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宰相襲来
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『せせらぎの間』を辞して、自分に与えられた一室へと戻ってきたフレイだったが、なぜか先客がいた。
「おかえりなさいませ、灘公殿下。灘妃様のご様子はいかがでございましたか?」
扉を開けた途端に、室内にいた男性が声をかけてくる。
「……え? は?」
予想外の出来事に、フレイの動きが止まる。
が、止まっていたのは体の動きだけで、思考の方はさすがに一瞬の停滞はあったものの、すさまじい速さで現状の把握に努めている。最前線ともいえる場所の職業騎士なのだから、これは当然のことである。
――何故、人がいる? 案内してくれた奴は、何も言っていなかったぞ。ということは、知らされていなかったのか、或いは口止めされていたという可能性もある。だが、何のために……? 殺気は感じられない。ここは神殿の中だしな。というか、この男、どこかで見た覚えが……
「っ!? さ、宰相閣下っ!」
記憶と、目の前にいる男の容貌が一致するや否や、反射的に直立不動の姿勢をとる。
騎士への叙勲の折に一度目にしただけだが、アンジール国宰相フラマディール・ラウラ・リュディアス本人に間違いない。
何故? とか、どうして? とかいう疑問は一旦棚上げして、自分の態度に非礼がなかったかどうかを反芻する。といっても、与えられた部屋に入ってきただけなので、それを責められても困るところなのだが。
「いやいや、殿下。私奴にそのような態度は不要でございます。急ぎ、殿下にお伝えせねばならぬことがありまして、参上仕りました。ご不在の折にお邪魔してしまいましたこと、お詫び申し上げます」
慇懃に詫びてくる宰相は、白髪交じりの髪に口ひげを蓄えた老紳士といった外見だ。たしか現王よりも十いくつか年上だと聞いている。先王の時代から重用され、現王が即位するにあたり宰相位についた。
アンジールの首脳部についての少ない知識の中から、今必要な情報を思い出す。
二代にわたって国を動かす地位にいるのだから無能なはずもないが、アンジールと国境を接する国々からは国王以上の警戒を抱かれていると聞いた覚えもある。
そんな相手が、なぜ今、ここに? と、そこまで考えたことで思い当たる。
新たな灘公(つまり自分だ)を見定めに来た――そんなところだろう。
態度も口調も丁寧でありはするが、本当に自分(灘公)に敬意をはらっているのなら、留守中の部屋にずかずかと入り込むような真似はしない。
ただ、王国の宰相といえば多忙を極める。それが単に様子見だけで来るとも思えないので、自分に用があるというのも本当だろうが。
「いえ、こちらこそ、突然のことで驚いてしまい、失礼いたしました。北方軍にて上級騎士の位をいただいておりますフレイ・ザナルでございます」
「これはご丁寧に。私は、王国宰相リュディアスでございます。が、殿下は私のことをすでにご存じであったようですな」
「はい。騎士の位をいただきました折、遠くより拝見いたしました」
「おお、そうでありましたか」
堅苦しい礼は必要ない、とは言われたものの、素直に従えるものでもない。というよりも、そうしたが最後、この宰相閣下が自分に対してどのような評価を下すか、考えるのも恐ろしい。
そもそもの話、騎士への叙勲という一生に一度の機会でもなければ、その顔を知ることができなかったくらいに、フレイと宰相を取り巻く環境は違っている。いや、違っていた、というべきか。それなのに、突然、二人きりで――驚いたことに、宰相は護衛すら引き連れていなかった――向かい合う羽目になったのだから、これでうろたえない方がおかしい。
――それにしても、なんで宰相殿が? 嫌な予感しかしないんだが……。
しかし、そうは思いつつも、追い返す等という選択肢はない。
少しの間、他愛のない、つまりは無害な会話を交わした後、いよいよ、といった風に宰相が切り出した。
「ところで、殿下。先ほど申し上げましたように、殿下にいくつかお伝えせねばならぬことがございまして、まかり越しましたが……よろしければ、腰を下ろす許可をいただけますかな? この年になりますと、立ちっぱなしというのがつらくなってくるのですよ。それに、お互い、座った方がゆっくりと話もできましょう」
「これは、失礼をいたしました。どうぞ、おかけになられてください」
じっくり腰を据えて話す必要があることなのか、と。半ばうんざりしながらも、顔に出すわけにもいかず、慌てて部屋にあったソファーへと誘う。その際に、上座を勧めてしまい、慇懃に断られたりもしたのであるが、それはさておき。
「さて、遅ればせながら、お祝いを述べさせていただきます。選定の儀にて灘妃様が殿下のお手をおとりになられたこと、真に祝着至極」
「ありがとうございます。私のどこが灘妃様のお心に叶ったのか、いくら考えても一向にわかりませんが、お選びいただいたからには、全身全霊をこめてお仕えする所存です」
「いやいや、ご謙遜を。灘妃様は、我々が見逃していた殿下の美点を見ぬかれた。それに気が付かなかった我らの不見識を恥じるばかりでございます」
