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第六話 彼の望み
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生徒会室のベランダに置かれたテーブルの席に着くと、王太子殿下はおっしゃいました。
「お前はどうして俺の記憶を失ったんだ」
「……わかりませんが、殿下は私の言葉をお疑いだったのですか?」
「いや、違う。お前が嘘をついていないことはわかっている。……わかるんだ」
殿下の眉間に皺が寄りました。ご機嫌が悪いようです。
「だが俺の記憶を失っただけで、お前が元のお前だということもわかる。教室で友達と話すときの顔も真剣に授業を受けるときの顔も、迎えに来たサムエーレに駆け寄る嬉しそうな顔も……全部お前だ。だから、教えて欲しい。俺の記憶以外は前と同じお前なのだから、自分がどうして俺の記憶を失ったのかもわかるだろう?」
そんなことを言われても困ります。
私は彼女ではないのです。夢の中の彼女は殿下を好きだったのだと思います。とてもとても愛していたのだと思います。
でも私は彼女ではないのです。彼女の真意はわかりません。
「記憶がないので本当のことはわかりませんけれど、私の想像でもよろしいでしょうか?」
「ああ、それが聞きたい」
「王太子殿下に対して不敬に当たる発言になるかもしれませんが」
「構わない!」
「……わかりました」
殿下の瞳が私を映します。
黒い髪に紫の瞳、夢の中の彼女にそっくりだけど彼女ではない私。
王太子殿下の婚約者でなくなった以外は変わらないと、家族にも友達にも言われているディアマンテ辺境伯令嬢の私は口を開きました。
「呪いが解けたのではないでしょうか」
「……呪い?」
聖女様はなにも言わず、怯えたような顔で殿下の隣に座っています。
「私はサムエーレお義兄様が大好きです。六歳のとき、未来の旦那様だと言われて引き合わされた日のことを今でも覚えています。本当はその三年前にもお会いしていたそうなのですが、三歳だったときのことは覚えていませんでした」
怪訝そうな表情になった王太子殿下に微笑みます。
「私の母は父が大好きでした。母にそっくりな私はきっと、父にそっくりなお義兄様が好みなのです。……十二歳で王太子リッカルド殿下の婚約者になったときのことは覚えていません。けれど、政治的な思惑があって結ばれた婚約だったことはわかっていたのだと思います。自分の一存で解消出来るものではないことも」
私がお義兄様を想い続けていたら、お義兄様にも辺境伯家にも悪いことになるでしょう。
だから──
「だから自分に呪いをかけたのだと言う気か? 俺を、婚約者の王太子を愛するという呪いを! ずっと必死に思い込んでいただけだったと言うのか? それに限界が来て、呪われていた間のことを全部忘れてしまったのだと?」
私が考えを話すと、殿下は髪よりも真っ赤なお顔になりました。
黒い髪に紫の瞳、彼がご存じの彼女とそっくりで、だけど彼女ではない私を映す瞳は少し潤んでいるように見えました。
殿下はテーブルに手をついて立ち上がり、正面に座っていた私に叫びました。
「嘘だ! 前のお前は、フェデリーカは俺を愛していた! 俺のフェデリーカは! 俺を! 俺をずっと!」
「……リッカルド殿下」
彼を止めたのはお義兄様でした。
生徒会室からベランダへ出てきたのです。
王太子殿下と聖女様がいらっしゃるのですから、当然生徒会室には護衛の騎士や側近候補の貴族子息達がいます。殿下は彼らにお義兄様が来たらベランダへ案内するよう命じていました。
「妙な疑いを抱かれないようベランダでお話なさることを選択されたのは結構ですが、いくら中庭まで声が聞こえないとはいえ、そのように興奮されているのを見られたら、なにかあったのではないかと勘繰られてしまいます」
「サムエーレ。……そうだな」
殿下はご自身の手で顔を覆い、椅子に座り直されました。
「すまなかったな、ディアマンテ辺境伯令嬢。話は以上だ。自分から聞いておきながら、嘘だなどと決めつけて悪かった」
「いいえ、ただの想像です。本当のことはだれにもわかりませんわ」
……彼女以外には、だれも。
参考になった、と王太子殿下に礼を言われて、私はお義兄様と退出しました。
昼休みはもうわずかでしたけれど、お義兄様が購買で肉や野菜を挟んだパンを買ってきてくださったので、校舎の陰に隠れて急いで食べました。
