妖精のお気に入り

豆狸

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第二話 屍をください。

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「お願いです。お嬢様のしかばねを俺にください」

 ある日、王都の男爵邸を訪ねてきた青年はそう言った。
 ミュゲがよく知る顔である。
 愛人だった母とともに下町で囲われていたときに恋人だった男だ。今も関係があり、異母姉マルトを不貞の罪へ落とすときに演技もしてもらった。下町の犯罪組織で雑用係のようなことをやっていて、たまに金をせびりに来る。

「アンタ……なに言ってるの?」

 呆気に取られるミュゲに向かい、視線がどこへ向かっているのかわからない虚ろな瞳を煌めかせて彼は繰り返す。

「お願いです。お嬢様のしかばねを俺にください」
「お嬢様ってだれよ、アタシのこと? アンタを婿になんか出来るわけないでしょ?……ってかしかばねってどういうことよ。金ならあげてるでしょ?」
「お嬢様はお嬢様です。マルトお嬢様です。俺とお前が冤罪を着せた彼女です。なんの罪もないのに冤罪を着せられて、男爵家を追い出された女性です」
「そうよ、追い出されたのよ。この家にはいないわ」

 ここは王都男爵邸の裏庭にある東屋である。
 使用人達の目があるので、婿を喪ったばかりの跡取り娘が男と会っていても問題はないし、会話までは聞こえない位置に使用人達を留めているのでミュゲのほうにも不満はない状態だ。
 もともと身分の低い商人などと商談をおこなう場所であった。

「……お前が追い出したくらいで満足するはずねぇじゃないか、殺したんだろう?」

 ぼそりといつもの調子で呟いた青年に、ミュゲの背筋に冷たいものが落ちた。
 これまでは姿も声もいつも通りだし、裏庭の東屋での商談に来た商人を装っているから丁寧に話しているのだと思っていたのだ。
 だが違う。目の前の青年は、ミュゲの知っている彼とはなにかが違う。

「そのしかばねを俺にくれって言ってんだよ」

 夢を見るのだ、と青年は言った。

「美しい金髪の女性が両手で顔を覆い、肩を震わせているんだ。顔は見えない。ってか、そもそも俺は彼女の顔も知らない。だけどわかるんだ。あれはきっと彼女だ。俺に罪を着せられたせいで婚約を破棄されて、家に絶縁までされたことを悲しんでいるんだ」

 だから俺は償わなきゃいけない、彼女を妻にしなくちゃならない、と青年は続ける。

「お願いです。お嬢様のしかばねを俺にください」
しかばねと結婚する気なの? 頭おかしいんじゃない?」
「お願いです。お嬢様のしかばねを俺にください」
「ア、アタシは殺してなんかいないわよ? 気がついたらいなくなってて、父さんが絶縁したって言ってたのよ」
「お願いです。お嬢様のしかばねを俺にください」
「煩い煩い煩いッ! だれか! だれかこの男を外へ叩き出してッ!」

 慌てて駆け寄ってきた使用人達に捕らえられても、青年は同じ言葉を繰り返すだけだった。

「お願いです。お嬢様のしかばねを俺にください」

 下町の犯罪組織で雑用係をやるとなれば、腕っぷしが強くなければ始まらない。
 なのに青年は使用人達の捕縛から逃れられないでいる。
 使用人達のほうが人数が多いからだろうか。いや、違う、とミュゲは思った。

「お願いです。お嬢様のしかばねを俺にください」

 瞳が虚ろなだけでも言葉が丁寧なだけでもない。
 身体全体から力が抜けて、まるで人形のようになっているのもおかしい。
 でもそれだけではない。考えてみれば先ほどいつもの調子で話していたときでさえ、生気を感じなかった。

「お願いです。お嬢様のしかばねを俺にください」

 しかばねを求める本人こそが命のないしかばねのようだ。
 だれかに操られた人形のようだ。
 そもそも自分が異母姉の遺体と結婚したら償いになると思っていることが異常だ。

(父さんはあの女は生きていると言っていたけれど、本当はもう死んでいるのかしら。死んで悪霊となって、婚約者モイーズを奪ったアタシに復讐しようとでもしているの?)

 だとしたら、見当違いも良いところだ、とミュゲは不敵に笑う。

「お願いです。お嬢様のしかばねを俺にください」

 同じ言葉を繰り返しながら連れ去られていく青年は、確かにミュゲの恋人のひとりだが最愛ではない。
 ミュゲが愛しているのは自分だけだ。
 婿にしたモイーズだって愛していたわけではない。異母姉マルトを苦しめたかったから略奪したのだ。

 青年は王都男爵邸から追い出された。
 使用人達は主人に報告したのだろうが、ミュゲが父である男爵になにか言われるようなことはなかった。
 ミュゲはマルトの復讐だとしても大したことはなかった、と切り捨てた。切り捨てたけれど──これは始まりに過ぎなかった。
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