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引っ越しと泥かぶり
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さて、新しい職場での顔合わせが終わった後は、引っ越しが待っている。
騎士たちがランクごとに棟に分かれているから、それに付随する治癒師の寮も当然異なる。ちなみに、そのグレードというか設備も、ね。
「せっかくシャワーのある個室になれたのに……」
荷物をまとめる間に、つい愚痴も出ようってもんだ。でも、手は止めない。
クローゼットや寝台、机は作り付けだが、二年もいると、それなりに私物も増える。何往復かしないとダメなくらいはありそうだ。
とりあえず、簡単に運べるものだけをより分けて持ち上げ――ようとしたところで、背後から暢気な声が聞こえてきた。
「お? シエル、断捨離か?」
「デルタさん……」
ちゃんと掃除はしても、やっぱり埃が舞い上がるのでドアを開けていたんだけど、その隙間から顔を出してるのは、私の治癒師の先輩であり師匠でもあるデルタさんだった。
「……にしちゃぁ、えらい大がかりだな。まるで引っ越しだ」
「正にその『引っ越し』です」
「は? ……まさか、お前、金になったのかっ!?」
「まさか! その反対の銅にランクダウンですよ」
「はぁっ?」
まぁ、そういう反応になるよね……。銀の下位ならともかく、私は上位にいたんだし。
「どういうことだっ? お前が銅っ?」
「理由は私にもわかりません。とにかく、今日、そういう辞令が出たんです」
理由なら私の方が教えてほしい位なんだから、訊かれても困る。
こういうのが嫌で、急いで荷造りをしてたんだよね。ただ、今は勤務時間中で、治癒師仲間も任務に出てるか、隊室の方にいるはずだから油断してた。
「……ちょい、ドア閉めるぞ。襲ったりはしないから、そこは安心してくれ」
「え? あ、はい」
わざわざ断るあたり、デルタさんは相変わらず紳士というか、女性には優しい人だ。そんなデルタさんに襲われるとか、全く考えてませんよ。
デルタさんは、私より二十くらい年上の治癒師の大先輩だ。私が銀に上がってすぐに声をかけてくれて、銅の頃とはやはりかなり違う任務に戸惑っていた私に、いろいろと世話を焼いてくれたのがこの人だ。
所属は銀の十小隊。上から見ても下から見てもど真ん中で、本人曰く『一番居心地のいいポジション』らしく、どうもアレコレと手を回してそこに居座っている節がある。だって、そのデルタさんに指導を受けた私が、とんとん拍子に銀の五までいけたんだよ? 本気出したら、絶対に金に上がれるはず――デルタさんは子爵家の出なので、身分的にもOK――なんだけど、私が来る前からずっと銀の十を動かないってのは、そういうことだよね。
そのデルタさんは、ドアを閉めた後、つかつかと室内に入ってきて寝台の上にどっかりと腰を下ろす。もう寝具はまとめてあるので木の板がむき出しになってるが、だからこそだろう。この人、女性(私の事だ)の寝具の上に腰かけるなんてことは絶対にしないからね。
「で? ホントのところは、何をやらかした? きっちり吐いてもらおうか?」
「だから、何もしてませんってば」
このやり取り、何度目よ? いい加減うんざりしてくるが、デルタさんは一味違った。
「シエルの事だ。自分じゃ何もしてないつもりでも、絶対に何かやらかしてる――とりあえず、昨日何があったか、全部吐け」
「ええー?」
と、一応、声はあげたものの。確かに私が見落としていた部分があるかもしれない。それに、何より、愚痴の一つもこぼしたい気分だった。
「昨日、ですね……えっと……」
非番だったのに、いきなり団長に呼び出された事。
行ってみたら、金の三小隊に臨時で治癒師として入れと言われた事。
慣れない小隊に苦労しつつ、何とか無事に任務を終わらせて、かえって来たらリーディス姫様が待ち構えていた事。
そして、その彼らに訳の分からない理由でからまれて、長時間拘束された事。
「……それだけですよ。ほんとに、何が何だかわからないのはこっちです! しかも、転属先が聞いたこともない銅の二十一小隊とかで! その上、行ってみたら、倉庫を改造したところが隊室だし、お酒飲んで吐いた後のある椅子に座らされるし、大怪我してるのに雑に縫っただけで放置して平気な顔してる人はいるしっ――ほんとに、もう、一体何なんですかっ!?」
