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第十二話 お嬢様はお役目を終えました。
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走り疲れたニコライ達は、中庭にテーブルを用意してもらってオヤツを食べていた。
風ってスゴイですねえ、とどこか虚ろな目で呟いている王宮メイドと一緒に給仕をしながら、ザハールはやきもきしていた。
ヴェロニカの姿はない。
どうしてもあの塔へ行かなくてはいけない気がすると言って、行ってしまったのだ。王宮内ならザハールとかなりの距離を離れても平気らしい。
卒業パーティのときもザハールの近くにいたようだが、あのときはだれかに見つからないようにと隠れるまでもなく存在自体が希薄になっていたのだという。
(王宮内には伝説の聖女の遺骨が埋められているからだろうか)
ヴェロニカは幼いころ、聖女の再来ではないかと期待されていた。
聖女の遺骨が実体を失ったレオンチェフ公爵令嬢に力を与えているのだろうか。
しかし、その真偽は聖職者ではないザハールではわからないことだ。魔術学園への入学こそ許されたものの、ザハールの魔力はヴェロニカのように光を帯びてはいなかった。
ザハールがやきもきしているのは、さっきまでニコライとヤーコフを覗いていたパーヴェル王子が塔へ向かったからもあった。
今の実体のないヴェロニカを傷つけられる者はいない。どんな凶器もすり抜けてしまう。でも心まで傷つかないはずがないのだ。
あのイリュージアとかいう小娘もムカつくが、ヴェロニカの心をだれよりも傷つけられるのは元婚約者のパーヴェルだ。
ちらちらと塔のほうを窺っていたザハールは、窓に漂っていたピンク色の靄が消えていることに気づいた。
ヴェロニカが纏っている黄金色の光が近づいたせいで見えなくなったのかもしれない。
実際のところは不明だが、とりあえず靄が消えてから、ザハールは自分の身体が軽くなったように感じていた。
『ただいま、ザハール』
「お嬢様っ!」
「……」
やがて戻って来たヴェロニカに反応して叫んでしまったザハールは、彼女の見えない王宮メイドを涙させてしまった。
大切な主家のご令嬢が亡くなってしまったことを受け止めきれていないのだと思われたのだろう。
ニコライはオヤツに夢中で、しばらく姉の帰還に気づかなかった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
『ねえザハール』
「なんですか、お嬢様」
普通に言葉を返したのは、ここがもう王宮ではないからだ。
ザハール達は王都のレオンチェフ公爵邸へ戻っていた。
これまでのヴェロニカはニコライ以外の血縁者に見つからないよう、屋敷の中でこそこそと過ごしていたらしいが、今日は堂々とザハールの部屋に浮かんでいる。今日というよりももう今夜だろうか。
『……私ね、神様に与えられた使命を果たしたかもしれません』
「そうですか」
ザハールはヴェロニカの言葉に頷いた。
彼女が塔から戻って来たときから、なんとなく感じていたのだ。
『あの塔へ行ったとき、イリュージア様と彼女の髪のような色の靄がいて、私にはなぜかその靄が“悪いもの”だとわかったの。その靄を滅するためにこの世に留められていたのだと』
「……そうでしたか」
『もちろんただの思い込みかもしれないわ。その靄はイリュージア様のお父様だと言うんですもの』
「え」
『私がふわふわ浮かんでいる間に男爵はお亡くなりになっていたのかしら』
「いいえ、そうではありません」
考えてみれば、いかにもありそうなことだった。
あのクソ野郎──ザハールとイリュージアの父親イードルが、死後も悪霊となってこの世に留まり、人々を苦しめ続けるなんてことは。
今の聖王が彼の存在を認識していなかった理由もなんとなくわかる。
悪霊にとって聖王は、レオンチェフ公爵達とともに身勝手な復讐の対象だったのだろう。
復讐を果たすときまでは聖王の前にだけは姿を現さなかったに違いない。五年前の王配の死にも悪霊が絡んでいた可能性もあると、ザハールは思った。
(それに……)
ザハールはヴェロニカを見つめた。
黄金色の光を纏い、宙に浮いている透き通った少女。
悪霊と契約した妖女を退治する役目は聖女にしか不可能だったのかもしれない。
だがそうだったのなら、彼女にもっと聖女としての力を与えておいて欲しかったとザハールは心の中で神を罵った。
聖女としての力がもっと強ければ、ヴェロニカは生きたまま妖女の下僕達の魅了を解けただろうに。ザハールは、半月前の卒業パーティで彼女の死を告げた後の毒気が抜けたようなパーヴェル王子の顔を思い出す。
あの王子のために魔術修行に励んでいたヴェロニカの努力が足りなかっただなんて、ザハールはだれにも言わせる気はない。
『それでね、私はお役目を果たしたから……たぶん、もう終わりなの』
「どういう意味ですか」
『さっき私の寝室へ行って、お母様の目を盗んで身体に触ってみたら入れそうな気配があったの。私は体に戻って……天界へ招かれようと思うわ』
「ご冗談はおやめください。神に与えられた使命を果たしたのなら、ご褒美に生き返らせてもらえるのではありませんか?」
『……私、ずっと回復魔術と浄化魔術の修業をして来たでしょう? そもそも衰弱に回復魔術は効果がないし、十日と半月眠り続けた私の身体が元に戻れるとは思えないわ。でもね、きっと最後にお別れを告げることは出来る。だから……来てね』
「お嬢様っ! ヴェロニカお嬢様っ!……待てよ、ヴェロニカっ!」
ふわりと浮かんで、透き通った少女が壁を抜けて去っていく。
ザハールは従者として学んだすべての礼儀作法を忘れて、彼女の部屋へと走った。
