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1巻

1-3

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 こことは違って、前の世界では処女性にそれほど重きを置かれていなかったのが影響しているだろう。
 それに加えて前世では『喪女もじょ』――つまりは処女をつらぬき通し、今世でもほとんど結婚を諦めていたヴァレンティナだ。
 ――一度くらい経験しておくのもいいかも、って思っちゃったのよね。確かに無理やりではあったけど、とっても優しくしてくれたし。あまりよくはわからなかったとはいえ、すごいイケメンみたいだったし……
 無論、それが自分を納得させるための言い訳であるのはヴァレンティナも自覚している。腕力では到底太刀打たちうちできなかったのだから、あきらめるしかないのもまた事実だ。
 怒り心頭状態のシアンをなだめるためもあって、そう言ったのだが――

「……野良犬ではなく血統書付きの駄犬ね。大丈夫よ、ティナ。駄犬の飼い主の方にも、きっちりと責任をとってもらえるように話はつけてあります。貴女あなたは何も心配しなくていいわ」

 余計に怒りに油を注ぐ結果になる。仮にも侯爵家の子息を『駄犬』呼ばわりだ。ここには当の侯爵家のメイドもいるが、そんな暴言を耳にしても、彼女たちに全く反発する様子はない。それどころか、それが当然だとでもいうようなムードをただよわせている者すらいる。
 シアンの話だと、その『駄犬』がヴァレンティナの夫になるということなのに。

「きちんとしつけ直しておく、とのお言葉もいただいています。だから貴女あなたは、安心してその日にそなえていればいいわ」

 にっこりと、ただし何やら黒いものをにじませながら笑う姉を前にして、ヴァレンティナにできるのは素直にうなずくことだけだった。



   第二章 いきなり新婚生活っぽいです


 ヴァレンティナとイヴァンの婚儀は、『あの夜』から二か月後におこなわれた。婚約すらしていなかったのを考えると、脅威のスピードである。
 これは、万が一にも『あの時』に子供ができていたら……という可能性に基づいての日程だ。幸いにもヴァレンティナは懐妊していなかったが、そうでなかった場合、二か月なら、『早産でした』でごまかせるぎりぎりのラインということらしい。
 もっとも、そんな内情を知っているのはノチェンティーニ家の面々と、ヴァレンティナ、シアンのみだ。父親には『初めて出た夜会でイヴァンに見初みそめられ、一刻も早く結婚したいという彼の希望のため』と告げてある。
 強姦されてその責任をとってもらった結果などと、わざわざ教える必要はないというシアンの主張が通ってのことだ。
 また、跡取りである弟がまだ幼く、王都で奉職している父が不在の間の領地運営をヴァレンティナがになっていた事情もあり、彼女が王都のイヴァンにとつぐのではなく、彼のほうが妻のいるアルカンジェリ伯爵領にくるという、少々変わった形の結婚となる。
 つまり、ヴァレンティナはノチェンティーニの姓を名乗ることになるが、実質的にはイヴァンが婿入りした状態になるのだ。新居もアルカンジェリ邸の使われていなかった別棟に定められた。
 結婚式は、アルカンジェリ領の伯爵家の大広間で、花嫁花婿双方の家族の他はごく親しい知人のみを招き、おごそかにおこなわれる。ちなみにだが、ヴァレンティナたちの住まうこの国(ダーイットという名で、専制君主国家だ)では、あまり宗教の影響が濃くなく、人前式が普通だった。
 元はといえば息子の不始末が原因ということで、ノチェンティーニ侯爵夫妻もわざわざ辺境まで足を運んでくれる。式の最中に夫人が嬉し涙を流す場面もあったが、とどこおりなく式とその後のささやかな祝宴は済み、新居での夫婦の時間となった。