デルタさんが何かをしたわけじゃないけど、私もいい加減限界だった。
おかげで、最後の方はもう絶叫じみていて……ドア、閉めてもらっておいてよかったわ。
そして、その絶叫をぶつけられたデルタさんはといえば、なぜか頭を抱えていた。
「お前……シエル……」
「はい」
頭痛でもしてるのか、片手で両方のこめかみを揉む動作をしつつ。低い声で名前を呼ばれたんで、返事をした。ら――。
「なんでそこまで状況を把握してて、気が付かないんだよっ!」
「はいぃ?」
「どう考えても、そのリーディス姫が原因だろうっ?」
「え? ええっ?」
「え? じゃない! お前は……ほんとに……っ」
あ。もう一回頭を抱えた。そして、そのまましばらくじっとしてたんだけど、やがて顔を上げて、私を見て。
ふぅ……と、一つ大きくため息を吐いたかと思うと、自嘲するようにつぶやいた。
「ああ、俺の手落ちだよ。ここまで世間知らずになっちまってたのに、なんで気が付かなかったんだ……」
「え、えと……デルタさん?」
なんか不味いこといったのかしら? 滅多に見ないその様子に、私の方がオロオロしてしまう。
でも、こういう時に何を言えばいいのか……困っていたら、デルタさんがもう一度、大きなため息を吐いた後、姿勢を戻して話し始めた。
「いいから、とりあえず聞け。んで、俺の質問に答えろ」
「あ、はい……」
なんか、銀に上がった最初の頃もよくこんなことがあったよね。あの頃、私がへまをする度に、呆れた顔をしたデルタさんからこんな風にお説教兼指導をいただいていたっけ。
そんなことを思い出したせいか、私もつい神妙な顔つきになりつつ、話が長くなりそうな気配に机のところから椅子を引っ張ってきて、それに腰を下ろした。
「もう一度言うが、お前のその左遷はリーディス姫の所為だ――理由は今から教えるから、黙って聞け。どうせお前さんの事だから、王族の姫が自分みたいな平民を目にとめるはずなんかないのになんで? なんて思ってるんだろうが……」
なんで私の頭の中がわかるんだろう? まさにそう考えていたところです。
「ちなみに、だが。シエル。お前さん、リーディス姫に関する情報はどれくらい持ってる?」
「国王陛下の第四王女でいらっしゃって、お母上は第三妃さまで、治癒術が使えて白金ランクで……それから、えっと……」
えーと。他に何かあったかな? ああ、とってもお綺麗な方だ、とか?
「マジでそれだけか……お前、世情に疎すぎだろ。普通、女ってのは噂話が好きで、特にゴシップには目がないもんなんじゃないのか?」
「そういわれても……そもそも、噂話をする相手もいないのにどうしろっていうんですか」
そういうタイプの女性が多い、というのは私も認める。けど、生憎と私はそういうタイプじゃないし、今、言ったように、そんな話をする相手もいない。
「そこは、ほれ、治癒師仲間とかいるだろう? 確かに女性の治癒師は少ないが、皆無ってわけじゃないんだしさ?」
「……そういう皆様って、お貴族様のご息女ばっかりなんですけど? そこに、平民の私が混じれと?」
そうなんだよね。私みたいに、学費免除目当てで専属治癒師になるもの全員男性だ。私が通ってた頃に、一つ下の女性はいたけど、その彼女もちゃんと学費を払っていたはずだ。そして、それ以外で私が知ってる女性の治癒師というのは、全員が士族か貴族出身だ。治癒の才能に目覚め、きちんと学費を払って学校に行き、嫁入りの時の付加価値としてほんの少しの間、治癒師として働くような方々だ。
そんな人たちに交じって噂話をしろ? 無茶を言わないでほしい。
「だったら、男でもいい。そういう奴らならシエルも付き合いはあるだろう?」
「そういう人たちと酒を飲んだら、もれなく下ネタになりますね――あ、流石に姫様のはないですが、他の方のそっち系の噂なら少しは知ってますよ?」
「っ! そうじゃなくて、だなっ……ああ、もうわかった。俺から教える」
そう言ってデルタさんが話し始めたのは、思わずジト目になるような内容だった。
「つまりだな。お前さんは、あの時に臨時の治癒師に入っちゃいけなかったんだよ」
いきなり無茶なことを言われて、目が点になる。だって、団長直々に言われたんだよ?
