泥かぶり治癒師奮闘記

砂城

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泥かぶりな日々 その2

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 登って、飛んで、降りて、走って、また登って――と、くるくる回る様子はリスよりハムスターかもしれない。

 元気いっぱいに動くメレンさんを眺めていたら――その間もザハブさんが地味にうるさかったが――部屋から隊長が出てきた。


「……相変わらず、よく動くな。メレンは」

「すごい体力ですよね。ビックリしました」

「あの体力は、あいつのとりえの一つだからな」


 武器がメイスなんだし、それだけ体力があるなら防具はレザーアーマーよりもプレートの方がいいんじゃないだろうか?


「俺もそれを勧めたが……足場の悪い場所では邪魔になると言われた」


 元々が商家の出のメレンさんは、養成所に入ってもどうにも剣が性に合わなかったらしい。それで選んだのがメイスであり、体力と機動力を生かせるのが革鎧だった、ということのようだ。

 それはいい。それはいいんだけど――隊長のプレートアーマーもそうですけど、なんで皆、そんなに装備がぼろぼろなんですか?


「……ここ二年ほど、新規の配給がないせい、だな」

「……もしかしなくとも、それって『泥かぶり』だから、でしょうか?」


 口を開けてから、半拍おいてしゃべる隊長の癖がうつったわけじゃないよ。予想が的中したことに対する怒りというか、諦めというか……本当に、どれだけひどい待遇をすれば気が済むんだろうか?

 更に言えば、この隊って他に比べて使用する武器のバランスが悪すぎるんだけど、これもやっぱりそういった事が影響してるんだろう。普通、一つの隊に最低一人は盾持ちのプレートアーマー装備の人がいるはずだ。


『盾役』――盾をもって最前線で魔物を食い止め、後衛の人を守る大事な役目なんだけど、それがこの『泥かぶり』にはいない。隊長がプレートアーマーだけど、使用するのは剣だ。この隊で任務に行ったのはまだ一度きりだけど、その時も盾は使ってなかった。


「……シエルの考えていることは、おおよそ見当がつくし、それであっていると思うぞ」

「やっぱり、ですか……」


『盾役』がおらず、剣、双剣、メイス、弓、そして魔術師。

 各レベル(隊)から、はみ出したものをただ集めただけ。当然、そこには小隊を作るときに必要になる職のバランスなんか、全く考慮されていない。ついでに私が来るまで治癒師もいなかったことを考えると、本当によく今まで生きてたものだと思う。


「……で、だ。シエルはどうしたい?」

「私、ですか?」

「ああ……このまま、ウチにいるか、それともダメ元で移動願を出すか、ということだな」


 驚いた。そりゃもう、驚きましたとも!

 おかげで、つい真顔になって言ってしまった。


「それは……この隊に、私は必要ない、ということですか?」

「いや、そういう事じゃない。なんというか、そうじゃなくて、だな……」


 適切な言葉が見つからないらしく、隊長がガシガシと頭をかく。その様子に、女将さんの『アドム坊や』っていう呼び方が思い出されて、思わず小さい笑いがこぼれた。


「すみません、ちょっと意地悪ないい方をしました――私を心配してくれるのはありがたいですけど、今のところ、移動願を出すことは考えてません」

「それは……この状況を聞いても、まだウチでやっていくということか?」


 私の発言は、隊長の予想外だったみたいだが、それって水臭いと思うんだよね。


「それについては、昨日――じゃない、一昨日の任務の後から、隊長は私の事を『お嬢ちゃん』じゃなくて『シエル』って呼んでくれるようになりましたよね。それって、私の事を隊の一員として認めてくれたってことでしょう?」

「まぁ……そういうことになる、かもしれんが……」

「せっかく認めてもらったんですから、ここでやっていきたいと思います――それに、ぶっちゃけますと、移動願を出しても受け付けてくれるとも思えませんし」


 黙殺されるだけならまだしも、もう逃げ出そうとしているのか、なんて思われるかと想像するだけで腹が立つ。吹けば飛ぶような平民治癒師でも、一応、プライドというものはあるのだ。

 それに、何より。今、私がいなくなったら、おそらくまたこの隊は治癒師無しになる。これまで重傷を負うことはあっても、命に関わるようなものではなかったかもしれないけど、これからもそうだとは限らない。