     ◆


 ――ものは言いようよね。使われてなかったっていうより、老朽化しすぎて使えなかったっていうのがホントなんだけど……
 二人の新居と定められた別棟だが、つい先日までは壁一面にツタが絡み、雨漏りはするし、そのおかげで床のあちこちが腐り落ちるしで、扉や窓もガタガタの、ホラーゲームの舞台にできそうな様子だった。
 それを突貫で補修工事をした結果、新築同然の輝きを取り戻したのだから驚きだ。
 勿論もちろん、財政難でここを放置せざるを得なかったアルカンジェリ伯爵家にそんな費用が捻出できるはずもなく、イヴァンの当座の家賃という名目でノチェンティーニ侯爵家がすべてを負担していた。
 外観だけでなく内装も一新され、華美ではないが上質で落ち着いた調度品が運び込まれている。
 その中でも最も入念に整えられたのは、夫婦の寝室――これから新婚夫婦が使うことになる部屋だ。それを見回すヴァレンティナは、正直、開いた口がふさがらなかった。

「……お金持ちってすごい。流石さすがは侯爵家だわ」

 普段は貴族の令嬢として恥ずかしくない振る舞いを心掛けているヴァレンティナだが、前世の影響もあり、独り言になると言葉遣いが砕けがちになる。なるべくしないように気をつけてはいるものの、何せ今夜は夫婦としての初の夜だ。
 頭のてっぺんからつま先までこれでもかというほどに磨き上げられ、夫から――というか、これもノチェンティーニ家からのプレゼントである、レースをふんだんに使った夜着に身を包み、今、まさにその夫を待っていた。
 初夜の慣習として、花婿は花嫁より少し遅れて寝室にやってくる。
 たった一人この部屋で待機せざるを得ないヴァレンティナとしては、独り言でもつぶやいていなければ平常心がもちそうにない。

「そんな侯爵家のご子息で、王都騎士団の中隊長。おまけに超モテまくりの恋多き男って……どう考えても、こんな田舎いなかの貧乏伯爵家の娘と結婚する人じゃないよね。しかも私は、何か特技があるわけでもない十人並みの器量なわけだし……」

 最初は名前さえ知らなかった新郎の情報を、この二か月の間にヴァレンティナもそれなりに得ていた。
 年は三十一歳。うわさによれば幼い頃から優秀で、行く行くは次男と共に長兄を補佐し、ノチェンティーニ侯爵家を盛り立てていくであろうと将来を嘱望しょくぼうされていたそうだ。身分を考えれば近衛このえ騎士団にも入れたはずなのに、現在、王都騎士団に所属しているのは、王宮で飾り物になっているより現場に出たいという本人の希望で、わざわざ平民もいる王都騎士団を選んだからだという話だった。
 また、それと同時に恋多き男としても有名で、浮き名を流した相手は数知れない。もっともその対象はあとくされのない未亡人や仮面夫婦で夫も好き勝手している妻のような相手ばかり。嫁入り前の娘に手を出すことは決してなかった。そのえある(?)初の相手がヴァレンティナ、ということらしい。
 浮き名云々うんぬんはさておいて、とにかく彼は自分と色々と違いすぎる。

「どう考えてもあんまり明るい未来は……ないわよねぇ」

 そんな相手と円満な夫婦生活を送れるかどうか……は火を見るよりも明らかだ。

「女性の扱いには慣れてるだろうから、私相手でも色々とうまいことを言ってくるかもしれないけど、信じちゃダメ。浮気されて当たり前だと思ってなきゃね」

 新婚初夜の花嫁の独白としてはあり得ない内容だ。
 しかし、前世は仕事に没頭するあまり縁に恵まれず三十歳を超えて『喪女もじょ』の称号を獲得し、今世でも一方的な婚約破棄というったヴァレンティナに、今更、結婚への夢などない。
 現時点でのうそいつわりのない心情の吐露とろだった。

「最初から期待してなければ、失望することもない。責任をとって結婚してくれただけでもありがたいと考えれば……うん、何とかなるでしょ、きっと」

 身もふたもない言葉を発し内心の暗澹あんたんたる気持ちをため息と共に吐き出すと、それなりに覚悟も決まる。
 そのタイミングをはからったように、部屋のドアをノックする音が響いた。