「まぁ、そうなんだがな。これはホントに今更の話なんだが、あの時は『直ぐにと言われても無理です、少し時間をください』っていうべきだったってことだ。そうすりゃ、シエルの支度が整う前に、あの姫様がやってきて『体調不良になったものの代わりに、わたくしがまいりましょう』ってやれた。そしたら、その後はシエルは今まで通りの生活ができて立ったことだ」
「どういうことですか?」
「あの姫様――リーディス様だが、お前さんのいった小隊の隊長に『ほの字』なんだよ」
こういうちょっとした言い回しで、デルタさんのおっさん臭さが顔を出す。だけど、それを指摘すると不機嫌になるので、今は素直に先を聞く。
「あの姫様はな。シエルも知ってるかもしれんが、国王陛下が溺愛なさってる。わざわざ白金なんてランクを作って治癒師をやらせてるのも、王家の権威を高める意味もあるんだろうが、本当の理由はあの姫様の我儘からだよ。あの方は、とにかく目立ちたくて仕方がないらしい」
「よくそんなことまで知ってますね?」
そういうのって、王族の秘密事項になるんじゃないんだろうか?
「蛇の道は蛇――って程じゃない。王族の方々だって、一人で何でもできるわけじゃないだろ? 周りには、侍女もいるし侍従もいる。流石に護衛騎士は口が堅いが、侍女の中にはおしゃべり好きもいる、ってことだ」
「なるほど……」
そういった人たちも、本当に重要な情報なら流さないだろう。ということは、これはそれほど『大事』な情報だとは思われてないってことか。
「だから、噂話にも気を向けろ、って言ったんだ。わかったか?」
「はい……」
しかし、どうやってその噂話の輪に入ればいいのか……少し悩んでいるうちに、デルタさんの話は先に進んでいた。
「そうやって、侍女が情報を流すってのはな、あの姫様がそれほど好かれちゃいない、ってことでもある。これも勿論、その噂話が元ネタなんだが、あの姫様、男と女に対するときじゃ、かなり態度が違うってので有名だそうだ。お付きの侍女なんか、えらい頻度で交代してるらしい」
……なんとなく想像がつく。私が近くで接したのは昨日が初めてだったけど、ああいうのは故郷の村にもいったっけ。男性の前ではか弱いふりをして、女だけになると途端に本性を現すタイプだ。
女性たちからは総スカンをくってたけど、あの手合いは異性から受けが良ければその他の事は気にしないからなぁ……。
「治癒師としては、まぁまぁ優秀っていうか、治癒の効果は高いらしい。ただ、とにかく高位の術を連発するって話も聞いてる。それと……自分と同じ治癒師、それも特に同性を目の敵にしてるって評判だ」
「……それって、もしかして……」
「それで、一番最初の話が出てくる。これは俺の推測だが、たぶん間違ってない――あの姫様、金三の治癒師に命令して、体調不良ってことにして、その代役を自分に振れとでも言ったんだろうよ。
んでもって、代わりについてって、あわよくば距離を詰める、って寸法だな」
「そのガッツには敬意を覚えますが……」
王女殿下なんだから、いっそ、命令して自分の小隊に入れちゃえばいいんじゃないの?
「無理矢理自分のとこに持ってきたって、あのくそ真面目が姫様に媚びると思うか?」
そう言われて金三の小隊長さんを思い出す。お顔も素晴らしくよかったけど、平民の私にも特に強くあたったりはしなかった。任務には私情を交えないタイプだとしたら、任務中に姫様になびくとも思えない。
「それにな。あっちから自分に惚れさせないと意味がないんだよ」
「まぁ、それも何となくですがわかる気がします」
でも、だからと言って、私を下げても意味がないんじゃない? 金の方々とか、普段は全く接触がないんだし?
