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1巻

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   プロローグ


 神殿の最奥さいおうにあるその部屋は、天井から壁、床に至るまでのすべてが純白の石でできていた。
 ただの石ではない。王国全土から集められ、厳選された白大理石に浄化と聖化の加工をほどこしたものだ。この場にはほんのわずかな『けがれ』も許さない――そんな強い意思を感じさせる室内につどう者もまた、全身を白い衣装に包んでいた。
 神殿の最高位である教皇と、五名の司教は、フード付きの袖の長いローブを羽織はおっており、少し離れたところに控える十名の『巫女みこ』たちは、巫女みこ装束の上から全身を包み込むヴェールをつけている。
 各人の髪色や肌の色すら許さぬ、絶対的な『白』の室内に、かすかにしわがれた教皇の声が響き渡った。 

「我らの祈りは神のもとに届いた。これより、今代の『勇者』が召喚される」

 その宣言と同時に、真っ白い床に光の魔法陣が浮かび上がる。
 それは、最初、白い光を放つ細い線で形作られていた。それがまたたく間に太くしっかりとしたりんかくとなる。白い光はわずかに金色に輝き、フードやヴェール越しにも、目に痛みを感じるのか、周囲の人間が手で目をおおい――やがて、それが一点に収束し始めた。
 くるくると光がうずき、その先端が天井めがけて長く伸びる。

「おお……」

 きょうたんのため息を漏らしたのは、司教の一人。
 はるか昔から神殿に伝わる『召喚の書』に記されたものと同じ光景に、居並ぶ全員が息をすることも忘れ、くぎ付けになる。
 直後、密度を増した光が爆発した。あまりのまばゆさに全員、目を開けていることができず、反射的にまぶたを閉じる。
 それが再び開かれたとき――
 消えた魔法陣の代わりに、そこにはこの室内で唯一、白以外をまとった人物が、しょざいげに立ち尽くしていた。

「成功だ――ここに、今代の『勇者』が降臨された」

 教皇の声に、室内にいた全員の目が『彼』に集中する。
 しかし――

「あれ……が、勇者……?」

 まどったような声を上げるのは、後方に控える巫女みこたちだ。
 彼女らは、突然異世界に召喚されて右も左も分からないであろう勇者に、公私共に寄り添う役目をになうためにここにいる。
 勇者がこの世界で非常に重要な役割を果たすゆえに、そのほとんどが高位貴族の令嬢である。幼いころからきちんと教育をされ、神殿に入ってからは勇者への献身をしっかりと教え込まれた――はずなのだが。

「え? ……嘘、でしょう?」
「なんですの、あれ……勇者様って……え?」

 定められていた儀式の手順としては、勇者のけんげんを確認したのち、各々おのおのが被っていたヴェールを外して歩み寄り、まずは一人を選んでもらう――ちなみに、勇者との相性が悪かった場合は交代もありえるし、勇者の希望があれば追加も可能だ。
 それにはまず、彼に近づかなければならないのだが、誰一人として足を進めるどころかヴェールを外すことも失念している。
 そして、本来ならば彼女らをうながさなければならない司教はおろか、つい先ほど、勇者降臨をせんしたばかりの教皇ですら、勇者のふうていを確認して、あんぐりと口を開き固まっている。
 おかげで、誰一人として動けず、声も出せない。ただ、部屋の中央にたたずむ『彼』を見つめるばかりで――王国で最も重要な儀式はまだ続いているにもかかわらず、なんとも言えない空白の時間がしばし続いた。
 しばらくして、無言で視線を向けられていた彼が、ゆっくりと右手を上げ、ひげに包まれた頬をポリポリとかきながら、ぼつりと言葉を発した。

「――幻覚が見える……さすがに三十過ぎてのから三徹はやばかったかな」



   第一章 


 この国――オーモンド王国は、国土の中に『魔の森』といわれる地域を抱える難治の地である。
 数世代に一度、およそ百年を周期にそこから魔物があふれ出す現象は『なみ』と呼ばれていた。そのせいで、本来ならば人が安心して住めるような場所ではない。
 それでも、ここが国として成り立っているのは、古くから伝えられる儀式があるからだ。

