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第一話 騎士と姫
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伯爵令息ハイスは、幼いころから騎士に憧れていた。
一代限りの爵位の騎士爵ではなく、物語に出てくるような姫を守る騎士である。
ハイスが生まれた世代に王女はいなかったが、王国の貴族子女が通う学園に入学して、ハイスは自分が守るべき姫と出会った。少なくとも彼はそう思った。
彼の姫君の名前はアルメ。
貧しくて借金塗れの男爵家の令嬢であった。
学園卒業後は借金の肩代わりと引き換えに、海賊上がりと噂されている豪商のもとへ嫁ぐことが決まっていた。自らが船に乗って危険な貿易の旅に出ている男だ。船乗り特有の日に焼けた浅黒い肌と盛り上がった筋肉を持つ平民だった。
ハイスにも婚約者がいた。
それでもハイスにとってアルメは守るべき姫であり、アルメにとってハイスは騎士だった。少なくともハイスはそう信じていた。
ふたりの密やかな関係は学園を卒業して、互いに結婚してからも続き──今夜、暴かれた。
「本日の夜会にお集まりの皆様にご紹介させてもらいましょう。俺の女房のアルメと伯爵令息のハイス様です。ふたりはこっそり夜会を抜け出して、館の裏庭で乳繰り合っていやがりました」
王国への貢献が認められて、近日中に叙爵されるであろうと噂されている豪商ジェローンの言葉に、夜会の会場にいた人間の視線が集まった。
見つめてくる人々の中にはハイスの妻、伯爵夫人リアの姿もあった。
ハイスは会場までリアと来て、彼女が親友の女侯爵ニナと話し始めたのを良いことに、いつものように裏庭でアルメと密会していたのだった。
密会現場に踏み込んで来て、男女ふたりを腕一本で会場まで引きずり戻したジェローンが、男女ふたりの手首を掴んでいないほうの腕で懐から一通の手紙を取り出した。
怒りを抑えるだけで精いっぱいなので、これからは普段の口調で説明させて欲しい、そう断ってからジェローンは話を再開する。
「親切な方が俺にこちらの手紙を送ってくださった。封筒の宛名は俺だが、中身の便せんには宛名がない。それでも姫だの呼ばれて髪や瞳の色を褒め称えられていれば、だれに向けたものかは想像がつく」
ジェローンがまだ手首を掴んだままの妻を見る。
アルメは気丈な態度を崩さず、夫を睨み返している。
そんな愛人を姫のように気高いと思いつつも、ハイスの背筋には冷たい汗が流れ落ちていた。
ハイスが書いた恋文だろうか。かねてからアルメを疑っていたジェローンの家の使用人が、彼女の部屋から盗み出して主人に送ったのかもしれない。
「差出人は想像もつかねぇが、事故に見せかけて俺を殺した後、遺産で暮らすアルメのところへ妻の目を盗んで通いたいなんて言ってる辺り、ロクな男じゃねぇと思った。恋文以外に入っていた紙切れに今夜の夜会について書いてあったんで、俺は乗ってた船が早めに港へ着いても家に帰らず、港近くのうちの商会の店舗で今日まで身を潜めていたってわけだ」
「は?」
ハイスの口からまぬけな声が漏れる。
アルメへ恋文は何度も出した覚えがあるが、そんな物騒なことは書いていない。不貞の罪で罰するだけでは飽き足らなくて、殺人未遂の罪まで被せるつもりだろうか。
陰で海賊商人と呼ばれているジェローンが嘲笑を浮かべた。
「おいおい、こっちは命がかかってるんだ。船が港に着く日時を誤魔化すくらい良いだろう?」
「違う、ジェローン殿。私はそんな手紙を出してはいない。貴方を殺そうだなんて、そんな……」
貴族令息として最低限の武術は学んだものの、ハイスは華奢で細身な男だ。
美しい見た目が自慢な反面、劣等感の源でもあった。だからこそ姫を守る騎士に憧れていたのかもしれない。
海賊上がりと揶揄されるほど大柄で逞しい──今もハイスとアルメの細い手首を二本まとめて握っているジェローンに睨まれて、ハイスの声がどんどん小さくなっていく。
「夫はそんなことはしません!」