 私は、もう二度と。


 自分に近い人の死を見たくない。知り合ってからまだ数日しか経っていないが、それでももう、ここの小隊のみんなは私の『仲間』だ。

 どうしても避けられない運命とやらなら仕方がないが、あの幼馴染の様に、身近に治癒師がいれば助かるのであれば。

 年季が開ければ村に帰る私の、今だけの自己満足にしかならないにしても。

 それまでの間、ここでやり抜きたいと思うのは、まぎれもなく私の本心だ。


「ここに――『泥かぶり』にいさせてください」


 きっぱりと言えば、隊長の顔が……なんというか、へにょり、といった感じで笑みくずれた。


「……物好きだな、お前も」

「よく言われます」


 鍛冶師の娘が治癒師になりたいって言った時も。女だてらに騎士団付きの治癒師の養成所に入った時も。治癒だけしていればいいと言われていたのに、その他の支援魔法を片っ端から学んでいた時も。

 だけど、これが私なんだから、仕方がない。


「……わかった。では……」


 隊長はそこで一度言葉を切り、私の事をまっすぐに見つめる。

 思わず、姿勢を正してしまったが、それは正解だったようだ。


「治癒師シエル。銅ランク第二十一小隊へようこそ――これで、お前は俺達の一員だ。今までのようにお客扱いはしないから、覚悟しておけ」

「はいっ、よろしくお願いします!」


 と、威勢良く返事をした――のはいいけど、私って、今まで『お客扱い』されてたのか。


「……ということで、だ。シエル、明日は夜明けに集合だ。遅れるなよ」

「はい――って、え?」


 でもって、変なことが聞こえた気がする。夜明け前に集合……って何?


「始業時間前にしか訓練場が使えんと言っただろう?」

「え、ええ……ですが、何で私も……?」

「うちの隊員なんだから、当然だろう。ああ、任務のある日は軽いメニューになるから、そこは心配しなくていいぞ」


 いや、問題にしているのはそこじゃないんです。お忘れかもしれませんが、私、治癒師ですよ?

 それを騎士の訓練につき合わせようと?

 アワアワしていたら、後ろからポンッを肩をたたかれた。

 振り返ったら、そこにいたのは大変にいい笑顔をなさっているサーフェスさんで――いつの間にいらっしゃったんですか?


「訓練場は魔法防御もしっかりしてるから、いくらでもぶっ放せるんスよ。ってことで、シエル。鈍足に、混乱、浮遊と魔力回復と、各種ブーストのほか、何が使えるっスか? 魔法の威力増加とか、各種属性強化とか、もしかして範囲強化とかも使えたりしないっスか?」


 え、笑顔のまま、ぐいぐい来るのやめてもらえませんかっ!?


「え、えっとですねっ。私の魔力には限りというものがありまして……」

「毎日、枯渇寸前まで使うと、魔力って増えるんスよ! ついでに体力も限界まで削っとくと、増加速度が上がるんス! スタミナもつくしで一石二鳥っスよ!」

「体力をつけるのは、やっぱり走り込みがいいと思うよ、シエル。何なら、俺が付き合うし」

「……棒術、少しなら教えれる。だから、女将のキモノの構造……」


 隊長! そんな『仲が良くて微笑ましい』みたいな顔して頷いてないで、この状況を何とかしてください!



 結論から言うと、私の願いは叶わなかった。


「姉ちゃん、トロすぎだ! もっと死ぬ気で走りやがれっ!」

「ひっ! ちょっ……本気で狙わないでくださいっ!?」

「うだうだ抜かす間に、足ィ動かしやがれ! マジで射貫くぞっ!」


『朝練』という言葉から、普通に想像するような生易しいモンじゃありません。

 本当に夜が明ける(というか白み始める)のと同時に、まずはしっかりと柔軟体操。その後はしばらく走り込んでから、各個人での訓練になるんだが、私が今やってるのはその『走り込み』です。

 が――それがただの走り込みじゃないのはお察しの通りで。

 常日頃から体を鍛えている(魔術師のサーフェスさん含む)騎士の皆さんと、ごく普通の治癒師とでは基礎体力が違いすぎる。訓練場を二十周(!)するんだけど、最初の五周目くらいからすでに周回遅れになります。それでもヒーコラ走っているうちに、皆様はさっさと終わらせて個人訓練に移る。