「……そこはもう、タイミングが悪かった、としか言いようがないな。折角お目当ての騎士と一緒に行けると思ったのに、おめかしに時間がかかりすぎて、別のが行っちまってた。腹をたてつつ戻ってくるのを待ってたら、そこに出てきたのは滅多にいない女性の治癒師。しかも、そこそこかわいらしい――と、なりゃ、な?」
「可、可愛い、とか……っ」
ちょっとっ!? 真面目な話の途中でいきなり爆弾落とさないでくださいよっ。
「客観的な第三者としての評価だ。シエル、お前さん、『そこそこ』はかわいい顔をしてるぞ?」
「……つまり、デルタさんは私に別に好意はもってないけど、一般的には中の上くらいの評価はしてくれてる、ってことですね」
「色恋、って意味なら無いな。皆無だ」
ああ、そうですよね。いえ、少しびっくりしただけです。
「納得したなら次に行くぞ――あの姫様の事だ。陛下に泣きつくかどうかして、その原因を作った団長を更迭させて、お前さんも絶対に金の連中とは関われないところへ飛ばした、ってところだろう」
「いくら王族だからって、そんなことができるんですか?」
「団長に関しては、前からちっとばかり問題視されてたからな。仕事熱心なのはいいんだが、少しばかり独断専行が過ぎるといわれてたんだ。それもあって、と負ったんだろうな。お前さんは――まあ、ついでだ」
ついでで飛ばされたんですか……良いんですよ、しがない平民ですし。
デルタさんじゃないけど、私もため息をつきたい気分だ。
あんまりにもばかばかしい理由に、できれば辞表をたたきつけたいところだが、残念なことにまだお礼奉公の期間が残ってる。その前に辞めちゃうと、丸っと学費を請求されるんだよね。コツコツ貯金してたから、払えない金額じゃないと思うけど、そうすると故郷の村に戻ってからの診療所を開く資金が足りなくなる。
「それと、お前さんが飛ばされた銅の二十一だが――」
あ、まだ話が続いてた。
「あそこはなんだかんだで、通常の小隊から弾き飛ばされた連中の集まりだ。通称は『泥かぶり』。他の連中が嫌がる任務ばかりやらされて、泥の中をはいずるみたいにしながら達成するから、ってな」
「ひどいですね……」
「まぁ、な。だけど、実力はぴか一ぞろいだ」
「え?」
「考えてもみろ。他の連中が嫌がるってことは、状況が過酷だってのもあるが、難易度が高いってことでもあるんだぞ?」
「あ……」
言われてみれば確かにそうだ。しかも、あの人たち、治癒師無しだよね? それで、達成してるってことは、もしかしてかなり優秀ってこと?
「それと。連中の中に、パランってのがいなかったか?」
「いました。ものすごーく口の悪い人ですよね」
「あいつ、あれでも貴族の子弟だ。前に一時期だけだが、同じ小隊にいたことがある。あんなふうだが、作戦の立案能力はものすごい。治癒師無しでやってきてるって話だが、あいつがいるからこそできたことだろうな」
ものすごく意外な情報です、それ。
「口は悪いし、性格は最悪だし、根性もひん曲がってるが、能力だけはある。で、そんなあいつを受け入れて、使う度量のあるほかの連中も、唯者じゃないってことだ」
「それって、うれしいような、怖いような……」
「シエルはそこでやってくつもりなんだよな?」
「ええ。年季が開けてませんから」
「だったら死ぬ気で食らいついていけ。そうすりゃ、絶対、良いことがある――こんなことしか言えなくてすまんな。お詫びに引っ越し、手伝ってやるよ」
「任務はいいんですか?」
「今日は非番だから」
ああ、だからこんな時間にうろうろしてたのか。
ありがたくその申し出を受けて、おかげで三往復ほどで荷物を運び終えることができた。
行き先の銅の寮は、『泥かぶり』専属でも普通の部屋だったのが救いだ。
「ありがとうございます、デルタさん」
「色々大変だろうけど頑張れよ。そのうち、また飲みに行こうぜ」
「デルタさんのおごりですか?」
「甘えるな、割り勘に決まってんだろ」
「えー……だったら、その時に、デルタさんのコイバナとかきいてもいいです?」
「服、脱がせたあたりからでいいならな」
それはコイバナじゃなくて下ネタになるでしょっ!
