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1巻
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「んっ、あっ……やっ……ん、ああっ!」
「いい声だ……もっと、聞きたくなる」
「ひっ!? やっ、そんな、とこ……ろ……っ!?」
暗闇に閉ざされた室内に、男女の甘い声が響き渡った。
窓にかかるカーテンの隙間からは、同じ邸内で開催されている夜会の光と、そこに集う人々のさんざめく声がかすかに伝わってくる。
本来は、ここにいる男女二人もその参加者なのだが、中庭を隔てた向こうはまるで別世界のことのようだった。
――どうして私が、こんなことになってるのっ!?
辺境の貧乏伯爵家の令嬢であるヴァレンティナ・ディ・アルカンジェリは現在、パニックになっていた。ここまでの経緯を思い出そうにも、記憶にぼんやりとした霞がかかっているようで、詳細が思い出せない。
ほんの少し前まで美しく着付けられていたはずのドレスは、今はくしゃくしゃの布の塊となってベッドの下にうち捨てられている。その下に着用していたはずのコルセットもあっさりと脱がされ、同じ運命をたどった。
――どうしよう、あのドレス……つくったばかりなのにっ。
現在進行形で貞操の危機なのだが、余りにも自分の日常とかけ離れていて、どこか他人事のようだ。自分の身の安全よりも新調したドレスを心配するという明後日な思考はそのせいなのだが、相手は目ざとくその気配に気づいたらしい。
「……何を考えているのかは知らないが、この後のことを心配しても、手遅れだ――俺も覚悟を決めた」
こんな状況でなければうっとりと聞きほれてしまいそうな美声は、彼女に覆いかぶさっている男性のものである。名前は――知らない。
というか、顔すらよくわからない。ここに連れ込まれる前に見たはずなのだが、諸事情によりろくに注意を払っていなかった。そして今も薄暗い室内とお互いの体勢により、綺麗な金髪であることはわかるのだが、彼についてヴァレンティナが知りえる情報はそれだけだ。
それはともかく、ヴァレンティナに言葉をかけた後、どこかためらいがちだった男性の動きが何かを吹っ切ったような積極的なものに変化した。
「え? あっ!?」
彼女はドレスをはぎ取られる。それだけでも嫁入り前の貴族令嬢には一大事なのに、男は彼女の顔や髪に口づけを落とす。更にむき出しの肌に指先で軽く触れる程度であったものが、男の欲望を隠さない動きに変わった。
チュッと音を立てて口づけられたのは、胸の膨らみの先端だ。恐怖と緊張で何もされずとも硬く立ち上がっていたソコに柔らかな唇が触れ、ヴァレンティナの口から甘い悲鳴が漏れた。
「きゃっ! ……やんっ!」
性的に未熟な生娘が、こんな状況で快感など感じられるはずがない。けれど、彼女の体に心地よい戦慄が走ったのは事実だ。
だが、自分のそんな反応に驚く暇はヴァレンティナには与えられなかった。
彼女の反応に気をよくしたのか、男性の動きに更に熱がこもる。
普段はドレスの下に隠されて決して日の目を見ることのない白い素肌に掌を滑らせ、時折、手指を使って絶妙な刺激を与えた。その度に彼女の体にさざ波のような快感が湧き上がってくるのだ。
そこには、同意なしに肌に触れられた嫌悪や生理的苦痛は一切ない。それどころか『もっと触って』と言いたくなるほどの麻薬にも似た衝動のおまけつきだ。
――何よこれ? これって、絶対におかしいっ。
頭の片隅でそう思いはするものの、相変わらず意識に薄いヴェールがかかったままだ。体の芯には原因不明の重い熱がたまり、それをどうにかしないことには、まともに思考できない。
そんなヴァレンティナの状況にはお構いなしに、目の前――上にいる男性が混乱に拍車をかけてくる。
「……かわいい声だ。もっと聞かせてくれ」
冗談じゃない! と声を荒らげようにも、口をついて出るのは吐息か短く甘い悲鳴だけだ。
気がつけば、口づけられていた胸の先端に男性の指が添えられていた。彼が二本の指の腹をすり合わせるようにして刺激を与えてくる。
彼のもう片方の手は腰から臀部に移動中である。嫁入りまでは決して誰にも触れさせてはならない場所に到達するのも時間の問題だろう。