「は、はいっ――どうぞ」

 若干ひきつった声で応じてすぐに、扉が開く。
 入ってきたのは――当然のことながら、つい先ほど、ヴァレンティナの夫となったイヴァンその人だ。

「待たせて申し訳ない。うちの母がなかなか離してくれなくて……放蕩ほうとう息子が身を固めたことがよほどうれしかったようだ」

 スラリとした長身で、体つきに比べてやや頭が小さく見えるのは、彼の肩幅が広く胸板も厚いせいだ。騎士団に属していたそうだが、それもあってしっかりと鍛えてあるようだ。
 そして、その顔というのが、キラキラしい金髪にエメラルドグリーンの瞳。すっきりと伸びた鼻梁びりょうは高すぎも低すぎもせず、その下にある唇も神が造形したのでは? と思うくらいに形よい。
 ヴァレンティナの前世の世界で繁華街を歩いていたら、スカウトマンが黒山の人だかりになるだろう。
 その美しい顔に、すまなそうな表情を浮かべながら謝罪され、ヴァレンティナの心拍数が一気に上がった。
 ――な、何度見ても、見慣れない。まばゆすぎるっ……何なのよ、このイケメンはっ!
『あの』出来事の後すぐに領地に戻っていたヴァレンティナと、王都であれこれと身辺整理にいそしんでいたイヴァンとは、これまで顔を合わせる機会がなかった。一応、婚約者同士ということで手紙のやり取りはしていたが、実際に再会したのは今日――つまりは結婚式当日である。
 美人は三日で見飽きるというが、イヴァンの顔は前世を含めて、これまでヴァレンティナがお目にかかったことのないレベルだ。見飽きるどころか、この美貌に慣れる日が来るとは到底思えない。
 彼女は結婚式の折も、隣に立つその顔をそっとうかがい見てはあまりのうるわしさに放心しそうになっていた。
 そもそも、お互いが顔を合わせた時間は、合計してもまだ丸一日分にもならないのだ。『てれび』や『えいが』に出ていた俳優も裸足はだしで逃げ出すほどの美形を前に、平常心でいろと言われても、ヴァレンティナには無理だとしか思えない。

「い、いえっ。お気遣いなく……?」

 何とか無難な返事をしぼりだした――と、ヴァレンティナは思ったのだが、それを聞いたイヴァンが苦笑いを浮かべる。

「夫婦になったのだからもっと気楽に接してほしい――そうお願いするのは無理かな?」
「はいっ?」

 ちょっと何を言っているのかわかりません――いや、特に難しいことは言われていないのだが、色々いっぱいいっぱいなヴァレンティナは、思わずそんな思いを顔に出してしまっていた。

「……まぁ、無理か。とりあえず座らないか? 二人して立ったままで会話というのもおかしいだろう?」
「は? ……え? あの……は、い」

 一人で待っている間にうろうろと室内を歩き回っていたヴァレンティナは、ついそのままイヴァンを迎え入れていた。
 こういう場合、もしや先にベッドに入っているべきだったのかと青くなる。流石さすがにそこまでは誰も教えてくれなかった。

「とりあえず、こちらへ――俺はこっちに座ろうか」

 そうして誘われたのは、夫婦用の広くて大きな寝台からは少し離れたところに置かれた応接セットだ。先にヴァレンティナを座らせ、イヴァンはテーブルをはさんだ反対側に腰かける。
 またしても真正面から向かい合う形になるが、間にテーブルという障害物があるだけ、ヴァレンティナに精神的な余裕ができた。
 もしやそこまで考えて? いや、まさか……と思っていたヴァレンティナだが、イヴァンの次の台詞せりふでそれが正解だとわかる。

「これで少しは気が楽になったかな? できればワインでもあれば――ああ、そこか。少し待ってて」

 部屋の隅の小卓に赤ワインの入ったデキャンタとグラスがあるのを目ざとく見つけ、イヴァンはそれらを手に戻ってきた。ヴァレンティナが「自分が……」と言い出す暇もない早業で、中身をグラスに注いですすめてくる仕草も全く押しつけがましくない。