『勇者召喚』

 話は、はるか昔、この地に存在するのが小さな集落のみだったころにさかのぼる。
 王家に伝わる伝承によれば、そこを訪れたのは亡国の王子と、その護衛たちだったそうだ。
 生国しょうごくを追われ、ようやくたどり着いたのは魔物の恐怖におびえる場所。けれど、その地で懸命に生きる人々を見た王子は、ここをついすみとすることを決めたという。
 だが、問題は魔の森だ。彼が引き連れてきた護衛たちは、一騎当千いっきとうせんのつわものぞろいではあったが、それはあくまでも『人』に対して。恐ろしい魔物たちから人々を守るのには心もとない。
 ゆえに、王子は神に祈る。
 それは三日三晩に及び、王子はついに力尽き、地に倒れ伏したが、その熱意に打たれた神は、一つの秘儀を彼にさずけた。
 それが『勇者召喚』である。
 いずことも知れぬ地からされた勇者は、王子の友となり、共に恐ろしい魔津波を迎え撃つ。
 やがて、妻をめとった王子は長男を自らの後継とし、次男には秘儀を伝え神殿を作らせた。
 王子の友であり英雄でもある勇者は、王子の右腕として生涯、そのそばにいたという。
 それが、オーモンド王国の建国神話である。
 あれからはるかな年月を経た今、魔津波の予兆を察知した神殿により、勇者召喚の儀がおこなわれたわけなのだが――


「――幻覚が見える……さすがに三十過ぎてからの三徹はやばかったかな」

『勇者』であろうその人物は、ぽりぽりと頬をき、ついでに頭も同じようにした。くしの通っていない髪はしっこく、ぼさぼさの前髪に隠れて見えづらいが瞳は黒に近い濃茶である。
 身に着けているのは、この国では見慣れない体のラインに沿う形のもので、濃い色の布を使っているのも伝承通りだ。
 ただ、決定的に違うことが一つだけある。

「……おかしいでしょう? だって、勇者様って、もっと……」
「え、ええ、そうですわ! わたくしたちと同じような年ごろだと……」
「わたくしも、そう聞いておりますっ」

 この場に集められた巫女みこは、十三歳から十七歳の間の貴族の令嬢たちだ。
 これは、これまでに現れた勇者が彼女らと同じ年ごろの少年だったことによる。
 ところが今、彼女らの視線の先にいる勇者は、その顔にうっすらとひげたくわえており、肌のつやからして十代には見えない。その表情も、更には服装までもがひどくくたびれた様子で、明らかにもっと上の年齢――いや、本人が今、言ったではないか。「三十を過ぎている」と。

「どういうことですの、神官様っ?」
「いや、我々にも……しかし、教皇げいが、召喚は成功したと……」

 秘伝書の内容に沿うのなら、真っ先に勇者に歩み寄るのは巫女みこでなければならない。
 だが、ひそひそと会話を交わすばかりで誰も動こうとはせず、それをたしなめ指示すべき神官も困惑するばかりで、その役目を果たせそうにない。
 この国で最も重要な儀式の最中とは思えない混乱の中――最後列から、他の者たちよりも少しだけ背の高い一人の巫女みこがゆっくりと進み出た。

「お初にお目にかかります、勇者様――ようこそ、オーモンドへ。突然の出来事に驚かれていらっしゃいますでしょうが、どうか私どもの話にお耳を傾けてくださいますよう、お願い申し上げます」

 そう告げながらまとっていたヴェールを取り去る。淡い銀の髪がその下から現れた。瞳は新緑の色だ。

「シ、シアーシャっ!」
「お許しください、神官様。ですが、誰かが動かねば……さぁ、貴女あなたがたも何をしているのです? 早く勇者様にお顔を見ていただかねば」

 彼女が先に動くことは、予定にはない。
 だが、その巫女みこ――シアーシャと呼ばれた女性が声をかけることにより、他の巫女みこたちもやっと各々おのおののヴェールを外す。
 金、赤、緑、青――その髪色は様々で、瞳の色も同様だ。そして、どの巫女みこも若く、美しい。
 その彼女たちに比べるとシアーシャと呼ばれた巫女みこだけが、年齢が上だ。