だけど、デルタさんに話して、デルタさんの話も聞けて。色々分かってすっきりはした。
腹が立つっていうのはまた別だけどね。
「ありがとうございました。できるだけ頑張ってみます」
「ああ、シエルならやれる。頑張れよ」
その言葉にしっかりと頷く。
前途多難そうだけど、でも、頑張るしかないんだしね。
騎士たちがランクごとに棟に分かれているから、それに付随する治癒師の寮も当然異なる。ちなみに、そのグレードというか設備も、ね。
「せっかくシャワーのある個室になれたのに……」
荷物をまとめる間に、つい愚痴も出ようってもんだ。でも、手は止めない。
クローゼットや寝台、机は作り付けだが、二年もいると、それなりに私物も増える。何往復かしないとダメなくらいはありそうだ。
とりあえず、簡単に運べるものだけをより分けて持ち上げ――ようとしたところで、背後から暢気な声が聞こえてきた。
「お? シエル、断捨離か?」
「デルタさん……」
ちゃんと掃除はしても、やっぱり埃が舞い上がるのでドアを開けていたんだけど、その隙間から顔を出してるのは、私の治癒師の先輩であり師匠でもあるデルタさんだった。
「……にしちゃぁ、えらい大がかりだな。まるで引っ越しだ」
「正にその『引っ越し』です」
「は? ……まさか、お前、金になったのかっ!?」
「まさか! その反対の銅にランクダウンですよ」
「はぁっ?」
まぁ、そういう反応になるよね……。銀の下位ならともかく、私は上位にいたんだし。
「どういうことだっ? お前が銅っ?」
「理由は私にもわかりません。とにかく、今日、そういう辞令が出たんです」
理由なら私の方が教えてほしい位なんだから、訊かれても困る。
こういうのが嫌で、急いで荷造りをしてたんだよね。ただ、今は勤務時間中で、治癒師仲間も任務に出てるか、隊室の方にいるはずだから油断してた。
「……ちょい、ドア閉めるぞ。襲ったりはしないから、そこは安心してくれ」
「え? あ、はい」
わざわざ断るあたり、デルタさんは相変わらず紳士というか、女性には優しい人だ。そんなデルタさんに襲われるとか、全く考えてませんよ。
デルタさんは、私より二十くらい年上の治癒師の大先輩だ。私が銀に上がってすぐに声をかけてくれて、銅の頃とはやはりかなり違う任務に戸惑っていた私に、いろいろと世話を焼いてくれたのがこの人だ。
所属は銀の十小隊。上から見ても下から見てもど真ん中で、本人曰く『一番居心地のいいポジション』らしく、どうもアレコレと手を回してそこに居座っている節がある。だって、そのデルタさんに指導を受けた私が、とんとん拍子に銀の五までいけたんだよ? 本気出したら、絶対に金に上がれるはず――デルタさんは子爵家の出なので、身分的にもOK――なんだけど、私が来る前からずっと銀の十を動かないってのは、そういうことだよね。
そのデルタさんは、ドアを閉めた後、つかつかと室内に入ってきて寝台の上にどっかりと腰を下ろす。もう寝具はまとめてあるので木の板がむき出しになってるが、だからこそだろう。この人、女性(私の事だ)の寝具の上に腰かけるなんてことは絶対にしないからね。
「で? ホントのところは、何をやらかした? きっちり吐いてもらおうか?」
「だから、何もしてませんってば」
このやり取り、何度目よ? いい加減うんざりしてくるが、デルタさんは一味違った。
「シエルの事だ。自分じゃ何もしてないつもりでも、絶対に何かやらかしてる――とりあえず、昨日何があったか、全部吐け」
「ええー?」
と、一応、声はあげたものの。確かに私が見落としていた部分があるかもしれない。それに、何より、愚痴の一つもこぼしたい気分だった。
「昨日、ですね……えっと……」
非番だったのに、いきなり団長に呼び出された事。
行ってみたら、金の三小隊に臨時で治癒師として入れと言われた事。
慣れない小隊に苦労しつつ、何とか無事に任務を終わらせて、かえって来たらリーディス姫様が待ち構えていた事。
そして、その彼らに訳の分からない理由でからまれて、長時間拘束された事。
「……それだけですよ。ほんとに、何が何だかわからないのはこっちです! しかも、転属先が聞いたこともない銅の二十一小隊とかで! その上、行ってみたら、倉庫を改造したところが隊室だし、お酒飲んで吐いた後のある椅子に座らされるし、大怪我してるのに雑に縫っただけで放置して平気な顔してる人はいるしっ――ほんとに、もう、一体何なんですかっ!?」