 それはいいんです。ですが、私がマイペースで走っていると、そこに風を切って飛んでくるものがある。


「いくら、矢じりをつぶしてある、からってっ……あ、当たったら、危ないでしょうがっ!」

「はっ! 俺がそんなへまするかよ」


 ええ。言わずともわかると思いますが、私を狙っているのはパランさんです。

 同じ速度でずっと走るなんてことはできないので、遅くなったり速くなったり――それがどうやら、『ランダムに動く的』として非常に好都合らしい。

 本気で当てるつもりはないらしいんだけど、踵ギリギリの地面に矢が刺さったり、目の前を通り過ぎて壁に当たると、非常に肝が冷えます。

 これ、体力よりも先に精神力の方が削られてます。

 そして、走り込みが終わったら、次はザハブさんとサーフェスさんの出番です。


「……ちょっとはマシ。でも、まだまだ……」


 双剣のザハブさんは、変幻自在の攻撃がその持ち味だ。突く、薙ぐ、斬り上げ、斬り下げ、片手をフェイントにもう一方の手での攻撃は、初見ではまず見切れないだろう。

 そんなザハブさんの攻撃(思いっきり手加減)をよけるのが、当面の私に与えられた課題だ。


「……当たり前の話だが、シエルは俺達が守る。だが、どうしても不測の事態というのは発生するからな。その時に、俺達が駆けつけるまでの時間をどうしのげるかで、生死が分かれると思え」


 ええ、そりゃわかってます。治癒師の訓練所でも、最低限の身のこなしは叩き込まれました。

 けど、その時に相手をしてくれたのは、数十年も前に引退したというおじいちゃん騎士だったし、太刀筋だってこんなに鋭くなかったんですよ。


「ほら、また……油断すると、ダメ」

「ひっ! ――わが身を守れ『シールド』!」


 避けきれないと感じ、反射的に魔法で防御盾を形成する。寸止めしてくれるのはわかってるんだけど、どうしても恐怖の方が先に立つんで仕方がないんです。


「あー、ダメダメ。スキル名だけで発動できるようにしなきゃ――後、範囲が広すぎっスね。せめて今の半分、できたらピンポイントで張れるようにならないと、魔力がもったいないっス」


 ジャンジャンバリバリに攻撃魔法を撃ちまくってたはずのサーフェスさんから、ダメ出しが飛んでくる。


「必要とされる最小限の効果と範囲――魔法の基本はこれに尽きるっスよ。治癒術だって、かすり傷にハイヒールは使わないしょ?」


 そりゃそうですけどね!

 言っていることは正論なんだが、『そんなものに魔力を使うより、自分達に各種ブーストをかける方につかってほしい』という本音が透けて見えてます。

 そして、回避の訓練でそろそろ体力が底をつこうかという頃になると、今度はサーフェスさんとの魔法についての討論(実践付き)が待っている。


「……ですから! 威力増加は私の魔力だと連発は無理なんですって」

「そうは言うけど、保有魔力は前より増えてるっしょ? もうちょい頑張れば、属性強化との重ねがけもイケそうじゃないっスか」

「それはそうですけど、不測の事態に備えてある程度の魔力は残しておく必要があるんです!」


 補助魔法を使いすぎて、いざという時に治癒術が使えなかったりしたら、それこそ本末転倒だ。


「あ、それなら大丈夫っスよ。俺ら、滅多に怪我しないし」

「縫う必要があるレベルからが『怪我』という認識は改めてください!」


 いや、もうメレンさんに縫わせたりしないけどさ。

 不遇(治癒師不在)の時間が長すぎて、認識がちょいとおかしくなってるのが腹立たしくもあり、悲しくもあり……だが、そもそもの話、治癒師が来て『これで怪我しても癒してもらえる』じゃなくて『支援魔法きた! ヒャッホーイ』なのはあり得ないから!

 ちなみに、隊長とメレンさんは、元気いっぱいに模擬戦闘をしています。

 魔術論議でやや体力が戻ったころを見計らい、私が隊長かメレンさんの後ろに控えて、もう一人の攻撃を受けつつの状況判断&各種強化を『手早く』掛ける練習で、訓練メニューはひとまずの終わりとなる。


「ホントに、シエルの魔法はいいね! 武器の硬化もできるなんて。おかげで修理費が助かるよ」

「……全くだな。研ぎに出す回数も減って、財布に余裕が出てきた」


 日頃の苦労をしのばせるセリフに涙が出そうになりますよ……。

 本来はそういった費用も騎士団が持ってくれるんだけど、何しろここは『泥かぶり』。予算もかーなーり減らされているらしく、足りない分は自腹なのだそうです。

 ちなみにパランさんの矢は、ご実家(貴族)の伝手で一括大量購入することでコストを安くおさえているんだそうです。倉庫に積まれてる木箱のいくつかはパランさんの矢……無断使用になるけど、どうせ誰も来ないから保管費用を浮かせてるんだって。