このままでは恐怖で覚えのない罪を押しつけられかねなかったハイスを救ったのは、妻のリアの叫びであった。
一代限りの爵位の騎士爵ではなく、物語に出てくるような姫を守る騎士である。
ハイスが生まれた世代に王女はいなかったが、王国の貴族子女が通う学園に入学して、ハイスは自分が守るべき姫と出会った。少なくとも彼はそう思った。
彼の姫君の名前はアルメ。
貧しくて借金塗れの男爵家の令嬢であった。
学園卒業後は借金の肩代わりと引き換えに、海賊上がりと噂されている豪商のもとへ嫁ぐことが決まっていた。自らが船に乗って危険な貿易の旅に出ている男だ。船乗り特有の日に焼けた浅黒い肌と盛り上がった筋肉を持つ平民だった。
ハイスにも婚約者がいた。
それでもハイスにとってアルメは守るべき姫であり、アルメにとってハイスは騎士だった。少なくともハイスはそう信じていた。
ふたりの密やかな関係は学園を卒業して、互いに結婚してからも続き──今夜、暴かれた。
「本日の夜会にお集まりの皆様にご紹介させてもらいましょう。俺の女房のアルメと伯爵令息のハイス様です。ふたりはこっそり夜会を抜け出して、館の裏庭で乳繰り合っていやがりました」
王国への貢献が認められて、近日中に叙爵されるであろうと噂されている豪商ジェローンの言葉に、夜会の会場にいた人間の視線が集まった。
見つめてくる人々の中にはハイスの妻、伯爵夫人リアの姿もあった。
ハイスは会場までリアと来て、彼女が親友の女侯爵ニナと話し始めたのを良いことに、いつものように裏庭でアルメと密会していたのだった。
密会現場に踏み込んで来て、男女ふたりを腕一本で会場まで引きずり戻したジェローンが、男女ふたりの手首を掴んでいないほうの腕で懐から一通の手紙を取り出した。
怒りを抑えるだけで精いっぱいなので、これからは普段の口調で説明させて欲しい、そう断ってからジェローンは話を再開する。
「親切な方が俺にこちらの手紙を送ってくださった。封筒の宛名は俺だが、中身の便せんには宛名がない。それでも姫だの呼ばれて髪や瞳の色を褒め称えられていれば、だれに向けたものかは想像がつく」
ジェローンがまだ手首を掴んだままの妻を見る。
アルメは気丈な態度を崩さず、夫を睨み返している。
そんな愛人を姫のように気高いと思いつつも、ハイスの背筋には冷たい汗が流れ落ちていた。
ハイスが書いた恋文だろうか。かねてからアルメを疑っていたジェローンの家の使用人が、彼女の部屋から盗み出して主人に送ったのかもしれない。
「差出人は想像もつかねぇが、事故に見せかけて俺を殺した後、遺産で暮らすアルメのところへ妻の目を盗んで通いたいなんて言ってる辺り、ロクな男じゃねぇと思った。恋文以外に入っていた紙切れに今夜の夜会について書いてあったんで、俺は乗ってた船が早めに港へ着いても家に帰らず、港近くのうちの商会の店舗で今日まで身を潜めていたってわけだ」
「は?」
ハイスの口からまぬけな声が漏れる。
アルメへ恋文は何度も出した覚えがあるが、そんな物騒なことは書いていない。不貞の罪で罰するだけでは飽き足らなくて、殺人未遂の罪まで被せるつもりだろうか。
陰で海賊商人と呼ばれているジェローンが嘲笑を浮かべた。
「おいおい、こっちは命がかかってるんだ。船が港に着く日時を誤魔化すくらい良いだろう?」
「違う、ジェローン殿。私はそんな手紙を出してはいない。貴方を殺そうだなんて、そんな……」
貴族令息として最低限の武術は学んだものの、ハイスは華奢で細身な男だ。
美しい見た目が自慢な反面、劣等感の源でもあった。だからこそ姫を守る騎士に憧れていたのかもしれない。
海賊上がりと揶揄されるほど大柄で逞しい──今もハイスとアルメの細い手首を二本まとめて握っているジェローンに睨まれて、ハイスの声がどんどん小さくなっていく。
「夫はそんなことはしません!」
このままでは恐怖で覚えのない罪を押しつけられかねなかったハイスを救ったのは、妻のリアの叫びであった。
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