「とりあえず飲まないか? お互い、少しリラックスする必要がありそうだ――もし苦手なら、少し口を湿しめらすだけで構わない」

 そう言うとイヴァンは率先してグラスに口をつける。それに釣られるようにして、ヴァレンティナもほんの少量を口に含むと、イヴァンがほっとしたように小さくつぶやいた。

「……ありがとう」
「え?」

 まさかこの場面で礼を言われるとは思わなかった。ヴァレンティナがうっかり正面から彼の顔を見ると、そこには少しばかり照れ臭そうな笑顔がある。
 ――目がっ! 目がつぶれそうっ。
 ヴァレンティナがイヴァンの笑顔を見るのは、実はこれが初めてだ。苦笑は先ほど見たが、本物の笑顔は攻撃力が激上がりだった。
 動揺のあまりグラスを取り落としそうになり、すんでのところで握り直してことなきを得る。が、胸の動悸どうきは治まらず、更にもう一口二口とワインを口に運んで、やっと幾分かの落ち着きを取り戻す。
 酒に強くないヴァレンティナは、その程度でも早くも酔いが回り始めた。先ほどイヴァンが言ったようにリラックスする効果は確かにあったようだ。

「あの……何故なぜ、そんなことをおっしゃるのですか?」
「そんなこと? ああ、今の礼かな?」
「ええ」

 新婚初夜の夫婦としてはぎこちないことはなはだしい会話だが、何しろほとんど初対面のようなものなので仕方がない。 

「俺の注いだワインに口をつけてくれたこと、にかな」
「そんなことで……?」
「そんなことも何も。俺としては、すんなり部屋に入れてくれただけでもありがたかった。その上に、だ。当たり前だな」
「……よくわかりませんわ」

 夫婦になったのだから、同じ部屋で寝るのが自然だ。それを拒むのは、この結婚自体を拒否しているのと同じである。
 ヴァレンティナは普通とは言いがたい理由でイヴァンと夫婦となったわけだが、本当に嫌ならば断っても構わないとシアンからは言われていた。そうしなかったのはヴァレンティナの判断なのだから、当然、その後に起こるとについても納得――というか覚悟して受け入れている。

「わからない、か……なるほど、貴女あなたの姉上があれほど心配されるわけだ」
「姉? シアン姉さまのことですか?」
「ああ。あれほどの女性にはめったにお目にかかれない――あの時も、とても恐ろしかったよ。無論、非はすべて俺にある。言われて当然だったが、流石さすがにこたえた」

 一体、姉はイヴァンに何を言ったのだろう……? 非常に気になるが、さしあたってはそれよりも先に話さねばならないことがある。
 初夜というものは、有無を言わさずベッドになだれ込むものだと思っていたのに、イヴァンはまずは会話をしたい様子だ。
 先ほどのワインがいい仕事をしてくれていて、最初に比べてヴァレンティナもリラックスできている。若干ふわふわとした感覚が目の前の超絶美形の威光を減じてくれているらしく、声を出すのもかなり楽になっていた。
 この機会を逃す手はない。

「では……まずは、イヴァンさま、とお呼びしても構いませんか?」
勿論もちろん。というか、さまはいらない。ただ、イヴァンと呼んでもらえると嬉しいな」

 にっこりと微笑ほほえまれ、また鼓動が跳ね上がるが、そこは大きく息を吸うことで平静を保つ。

「夫となる方を呼び捨てにはできませんわ。それよりも、おびしなければならないことがございます」
び? 貴女あなたが?」
「どうぞ、ヴァレンティナとお呼びください――お礼と、おびと申し上げるべきでしょうか。ノチェンティーニ侯爵家の力をもってすれば、あのこと自体をなかったことにできたでしょうに、責任をとってくださると伺い、とてもありがたく思いました。ですが、そのせいで私のようなものと結婚をせざるを得なくなったこと、誠に申し訳なく思っております」

 何度も頭の中でリハーサルをした甲斐かいがあり、今のところ、すらすらと言葉が出てきてくれる。

「本来ならば、私のほうから辞退すべきだったのでしょうが、父の喜びようを目にしてそれもできず、イヴァンさまにご迷惑をおかけすることになってしまいました。言葉でびて済むことでもございませんが、どうかお許しください。そして――どうか、私のことなど気にせず、イヴァンさまはお心のままにお振る舞いください」