「いえ、私はこの通りのただの武骨な騎士です。それ以上でも、それ以下でもございません。ただ、この後は、灘妃様のお心に沿えるよう精進したいと思っております」
要するに――
『何でお前が選ばれたかわからん。こんなののどこがよかったんだ?』
『こっちもわからんが、もう選ばれてるんだから仕方ないだろう』
……という、軽いジャブの応酬といったところか。
フレイも元貴族(というか、今も一応そうなのだが)なので、これくらいなら何とかなる。若干、腹立たしいのは、そんなフレイの受け答えに、宰相が「ほう?」とでも言いたげな表情をしたことだろうか。
どれだけ脳筋と思われていたんだ、俺は……。とは、フレイの心の声である。
しかしこの場合、『脳筋』と思われたままの方がよかったのかもしれない。
何故ならば、ここまでの一連のやり取りにより、どうやら宰相は、フレイに『そこそこ頭が回る』という評価を下してしまったからだ。
「殿下のご見識、真に天晴と存じます。ところで、殿下。殿下は、この後、灘公としてのお披露目を行い、民を導くお立場になられますが、その灘公についてどこまでご存じでしょう?」
……聞きようによっては、まだお前は正式な灘公ではない、と言われているともとれる言葉である。だとしたらわざとらしく『殿下』などと呼ばないでほしいと思うフレイだが、それを持ち出してものらりくらりと躱される未来しか予想できないので断念する。
「灘公につきましては、恥ずかしながら御伽噺に出てくる程度のことしか存じません――百年に一度、灘よりお越しになられた灘妃のお心に叶ったものが、一代限りで与えられる称号、と」
「成程。御伽噺でございましたら、確かにそれだけでよろしゅうございましょう。ですが、実際に……となりますと、色々と面倒なことが付いてまいるものでございます。詳しいことは、この後、実務を担当するものがご説明申し上げますが、お心構えをしていただくためにも、先に私から大まかなことをお伝えしておきたいのです」
「お心遣い、ありがたく存じます」
「いえ、本来でありましたら、これは選定の儀の前にお伝えせねばならなかったことでございます。ですが、担当の者がうっかりしていたのでございましょう。殿下へのご説明ができていないと聞いたときには、卒倒しそうになりましたぞ」
嘘である。人数合わせで呼びつけられただけなのだから、説明する必要がないと判断したのだろう。しかし、今更それを指摘したところで、誰も幸せになれないので、フレイもそっとしておくことにする。
「誰にでも過ちはございます。どうぞ、寛大なご処置をお願いいたします」
「そうおっしゃっていただけたこと、その者も感謝いたしますでしょう」
本当にそういうものがいたかどうかも不明であるが、一応はそう言っておく。宰相が不手際を認め、こちらもそれを許した、という事実が重要なのだ。
「さて、灘公についてでございますが、基本的には殿下がご存知の通りでございますが、もう少し詳しく申し上げさせていただきます。まず、灘公は『大公』であらせられます。わが国では、女王陛下の御代にその王配殿下か、灘公のみが大公位に就かれます。どちらも一代限りの称号でございまして、殿下ご夫妻にお子様がお出来になられました場合は、一つ下がりまして公爵家を興していただくことになります。それと……王配殿下の場合もご同様なのでございますが、灘公におかれましては基本的には国の政には携わられないことになっております」
なるほど、これが言いたかったのか、と心の中で独り言ちる。
ちなみに説明しておくが、王配というのは女王の夫ということだ。王に対する王妃と同じ扱いであり、アンジールでは王の配偶者といえども政治的な権限は与えられない。
「無論、これは『基本的には』でございます。幾人かおいでになられた王配殿下の中には、女王陛下を補佐された方もいらっしゃいますし、灘公も、もともとがそのような役目を担っていた者を灘妃様がお選びになられたこともございまして、その場合は引き続き政務を担当していらっしゃいました」
「宰相閣下のおっしゃられたこと、理解いたしました。こう申し上げては何ですが、安堵しました。剣をふるうことしか能のない私です。いきなり国政の中心に据えられても何もできないのは明白でございますので、そのような重責を担う必要がないというのは、ありがたいことと存じます」
「いやいや、ご謙遜を。私こそ、こう申し上げては不敬になるやもしれませんが、これまでの短い時間ではございますが、殿下のご見識が想像よりもはるかに高いこと、感服仕りました。今はともかく、後には陛下、或いは次期陛下の良き相談役になられる可能性もあられるかと」
「陛下の周りには、今でも十分に有能な方々が集っておいででしょう。王太子殿下におかれましても、同様かと存じます。私の出番などないものと心得ております」
褒められているようだが、それは違う。後々、野心が芽生えても与えられるのは、実際の権限のない相談役がせいぜいだといっているのだ。そして、それに対するフレイの返事は、要約すれば『そんなことはこちらから御免被る』。この宰相一人を相手にするだけで、疲労困憊になるのだ。だれが好き好んで、それと同等な魑魅魍魎が跋扈する場所に足を踏み入れたいと思うのか……。
そして、そのフレイの思いは、正しく(本音も含めて)宰相に伝わったようである。