「さぁ、ミラーカ様?」

 仲間の様子を確認し、シアーシャが改めて後列に下がりながら、巫女みこの一人に小さく声をかける。
 本来なら、真っ先に声をかけるのは彼女の役割だった。

「あ……よ、ようこそ、勇者様。よくぞおいでっくださいました」

 幾分ぎこちないながらも、美しい所作で頭を下げる。それにならい、他の巫女みこたちも同じように首を垂れた。彼女たちが再び顔を上げたとき、現れて以来、一言しか発していない勇者がまどったような声を上げる。

「……最近の幻覚は音声付きか? いや、もしかして、俺、寝たか? やべぇ、せっかく終電に間に合ったってのに、終着駅とか最悪だ」

 何を言っているのか、半分以上は理解できないが、これは召喚された勇者に共通することである。

「終点……どこだっけ? あー、頭働かねぇ……ビジホはこの時間じゃ無理だよな。ネカフェ、あるといいなぁ……いや、こうなったらファミレスでもいい」

 低い声でぶつぶつと何やらつぶやいているが、この場にいる者たちとしては、まずはこの勇者に、巫女みこの中から一人を選んでもらわねば話が始まらない。

「あ、あの、勇者様? ……よろしければ、この国やその他のことについてご説明したいと存じます。まずはそのためにもわたくしたち巫女みこの中から、一人をお選びいただけませんでしょうか? 話はその者がいたします」

 ミラーカという巫女みこが――彼女は、この日のために一時的に巫女みこの身分となっているが、実は筆頭公爵家の令嬢である。年は十五歳で、豪奢ごうしゃな金髪に青い目はこの国の王族と同じ色だ。高位貴族として当たり前だが、容姿はたんれい
 彼女こそが勇者のパートナーとして選ばれるであろうと予想され、本人もそう希望していた。
 ―― 実際に勇者が現れるまでは。

もちろん、一人といわず二人でも、それ以上でも構いませんわ。ですので、どうかわたくしたちを御覧になってくださいませ」

 そう言いながら、彼女はさりげなく脇に寄り、他の巫女みこたちに勇者の視線を誘導する。
 そんなミラーカに、神官たちがもの言いたげな顔になった。だが、勇者が混乱するのを避けるため、最初の会話は巫女みこが主体となると定められているので口を挟めない。

「さぁ、勇者様」
「しかし……えらく鮮明な夢だな。これがめいせきってやつか、初めて見たわ」
「夢ではございませんわ、勇者様」
「はいはい。仕方ねぇ、終点で起こしてもらうまでは付き合ってやるよ――で、一人選べって?」

 ぼさぼさの前髪の下の、どこかぼうようとした視線が巫女みこたちの上を通り過ぎる。
 本来ならば(貴族令嬢としてはありえないが)押し合いへし合い、勇者のもとへ駆けつけるであろう彼女たちは、誰一人としてそれ以上、勇者に近づこうとしない。
 勇者はそんな彼女たちや、もの言いたげな神官らを気にする様子もなく、ぐるりと見回したのち、小さなため息をつく。

「なんだ、これ……もしかして、俺、ロリのがあったのか? JKとかJCばっかじゃんよ……いくら夢だからって、この中から選べって……あ」

 最後列。最初に彼に話しかけた巫女みこ――シアーシャの上でその視線が止まる。

「いたいた、さっきの彼女。なんでそんなすみっこにいるの? 俺、君がいい」

 その言葉に驚いたのはシアーシャのほうだ。

「……え? あの……私、ですか?」
「うん、君がいい。てか、もしかしてこれ、君を選んじゃダメなパターン? 惜しいな、すごく好みなんだけど」
「い、いえ。そのようなことは……」

 どの巫女みこを選ぼうと、勇者の希望は最優先される。それが、たとえ選抜対象である若い巫女みこたちのおまけ、よく言い直しても補佐としてこの場にいたシアーシャであろうともだ。
 シアーシャは確認のために、そっと教皇以下の神官たちに視線を向ける。だが、彼らはどうにもイレギュラーな今回の勇者に、いまだに混乱しているらしい。その中の一人が、なんとかうなずき、了承を知らせた。
 彼女は、今度は巫女みこたちのほうをうかがう。こちらからは、勇者が予想外に年をとっていた上にそのふうていもあってか、「自分が選ばれなくてよかった」という気持ちがひしひしと伝わってきた。
 これはもう、逃れられない。

