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第二話 殺意
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「大切なロッテ嬢のお話がくだらないだなんて思いませんね。前にも言ったでしょう? 貴女の身体だけでなく心の健康も守るのが、主治医である私の願いなのですよ」
主治医だから、毒を使った薬による治療法の確立において父に恩を受けたから、私に優しくしてくださるのだとわかっています。
今は少しマシになったとはいえ、先生の治療を受け始めたころの私は枯れ木のように痩せこけていたのですもの。
男性の好意など受けられる娘ではありませんでした。そう、だから……
「学園へ行ったら、ヘンリクス様に恋人がいらっしゃいました。私はお金でふたりの間を引き裂いた悪女なのだそうです」
ヘンリクス様は私の婚約者です。
彼の家は私の家よりも爵位が上の高位貴族なのですが、現当主であるヘンリクス様のお父様が商売下手で、我が家に多額の借金をしていました。
とはいえ金銭だけの付き合いではありません。父とヘンリクス様のお父様は親友なのです。私と彼は幼馴染で、私が心臓の病で寝込むようになるまではよく一緒に遊んでいました。
先生が天才でちゃんとお考えがあってなさっていることだとわかっていても、毒から作られた薬は怖かったですし、そもそも開発中のせいか苦くて苦くて苦くて……今は悪化を防ぐための予防薬になったこともあって、少しは飲みやすくなりましたが。
……私の舌が苦みに慣れただけなのかもしれません。
私が回復していっていると聞いて、同じ病に苦しむほかの方も先生の治療を受けるようになったのですけれど、長年の苦労を乗り越えてきたご老体でさえ薬の苦さには辟易しているという噂でした。複数の薬を同時に飲むと良くない副作用が起こるときもあると言われて、苦さを誤魔化すために蜂蜜入りの香草茶で口を湿らせることも出来なかったのは本当に辛かったです。蜂蜜の元となる花やお茶として煎じた香草にも薬効がありますからね。
私がそんな苦い薬を飲んで治療を続けられたのは、ヘンリクス様が好きだからです。
お見舞いに来てくださる彼に少しでも元気な姿を見せたかったのです。
一年でも一ヶ月でも良いから、彼と一緒に学園へ通いたかったからです。
私が一番好きなのは、少し掠れたヘンリクス様の声なのです。
「でも、だけど、どんなに私が想っていてもヘンリクス様のお気持ちを変えることは出来ません。たとえ向こうから言い出されたことだとしても、借金の形に私と彼との婚約が結ばれたことは事実なのですもの。確かに私はヘンリクス様と恋人の間を引き裂く悪女なのです」
わかっていても先生が隣にいてくださっても、心が熱く煮えたぎっていくのを感じます。
学園でヘンリクス様と彼の恋人の姿を見たとき、自分がどこかへ落ちていくのを感じました。
どこへ、なにに落ちたのか、今はわかっています。殺意に、です。
「だけど、でも……好きなのです。私はヘンリクス様が好きなのです。初恋なのです。あの方がいたから生きて来られたのです。あの方を失うことを考えるだけで身勝手な殺意を覚えてしまうほどに、あの方をお慕いしているのです」
「そうですか……」
醜い本心を吐露した私に応えた先生は、いつもの優しい声とは少し違いました。
するりと心の隙間に忍び込んでくる、甘くてしなやかな……侍女が言っていた艶やかな色っぽさとはこのことでしょうか。
本心の吐露で興奮しかけていた心が先生の声で鎮まります。自分の気持ちよりも先生の次の言葉が気になって、私は先生を見つめました。
仮面のように整った先生の美貌が柔らかな微笑みを形作ります。
これまでにも見たことがあるのに、その笑みに心臓を掴まれたような気分になりました。
薄い唇が開いて、甘い声が私に囁きます。
「……でしたら、殺してしまえば良いのではないですか?」
主治医だから、毒を使った薬による治療法の確立において父に恩を受けたから、私に優しくしてくださるのだとわかっています。
今は少しマシになったとはいえ、先生の治療を受け始めたころの私は枯れ木のように痩せこけていたのですもの。
男性の好意など受けられる娘ではありませんでした。そう、だから……
「学園へ行ったら、ヘンリクス様に恋人がいらっしゃいました。私はお金でふたりの間を引き裂いた悪女なのだそうです」
ヘンリクス様は私の婚約者です。
彼の家は私の家よりも爵位が上の高位貴族なのですが、現当主であるヘンリクス様のお父様が商売下手で、我が家に多額の借金をしていました。
とはいえ金銭だけの付き合いではありません。父とヘンリクス様のお父様は親友なのです。私と彼は幼馴染で、私が心臓の病で寝込むようになるまではよく一緒に遊んでいました。
先生が天才でちゃんとお考えがあってなさっていることだとわかっていても、毒から作られた薬は怖かったですし、そもそも開発中のせいか苦くて苦くて苦くて……今は悪化を防ぐための予防薬になったこともあって、少しは飲みやすくなりましたが。
……私の舌が苦みに慣れただけなのかもしれません。
私が回復していっていると聞いて、同じ病に苦しむほかの方も先生の治療を受けるようになったのですけれど、長年の苦労を乗り越えてきたご老体でさえ薬の苦さには辟易しているという噂でした。複数の薬を同時に飲むと良くない副作用が起こるときもあると言われて、苦さを誤魔化すために蜂蜜入りの香草茶で口を湿らせることも出来なかったのは本当に辛かったです。蜂蜜の元となる花やお茶として煎じた香草にも薬効がありますからね。
私がそんな苦い薬を飲んで治療を続けられたのは、ヘンリクス様が好きだからです。
お見舞いに来てくださる彼に少しでも元気な姿を見せたかったのです。
一年でも一ヶ月でも良いから、彼と一緒に学園へ通いたかったからです。
私が一番好きなのは、少し掠れたヘンリクス様の声なのです。
「でも、だけど、どんなに私が想っていてもヘンリクス様のお気持ちを変えることは出来ません。たとえ向こうから言い出されたことだとしても、借金の形に私と彼との婚約が結ばれたことは事実なのですもの。確かに私はヘンリクス様と恋人の間を引き裂く悪女なのです」
わかっていても先生が隣にいてくださっても、心が熱く煮えたぎっていくのを感じます。
学園でヘンリクス様と彼の恋人の姿を見たとき、自分がどこかへ落ちていくのを感じました。
どこへ、なにに落ちたのか、今はわかっています。殺意に、です。
「だけど、でも……好きなのです。私はヘンリクス様が好きなのです。初恋なのです。あの方がいたから生きて来られたのです。あの方を失うことを考えるだけで身勝手な殺意を覚えてしまうほどに、あの方をお慕いしているのです」
「そうですか……」
醜い本心を吐露した私に応えた先生は、いつもの優しい声とは少し違いました。
するりと心の隙間に忍び込んでくる、甘くてしなやかな……侍女が言っていた艶やかな色っぽさとはこのことでしょうか。
本心の吐露で興奮しかけていた心が先生の声で鎮まります。自分の気持ちよりも先生の次の言葉が気になって、私は先生を見つめました。
仮面のように整った先生の美貌が柔らかな微笑みを形作ります。
これまでにも見たことがあるのに、その笑みに心臓を掴まれたような気分になりました。
薄い唇が開いて、甘い声が私に囁きます。
「……でしたら、殺してしまえば良いのではないですか?」
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