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第二話 辺境伯令嬢の言い分
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「仕方がないだろう。私とリューゲは真実の愛なのだ。幼いころから想い合って来た。そこに割り込んできたのは君だろう!」
「……私が望んだわけではありません。この婚約に文句がおありなら、お父君の国王陛下と聖王猊下におっしゃってくださいませ。王命の婚約ですので、私のほうからは破棄出来ません。殿下のほうから破棄なさるか、この場で私が自害するのをご覧になっていてください」
「き、君がいなくなったらハイニヒェン辺境伯家はどうなる!」
「分家のモニカが継ぎます。もとより私どもの子どもが大きくなるまでの代行、そもそも第二子に恵まれなかった場合の当主候補として、彼女には跡取り教育を受けてもらっていました」
ハイニヒェン辺境伯領の民は、辺境伯家の血筋に絶対の信頼を置いています。
神殿が出来る前、魔獣から隠れて森に棲み精霊を信仰の対象としていた時代からずっと民を護って来たのが、武具を纏い魔獣馬に騎乗したハイニヒェンの一族なのだから当然です。
森が切り開かれ人間の版図が広がった今も、森の奥地から魔獣が押し寄せる大暴走は脅威で、立ち向かえるのはハイニヒェンの一族を始めとする辺境貴族達だけなのです。
私は、ふと思いついてミヒャエル殿下とリューゲ様に提案してみました。
「国王陛下と聖王猊下を説得出来なくても、ミヒャエル殿下とリューゲ様が王位継承権と王族籍を放棄して、女性の貞節に厳しくない平民になればよろしいのではありませんか?」
ミヒャエル殿下は国王陛下ご夫妻の一粒種ですが、この国には今はなきリューゲ様のご実家以外にも王家の血を引く公爵家があります。
そこから養子を取って次代の王とすれば良いのです。
殿下がお答えにならないので、私は破片の切っ先を動かしました。
「ひっ!」
私の血を見た殿下が潰された蛙のような声を上げられます。でも先ほどの私の言葉に答えてくださるおつもりはなさそうです。
血が滲んだのは感じますが、大した傷ではなさそうです。
……ふうむ、これが躊躇い傷というものですね。辺境伯領で魔獣と戦っていたときは得物を振るうのに躊躇ったことなどないのですが、やはり自分の身体相手だと違います。
この場の決定権を持つのは殿下です。
侍女や護衛騎士が決死の覚悟で私を止めても、殿下が自害を許す気だったと後から告げれば、止めた人間は命令違反で罰せられます。
世の中というのは、そういう理不尽なものなのです。先ほどの殿下の身勝手な発言を聞いていたのですから尚のこと、周囲の人間はどう動けば良いのか選べないでいます。
王命の婚約と言ってもこのような状況で、自分の命と引き換えに拒めばハイニヒェン辺境伯家にまで累が及ぶことはないでしょう。
神殿は自害を禁じているものの、穢されそうになった乙女が死を選んだ場合は神の名のもとに許してくださいます。
婚約者の不貞の子を押し付けられそうになるなんて、穢されるのと変わりませんもの。
それに王太子の婚約者という人質がいなければ、王都から遠く離れた辺境伯領の両親は自由に動けるようになります。
私は破片を握る手に力を込めました。
気合いを感じ取ったのか、殿下の顔色が変わります。
「わ、わかった! 君との婚約を破棄する! 嘘ではない。王太子の証であるこの指輪に誓おう。周囲の者達も証人になってくれ!」
「かしこまりました、殿下」
私は破片を握った手を降ろし、けれど破片は握り締めたまま、こんなこともあろうかと持ち歩いていた婚約破棄の書類を出して殿下の署名をいただいたのでした。形で残さなければ、後で言い逃れをされてしまうかもしれませんものね。
婚約破棄の書類は、婚約を結んだ際に今の聖王猊下にお金を積んで……お願いして作っていただいたものです。
これに殿下の署名があれば、後から覆すことは出来ません。
「し、署名したぞ! 王太子の指輪で印も捺した。これで君との婚約は破棄だ!」
「はい、確かに。ありがとうございます、ミヒャエル殿下」
