あなたの明日に寄り添いたくて

豆狸

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第五話 手紙の筆跡

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 今朝の夢を思い出しながら、私はベルントが研究の手を休めて用意してくれた椅子に座った。

「研究の邪魔をしてしまってごめんなさい。椅子くらい自分で出せば良かったわね」
「ゲルダお嬢様のお世話をするのが私の役目ですから」
「でも今日はお休みだわ」
「急に休みをいただいて申し訳ございませんでした」
「……私のためでしょう?」

 言って、私は手紙を出した。
 婚約者の王太子アレクサンダー殿下に託されたと称して、ヴンデ男爵令嬢リューグナから渡されたものだ。
 今日の放課後、裏庭で会いたいと書いてある。そのとき絶対にこの手紙を持ってくるように、とも。

 見間違えようのない殿下の筆跡だと浮かれていたけれど、良く見ればところどころに書き換えた跡がある。
 便箋の文章には私の名前は書かれておらず、便箋に書かれた宛名は明らかに別人の筆跡だった。
 おそらく男爵令嬢が私を誘き出すために、自分宛ての手紙を書き換えて利用したのだ。

 夢の中でも手元にあったなら、なんらかの物証に出来たのかもしれないが、裏庭にいた男は真っ先に手紙を奪った。
 ……いや、彼女に夢中な殿下のことだから、この手紙が残っていても、私が彼女から盗んで偽装で書き換えたのだと言ったかもしれないわね。
 ベルントが苦笑を浮かべる。

「お気づきになってしまわれたのですね」
「貴方は最初からわかっていたのでしょう? どうして教えてくれなかったの?」
「……この件に王太子殿下は関与なさっていないと思います」
「ええ、そうでしょうね」

 殿下はこういった汚い謀略を嫌う方だ。
 だからこそ、証拠もなく男爵令嬢の仕業だと騒ぎ立てた私のほうが、彼女に罪を着せようとしているのだと考えて厭われた。
 もっともご自分がなさっていることが浮気、不貞以外のなにものでもないということからは目を逸らしていらっしゃるけれど。

「それでも真相が解明されるまでは、ゲルダお嬢様は王太子殿下に対する疑心を持ち続けることになるでしょう? 一度胸に芽生えた疑心は、事件が解決した後でもしこりを残すことでしょう」
「そうね」

 そうでなくても、この手紙は愛と情熱に満ちている。
 後からまったくのニセモノだと言われたならともかく、この手紙が男爵令嬢に送られたものを利用しているのだと気づいてしまったら、私に対するものとはまるで違う殿下の想いを感じて立ち直れなくなっていただろう。
 今は夢の中で婚約破棄されて処刑までされたせいか、殿下の私への想いはその程度のものだという諦念が心の中にある。

「私のお友達に、放課後になってもしばらく私を裏庭へ行かせないでくれと頼んだのは、私が行く前にすべてを解決しておくつもりだったから?」
「はい。ゲルダお嬢様を待ち構えているであろう悪逆の徒を片付けて、時間を置いていらっしゃったお嬢様に、王太子殿下は急用が出来てお帰りになりましたよ、とお伝えするつもりでした。王家に報告して王太子殿下には猛省を促しますが、お嬢様はそんな事件が起ころうとしていたことなど知ることはなく、これまで通り王太子殿下をお慕いしていただければと思っておりました」
「……」
「もちろん、事件の黒幕があの男爵令嬢であることも明らかにするつもりでした。ゲルダお嬢様と王太子殿下の婚約は王命です。王太子殿下の浮気程度では解消されることも白紙撤回されることもありません。だからこそ、お嬢様には王太子殿下を愛したままで嫁いでいただきたかったのです」

 ベルントの表情は優しい。
 彼の言葉は正しかった。
 あの夢の中、もし処刑前に国王陛下ご夫妻が戻られていたら、謝罪や賠償はあっても婚約破棄は認められなかったに違いない。私は、自分を殺人犯だと断じて地下牢へ投獄した人間に嫁がされただろう。

 殿下の変心に悩み苦しみ嫉妬に狂って自己嫌悪に陥っていても、私の中の殿下への想いは消えていなかった。
 あの夢の中でも、激しい感情が現れなかっただけで、殿下への恋情は胸の奥底で燻ぶっていた。
 燻ぶっていたからこそ、表面を整えて冷静に振る舞おうとしていたのだ。……王命の婚約は破れないとわかっていたから。

 夜会の場にフィッシェ公爵であるお父様や跡取りのお兄様がいて婚約破棄宣言を聞いていらしたら、なにかが変わっていたかもしれないが、おふたりは公爵領にいた。
 そもそもおふたりがいたならば、私が投獄されることもなかったに違いない。
 だけど、領民を救うための魔獣の間引きより私のエスコートを優先して欲しいだなんて言えなかった。あの夢がどういうものなのかわからない以上、今回だって言えはしない。
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