庭師の孫でしかなかったときだって、レオンチェフ公爵邸の廊下を走ったことなどない。
風ってスゴイですねえ、とどこか虚ろな目で呟いている王宮メイドと一緒に給仕をしながら、ザハールはやきもきしていた。
ヴェロニカの姿はない。
どうしてもあの塔へ行かなくてはいけない気がすると言って、行ってしまったのだ。王宮内ならザハールとかなりの距離を離れても平気らしい。
卒業パーティのときもザハールの近くにいたようだが、あのときはだれかに見つからないようにと隠れるまでもなく存在自体が希薄になっていたのだという。
(王宮内には伝説の聖女の遺骨が埋められているからだろうか)
ヴェロニカは幼いころ、聖女の再来ではないかと期待されていた。
聖女の遺骨が実体を失ったレオンチェフ公爵令嬢に力を与えているのだろうか。
しかし、その真偽は聖職者ではないザハールではわからないことだ。魔術学園への入学こそ許されたものの、ザハールの魔力はヴェロニカのように光を帯びてはいなかった。
ザハールがやきもきしているのは、さっきまでニコライとヤーコフを覗いていたパーヴェル王子が塔へ向かったからもあった。
今の実体のないヴェロニカを傷つけられる者はいない。どんな凶器もすり抜けてしまう。でも心まで傷つかないはずがないのだ。
あのイリュージアとかいう小娘もムカつくが、ヴェロニカの心をだれよりも傷つけられるのは元婚約者のパーヴェルだ。
ちらちらと塔のほうを窺っていたザハールは、窓に漂っていたピンク色の靄が消えていることに気づいた。
ヴェロニカが纏っている黄金色の光が近づいたせいで見えなくなったのかもしれない。
実際のところは不明だが、とりあえず靄が消えてから、ザハールは自分の身体が軽くなったように感じていた。
『ただいま、ザハール』
「お嬢様っ!」
「……」
やがて戻って来たヴェロニカに反応して叫んでしまったザハールは、彼女の見えない王宮メイドを涙させてしまった。
大切な主家のご令嬢が亡くなってしまったことを受け止めきれていないのだと思われたのだろう。
ニコライはオヤツに夢中で、しばらく姉の帰還に気づかなかった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
『ねえザハール』
「なんですか、お嬢様」
普通に言葉を返したのは、ここがもう王宮ではないからだ。
ザハール達は王都のレオンチェフ公爵邸へ戻っていた。
これまでのヴェロニカはニコライ以外の血縁者に見つからないよう、屋敷の中でこそこそと過ごしていたらしいが、今日は堂々とザハールの部屋に浮かんでいる。今日というよりももう今夜だろうか。
『……私ね、神様に与えられた使命を果たしたかもしれません』
「そうですか」
ザハールはヴェロニカの言葉に頷いた。
彼女が塔から戻って来たときから、なんとなく感じていたのだ。
『あの塔へ行ったとき、イリュージア様と彼女の髪のような色の靄がいて、私にはなぜかその靄が“悪いもの”だとわかったの。その靄を滅するためにこの世に留められていたのだと』
「……そうでしたか」
『もちろんただの思い込みかもしれないわ。その靄はイリュージア様のお父様だと言うんですもの』
「え」
『私がふわふわ浮かんでいる間に男爵はお亡くなりになっていたのかしら』
「いいえ、そうではありません」
考えてみれば、いかにもありそうなことだった。
あのクソ野郎──ザハールとイリュージアの父親イードルが、死後も悪霊となってこの世に留まり、人々を苦しめ続けるなんてことは。
今の聖王が彼の存在を認識していなかった理由もなんとなくわかる。
悪霊にとって聖王は、レオンチェフ公爵達とともに身勝手な復讐の対象だったのだろう。
復讐を果たすときまでは聖王の前にだけは姿を現さなかったに違いない。五年前の王配の死にも悪霊が絡んでいた可能性もあると、ザハールは思った。
(それに……)
ザハールはヴェロニカを見つめた。
黄金色の光を纏い、宙に浮いている透き通った少女。
悪霊と契約した妖女を退治する役目は聖女にしか不可能だったのかもしれない。
だがそうだったのなら、彼女にもっと聖女としての力を与えておいて欲しかったとザハールは心の中で神を罵った。
聖女としての力がもっと強ければ、ヴェロニカは生きたまま妖女の下僕達の魅了を解けただろうに。ザハールは、半月前の卒業パーティで彼女の死を告げた後の毒気が抜けたようなパーヴェル王子の顔を思い出す。
あの王子のために魔術修行に励んでいたヴェロニカの努力が足りなかっただなんて、ザハールはだれにも言わせる気はない。
『それでね、私はお役目を果たしたから……たぶん、もう終わりなの』
「どういう意味ですか」
『さっき私の寝室へ行って、お母様の目を盗んで身体に触ってみたら入れそうな気配があったの。私は体に戻って……天界へ招かれようと思うわ』
「ご冗談はおやめください。神に与えられた使命を果たしたのなら、ご褒美に生き返らせてもらえるのではありませんか?」
『……私、ずっと回復魔術と浄化魔術の修業をして来たでしょう? そもそも衰弱に回復魔術は効果がないし、十日と半月眠り続けた私の身体が元に戻れるとは思えないわ。でもね、きっと最後にお別れを告げることは出来る。だから……来てね』
「お嬢様っ! ヴェロニカお嬢様っ!……待てよ、ヴェロニカっ!」
ふわりと浮かんで、透き通った少女が壁を抜けて去っていく。
ザハールは従者として学んだすべての礼儀作法を忘れて、彼女の部屋へと走った。
庭師の孫でしかなかったときだって、レオンチェフ公爵邸の廊下を走ったことなどない。
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