デルタさんが何かをしたわけじゃないけど、私もいい加減限界だった。
おかげで、最後の方はもう絶叫じみていて……ドア、閉めてもらっておいてよかったわ。
そして、その絶叫をぶつけられたデルタさんはといえば、なぜか頭を抱えていた。
「お前……シエル……」
「はい」
頭痛でもしてるのか、片手で両方のこめかみを揉む動作をしつつ。低い声で名前を呼ばれたんで、返事をした。ら――。
「なんでそこまで状況を把握してて、気が付かないんだよっ!」
「はいぃ?」
「どう考えても、そのリーディス姫が原因だろうっ?」
「え? ええっ?」
「え? じゃない! お前は……ほんとに……っ」
あ。もう一回頭を抱えた。そして、そのまましばらくじっとしてたんだけど、やがて顔を上げて、私を見て。
ふぅ……と、一つ大きくため息を吐いたかと思うと、自嘲するようにつぶやいた。
「ああ、俺の手落ちだよ。ここまで世間知らずになっちまってたのに、なんで気が付かなかったんだ……」
「え、えと……デルタさん?」
なんか不味いこといったのかしら? 滅多に見ないその様子に、私の方がオロオロしてしまう。
でも、こういう時に何を言えばいいのか……困っていたら、デルタさんがもう一度、大きなため息を吐いた後、姿勢を戻して話し始めた。
「いいから、とりあえず聞け。んで、俺の質問に答えろ」
「あ、はい……」
なんか、銀に上がった最初の頃もよくこんなことがあったよね。あの頃、私がへまをする度に、呆れた顔をしたデルタさんからこんな風にお説教兼指導をいただいていたっけ。
そんなことを思い出したせいか、私もつい神妙な顔つきになりつつ、話が長くなりそうな気配に机のところから椅子を引っ張ってきて、それに腰を下ろした。
「もう一度言うが、お前のその左遷はリーディス姫の所為だ――理由は今から教えるから、黙って聞け。どうせお前さんの事だから、王族の姫が自分みたいな平民を目にとめるはずなんかないのになんで? なんて思ってるんだろうが……」
なんで私の頭の中がわかるんだろう? まさにそう考えていたところです。
「ちなみに、だが。シエル。お前さん、リーディス姫に関する情報はどれくらい持ってる?」
「国王陛下の第四王女でいらっしゃって、お母上は第三妃さまで、治癒術が使えて白金ランクで……それから、えっと……」
えーと。他に何かあったかな? ああ、とってもお綺麗な方だ、とか?
「マジでそれだけか……お前、世情に疎すぎだろ。普通、女ってのは噂話が好きで、特にゴシップには目がないもんなんじゃないのか?」
「そういわれても……そもそも、噂話をする相手もいないのにどうしろっていうんですか」
そういうタイプの女性が多い、というのは私も認める。けど、生憎と私はそういうタイプじゃないし、今、言ったように、そんな話をする相手もいない。
「そこは、ほれ、治癒師仲間とかいるだろう? 確かに女性の治癒師は少ないが、皆無ってわけじゃないんだしさ?」
「……そういう皆様って、お貴族様のご息女ばっかりなんですけど? そこに、平民の私が混じれと?」
そうなんだよね。私みたいに、学費免除目当てで専属治癒師になるもの全員男性だ。私が通ってた頃に、一つ下の女性はいたけど、その彼女もちゃんと学費を払っていたはずだ。そして、それ以外で私が知ってる女性の治癒師というのは、全員が士族か貴族出身だ。治癒の才能に目覚め、きちんと学費を払って学校に行き、嫁入りの時の付加価値としてほんの少しの間、治癒師として働くような方々だ。
そんな人たちに交じって噂話をしろ? 無茶を言わないでほしい。
「だったら、男でもいい。そういう奴らならシエルも付き合いはあるだろう?」
「そういう人たちと酒を飲んだら、もれなく下ネタになりますね――あ、流石に姫様のはないですが、他の方のそっち系の噂なら少しは知ってますよ?」
「っ! そうじゃなくて、だなっ……ああ、もうわかった。俺から教える」
そう言ってデルタさんが話し始めたのは、思わずジト目になるような内容だった。
「つまりだな。お前さんは、あの時に臨時の治癒師に入っちゃいけなかったんだよ」
いきなり無茶なことを言われて、目が点になる。だって、団長直々に言われたんだよ?