 要するに『責任感だけで結婚してくれて感謝しています。自分の身のほどはわきまえていますので、既婚者になったからといって女遊びを我慢することはないのですよ』ということだ。
 これは、この結婚が決まって以来、ヴァレンティナが考え抜いた内容だった。
 初夜のとこの前で言うことではないかもしれないが、こういうことは最初が肝心。早めに言っておいたほうがいい。
 そう考え、実際に行動に移したヴァレンティナだったのだが――最初は彼女が何を言い出すのかと興味深げだったイヴァンが、話が進むにつれて難しい顔つきになっていく。そして、ヴァレンティナが話し終えると、何故なぜか深いため息をついた。

「あの……イヴァンさま?」

 この提案を喜ばれるものとばかり思っていたヴァレンティナは、予想が外れて困惑する。
 しかし、言いたいことは言ってしまった後だ。これ以上、何をどう……と困っていると、イヴァンがもう一度ため息をついた後、口を開いた。

「警戒されているだろうとは思っていたが、何度も手紙のやり取りをして、少しは俺のことをわかってもらえただろうと安心していた。自分の不明を恥じるばかりだ」
「イヴァンさま、あの……?」
「引き継ぎに時間をとられて、ここに来るのが遅くなったのが原因か……いや、今更言っても仕方ない」

 喜ぶどころか落ち込んでいるように見え、ヴァレンティナの困惑が深くなる。しかし、そんな彼女の様子には構わず、唐突にイヴァンが立ち上がった。
 一体何をするつもりなのかと見守っていると、ぐるりとテーブルを回ってヴァレンティナの側まで来る。そしていきなりかたわらにひざまずいた。

「イ、イヴァンさま……何を……?」

 先ほどからの彼の反応は、ヴァレンティナの予想を裏切ってばかりだ。彼女はこの行動にどう反応すればいいのか、わからない。

「改めて自己紹介をさせていただきます。私はイヴァン・デル・ノチェンティーニ。先ほど、貴女あなたの夫となった者です」

 うやうやしくヴァレンティナの手を取り、まるで初対面の挨拶あいさつのように名乗られる。

「は? ……え?」
「私はこれより、貴女あなたの夫として、貴女あなたを守りいつくしんでいくことを、我が名と命にかけて誓います」

 その言葉は、先ほどの式の時にも聞いたし、ヴァレンティナ自身も、同じ意味の文言を口にした。
 それを今ここで繰り返すことに一体どういう意味があるのだろうか。 

「……といっても、今の貴女あなたにはたわ言としか思えないだろう。これ以上はないというほど、それは理解した。流石さすがはあの姉君の妹だけはある――ここから挽回するのは至難のわざだろうが、俺にも意地があるし、そうだな……ヴァレンティナ?」

 まさかシアンも先ほどの自分とほぼ同じことを言っていたとは知らないヴァレンティナは、突然のイヴァンの行動に目を白黒させるばかりだ。そんな彼女の名をイヴァンがさわやかに呼んでくる。

「は、はいっ!?」
「夫婦になったのに、この呼び方は少し堅苦しい。愛称で呼びたいと思うんだが、確か皆からは『ティナ』と呼ばれているそうだね?」
「は、はい。そうですが……」
「他と同じ呼び方しかできないのは、夫としての沽券こけんにかかわる。ヴァレンティナ……ヴィア……いや、ヴィーと呼んでも?」
「……は? へ?」

 何がどう沽券こけんにかかわるのか。思わず貴族の令嬢にはふさわしくない声が漏れてしまうが、新しい愛称を、何故なぜかうれし気に何度も繰り返すイヴァンに、ヴァレンティナはそれ以上は何も言えなくなった。そして――

