持したのは、神殿の掲げる神がこの国の王家を認めているというお墨付きが欲しかったからだ。
この国は元々群雄割拠の土地だった。
王家はハイニヒェン辺境伯家を始めとする辺境貴族達が勢力争いで弱ったとき、他家との交渉を受け持ったことでまとめ役を任されるようになった存在に過ぎなかった。今も権力は弱い。だからこそ神殿を味方につけ、それらしい証を求めたのだった。
「存じておりますとも」
辺境伯は嘲笑を浮かべた。
あのとき彼が支持していたのはべつの聖王候補だった。
なにかと黒い噂が絶えない今の聖王と違い、清廉潔白とまでは言いきれないものの少なくとも有能なことは間違いない大神官だ。当然辺境伯は、王家が大枚をはたいて今の聖王をその地位に就けたことを知っている。
「ですから金銭での慰謝料は求めません。辺境貴族同士での結婚の自由を認めていただきたいのです」
「……」
ベンヤミンは唇を噛んだ。
ある意味口先だけで王となった先祖しかいないので、王家の持つ土地は少ない。財産も民からの信頼も辺境貴族達に劣る。
だからこそベンヤミンは、辺境貴族同士が婚姻によって結びつき力を増すことを嫌っていた。さすがに跡取りとなれない人間の結婚にまでは口出ししないが、跡取りの結婚には煩く注文を付けてきた。そんなことが出来るようになったのも、聖王の後ろ盾を得たからだ。
だが、聖王の任期は終身制ではない。いずれ終わる。
そしてベンヤミンの裏工作を受け入れたように、いろいろと後ろ暗いところのある今の聖王は任期終了を待たずに罷免を求められていた。
どんなに今力を持っていても、それは辺境貴族の持つ土地と財産と民からの信頼のように確固たるものではない。水面に浮かぶ泡のようなものだ。
「そのほうの娘とフィヒター侯爵家のテオの結婚か」
ハイニヒェン辺境伯家のヘレナと隣のフィヒター侯爵家のテオが恋仲だったのかどうかは、ベンヤミンも知らない。
だがこのふたりの婚約を結びたいという申し出は早くから受けていた。
ひとり娘のヘレナが侯爵家へ嫁げば分家のモニカが辺境伯家を継ぎ、長男のテオが辺境伯家へ婿入りすれば次男のトビアスが侯爵家を継ぐという話だった。ふたつの家が結びつくことでさらなる力を得るのを恐れて承認を延ばし延ばしにし、最終的には聖王の力を借りて話を潰した。
その上で王家からの縁談をハイニヒェン辺境伯家へ持ち込んだ。
辺境伯令嬢を王妃にすることで王家の求心力が増し、王都を遠く離れた辺境貴族達への抑止力にもなる。ひとり娘のためとあれば、辺境伯家はその財産を惜しみなく王家へ捧げるだろうとベンヤミンは思っていた。
息子である王太子にもヘレナを大切にするよう重々言ってはいたのだ。
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今さら考えても仕方がないことをベンヤミンは思う。
王太子と姪が男女の関係になっていることには薄々気づいていた。
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