「まぁ、そうなんだがな。これはホントに今更の話なんだが、あの時は『直ぐにと言われても無理です、少し時間をください』っていうべきだったってことだ。そうすりゃ、シエルの支度が整う前に、あの姫様がやってきて『体調不良になったものの代わりに、わたくしがまいりましょう』ってやれた。そしたら、その後はシエルは今まで通りの生活ができて立ったことだ」
「どういうことですか?」
「あの姫様――リーディス様だが、お前さんのいった小隊の隊長に『ほの字』なんだよ」
こういうちょっとした言い回しで、デルタさんのおっさん臭さが顔を出す。だけど、それを指摘すると不機嫌になるので、今は素直に先を聞く。
「あの姫様はな。シエルも知ってるかもしれんが、国王陛下が溺愛なさってる。わざわざ白金なんてランクを作って治癒師をやらせてるのも、王家の権威を高める意味もあるんだろうが、本当の理由はあの姫様の我儘からだよ。あの方は、とにかく目立ちたくて仕方がないらしい」
「よくそんなことまで知ってますね?」
そういうのって、王族の秘密事項になるんじゃないんだろうか?
「蛇の道は蛇――って程じゃない。王族の方々だって、一人で何でもできるわけじゃないだろ? 周りには、侍女もいるし侍従もいる。流石に護衛騎士は口が堅いが、侍女の中にはおしゃべり好きもいる、ってことだ」
「なるほど……」
そういった人たちも、本当に重要な情報なら流さないだろう。ということは、これはそれほど『大事』な情報だとは思われてないってことか。
「だから、噂話にも気を向けろ、って言ったんだ。わかったか?」
「はい……」
しかし、どうやってその噂話の輪に入ればいいのか……少し悩んでいるうちに、デルタさんの話は先に進んでいた。
「そうやって、侍女が情報を流すってのはな、あの姫様がそれほど好かれちゃいない、ってことでもある。これも勿論、その噂話が元ネタなんだが、あの姫様、男と女に対するときじゃ、かなり態度が違うってので有名だそうだ。お付きの侍女なんか、えらい頻度で交代してるらしい」
……なんとなく想像がつく。私が近くで接したのは昨日が初めてだったけど、ああいうのは故郷の村にもいったっけ。男性の前ではか弱いふりをして、女だけになると途端に本性を現すタイプだ。
女性たちからは総スカンをくってたけど、あの手合いは異性から受けが良ければその他の事は気にしないからなぁ……。
「治癒師としては、まぁまぁ優秀っていうか、治癒の効果は高いらしい。ただ、とにかく高位の術を連発するって話も聞いてる。それと……自分と同じ治癒師、それも特に同性を目の敵にしてるって評判だ」
「……それって、もしかして……」
「それで、一番最初の話が出てくる。これは俺の推測だが、たぶん間違ってない――あの姫様、金三の治癒師に命令して、体調不良ってことにして、その代役を自分に振れとでも言ったんだろうよ。
んでもって、代わりについてって、あわよくば距離を詰める、って寸法だな」
「そのガッツには敬意を覚えますが……」
王女殿下なんだから、いっそ、命令して自分の小隊に入れちゃえばいいんじゃないの?
「無理矢理自分のとこに持ってきたって、あのくそ真面目が姫様に媚びると思うか?」
そう言われて金三の小隊長さんを思い出す。お顔も素晴らしくよかったけど、平民の私にも特に強くあたったりはしなかった。任務には私情を交えないタイプだとしたら、任務中に姫様になびくとも思えない。
「それにな。あっちから自分に惚れさせないと意味がないんだよ」
「まぁ、それも何となくですがわかる気がします」
でも、だからと言って、私を下げても意味がないんじゃない? 金の方々とか、普段は全く接触がないんだし?