流石にヴァレンティナは固く両足を閉じて抵抗を示したが、上手く力の入らない体に戸惑っている間にあっさりと膝を割られ、ソコへの侵入を許してしまう。
「ひっ!」
最も秘められた部分に他人の指が触れたことにより、喉の奥から恐怖と混乱の悲鳴が上がる。
「……すまない、初めてだったか」
彼女の反応で、男性もそれを悟ったようだ。
「許してくれ――止められないんだ。できるだけ、苦痛がないようにする」
しかし、残念なことに行為を止める気はないらしい。
ただ、決して荒くも乱暴でもなかった動きに更に繊細さと注意深さが加わったのは、ヴァレンティナの勘違いではないだろう。
彼は壊れ物に触れるように最上級に優しく、ゆっくりと彼女の体を開いていく。
身分どころか、顔も名前も知らない相手なのにヴァレンティナの体が反応しているのは、彼女の身に起きている異変のためだ。体が火照り、刺激に敏感になっている。
加えて不思議としか言いようがないのだが、心情的にも完全に拒否できない。それは、何処からどう見ても無体を働いている男性が、数少ない発言から彼自身、決してそれを心から望んでいるわけではないとわかるせいかもしれなかった。
それでも、秘められた花弁をかき分け、その奥にある狭く細い道の入り口に指先が侵入してきた時は、反射的に膝で蹴り上げそうになる。けれどそれすらもあっさりと躱されてしまった。
こうなれば、もう成り行きに任せるしかない
つぷん……と、ヴァレンティナの自覚以上に潤いをたたえた場所に、浅く指先が埋まる。
痛みはないが、ねばついた水音が自分のソコから上がったことに戸惑いと恐怖を覚えたヴァレンティナは体を小さく震わせた。
「大丈夫、ごく普通の女性の反応だ――それも、かなり魅力的な」
彼女の気持ちを敏感に察知したらしい男性は、安心させるように優しく微笑んだ。もっとも残念なことに部屋が暗すぎて、ヴァレンティナにはその気配だけしか伝わらなかったが。
しかし、こんな風に相手を気遣うことができるあたり、この男性はかなりの場数を踏んでいると思われる。
それが何故、ヴァレンティナのようなぱっとしない令嬢に手を出してきたのか?
彼の欲望――隠そうとして隠し切れない熱のこもった呼気と、それ以上にはっきりとした肉体的現象がヴァレンティナにもしっかりと確認できている。
何せ、裸で抱き合っているのだ、知りたくなくてもわかってしまう。それでも、まずはヴァレンティナを優先してくれることが非常にありがたいのも確かだ。
「どうしても痛みはあると思うが……本当に、すまない。この責任は必ずとる」
どう責任をとるのかは知らないが、それよりもこの行為を止めるほうが簡単だろうに……そう思いはしても、実際にここで止められたら、おそらくはヴァレンティナもかなりつらいことになるだろう。
自分の体が自分のものではないようなこの反応は一体何処から来ているのか? ろくに回らない頭でいくら考えても答えは出ず、その間に男性の行動は更にその先に進んでしまう。
「く、ぅ……んっ、やっ!」
浅く埋め込まれただけだった指先が、ゆっくりと動き始めた。潤沢とまでは言えないが、潤いをたたえたソコを、そっと撫でられる。
男性は粘り気のある液を指の腹で掬い取り、少し上にある花芽にそっと塗りたくった。ヴァレンティナの体が小さく撥ねる。
快感よりも驚きが強かったからかもしれないが、これまで感じたことのない強い刺激に混乱している間に、男の行為は進んでいく。
硬く立ち上がった花芽をコリコリと刺激しつつ、秘密の隧道に忍ばせた指でゆっくりとソコをほぐしていった。
小さめではあるが形は悪くない胸に片手を添え、左右の膨らみを交互に揉みしだき、或いは先端の蕾を刺激する。指で強く押しつぶしたかと思うと、軽く爪の先ではじき、痛みを感じない程度にきつく摘まみ上げられ――
「んっ、あっ……やっ……ん、ああっ!」
「いい声だ……もっと、聞きたくなる」
「ひっ!? やっ、そんな、とこ……ろ……っ!?」
複数の箇所を同時に刺激され、そこから湧き上がる快感にヴァレンティナが翻弄されている隙に、いつの間にか胎内に侵入する指の数が増えた。二本目がいつ増やされたのか、考えてみても一向にわからない。
くちゅり、にちゃり……という粘液質の水音はいつから聞こえていたのだろう?