私は婚約破棄の書類を受け取って微笑みました。
この書類を作ってもらい持ち歩いていて、本当に良かったと思います。
私との婚約と前後して、幼いころからミヒャエル殿下と仲の良かったリューゲ様が王宮に引き取られると聞いて、念のために備えて用意しておいて良かったですわ。嫌な予感がしたのですよねえ。
「……私が望んだわけではありません。この婚約に文句がおありなら、お父君の国王陛下と聖王猊下におっしゃってくださいませ。王命の婚約ですので、私のほうからは破棄出来ません。殿下のほうから破棄なさるか、この場で私が自害するのをご覧になっていてください」
「き、君がいなくなったらハイニヒェン辺境伯家はどうなる!」
「分家のモニカが継ぎます。もとより私どもの子どもが大きくなるまでの代行、そもそも第二子に恵まれなかった場合の当主候補として、彼女には跡取り教育を受けてもらっていました」
ハイニヒェン辺境伯領の民は、辺境伯家の血筋に絶対の信頼を置いています。
神殿が出来る前、魔獣から隠れて森に棲み精霊を信仰の対象としていた時代からずっと民を護って来たのが、武具を纏い魔獣馬に騎乗したハイニヒェンの一族なのだから当然です。
森が切り開かれ人間の版図が広がった今も、森の奥地から魔獣が押し寄せる大暴走は脅威で、立ち向かえるのはハイニヒェンの一族を始めとする辺境貴族達だけなのです。
私は、ふと思いついてミヒャエル殿下とリューゲ様に提案してみました。
「国王陛下と聖王猊下を説得出来なくても、ミヒャエル殿下とリューゲ様が王位継承権と王族籍を放棄して、女性の貞節に厳しくない平民になればよろしいのではありませんか?」
ミヒャエル殿下は国王陛下ご夫妻の一粒種ですが、この国には今はなきリューゲ様のご実家以外にも王家の血を引く公爵家があります。
そこから養子を取って次代の王とすれば良いのです。
殿下がお答えにならないので、私は破片の切っ先を動かしました。
「ひっ!」
私の血を見た殿下が潰された蛙のような声を上げられます。でも先ほどの私の言葉に答えてくださるおつもりはなさそうです。
血が滲んだのは感じますが、大した傷ではなさそうです。
……ふうむ、これが躊躇い傷というものですね。辺境伯領で魔獣と戦っていたときは得物を振るうのに躊躇ったことなどないのですが、やはり自分の身体相手だと違います。
この場の決定権を持つのは殿下です。
侍女や護衛騎士が決死の覚悟で私を止めても、殿下が自害を許す気だったと後から告げれば、止めた人間は命令違反で罰せられます。
世の中というのは、そういう理不尽なものなのです。先ほどの殿下の身勝手な発言を聞いていたのですから尚のこと、周囲の人間はどう動けば良いのか選べないでいます。
王命の婚約と言ってもこのような状況で、自分の命と引き換えに拒めばハイニヒェン辺境伯家にまで累が及ぶことはないでしょう。
神殿は自害を禁じているものの、穢されそうになった乙女が死を選んだ場合は神の名のもとに許してくださいます。
婚約者の不貞の子を押し付けられそうになるなんて、穢されるのと変わりませんもの。
それに王太子の婚約者という人質がいなければ、王都から遠く離れた辺境伯領の両親は自由に動けるようになります。
私は破片を握る手に力を込めました。
気合いを感じ取ったのか、殿下の顔色が変わります。
「わ、わかった! 君との婚約を破棄する! 嘘ではない。王太子の証であるこの指輪に誓おう。周囲の者達も証人になってくれ!」
「かしこまりました、殿下」
私は破片を握った手を降ろし、けれど破片は握り締めたまま、こんなこともあろうかと持ち歩いていた婚約破棄の書類を出して殿下の署名をいただいたのでした。形で残さなければ、後で言い逃れをされてしまうかもしれませんものね。
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これに殿下の署名があれば、後から覆すことは出来ません。
「し、署名したぞ! 王太子の指輪で印も捺した。これで君との婚約は破棄だ!」
「はい、確かに。ありがとうございます、ミヒャエル殿下」
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