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第八夜 殺された男

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 ピンポーン! ピンポーン! ピンポン! ピンポン!

 こんなに朝早くから、いったい誰だろう。
 何度も押すものだから、近所迷惑になりそうだ。

「もし」

 インターフォンに向かって声をかけるが、返事がない。

「もしもーし」

 もう一度強く呼びかけたがやはり応答はない。
 仕方なく、ドアを開けてみることにする。
 チェーンロックはかけていない。
 強盗なら、チェーンロックなど意味はないだろう。
 インターフォンを鳴らしてから、堂々と強盗を働こうという相手に無駄な抵抗に過ぎないと思ってしまうのだ。

 ドアを勢いよく、開けるとそこには額を押さえている男が立っていた。
 どうやら、勢いよく開けたせいでドアと挨拶をしたようだ。
 男は一瞬、たじろいだように後退りしてみせる。

 それから、そっと顔を上げ、私を見た。
 ……なんだろう、この男。
 男の顔をまじまじと見つめ、どこかで見たような気がする。
 だがどこだったかを思い出せない。

 三十歳ぐらいだろうか。
 背広姿でネクタイもきちんと締めている。
 しかし、泥棒や強盗でも正装して、お仕事をする時代だ。
 油断は出来ない。

「どちら様ですか?」
「新聞屋です」
「そうですか。どうぞ、お入りください」

 私が尋ねると、男がようやく口を開いた。
 ……新聞?
 新聞屋? 変なセールスマンだ。
 普通の新聞の営業活動なら、『〇〇新聞の者ですが』と名乗るんじゃないだろうか。

 私はちょっと考えてから、面白そうという理由で男を家に入れることにした。
 セールスマンにしてはあまりに堂々とした態度。
 新聞を取ってもらいたいのなら、もっと卑屈な態度を取るものだ。
 変な男。



 男は黙って部屋に上がり込む。
 そして、後ろ手に鍵をかける音が聞こえた。
 何のつもり?

「本当は何のご用なんですか?」

 怪しみながら、尋ねることにした。

「実はですね」

 男はそこで言葉を切る。
 しばらく、躊躇っている様子だったが、やがて決心がついたらしく、話し始めた。

「奥さん、あなたを殺しに来たんですよ……」

 ……殺しに来た?
 私の頭の中がたちまち、パニック状態に陥る。
 殺すという言葉には聞き覚えがある。
 つい数分前、テレビで聞いたばかりではないか。
 朝の報道番組だった。
 確か、大阪で起きた殺人事件を報じていたはずだ。

 被害者の名は……。
 そうだ、田村正和という男ではなかったか。
 だとすると目の前の男はその犯人かもしれないのだ。
 連続殺人鬼に目を付けられたということ!?

「ど、どうしてそんなことを」
「いや、そいつは言えません」
「言えないことないでしょう。警察に訴えますよ」

 逃げ場も無く、目の前に殺人鬼がいるのに警察に訴えるのが何の効果を持たないことくらいは分かっている。
 それでも少しくらいは足掻きたかったのだ。

「まあまあ、そんなに興奮しないでください。別に奥さんの身に危害を加える気はありませんから」
「殺しに来たという人間を信じられるものですか」
「本当ですよ。ただひとつお願いしたいことがありましてねえ」

 男の目つきが鋭い物に変わった。
 まるで視線で相手を殺すとでもいうくらいの鋭さだ。

「な、なんですか」
「お金が必要なんですよ。三百万ほどを都合していただければ、それでいいんです」
「ふざけんじゃないわよ!」

 私は思わず大声で叫んでいた。

「あんまり、人を馬鹿にするんじゃないわ!  人を殺すなんて言っておいて、そのうえ金までせびろうっていうの? あんた、それでも人間?」
「いえ、そのう……」

 男は狼のように目を光らせて、睨んでくる。
 ……やっぱり殺されるのかしら。
 恐怖に駆られたが、一方で、なぜ自分が殺されなければならないのか、納得出来ない。
 あまりに理不尽じゃないか。

「私が殺したんじゃないもの。なんで私が殺されなくちゃならないのよ」
「そりゃあ、あなたのせいではないかもしれません。でもねえ、こうなってみると、奥さんを恨むしかないでしょう」
「だから、どうして私のせいだって言うのよ。はっきり言いなさいよ」

 男はしばらく考えていたようだったが、急に顔を上げ、詰め寄ってくる。

「わかりました。それでは申し上げましょう。実はですね。奥さんがうちの妻を殺してくれたおかげで保険金がおりることになったのです」

 保険金?
 私が人を殺した?
 頭の回転が追い付かない。
 男の話を理解出来ない。

「そうなんです。ところが困ったことに妻の死体は行方不明になってしまったのです。困るんですよ。保険金が貰えないんですよ」

 どういうこと?