「……そこはもう、タイミングが悪かった、としか言いようがないな。折角お目当ての騎士と一緒に行けると思ったのに、おめかしに時間がかかりすぎて、別のが行っちまってた。腹をたてつつ戻ってくるのを待ってたら、そこに出てきたのは滅多にいない女性の治癒師。しかも、そこそこかわいらしい――と、なりゃ、な?」
「可、可愛い、とか……っ」
ちょっとっ!? 真面目な話の途中でいきなり爆弾落とさないでくださいよっ。
「客観的な第三者としての評価だ。シエル、お前さん、『そこそこ』はかわいい顔をしてるぞ?」
「……つまり、デルタさんは私に別に好意はもってないけど、一般的には中の上くらいの評価はしてくれてる、ってことですね」
「色恋、って意味なら無いな。皆無だ」
ああ、そうですよね。いえ、少しびっくりしただけです。
「納得したなら次に行くぞ――あの姫様の事だ。陛下に泣きつくかどうかして、その原因を作った団長を更迭させて、お前さんも絶対に金の連中とは関われないところへ飛ばした、ってところだろう」
「いくら王族だからって、そんなことができるんですか?」
「団長に関しては、前からちっとばかり問題視されてたからな。仕事熱心なのはいいんだが、少しばかり独断専行が過ぎるといわれてたんだ。それもあって、と負ったんだろうな。お前さんは――まあ、ついでだ」
ついでで飛ばされたんですか……良いんですよ、しがない平民ですし。
デルタさんじゃないけど、私もため息をつきたい気分だ。
あんまりにもばかばかしい理由に、できれば辞表をたたきつけたいところだが、残念なことにまだお礼奉公の期間が残ってる。その前に辞めちゃうと、丸っと学費を請求されるんだよね。コツコツ貯金してたから、払えない金額じゃないと思うけど、そうすると故郷の村に戻ってからの診療所を開く資金が足りなくなる。
「それと、お前さんが飛ばされた銅の二十一だが――」
あ、まだ話が続いてた。
「あそこはなんだかんだで、通常の小隊から弾き飛ばされた連中の集まりだ。通称は『泥かぶり』。他の連中が嫌がる任務ばかりやらされて、泥の中をはいずるみたいにしながら達成するから、ってな」
「ひどいですね……」
「まぁ、な。だけど、実力はぴか一ぞろいだ」
「え?」
「考えてもみろ。他の連中が嫌がるってことは、状況が過酷だってのもあるが、難易度が高いってことでもあるんだぞ?」
「あ……」
言われてみれば確かにそうだ。しかも、あの人たち、治癒師無しだよね? それで、達成してるってことは、もしかしてかなり優秀ってこと?
「それと。連中の中に、パランってのがいなかったか?」
「いました。ものすごーく口の悪い人ですよね」
「あいつ、あれでも貴族の子弟だ。前に一時期だけだが、同じ小隊にいたことがある。あんなふうだが、作戦の立案能力はものすごい。治癒師無しでやってきてるって話だが、あいつがいるからこそできたことだろうな」
ものすごく意外な情報です、それ。
「口は悪いし、性格は最悪だし、根性もひん曲がってるが、能力だけはある。で、そんなあいつを受け入れて、使う度量のあるほかの連中も、唯者じゃないってことだ」
「それって、うれしいような、怖いような……」
「シエルはそこでやってくつもりなんだよな?」
「ええ。年季が開けてませんから」
「だったら死ぬ気で食らいついていけ。そうすりゃ、絶対、良いことがある――こんなことしか言えなくてすまんな。お詫びに引っ越し、手伝ってやるよ」
「任務はいいんですか?」
「今日は非番だから」
ああ、だからこんな時間にうろうろしてたのか。
ありがたくその申し出を受けて、おかげで三往復ほどで荷物を運び終えることができた。
行き先の銅の寮は、『泥かぶり』専属でも普通の部屋だったのが救いだ。
「ありがとうございます、デルタさん」
「色々大変だろうけど頑張れよ。そのうち、また飲みに行こうぜ」
「デルタさんのおごりですか?」
「甘えるな、割り勘に決まってんだろ」
「えー……だったら、その時に、デルタさんのコイバナとかきいてもいいです?」
「服、脱がせたあたりからでいいならな」
それはコイバナじゃなくて下ネタになるでしょっ!
だけど、デルタさんに話して、デルタさんの話も聞けて。色々分かってすっきりはした。
腹が立つっていうのはまた別だけどね。
「ありがとうございました。できるだけ頑張ってみます」
「ああ、シエルならやれる。頑張れよ」
その言葉にしっかりと頷く。
前途多難そうだけど、でも、頑張るしかないんだしね。
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