生徒会室を出る直前に、悲し気で切なげで、愛しさの籠った声でだれかに名前を呼ばれたような気がしましたが、きっと気のせいでしょう。お義兄様の声ではありませんでしたから。
「お前はどうして俺の記憶を失ったんだ」
「……わかりませんが、殿下は私の言葉をお疑いだったのですか?」
「いや、違う。お前が嘘をついていないことはわかっている。……わかるんだ」
殿下の眉間に皺が寄りました。ご機嫌が悪いようです。
「だが俺の記憶を失っただけで、お前が元のお前だということもわかる。教室で友達と話すときの顔も真剣に授業を受けるときの顔も、迎えに来たサムエーレに駆け寄る嬉しそうな顔も……全部お前だ。だから、教えて欲しい。俺の記憶以外は前と同じお前なのだから、自分がどうして俺の記憶を失ったのかもわかるだろう?」
そんなことを言われても困ります。
私は彼女ではないのです。夢の中の彼女は殿下を好きだったのだと思います。とてもとても愛していたのだと思います。
でも私は彼女ではないのです。彼女の真意はわかりません。
「記憶がないので本当のことはわかりませんけれど、私の想像でもよろしいでしょうか?」
「ああ、それが聞きたい」
「王太子殿下に対して不敬に当たる発言になるかもしれませんが」
「構わない!」
「……わかりました」
殿下の瞳が私を映します。
黒い髪に紫の瞳、夢の中の彼女にそっくりだけど彼女ではない私。
王太子殿下の婚約者でなくなった以外は変わらないと、家族にも友達にも言われているディアマンテ辺境伯令嬢の私は口を開きました。
「呪いが解けたのではないでしょうか」
「……呪い?」
聖女様はなにも言わず、怯えたような顔で殿下の隣に座っています。
「私はサムエーレお義兄様が大好きです。六歳のとき、未来の旦那様だと言われて引き合わされた日のことを今でも覚えています。本当はその三年前にもお会いしていたそうなのですが、三歳だったときのことは覚えていませんでした」
怪訝そうな表情になった王太子殿下に微笑みます。
「私の母は父が大好きでした。母にそっくりな私はきっと、父にそっくりなお義兄様が好みなのです。……十二歳で王太子リッカルド殿下の婚約者になったときのことは覚えていません。けれど、政治的な思惑があって結ばれた婚約だったことはわかっていたのだと思います。自分の一存で解消出来るものではないことも」
私がお義兄様を想い続けていたら、お義兄様にも辺境伯家にも悪いことになるでしょう。
だから──
「だから自分に呪いをかけたのだと言う気か? 俺を、婚約者の王太子を愛するという呪いを! ずっと必死に思い込んでいただけだったと言うのか? それに限界が来て、呪われていた間のことを全部忘れてしまったのだと?」
私が考えを話すと、殿下は髪よりも真っ赤なお顔になりました。
黒い髪に紫の瞳、彼がご存じの彼女とそっくりで、だけど彼女ではない私を映す瞳は少し潤んでいるように見えました。
殿下はテーブルに手をついて立ち上がり、正面に座っていた私に叫びました。
「嘘だ! 前のお前は、フェデリーカは俺を愛していた! 俺のフェデリーカは! 俺を! 俺をずっと!」
「……リッカルド殿下」
彼を止めたのはお義兄様でした。
生徒会室からベランダへ出てきたのです。
王太子殿下と聖女様がいらっしゃるのですから、当然生徒会室には護衛の騎士や側近候補の貴族子息達がいます。殿下は彼らにお義兄様が来たらベランダへ案内するよう命じていました。
「妙な疑いを抱かれないようベランダでお話なさることを選択されたのは結構ですが、いくら中庭まで声が聞こえないとはいえ、そのように興奮されているのを見られたら、なにかあったのではないかと勘繰られてしまいます」
「サムエーレ。……そうだな」
殿下はご自身の手で顔を覆い、椅子に座り直されました。
「すまなかったな、ディアマンテ辺境伯令嬢。話は以上だ。自分から聞いておきながら、嘘だなどと決めつけて悪かった」
「いいえ、ただの想像です。本当のことはだれにもわかりませんわ」
……彼女以外には、だれも。
参考になった、と王太子殿下に礼を言われて、私はお義兄様と退出しました。
昼休みはもうわずかでしたけれど、お義兄様が購買で肉や野菜を挟んだパンを買ってきてくださったので、校舎の陰に隠れて急いで食べました。
生徒会室を出る直前に、悲し気で切なげで、愛しさの籠った声でだれかに名前を呼ばれたような気がしましたが、きっと気のせいでしょう。お義兄様の声ではありませんでしたから。
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