「保険屋は警察以上に必死でしてね。捜し出してくれたんですよ。ところがそれがまた、不思議でしてね……」
「どんなふうに?」
「つまりですね、殺されたはずの妻が生きていたんですよ。しかも自分の子供と一緒に暮らしていると言うではありませんか」
「まさか……」
「いえ、本当なんです。これはいったいどういうことなのか。困惑しましたよ。全く、困った」

 困っているという割にケタケタと妙な笑い声を立てて、笑い始める男が怖い。

「ねぇ。あなた……殺されたのは『田村正和という男』なのよ! あなたが言っていることはおかしいわ」

 私がそう指摘しても、相手は動じなかった。
 むしろ、開き直りとも取れるような態度を示した。

「とにかくですね。そういうことになったのですよ。だから、仕方がないじゃありませんか。奥さんのせいです。死んでくださいよ」

 頭がオーバーヒートしそうだ。
 完全に混乱してしいる。
 男の話が意味不明だったからだ。
 死んだ人間が生きていて、別の人間と生活しているなど、あってたまるものですか。
 まるでドラマじゃないか。

 しかし……。
 私の中にはひとつの映像が浮かんでくる。
 子供の手を引いて、歩いている田村正和の姿だ。
 もし、本当に田村正和が生きていて、別の人間と結婚していたら……。
 だが、やはり信じられないことである。

「ちょっと待ってちょうだい」
「何です」
「あなたが言っていることが本当だとしたら、私は殺人犯ということになるわよね」
「まあ、そうなるでしょうな」
「だったら、警察に訴えればいいじゃない! 殺人未遂罪で捕まることになるのよ」
「それは困りますなあ」

 男はそう呟くと、じっと考え込むが、やがてゆっくりと立ち上がった。

「分かりました。今日のところはこれで引き揚げることにしましょう」
「引き揚げるって、どこへ帰るつもりなの?」
「どこか適当な場所を探します」
「そんなことできるの?」
「大丈夫です。私に任せてください」

 男は自信たっぷりに答えた。
 やっぱり、この男は意味が分からない。
 こっちの頭までおかしくなりそうだ。

「それから奥さん」
「何よ?」
「これからもよろしくお願いしますね」

 返事をする代わりに、思い切りドアを閉めてやった。

「おい、こら!  まだ話が済んでいないぞ」

 ドアの向こうから男の怒声が聞こえたが、無視することにした。
 ざまあみろ!
 男の足音が遠ざかるのを確認してから、スマホを取り出し、電話をする。

「もしもし。田村正和さんのご自宅でしょうか。はい。真樹子と申します……」

 そこで言葉を切り、息を整えて言った。

「実は先日、お宅にお伺いしたところ、いらっしゃらないみたいなので、こちらから連絡させていただこうと思ったのです。先ほどそちらの奥様につかまってしまいましてねえ。ええ、そうなんです。申し訳ありません。それでですね。奥様のお話では、正和さんは亡くなられたことになってますよね?」

 違和感を感じながらも私はさらに話を続ける。

「いえ、別にそのこと自体は構いません。ただ、私としてはどうしても確かめたいことがあるんです。それでぜひ一度、奥様とはお会いしたいと思いまして」

 私の口調には有無を言わせない迫力があったのだろう。
 相手は否応なしに了承してくれた。

「はい。ありがとうございます。では、また、こちらから、御連絡致しますので。失礼致します」

 電話を切り、ベッドの上に倒れ込む。
 頭がおかしくなりそうだ。

「いったいどうなってんのよ!」

 誰に言うでもなく、叫んでしまう。

「……さっきの人、正和さんのこと知ってるみたいだったわ」

 ということは、あの男が殺したのだろうか?
 しかし、保険金目当てで殺したというなら、おかしくはないか。
 どうして、わざわざ自分の妻を殺したりしたのだろう。

 保険金は妻の死体が発見されれば、支払われるはずだ。
 それとも、保険金が支払われなかったということは妻の死体も発見されなかったということ。
 田村正和は別の女性と結婚して、子供まで作っていた。
 別の家庭を持っていたということなのだろうか。
 下手なサスペンスドラマよりもこんがらがっている……。

「分からない……」

 再び、頭を抱えて思い出した。

「……そうだ。正美!」

 どうして、気が付かなかったのだ。
 勢いよく立ち上がると、居間へと駆け出した。

「ママ。どうしたの?」

 ソファに座ってテレビを見ていた小学三年生の息子が振り返る。
 母親の私よりも父親似の子。
 正和さんの小さい頃にそっくりだ。

「ねえ、正美。あなた、田村正和さんって知ってる?」
「うん。ママ、大丈夫? お父さんのことだよ? 顔色が悪いよ……ママ?」

 え? どういうこと……?
 正和さんは……? 私の夫?
 田村正和は夫で私はその妻で……あれ?

「ママ! ママー!」

 息子の声がどこか、遠くの方で聞こえる……。
 私……私は誰?
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