そしてどうやら、すっかりと準備が整ったのを感じ取ったのか、男性がようやくその体勢を変えた。
「……え? あ、なに……っ!?」
大きく膝を割り広げ、その間に逞しい体が陣取る。
膝立ちの体勢のため正確な身長はわからないが、男性はかなりの長身だ。
室内には一切の明かりがなく暗闇のまま。けれどその時、わずかに開いたカーテンの隙間から夜会の明かりがその姿を照らし出す。そこで初めて、ヴァレンティナは己に無体を働いている男の顔をしっかりと確認することができた。
――え? 何、このイケメンっ?
今までヴァレンティナがお目にかかったすべての男性たちと比べても、ずば抜けて整った顔立ちをしている。はっきり言って、レベルが違った。今まで『かっこいいな』とか思っていた自分の家の騎士が、普通……いや、彼と比べればどんな男でも普通以下になってしまうだろう。
光をはじく金の髪に、綺麗に整えられた眉。瞳の色まではわからないが切れ長の目に、すっと通った高すぎも低すぎもしない鼻筋と、やはり造形美の極みともいえる唇。
先ほど初めて遭遇した時にも見たはずなのに、どうして印象に残らなかったのか、本気で不思議なくらいのイケメンである。
――だったら、余計になんで!? 絶対、モテるでしょ! 相手に不自由してないでしょ!? なのに、なんで私っ?
家柄も大したことがないどころか貧乏にあえいでいる辺境の伯爵家の、ごくごく普通の容姿の自分を無理やり……するほど目の前の男性が相手に困っているとは到底、思えない。
どうしてと考えている間にも、男性の体がわずかに前に進む。彼女の体の中央にぴったりとナニかが押し当てられた。
「少しだけ……我慢、してくれ……っ」
押し殺した少しかすれた美声から、これまで彼が大変な我慢をしていたであろうことが察せられる。本来なら、有無を言わさずここまで進めたかったのだろうに、自分のことは後回しにして、できるだけヴァレンティナの負担が少ないように努力してくれていた。
それでヴァレンティナの災難が帳消しになるわけでもないが、その気持ちは素直にありがたいと思う――相手がこれほどのイケメンだったから、というのもほんの少しあるかもしれないが、適齢期になっても婚約者がいない自分だ。家の事情や自分自身のスペックを考えれば、頑張ってくれている家族には悪いが、この先も縁談が来るとは思えない。
だとしたら、一生に一度くらい経験するのも悪くないのかも――前向きなのか後ろ向きなのか、判断に苦しむところだが、どのみち、この状況ではもう選択肢は一つしかない。
覚悟を決め、目を閉じ、体の力を抜く。
そんなヴァレンティナに、彼はもう一度、短い謝罪の言葉を告げた後で、一気に体を進めた。
「っ! い、いた……痛いっ!」
これが俗に言う『破瓜の痛み』というものなのか――などと、どこか他人事の感想がちらりと頭の片隅をよぎる。しかしそれもすぐに激しい痛みにかき消された。
先ほどまでわずかに感じていた快感など、その痛みであっという間にどこかに行ってしまう。
あまりの激痛に、のしかかってくる逞しい体を必死で押しのけようとするが、非力なヴァレンティナがいくら抵抗しようとも彼にとっては何ほどでもないようだ。
その間にも『異物』はヴァレンティナの内部へ侵入を続け、程なくすべて収まった。
「い、いた……いっ」
痛みのあまりにヴァレンティナがぽろぽろと涙をこぼすと、温かく湿ったものが眦に押し付けられる。
どうやら涙を舐めとられたらしい。けれど痛みに耐えるのがやっとな状態では、目を開けて確認することは難しかった。
「すま、ない……っ」
再度の謝罪も聞こえてきたが、そんなものはこの状態では何の意味もない。
直後に、激しい抽挿が始まり――その後はもう、ヴァレンティナは何かを考えるなどできないほどの混乱の嵐に巻き込まれたのだった。
