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第八話 聖なる者
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この国には聖女の伝説がある。
かつて邪なる悪霊と契約して魅了魔術を得た妖女がいた。妖女に操られて下僕と化した者達が人々を苦しめていたころ現れて、光り輝く浄化魔術で下僕達の魅了を解いて妖女を倒し、苦しめられて傷ついた人々を回復魔術で癒したのが伝説の聖女だ。
邪悪な妖女を倒した後も、聖女は自分の力を用いて人々を救い続けた。
やがて聖女が寿命を迎えたときはすべての民が悲しんだ。
当時の国王は彼女の死を悼み、その遺骨を王宮のどこかに埋めたのだという。これからも王国を護って欲しいという身勝手な願いを込めて。
聖女は生涯独身だったので子孫はいない。
神殿は、その聖女の魂を守り崇める組織である。
最高権力者である聖王とは、聖(女を守る)王(=組織の指導者)に過ぎない。
聖職者の魔力が光を帯びているのは、聖女の魔力を分け与えられたからだと言われている。
★ ★ ★ ★ ★
男爵令嬢イリュージアの父は、その聖王になるべくして生まれた人物だった。
今の聖王などニセモノだと、イリュージアは思っている。
いや、父は聖(女を守る)王(=組織の指導者)程度ではない。
父は本当の聖なる王だ。本人が尊いのだ。イリュージアはそう信じている。
表向きの父とされている男爵のことではない。
イリュージアの母は父の地盤を作るために男爵に嫁いだのだ。
イリュージアの父イードルは、光り輝く太陽のように美しい男性だ。
娘と同じピンクの髪で、瞳の色も同じだった。
多くの女性が彼の寵愛を求めて侍っていたが、もっとも愛され、もっとも彼の役に立っていたのはイリュージアの母だ。イリュージアの母は男爵の前妻を始末して男爵家に入り、男爵家の力を使って父に尽くした。少なくともイリュージアはそう聞いている。
「だけど……」
塔の中で、憎々し気にイリュージアは呟いた。
だけど、イードルは無実の罪で殺されてしまった。
神殿に来た女達に麻薬を飲ませ、下僕にして売り払うことのどこが罪だというのだ。女もその家族達も父の道具にされたことを喜ぶべきだとイリュージアは思う。
なのに、あのレオンチェフ公爵と亡くなった王配は、イードルを罪人として責め立てた挙句神官としての地位まで奪って処刑したのだ。
とても許せるものではない。
イードルが女達を売り払っていたのは、神殿内で出世するための金を必要としたからだった。ときには道具の女達自体が賄賂として使えることもあったらしい。金と女で成り上がれた神殿の仕組みは、今の聖王が変えてしまった。
イリュージアがパーヴェル王子を誘惑して公爵令嬢を貶めたのは、父の復讐のためだった。
聖王もゆくゆくは排除する予定だった。
パーヴェルと結婚して王太子妃となっていれば、それは容易いことだった。だが、今のイリュージアは王太子妃どころか罪人として塔に閉じ込められている。
「でもあの女が死んだのは良かったわ。……お父様が始末してくれたの?」
イリュージアは塔の窓に太陽の光とともに降りてきた父を見た。
父に実体はない。
彼は半透明の体に娘の髪と同じピンクの光を全身に纏い、キラキラと輝いている。実際はまったく同じピンクというわけではなく、イリュージアとザハールの髪のちょうど中間くらいの色だ。もちろん公爵家の従者のことなどイリュージアの心には浮かばない。
その整った顔を見れば、彼がイリュージアの父であることは明白だった。
イリュージアは父よりも美しい男性を見たことがない。
王太子であるパーヴェルだって、父と比べれば虫と変わらない。
『いいや。あの日はイリュージアと一緒に町へ行っていたじゃないか』
「そうだったわね。じゃああの女には天罰がくだったのね。神もお父様の味方なんだわ。ううん、お父様こそが神様なのでしょう?」
『それはどうかな』
イタズラな微笑みを浮かべるイードルにイリュージアは確信した。
自分の父こそが神なのだと。
それが証拠に、父と出会ってから良いこと続きだ。周囲の男達はイリュージアに夢中でなんでも言うことを聞いてくれる。贈り物だって山のようにもらったし、イリュージアが気に食わないと思う女は男達に罵られていた。
「今は少し困った状況にいるけれど、お父様が戻っていらっしゃったのだから、これからはなにもかもが上手く行くわよね」
イードルは卒業パーティの十日前の夜、あの公爵令嬢が死んだ日から姿を消していた。
もうすでにイリュージアの虜になっている王太子の側近達が離反することはなかったが、彼らはイリュージアに従おうとしない愚か者達によって排除されてしまった。
しかしパーヴェル王子が残っているのは僥倖だ。
パーヴェルはまだ王太子である。
卒業パーティから会っていなかったけれど、もうすぐ塔へ来ると連絡があった。
パーティの三日前に話したときもイリュージアの誘導に乗って公爵令嬢の凌辱を口にしてくれたし、これからだって思い通りになってくれるに違いない。父も太鼓判を捺してくれる。
『元婚約者の死を知った衝撃で王太子の心は少しお前から離れているが、こうして私が側にいれば大丈夫だ。また虜にすることが出来る』
「ありがとう、お父様」
イリュージアは魅了魔術など持っていない。
彼女にはイードルという偉大な父がいるだけだ。
処刑されて実体を失ったイードルは他者の欲望を煽る能力を身に着けていた。もし聖王がそれを知ったなら、イードルという男は生前の罪を反省することもなく悪霊になったのだ、と憤怒の表情で唾棄しただろう。
