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第六話 泣き虫令嬢

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「ベルント。私ね、殿下が初恋の人なの」
「存じております。王太子殿下が婚約決定前の顔見せでフィッシェ公爵邸を訪れた際、兄君の遠乗りに同行したいとおっしゃるお嬢様に味方してくださったから、お好きになられたのですよね?」

 後日婚約の打診があって、殿下に恋をしていた私が受け入れたので、正式な王命が下って婚約の運びとなった。殿下との婚約を選んだのは私自身なのだ。

「あのときの王太子殿下は、お嬢様が馬に乗れないどころか、兄君を追いかけて厩舎へ来ても大きな馬に怯えて私の背中に隠れるような泣き虫令嬢だとご存じありませんでしたものね」

 そう、遠乗りに反対されるのは当たり前だったのに、ベルントにまで駄目ですと言われて、私はとても悲しかったのだ。
 ベルントはお父様の親友の遺児だった。
 彼の父は王国に魔導武器を与えられた国に属する魔導騎士ではなく、フィッシェ公爵家に忠誠を誓った騎士だった。

 王都から離れた公爵領は結界の境界に近く、村によっては半分くらい結界をはみ出ていたりする。
 そんな村々を回って魔獣を駆除するのが、公爵家騎士団の仕事だった。
 お父様が私やお兄様に生存術を教えてくださったのは、なにかで魔獣が暴れているところに出くわして、守ってくれる人から離れたときの備えとしてだ。まさか夢の中で投獄されたときに役立つとは思わなかったわ。

 公爵家の騎士は、魔導武器ではなく鍛え抜かれた体と技術で魔獣に立ち向かう。
 いつもより魔獣の数が多かった年に、ベルントの父は命を落とした。
 女性騎士だった彼の母も同じときに亡くなっている。

 お兄様の腹心候補として引き取られたベルントは、泣き虫令嬢だった私の世話係も受け持ってくれていた。
 私が勝手に懐いて付き纏っていたともいう。
 あんまり私が懐いているから、成長したベルントがなにか結果を出したら、我が家が持つ爵位を与えて私を嫁がせようかと思っていたと、前にお父様が言っていたことがある。私が殿下の婚約者になることを選んだので、その話は消えてしまったのだ。

「……甘やかすことしか出来なかった私と違って、王太子殿下はゲルダお嬢様を成長させてくださいました」

 私は無言で首肯した。
 初めて会った日は結局雨が降り出して遠乗りに行けなかったけれど、今度は殿下も交えて遠乗りに行こうと言われて、私は必死で馬に乗れるようになった。
 王太子の婚約者となるのなら感情を表に出してはいけないと妃教育で告げられて、泣き虫令嬢を卒業した。殿下がご存じの私の泣き顔は、初めて会った日のものだけだろう。

「あの男爵令嬢のことで嫉妬に苦しみ思い悩んでも、お嬢様は涙を見せずに堪えていらっしゃいました」

 実際のところは、妃教育が実って泣かなくなったというよりも泣き方を忘れてしまっただけなのかもしれない。
 だって夢の中、ベルントの死を告げられても私は泣けなかったのだもの。

「お嬢様を襲おうとしている悪逆の徒は男の私が行っても姿を現すことはないでしょう。ご自分で危険に気づかれたお嬢様が裏庭へ行かないでいてくださるのなら、学園の警備に不審者を見たと言って注意を促しておきます。……捕まえて黒幕まで引き出せたら良いのですが、たぶん証拠になるような契約書は残していないでしょうね」

 私が持っている手紙も偽装だと言われて終わりだろう。
 夢の中での事件の後、殿下は男爵令嬢が私に手紙を渡したことでさえ、彼女に否定されればそれが真実だと受け入れた。
 私のお友達や学園の生徒達の目撃証言もあったのに。逆に言えば、殿下の絶対的な信頼を得ている男爵令嬢だからこそ、こんな杜撰な計画を立てて実行したのだ。

「ベルント。男爵令嬢の罪を暴けたとしても暴けなかったとしても、私はアレクサンダー殿下の妃になるしかないわ。……貴方は、ずっと一緒にいてくれる?」

 答えは知っているつもりだった。
 以前から、私が王太子妃になったら近衛騎士となって仕え続けると言ってくれていたのだ。
 それに彼は、夢の中でも最後まで私を助けようとしてくれていた。

 しかし、彼は首を横に振った。

「申し訳ありません。ずっとお仕えするつもりでいましたが、旧大陸の遺跡都市の研究にどうしても心惹かれてならないのです。お側を離れるお許しをいただけないでしょうか」
「……そう」

 あの夢は本当の未来で、私は過去に戻って来たのかも、なんてことを思う。
 そして、ベルントも同じ未来を知っているような気がした。
 だとしたら、未来のない私に仕え続けたくないと思うのは当然だ。考えてみれば夢の中では今日、ベルントは私と同じ馬車で学園へ来ていた。彼が未来を知っているから、今日が変わったのだ。

 だれだって自分の命は惜しい。
 同じ未来が来たときに私を助けるため下水道へ入らなくても、殿下や側近達に捕まって拷問で冤罪を裏付けるための偽証を強要されるかもしれないもの。
 夢の中では私の処刑を強行したけれど、本来の殿下はそういったことを整えたいと思う方だ。男爵令嬢を喪った悲しみで常軌を逸していた殿下なら、側近達の拷問によって引き出された偽証なら真実として受け入れて、正々堂々とした気分で私を処刑することだろう。

 眼球が熱くなる。
 久しぶりに泣いてしまうかと思ったが、感情を表に出さない妃教育の成果か、さっき考えたように泣き方を忘れてしまっただけなのか、涙は零れて来なかった。
 私はベルントの活躍を祈って、禁書庫での会話で潰れた昼食時間の代わりの焼き菓子をもらって午後の授業へ急いだ。彼が小腹の空いたときに食べようと思って用意したものだろうにと申し訳なく思ったが、昔から私が泣いたときにくれていた、彼が父親に習ったレシピで作った焼き菓子は美味しかった。
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