◆
――そんな出来事があった数時間後。
「本当に申し訳ないことをいたしました。この責任は必ずとらせていただきます」
王都にあるノチェンティーニ侯爵家の邸内。私的な来客の応接用の、この家の基準ではこぢんまりとした部屋に比較的若い男女と彼らよりは年上に見える男女の計四人が集まっていた。
年若いほうの女性に向かってキラキラしいイケメンが、土下座せんばかりの勢いで謝罪している。
彼はこの侯爵家の三男であり、王都騎士団に身を置くイヴァン・デル・ノチェンティーニだ。
そしてその謝罪を受けているのは、昨夜の彼の被害者――ヴァレンティナの姉のシアンであった。
被害者本人が不在なのは、事が事だけに同席がはばかられたためである。
昨夜、ヴァレンティナは意識を失った後、遅まきながら正気を取り戻したイヴァンにより、客間の一つに運ばれた。今頃は目覚めて、この屋敷に仕える心配りの行き届いたメイドらに甲斐甲斐しく世話を焼かれているはずだ。
「責任、とおっしゃいますが、どうなさるおつもりですの?」
平々凡々な自分とは違い(とヴァレンティナは思っている)彼女の姉は、幼い頃から美女の誉れも高く、聡明で、そして気が強い。
「無論、世間知らずな妹から目を離した私も悪かったのかもしれません。ですが、まさかノチェンティーニ侯爵家主催の夜会に、このような不埒者が紛れ込んでいようなど、普通は思いません。しかもそれが、この家のご子息であるなんて……」
「本当に申し訳ない」
「私からもお詫びいたしますわ、シアン……不肖の息子が、本当に申し訳ないことをしました」
「侯爵閣下、それにミランダ夫人――お二方よりのお言葉、ありがたく頂戴いたします。ですが、とっくに成人を迎えていらっしゃるご子息の不始末を、お二方が詫びる必要はございませんわ。私が思いますに、今回の責はすべて、ご子息にあられます」
侯爵夫妻の言葉に柔らかな笑みで答えた後、シアンはがらりと表情と、ついでに声音も変えて冷たく言い切る。
「嫁入り前の娘にとって、今回のことがどれほど大変なことか……まさか、自分は男だからわからないなんて世迷言はおっしゃらないでしょうね?」
伯爵令嬢であったシアンが嫁いだのは子爵家だ。
貴族には珍しい恋愛結婚で婚家はかなり裕福なのだが、貴族としては下位に属する。
だが、このノチェンティーニ侯爵夫人はあまり身分の上下にこだわらない人柄で、とある夜会で知り合ったシアンを気に入り、以来親しくしている。とはいえ、それはあくまでも夫人に限定した話だ。夫である侯爵やその子息は、子爵家の者がこんな風にずけずけとした発言をしたら腹を立てるはず。
しかし――
「そう言ってくれるのはありがたいが、やはり当主としての責任がある」
「姉君のお言葉は、誠にもってその通りです。本当に、本当にっ。申し訳ないことをいたしました」
侯爵はともかく、イヴァンは両親の手前あからさまな怒りは見せなくとも少しはむっとするのでは……というシアンの予想は綺麗に外れた。
気分を害す様子を見せるどころか、あくまでも真摯。一言たりとも見苦しい言い訳を口にすることなく、本心からとわかる反省の弁に、急カーブを描いていたシアンの眉が、わずかに下がる。
「謝罪は先ほどいただきましたわ。それで……? 責任をとるとか聞こえた気がいたしましたが、どうなさるおつもりですの?」
それでも、この程度で許す気のないシアンが、侯爵に気を遣いつつも加害者に舌鋒鋭く問いかけると――ある意味、予想通りの答えが戻ってきた。
「ご令嬢と結婚させていただきたく存じます」
きっぱりと言い切るイヴァンの目に、迷いの色はない。
本当に覚悟を決めているのがわかる。
もっともそこで素直に頷くわけにはいかない。可愛い妹のこの先がかかっているのだから。