「今は口で何を言ってもヴィーには響かないだろう。だったら、行動で示していくしかない。さしあたっては、即物的で申し訳ないが……」
「え? ……きゃっ!?」

 イヴァンはひざまずいた状態から立ち上がるのと同時に、座っていたヴァレンティナの体を椅子から抱き上げる。

「イヴァンさまっ! な、何を……っ?」
「とりあえず、新婚の夫婦がやるべきことをしたいと思う。勿論もちろん、ヴィーが嫌なら隣で寝るだけにする」

 至近距離から微笑ほほえみと共に問いかけられ、まだ免疫のできていないヴァレンティナの顔が真っ赤になる。しかもその内容が内容だ。隣に寝るだけという彼女にとっては魅力的な提案にうっかりうなずいてしまいそうになるが、それでは何のために覚悟を決めていたのかわからない。
 しかし、流石さすがに口に出して答えるのはハードルが高く、たくましい胸に顔をうずめるようにしながら小さく首を縦に振る。ありがたいことにそれでイヴァンには通じたようだ。

「わかった。できるだけ優しくする」

 そう告げられて、それだけでむくわれた気持ちになったのは、それが本当にうれしそうな声だったからだろう。


     ◆


 ヴァレンティナを抱き上げたまま部屋を横切ったイヴァンは、丁寧な手つきで彼女をベッドの上におろした。その後、部屋を明るく照らし出していた燭台しょくだいのいくつかを吹き消すと、室内はほどよい薄闇に包まれる。
 その様子を横たえられた状態で見守っていたヴァレンティナだったが、いざ彼が自分の上におおいかぶさってくると『あの夜』のことが唐突に思い出され、思わず身を固くした。

「楽にして……といっても無理かな」
「ご、ごめんなさい……」
「いや、当然だ――今なら、まだ止められるが?」
「い、いえ……どうか、このまま……」

 今はそれでよくても、いつまでも避けてばかりではいられないのだ。だったらさっさと済ませてしまったほうがいい。
 そんなヴァレンティナの心中を知ってか知らずか――イヴァンは、またしても小さな苦笑を漏らし、ゆっくりと口づけてきた。

「っ!」

 柔らかく温かな唇の感触を覚え、ヴァレンティナの体が小さくねる。ぎゅっと目を閉じ、無意識にきつく引き結んだそこに、何度も、ただ触れるだけの口づけが繰り返された。
 時折、舌先でツンツンとノックするように唇を刺激されるのは、口を開けろということだろう。
 ヴァレンティナの豊富(?)な知識ととぼしい実践経験の両方がそれを教えてくるものの、がちがちに緊張している今は難しい。
 一方、イヴァンはといえば、自分の誘いに一向に乗ってこないヴァレンティナにやや戸惑とまどっている様子だ。彼が今まで相手にしてきた女性ならば、打てば響くように応じてきたのだろうが、これがほぼ初体験のヴァレンティナに、それを求められてもはっきり言って無理だ。
 かたくなに唇を閉じ小さく震えながら必死で耐えているヴァレンティナの様子に、イヴァンもそれをようやく察したらしい。

「……すまない、そうだな。ろくに知りもしない相手といきなりは……」

 一旦口づけを止めて、自嘲じちょうするみたいにつぶやく。

「ご、ごめんなさい……」
「いや、これは俺が悪い。申し訳なかった」

 一言、謝罪した後、安心させるようにヴァレンティナのひたいに口づけを落とす。

「無理にこたえようとしなくていい。ただ、俺を受け入れてくれ」

 改めてイヴァンはそう告げると、着衣の上から彼女の胸の片方のふくらみをてのひらで包み込んだ。
 初めて――厳密にいえば二度目だが――のその感触に、びくりとヴァレンティナの体に震えが走る。そしてイヴァンの手が緩やかな円を描くようにして刺激を与え始めると、彼女の口から小さな吐息が漏れた。

「んっ……」

 さほど強い刺激を与えられたわけではない。胸を包み込んでいる手はほとんど添えられているだけで、動く速度もひどくゆっくりだ。まるで、イヴァンはヴァレンティナに自分に触れられることを慣れさせようとしている――いや、おそらくはその通りなのだろう。


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