「お言葉、ありがたくうけたまわります。シアーシャと申します。勇者様のこころのまま、どのようなことでもお申し付けくださいませ」
「シアーシャ? なら、シアさんでいいか。どのようなことでも……って、マジ? 君みたいなきれいな人にそんなこと言われたら、俺、調子にのっちゃうよ?」

 軽薄なセリフに顔をしかめる者もいるが、シアーシャとしては己に課せられた責務を果たすだけだ。

「それでは、いろいろとお疲れの御様子ですし、まずは勇者様のお部屋へご案内いたします。そこでゆるりとお休みいただき、説明はその後ということで……」
「部屋? ……あー、よっぽど疲れてたんだな、俺。夢なのに体がだるいし、眠い……あ、もしかして風呂とかある?」
「はい、すぐに御用意いたします」
「ありがとう。どうせ寝るならさっぱりしてから寝たいし――てか、これ夢ん中だけど寝れるのかな?」

 勇者はいまだにこれが夢だと思っているらしいが、その説明をするためにも、場所を移したほうがいいだろうと、シアーシャは判断した。


 代々の勇者のために用意された部屋は神殿の最奥さいおうにある。普段は人の出入りが少ない場所だが、召喚の儀が行われるにあたり、きれいにきよめられ、調度品も新しいものに代えられていた。

「え? なんで、こんないっぱいついてくんの? 夢の中でまで気を遣いたくないんだけど……」

 りょはん――この国で勇者に選ばれた巫女みこを指す言葉だ――には、シアーシャが選ばれはしたが、一人で勇者の身の回りの世話をするのは無理がある。そのため、召喚の儀に出られなかった巫女みこが数人、その任に当たることになっているのだが、あろうことか勇者がそれを拒絶した。

「私共は御身おんみまわりのお世話をおおせつかっております」
「いらない、いらない。風呂くらい一人で入れるし……ああ、シアさんが手伝ってくれるんなら大歓迎だけど」
「で、ですが、それでは私共がおしかりを受けてしまいますわ」

 勇者の近くに仕えるにあたり、この巫女みこたちも若く、容姿の優れた者ばかりだ。
 それなのに、役目が果たせないからと涙目ですがられても、勇者の対応はそっけない。

「そんなの知らないし、いらないったらいらない。つか、俺、早く風呂に入りたいんだよ。さっさと出てってくんない?」

 にべもない、とはこのことだ。そこまで言われてしまえば、もうそれ以上食い下がることはできない。勇者が希望したことが何よりも優先されなければならないのだから。

「……では、失礼いたします。何事か御用がございましたら、御遠慮なくお呼びください」

 渋々ながらも引き下がる、そのついでに、シアーシャをにらみつけていく。彼女たちの気持ちが分からなくもなく、シアーシャはそっと目を伏せることしかできなかった。

「あー、やっと出てってくれた。こんなおっさんの世話なんてしたくもないだろうに、なんであんなに食い下がるかねぇ?」
「まぁ、勇者様。そんな……」
「これも俺の潜在意識の希望ってやつ? なんか、自己嫌悪におちいりそうだ――あー、やめやめ。夢でまで悩みたくねぇわ。それより、風呂は?」
「あ、はい。こちらです」

 浴室付きの個室など、大貴族の屋敷でもなければお目にかかれない。けれど、これまでの勇者が風呂好きだったということもあり、当然のように用意されていた。

「うわ、やべぇほど豪華!」

 じゅんたくにたたえられたお湯の湿気で、浴室はすでに十分に温まっている。
 床にめり込むように設置された石造りの浴槽は、大の大人が数人入っても余裕があるだろう。この国では珍しい作りだが、気に入ってもらえたらしい。