「無理やり純潔を奪っておいて、結婚してやるからそれで勘弁しろ。責任はとったのだから、後はまた自分勝手に好き放題する――という意味かしら? 申し訳ありませんが、貴方のお噂は私も存じておりますの。侯爵閣下と夫人の前でこのようなことを申し上げるのは気が引けますが……もしこれが普通の縁談でしたら、絶対にお断りする案件ですのよ?」
シアンがそう言うのには訳がある。
ノチェンティーニ侯爵家の三男といえば、王都の社交界では結構な有名人だ。色男、遊び人、女たらしと、その呼び名は様々だが、その身分、見た目、更には女性に対する愛想のよさから、未婚既婚を問わず、貴婦人方からの人気が非常に高い。
本人もそれを十分自覚しているようで、艶聞には事欠かなかった。
遊びの相手としては最適と言えても、政略が絡む案件でもない限りは、夫としては不適格この上ない。
だが――
「確かに、自分のこれまでの行動がお世辞にも褒められたものでないことは自覚しております。今回の件も申し開きの仕様がありません。ですが、このような出来事がその発端だとしても、身を固めるからには心を入れ替え、今後は妻一人を守り、慈しむつもりです。この言葉に偽りあらば、どのような罰でもお受けいたします」
正面からシアンの目を見てよどみなく告げられた言葉に、とりあえず嘘偽りは感じられなかった。
流石は女性の扱いを心得ている――とは、少々意地の悪すぎる見方かもしれない。とはいえ、ここで妙な言い訳を並べ立てるよりは、はるかに好感が持てるのは確かだ。
それに、どのみちこうなってしまったからには、結婚が一番穏便な解決方法であることは、この場にいる全員がわかっている。
純潔を失ってしまった貴族の令嬢の行く末として他に考えられるのは、一生家で飼い殺しにされるか、修道院に送られるか、或いはほとぼりが冷めた頃にどこぞの後妻に収まるか――どの場合でも本人の希望やつり合いは一切考慮されないであろう。
それに比べれば、彼の言葉に賭けてみる価値はある。
「そのお言葉、信じさせていただきましょう……後々、この判断を私が悔いることのないように祈ります」
シアンはちくりと釘をさしておくのを忘れない。
「私の名と名誉に誓って――」
イヴァンが恭しく一礼する姿は、こんな時だというのにシアンすら惚れ惚れするほどに美事だった。
これが、普通の縁談であれば、どれほどうれしいことだったか……
今を時めくノチェンティーニ家との縁談。
辺境の伯爵家にはすぎた話で、それによる弊害も考えられるが、本心からヴァレンティナに恋焦がれての求婚ならば……自分はきっと、もろ手を挙げて賛成したに違いない。
そんな思いを淑女の仮面の下に押し隠して、シアンは重々しく頷いた。
こうして――ほぼ空気だった侯爵夫妻は勿論、この場に不在のヴァレンティナの父親はおろか、当事者であるヴァレンティナ本人の意向すらさしおいて。
イヴァンとシアンの間で、婚約をすっ飛ばしての結婚が決定したのだった。
第一章 いきなり結婚相手が決まりました
「おめでとう、ヴァレンティナ。貴女の結婚が決まったわ」
あんなことがあった翌日――つまりは今日のことである。『話し合い』のために貸してもらったノチェンティーニ侯爵家の一室で、開口一番、姉からそう告げられた。
躾けの行き届いた侯爵家のメイドに薫り高い紅茶をサーブされ、おずおずと口に運んでいたヴァレンティナは、危うくそれを噴き出しそうになる。
「……ごめんなさい、お姉さま。お話に全くついていけません」
それはそうだろう。昨夜、自分の身に起こったことがまだ消化できていない上に、ろくに――というか、全く説明もされないままの姉の発言である。
――もしかして、私、まだ寝ぼけているのかしら……?