 そんな訓練を毎朝やった後は、退勤の時間まで隊室でじっとしてなきゃならない。普通はその時間から訓練であり任務なのだが、『泥かぶり』用の任務がない時はひたすら待機、ただ待機。ぐうたらしたくなるのはわかるし、お酒の一つものみたくなるのも無理はない(飲ませないけどね)。

 尚、私はこの時間から朝ごはんです。寮の食堂のおばちゃんにお願いして、特別にお弁当を作ってもらえることになったんだ。中身は普通にありものを詰めてもらうだけだけど、『若い娘の身空で泥かぶり』という事実に同情してもらえたおかげです。

 あ、さすがにみんながいる部屋で一人だけ弁当を広げるなんてことはできなくて、最初は倉庫の隅っこでこっそり食べてた。けど、それに一早く気が付いた隊長が、突貫で隊室の隣に私用の小部屋を作ってくれた。元々が倉庫の中で雨漏りとか気にしなくていいから、ホントに簡単なものだけどありがたかったです。隊長とメレンさんが主になっての作業だったけど、意外と器用だったよ。

 え? その材料? ……木箱がいくつか減ってた気がするけど、気にしちゃだめだよね。



 そんな日常だけど、たまに――週に一、二回――は任務がある。

 ただ、ね。ウチ(泥かぶり)に回ってくるだけあって、そのどれもこれもがまた……。



「なんでこの季節に吹雪なんか吹いてるんですかっ?」

「……氷雪系の魔物が出たんだ。仕方ないだろう」


 麓の木々は青々としてるのに、五合目辺りから真っ白に変わった山での私と隊長の会話でございます。

 むっちゃ寒いよ! この季節(今は夏)に、凍死の心配することになるとは思わなかったよ!


「ヤバい。ハンマーが冷えすぎて、手袋にくっつく」

「シエル……防御膜」

「張ってます! 完全遮断は無理です!」

「あ、それ、張り方が間違ってるっスよ。本来の気候じゃなく魔力での風雪なんで、物理より魔法防御の方をメインにしないとダメっスね」

「ちったぁ、頭使えや。姉ちゃん」


 ……パランさんのだけ、解除してやろうかしら? 後が怖いから実行はしないけど。

 ひざ丈で普通、ひどいと腰まですっぽり、所によっては私の身長くらいまで降り積もった雪を踏み分け、かき分けて。

 頂上付近のくぼみで、新雪のベッドで気持ちよさげにくつろぐアイスリザードを発見したときには、既にみんなの目が座っていたっけ……。



 また、ある時は――。



「きゃぁぁぁっ!? せ、背中にっ! スライムがくっついたぁぁっ」

「シエル、動かないでっ! 刺激すると溶かされるっ」


 密林での、スライムの大量発生……もうね。見渡す限りの木に、びっしりとスライム、またスライム。

 ちゃんと防御膜ははってたんだけど、張り変えるその一瞬をついて引っ付かれてしまったのです。


「ああ、もうっ! これ、全部焼き払っちゃっていいっスかっ!?」

「バカか、手前ぇは!? ンな事したら、大火事になんだろうがっ」 

「もう、いっそ、その方が……」

「自分達まで巻き込まれるぞ――俺はそんな死に方は御免だからな。コツコツやるしかないだろう」


 千里の道も一歩から――ちまちまと風魔法で切り裂き、大きめのは矢で射て、木の上のはハンマーで幹をたたいて落として(カブトムシかいっ!?)、踏みつけて、斬りつぶして……きっちりコアを破壊しないと復活しちゃうから、私も及ばずながら棒術で加勢しました。

 途中、交代で休憩をとりつつ、這うようにして進んで行った奥に、発生源であろうヒュージスライムを発見できなかったら、もしかしたら永遠にやってなきゃならなかったかもしれません。