かつて邪なる悪霊と契約して魅了魔術を得た妖女がいた。妖女に操られて下僕と化した者達が人々を苦しめていたころ現れて、光り輝く浄化魔術で下僕達の魅了を解いて妖女を倒し、苦しめられて傷ついた人々を回復魔術で癒したのが伝説の聖女だ。
邪悪な妖女を倒した後も、聖女は自分の力を用いて人々を救い続けた。
やがて聖女が寿命を迎えたときはすべての民が悲しんだ。
当時の国王は彼女の死を悼み、その遺骨を王宮のどこかに埋めたのだという。これからも王国を護って欲しいという身勝手な願いを込めて。
聖女は生涯独身だったので子孫はいない。
神殿は、その聖女の魂を守り崇める組織である。
最高権力者である聖王とは、聖(女を守る)王(=組織の指導者)に過ぎない。
聖職者の魔力が光を帯びているのは、聖女の魔力を分け与えられたからだと言われている。
★ ★ ★ ★ ★
男爵令嬢イリュージアの父は、その聖王になるべくして生まれた人物だった。
今の聖王などニセモノだと、イリュージアは思っている。
いや、父は聖(女を守る)王(=組織の指導者)程度ではない。
父は本当の聖なる王だ。本人が尊いのだ。イリュージアはそう信じている。
表向きの父とされている男爵のことではない。
イリュージアの母は父の地盤を作るために男爵に嫁いだのだ。
イリュージアの父イードルは、光り輝く太陽のように美しい男性だ。
娘と同じピンクの髪で、瞳の色も同じだった。
多くの女性が彼の寵愛を求めて侍っていたが、もっとも愛され、もっとも彼の役に立っていたのはイリュージアの母だ。イリュージアの母は男爵の前妻を始末して男爵家に入り、男爵家の力を使って父に尽くした。少なくともイリュージアはそう聞いている。
「だけど……」
塔の中で、憎々し気にイリュージアは呟いた。
だけど、イードルは無実の罪で殺されてしまった。
神殿に来た女達に麻薬を飲ませ、下僕にして売り払うことのどこが罪だというのだ。女もその家族達も父の道具にされたことを喜ぶべきだとイリュージアは思う。
なのに、あのレオンチェフ公爵と亡くなった王配は、イードルを罪人として責め立てた挙句神官としての地位まで奪って処刑したのだ。
とても許せるものではない。
イードルが女達を売り払っていたのは、神殿内で出世するための金を必要としたからだった。ときには道具の女達自体が賄賂として使えることもあったらしい。金と女で成り上がれた神殿の仕組みは、今の聖王が変えてしまった。
イリュージアがパーヴェル王子を誘惑して公爵令嬢を貶めたのは、父の復讐のためだった。
聖王もゆくゆくは排除する予定だった。
パーヴェルと結婚して王太子妃となっていれば、それは容易いことだった。だが、今のイリュージアは王太子妃どころか罪人として塔に閉じ込められている。
「でもあの女が死んだのは良かったわ。……お父様が始末してくれたの?」
イリュージアは塔の窓に太陽の光とともに降りてきた父を見た。
父に実体はない。
彼は半透明の体に娘の髪と同じピンクの光を全身に纏い、キラキラと輝いている。実際はまったく同じピンクというわけではなく、イリュージアとザハールの髪のちょうど中間くらいの色だ。もちろん公爵家の従者のことなどイリュージアの心には浮かばない。
その整った顔を見れば、彼がイリュージアの父であることは明白だった。
イリュージアは父よりも美しい男性を見たことがない。
王太子であるパーヴェルだって、父と比べれば虫と変わらない。
『いいや。あの日はイリュージアと一緒に町へ行っていたじゃないか』
「そうだったわね。じゃああの女には天罰がくだったのね。神もお父様の味方なんだわ。ううん、お父様こそが神様なのでしょう?」
『それはどうかな』
イタズラな微笑みを浮かべるイードルにイリュージアは確信した。
自分の父こそが神なのだと。
それが証拠に、父と出会ってから良いこと続きだ。周囲の男達はイリュージアに夢中でなんでも言うことを聞いてくれる。贈り物だって山のようにもらったし、イリュージアが気に食わないと思う女は男達に罵られていた。
「今は少し困った状況にいるけれど、お父様が戻っていらっしゃったのだから、これからはなにもかもが上手く行くわよね」
イードルは卒業パーティの十日前の夜、あの公爵令嬢が死んだ日から姿を消していた。
もうすでにイリュージアの虜になっている王太子の側近達が離反することはなかったが、彼らはイリュージアに従おうとしない愚か者達によって排除されてしまった。
しかしパーヴェル王子が残っているのは僥倖だ。
パーヴェルはまだ王太子である。
卒業パーティから会っていなかったけれど、もうすぐ塔へ来ると連絡があった。
パーティの三日前に話したときもイリュージアの誘導に乗って公爵令嬢の凌辱を口にしてくれたし、これからだって思い通りになってくれるに違いない。父も太鼓判を捺してくれる。
『元婚約者の死を知った衝撃で王太子の心は少しお前から離れているが、こうして私が側にいれば大丈夫だ。また虜にすることが出来る』
「ありがとう、お父様」
イリュージアは魅了魔術など持っていない。
彼女にはイードルという偉大な父がいるだけだ。
処刑されて実体を失ったイードルは他者の欲望を煽る能力を身に着けていた。もし聖王がそれを知ったなら、イードルという男は生前の罪を反省することもなく悪霊になったのだ、と憤怒の表情で唾棄しただろう。
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