ヴァレンティナは思わずそんなことを考え、今朝、自分が目覚めてからのことを思い返した。
ヴァレンティナが目を覚ましたのは朝というには些か遅い時間。場所は、おそらく昨夜とは別の室内だった。おそらくというのは、昨夜は暗すぎて部屋の調度品など見えなかったし、それらを確認する余裕もなかったせいだ。
目覚めた時ベッドにいたのは自分一人で、そこに『眠る』以外の用途に使用されたと思える痕跡はない。一瞬、あれは全部夢だったのかと思いそうになるが、体のあちこちに残る鈍痛がそれを否定した。
そしてヴァレンティナの頭にまず浮かんだのは、己の身に起きた悲劇を嘆くことではなく、どうやってこっそりとここから出ていくか、である。
嫁入り前の娘が、どこの誰とも知らない相手に純潔を奪われた。しかもそれが、このノチェンティーニ家の屋敷内で行われたとなれば、侯爵家にも何らかの迷惑をかける。昨夜の夜会に招いてもらうために骨を折ってくれた姉に合わせる顔がない。
冷静になって考えれば、自分が眠っているうちに部屋を移された時点で、既に侯爵家にはバレている。常のヴァレンティナであればすぐに気がつくことなのだが――やはり、相当に動揺していたのだろう。
「……お嬢さま、お目覚めでいらっしゃいますか?」
「え? あ……は、はいっ」
扉の向こうから問いかけられた声に、とっさに寝たふりをすることも思いつかず、ヴァレンティナは素直に返事をしてしまう。その直後に、しまった……と思ったが、後の祭りだ。
「失礼いたします」
丁寧なお辞儀と共にそう告げて入ってきたのは、数人のメイドだった。
彼女らは、下着の残骸だけを身にまとい身を竦ませているヴァレンティナをベッドから連れ出し、まずは浴室に連れていってその身を清めさせた。
夜会用に髪を結い上げたまま、あれやこれやの行為があったおかげで、髪の毛もものすごいことになっていたが、それも手際よく処理してくれる。
浴室から出た後は薄化粧を施され、ヴァレンティナには見覚えのない新しいドレスを着せかけ、軽い食事をとるようにすすめられた。
この間、メイドたちが無駄口を叩くことはなく、あからさまに情事の痕跡を残しているヴァレンティナの体を見ても、眉一つ動かさない。だが、だからといって無機質な扱いをすることはなく、そこはかとなくヴァレンティナを労ってくれる。流石は侯爵家に仕える者、といったところだろう。
そして、ヴァレンティナの様子が一応の落ち着きを見せたところで、待機していた姉との対面となったという次第だ。
もっとも当然のことながら、メイドたちは何の説明もせず、姉自身の第一声が結婚だったわけで――ヴァレンティナが混乱するのは無理もなかった。
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