 あー、後。あれもひどかったなぁ……。



「王都の下水でマーダーラットの駆除って、俺らの仕事ですか?」

「王都防衛騎士団の、担当……のはず」

「……上の判断でこっちにお鉢が回ってきたんだ。仕方あるまい」

「ああ、くそがっ! 狭すぎて弓がつかえねぇっ!」

「こうなったら、全部一気にこんがりと……」

「サーフェスさんっ! とにかく火魔法で焼き払うという思考はやめてください! そんなことしたら、全員、酸欠で死にますっ」


 この国で最大級の人口を誇る王都の下水は、それはそれはすごかった。

 鼻呼吸したら嗅覚が死ぬ! 最初のときの泥かぶりの隊室どころじゃない、本気で殺しにかかってくるような悪臭は、思い出しただけで吐き気がする。

 一応、事前にマスクというか、鼻と口を布で覆って突入したんだけど、そんなものは何の役にも立たなかった。空気自体も臭いし、足元にはヘドロ化したゴミが堆積してるしで、もう全員、涙目。

 その結果、魔力が枯渇する寸前まで浄化魔法を使いまくった。さすがにサーフェスさんも、この状態で他の支援を使えとは言わなかったよ。

 討伐対象のマーダーラット自体は、ちょっと凶暴なネズミなだけで(それでも一般人には脅威なんだが)、サーフェスさんが氷魔法で一帯を凍り付かせた後、いつものローラー作戦でつぶすだけで済んだ。弓が使えないパランさんも、手に矢をもってプスプスさしてたっけ。

 ほんと、魔物より悪臭の方がよほど強敵でした。

 尚、この後、下水の管理をしている部署より、お礼の手紙が届いた。

 その中身は……マーダーラットの駆除より、悪臭が減ったことに大変に感謝していたそうですよ。



 けどね。

 こんな風に、苦労しながらもなんとかなる任務はまだよかった。



 その日は、ものすごい雨だった。

 叩きつけるというか、バケツを逆さにしたような雨っていうのは、ああいうのの事なんだろうな。

 任務のためにゲートをくぐったあたりは、まだ黒い雲が立ち込めていたくらいだったんだけど、目的地――かなり前に放棄された石切り場跡――に着くころには、既に全員がずぶ濡れだった。

 こんな日にわざわざ出かけなくとも、と思われるかもしれないが、任務に向かう場合、あらかじめ出発日を決められてるので仕方がないんだよ。

 防御膜(物理多め)で雨をはじくことはできるけど、そうすると膜にぶつかって跳ね返った雨粒の為に視野が悪くなる。ついでに、非常に目立ちもする。

 討伐対象は狼の魔物で、群れを作る習性があり、その中には斥候のような役割を果たすモノもいる。そんなのがいるところに、『発見してください』とでもいうような防御膜付きでの移動なんてとんでもない。

 ただ、あまりにも濡れた状態のままだと、武器を手にしたときに滑る心配がある。そのため、各人の手元にだけは小さな膜を張ってある――こんな微調整ができるようになったのも、サーフェスさんの遠慮のない意見(意訳)と訓練の結果です。

 確かに魔力消費は低いけど、むっちゃむずいんだよ!

 それはさておき、しばらく進んでいると、どこからともなく遠吠えのようなものが聞こえてくる。


「……見つかったか」

「まぁ、仕方がないっスね」

「ちっ……まだ斥候が居やがったのか」


 警戒してるのはこっちも同じなので、見つけ次第、パランさんの弓で倒してるんだけど、やはりあちらの数が多すぎて討ち漏らしがでてしまう。


「群のリーダーを倒すのが早いんでしょうけど……」

「きっと一番奥……まだ、先……」

「だよね。俺、ちょっと上から見てくるよ」


 倉庫アスレチックで鍛えた足腰で、メレンさんが身軽に岩を登っていく。足場も濡れていて滑りやすいだろうに、それを全く感じさせないのは流石だ。


「……ダメだね。雨がひどすぎて、視界がきかない。けど、もう少し進んだ先が、ちょっとした広場みたいになってるのはわかったよ」

「そこらで待ち構えてそうっスね」


 メレンさんの報告に、サーフェスさんが嫌そうな顔をする。彼がそんな顔をするのは珍しいんだけど、きっとこの雨の所為で得意の火魔法が使えないからだろう。

 サーフェスさんは他の魔法も使えるけど、広範囲への威力を考えると火魔法が一番だ。ちなみに、次に威力のある雷系も、やはり雨のせいで使えない。濡れてると、こっちにもダメージが来ちゃうんだそうだ。