「あれ、でも蛇口がないな……もしかして、大昔みたいにバケツでれる系?」
「いえ、水と火の魔道具がありますので、おそらくはそれで御用意したものかと」
「魔道具……ああ、召喚魔法で俺をんだっつってたもんな。なるほど、コンセプトは剣と魔法の世界か。三つ前の仕事がそれだったし、頭のどっかに残ってたってことか……いや、それより、この風呂っ! これひとめとか、ここ、天国かっ?」

 そんなことを言いながら、勇者はまだシアーシャがいるにもかかわらず、どんどんと服を脱いでいく。
 鼻歌交じりに上着を脱ぎ捨て、白いシャツの襟に通していたネクタイを外し、アンダーシャツもろともばさりと無造作に床に投げ捨てる。次いでスラックスのベルトに手をかけたのを見て、退室するタイミングを失っていたシアーシャは慌てて視線を外し、床にある衣類を拾い上げることに集中した。
 なるべく床に視線を固定していると、最後の一枚――彼女には見慣れないした穿きだろうものがひらりと落ちてきて、さすがにぎょっとしたところで大きな水音がする。
 やや緊張しながら振り向くと、すでに勇者はどっぷりとお湯につかっていた。

「……あー、生き返る」

 浴槽に身を沈めているので、シアーシャから見えるのは勇者の肩から上だけだ。そのことにほっとしながら、勇者に声をかける。

「勇者様、お湯加減はいかがですか?」
「超最高! ここんとこシャワーしか浴びれてなくてさ。これが夢だとしても、こんな風呂に入れるなんて会社に缶詰で頑張ったかいがあったよなぁ」

 いまだにこれが夢の中だと思われているのは残念だが、喜んでくれているのはいいことだ。
 それに、ひげづらばかりに目が行っていたが、よく観察すれば目の下のくまが濃い。全体的にくたびれた様子なのも、こちらに来る前に極度の疲労状態にあったのだろう。
 これから勇者に、この世界のことを――どうして彼がばれたのかも含めて、説明しなければならないのだが、この状態できちんと耳に入るものだろうか?
 そう思いはするが、なるべく早く話をしなければならないのも本当だ。
 幸いなことに、シアーシャは選抜された巫女みこたちの世話役として、彼女らにほどこされた講義にも一緒に出ていたため、何を言えばいいのかは分かる。たとえここで聞き流されても、後でもう一度説明すればいいことだ。
 そう割り切り、けれど、さすがにずっと人の、しかも異性の入浴を見物し続けるのは気が引けたため、すみに置かれていたついたてを移動させ、その陰に隠れた後に口を開いた。

「どうぞ、そのままでおきください。まずはこの国――オーモンド王国の成り立ちからお話しいたします」

 説明はできるだけ簡素に。細かいことは後々でいい。そう心掛けつつ先を続ける。
 オーモンド王国の建国神話。魔の森。勇者召喚の儀の重要性と、その勇者に仕える巫女みこの役割等々。
 それらの話に、ついたての反対側から「へぇ、そうなんだ」や「なるほど」という返事が聞こえてくる。そうしたやり取りがしばらく続き、とりあえずの説明が終わりかけたころ――

「なるほどなぁ……で、侶伴ってことは、君は俺の専属の巫女みこさんってことだよな? それも『公私』にわたって?」
「その通りですわ」
「公私にわたり、ってのがすごい気になるんだけど……もし俺がいろいろとそういうコトを要求したとしても、シアさんは応えてくれちゃうわけ?」

 最初に気になるのが、この世界のことでも、これから先、自分が立ち向かわねばならない『魔津波』のことでもなくソコなのか、と。問いただしたくなる気持ちを抑え、シアーシャはうなずく。

「はい。勇者様にお選びいただいたときより、私の身も心も、勇者様のものにございます」
「ふぅん、そうなんだ……よし、俺の潜在意識グッジョブ!」
「は?」
「あ、いや、それはこっちの話――しかし、そうか……マジでよくできてるよなぁ、この夢……こりゃ、俺、次の案件、シナリオ担当してもいい、かもしれ……な、い……」
「……勇者様? どうかなされましたか?」

 シアーシャがそう声をかけたのは、勇者の声がいきなり小さくなった上に、妙にとぎれとぎれになったからだ。

「勇者様?」

 応えがないことが不安になり、もう一度、少し強めに声をかけるが、これにも返事がない。これまでのやり取りでは、短い「ああ」とか「ふぅん」などというあいづちが多かったとはいえ、きちんと返事をしてくれていたのに、だ。

「勇者様、少し失礼いたします」

 思い切って、ついたての陰から顔を出し――悲鳴を上げた。

「勇者様っ!?」

 返事がないのも当たり前だ。湯船の中に勇者の姿が見当たらない――というか、目を閉じてブクブクと口から泡を噴きながら浴槽の底に沈んでいる。

「勇者様っ! 目を開けてください!」

 とっさに両腕をお湯の中に突っ込み、勇者の体を支える。彼と違いこちらは着衣のままなのでずぶぬれになるが、そんなことには構っていられない。
 成人した男性の体を非力なシアーシャが引き起こすのは、浮力の助けを借りても大変な作業だったが、それでもなんとか間に合ったようだ。

「……ぶはっ! げほっ……ごほっ」
「勇者様っ! 御無事ですかっ?」
「やべぇ……げほっ。夢の中で、死ぬとこ、だったっ」

 気管にお湯が入ったのだろう。げほごほとせきをしているが、口が利けるのなら命に別状はないはずだ。

「……ああ、よかった」
「助かった、ありがとう――いや、なんか急に眠気が襲ってきてさ。ちょっとだけって思って目をつむったら、そのまま寝たらしい」

 まさか湯につかったまま寝るとは誰が思うだろう。ため息をつきたくなるが、それほどまでに疲れていたのだと思えば責めることもできないし、そんな状態なのにあれこれと話をしていた自分のことを反省する。

「こちらこそ申し訳ありません。話は後回しにして、まずはお休みいただきたく――」

 話は後でもできる。いや、最初からそうすべきだった。
 いくら神官たちに命じられていたとしても、今のシアーシャは勇者の侶伴だ。彼のことを第一に考えねばならない。

「隣に寝台がございます。そちらまで移動できますか?」
「ああ、そのくらいなら何も問題ない。けど――」
「けれど?」
「いや、いい眺めだな、って」

 まじまじとこちらを見つめるその視線に、釣られるようにして自分の体に目をやる。シアーシャは彼の言葉の意味が分かった。

「え? ……あっ!?」

 湯船の底から彼を引き上げたせいで、彼女のまとっている衣は重く濡れそぼっている。巫女みこの衣装は白と決まっているせいもあり、ぴったりと張り付いた布は彼女の体のりんかくどころか、うっすらとその肌色までをもあらわにしていた。

「きゃぁっ! ――も、申し訳ありません。お見苦しいものをっ」
「いやいや、見苦しくなんかないし、眼福がんぷくだし」

 慌てて体を隠そうとするものの、前も後ろも濡れているし、上から羽織はおる適当なものがない。隣室に行けば何かあるはずだが、たった今おぼれかけた勇者を一人にするのもはばかられる。
 結果、おろおろとするだけのシアーシャの腕が、妙に力強く勇者のてのひらにとらわれた。

「……ね? さっきのセリフ、マジにとっていい?」
「は、はい?」

 つい先ほどまで、どんよりとしていたはずの彼の目が、今は鋭い光を放ってシアーシャを見つめている。だが、体を隠すことで頭がいっぱいの彼女は、その意味を理解しかねた。
 すぐに勇者が補足する。

「なんでも俺の希望通りにって……つまり、こういうこと、してもいいってことだよね?」
「え? ……あっ、きゃっ!?」

 グイッと強く腕を引かれて踏みとどまることができず、シアーシャは勇者の胸に飛び込んでしまう。

「勇者様っ?」
「ダメなら、ダメって言ってよ。夢の中だろうと、嫌がる女の子にいとかしたくないし。でも、シアさん……いや、シアちゃんって呼んでいい? ものすごく俺のタイプなんだよね。銀色の髪や緑の目が、子供のころに読んだおとぎ話に出てくるお姫様みたいだし、なんていうのかな……はかない? こう、守ってあげたくなる感じがもう、俺の好みのど真ん中」
「ゆ、勇者様……」
「だからさ。ホントにダメならそう言って? そしたらちゃんと止めるし」


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