「……手古摺りそうだ。手前ら、気ぃ抜くなよ」


 悪条件下で、敵は多数。基本的に『泥かぶり』作戦は、パランさんが作成するんだけど、ここまでの悪天候は予想外だったようだ。

 でも、それも『泥かぶり』ならいつもの事だし、今までは、重傷者も出さずに何とかやってこれた。

 勿論、だからと言って油断はしていない――つもりだったんだよ。


「いたぞ、あいつがリーダーだっ!」


 隊長が叫ぶ。

 サーフェスさんの予想通りに、切り出した岩の集積場らしき広場で、そいつは待ち構えていた。

 リーダーの周りにいるのは、十頭ほど。他にもまだ沢山の群の構成員が、私たちを取り巻くようにしている。パランさんが前もって結構な数を倒していたはずなんだけど、まだこんなにいたのか。


「メレン、ザハブ! 行くぞっ」

「はいっ」

「……了解」


 さっきも言ったように防御膜は視界を悪くするので、近接三名には武器硬化と、防御アップをかけてある。身体強化も当たり前だ。

 プレートアーマーの隊長を先頭に、メレンさんとザハブさんが続く。

 周りにいた連中も動き出して隊長たちに殺到するのを、サーフェスさんが氷の弾を打ち込み、パランが速射で次々と倒していく。

 それに気が付いて後衛の私たちに向かってくるのもいるけど、そちらにも何とか対応ができていた。

 隊長たちは、狼たちの体当たりや牙での攻撃で少しずつ傷を負っていて、私はそちらにヒールを飛ばしつつ、できるだけ邪魔にならないように立ち回っていた。

 だけど――。


「UWOOOOOO――!」


 形勢不利と見たのか、群れのリーダーがひと際高く吠えた。

 その途端、今まで経験したことのない感覚が私の体に走ったんだ。


「っ!?」


 全身の筋肉が硬直する。それが、『咆哮』という魔物特有の魔法だと、すぐに分かった。

 魔物の群れは、今のようなリーダーの咆哮の後は敵に隙ができるのを知っていて、一斉にとびかかってくる。

 私以外の人たちも勿論、影響が出ていたけど、これまで培ってきた経験により耐性ができていたんだろう。ほんの一瞬、その動きが止まりはしたが、直ぐに立ち直って返り討ちにしていた。

 が、その内の頭のまわる一頭が、こっそりと私の後ろから近づいてきていたんだ。


「シエル、危ないっ!」


 一番近くにいて、寸前でそのことに気が付いたサーフェスさんが叫んで教えてくれたけど、私は、まだ動けない……っ!

 全身が硬直してしまっているので、スキル名さえ口にできない。


「くそぉっ!」


 どん、という衝撃は、魔物じゃなくてサーフェスさんが私に体当たりをしたからだ。


「サーフェスさんっ!?」


 その衝撃で金縛りがとけた。慌てて立ち上がって、振り返ればサーフェスさんの肩口に魔物がかみついているのが見えた。


「……ちっ! 手前ぇら、なにやってやがるっ!」


 パランさんが叫ぶ。が、一人と一頭はゴロゴロと転がっていて、弓では狙えない。

 いそいで駆け寄ってきて、魔物を蹴り飛ばすと、すかさずそこにサーフェスさんが氷で作った短剣をぶち込んだ。


「……ってぇ……」


 だらだらと肩から血を流しながら――噛みつかれていたところを無理やり引き離されて、更に傷口が広がってしまってるんだ――それでも魔物に止めを刺したサーフェスさんに駆け寄り、ヒールする。


「ふぅ……サンキュ、シエル」

「ご、ごめんなさいっ」

「何で謝るんスか? よくあることだし、直ぐに治癒してくれたっしょ」

「で、でも……」


 狼系の魔物が『咆哮』を使うのは、ちょっと考えればすぐにわかることだ。だけど、私はそれを見落としていた。

 パランさんからの指示がなかったから、というのは言い訳にもならない。

 耐性の低い私をかばったおかげで、サーフェスさんが怪我をしてしまったのは純然たる事実だった。


「手前ぇら、おままごとなら帰ってからにしやがれ! まだ敵は残ってんだぞっ!」

「っ!」


 パランさんから怒鳴られなければ、私はそのまま謝罪を連ねていただろう。

 これもまた失態だ。目の前の敵から一瞬でも意識を逸らすなんて……。

 その後、結果的には討伐自体は成功したけど、あまりにも反省点が多すぎて。


 私は、その後しばらく、落ち込みから回復することができなかった。




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