にっこりと笑うその顔に、自分が彼の思い通りの答えを返したのだと悟るが、だからと言って他に返事のしようがない。
しがない騎士風情でしかない自分が、海千山千の宰相と対等に渡り合えるはずもない、と。半ばあきらめの境地になるフレイであった。
「まぁ、先のことを今、どうこう申し上げても仕方ありませんな。それに、お伝えすべきことはまだまだございます。まずは大公家を興されるにあたり、そのご領地でございますが、これは王家の直轄地から分割されることが決まっております。殿下は北方軍に所属されておられましたので、なじみ深い場所の方が宜しかろうと思いまして――」
まだ半日も経っていないのに、既に決定事項であることにフレイは驚いたが、これはあらかじめいくつかの候補が挙げられてていたからだ。そして、宰相が口にしたのは、コンヴァルというフレイがいた砦に近い場所の名。はっきり言って田舎である。それに、フレイの実家である伯爵家の領地とは、王都を挟んでほぼ正反対の位置だったりする。
そして、それが意味するところにも、フレイは薄々だが気が付いた。
彼の実家に対しては、息子が灘公になったからには、と妙な野心を抱いた場合でも、連絡を取りにくくするため。また、これはかなり先の話になるのだが、フレイの子供の世代になったときにも、下手に力をつけすぎないようにするため――そんなところだろう。
そんなことまでしなくとも、自分には大それた野心などないのだが……と思っても口に出せないのがつらいところだ。
「ご領地の予定の場所には、現在は王家より代官が派遣されておりますが、一度現地をご視察いただいた後に、大公家の方と交代していただかねばなりません。それと、当面は離宮の一つをお使いいただく予定ですが、後々はご自身の屋敷をお持ちいただかねばなりません。それに伴い、護衛や使用人も多数必要になってまいります。通常はご自身の家臣団などを用いられるものですが……」
「そのようなものは持っておりません」
何度も言うが、フレイは騎士だ。一応、身の回りの世話をしてくれる従卒はいるが、家臣とは少々異なる。
「で、ございましょうな。いや――失礼いたしました。でしたら、当面は、ご実家より人を呼び寄せられるのが早道かと存じますが」
「恥ずかしながら、実家とはあまり昵懇とはいいがたい状態です。それに余分な人材などもいないと思います」
「ならば、一から作り上げることになりますな。国からも推挙させていただきますが、殿下ご自身にもお集めいただければ幸いです。殿下には、灘妃様に先駆けまして離宮にお入りいただくことになりますが、お側近くに仕えるのは、やはり気心の知れた者がよろしゅうございましょう。それと、灘妃様のお身の回りのお世話に神殿より人が遣わされる予定でございますので、そのこともお含みおきくださいませ」
「承りました」
コラールについては、神殿に任せておけばよいらしい。だが、その他の者についてはフレイに一任されているのは変わらない。
「更に、殿下ご夫妻には、その生涯にわたり、国より一定の予算が割り振られてございます。お屋敷は先の話としても、お衣装も、大公の位にふさわしいものを急ぎ作らねばなりませんので、勝手ながらその費用もそこから出させていただきます――経理はきちんとお知らせいたしますが、殿下もお忙しいことですし、大公家として金銭の管理をする者をお選びいただくのがまずは急務かと存じます」
「そちらも了承いたしました」
やらねばならないことが山積みすぎて、気が遠くなりそうである。
「ああ、それから――」
まだ、何かあるのか、と。げんなりしていたフレイであるが、次の宰相の言葉で思わず顔が青ざめる。
「年はとりたくないものでございますな。肝心なことを申し上げるのを忘れておりました――殿下と灘妃様のご婚儀でございますが、半年後の寒の雨の初日と相決まりましてございます。お住まいは仕方がございませんが、少なくとも御家来衆に関しましては、それまでにお決めいただければ幸いでございます」
「……わかりました……」
期限が切られてしまった。しかも、たった半年だ。思わず素の口調になってしまうほどには衝撃的な事実である。
「それでは、私はこれにて失礼いたします。この後、王宮に戻りまして、陛下へご報告申し上げるのですが、何かお言伝等ございましたら承りますが?」
「……不肖の身にあまる栄誉をお授けいただけることになり、恐縮の限りです。灘妃様へも勿論ですが、陛下にはこの後一生の忠誠と、菲才の身に可能な限りの献身をさせていただく所存、と」
「そのお言葉、確かにお伝えいたします。では……」
そう言って宰相が出て行ったあと、ぐったりとソファーに沈み込んでしまう。が、すぐにまた扉をたたく音が聞こえ、出たところ――。
「お疲れのところを申し訳ありません。教皇猊下より、本日の夕食を共にさせていただきたいと言付かっております」
「光栄です。ぜひ、ご一緒させていただきたく存じます」
今日という日は、まだまだ終わりそうにない。
たった半日前は、ごく普通の騎士だったはずなのに……。
深い深いため息をつくフレイであった。
「おかえりなさいませ、灘公殿下。灘妃様のご様子はいかがでございましたか?」
扉を開けた途端に、室内にいた男性が声をかけてくる。
「……え? は?」
予想外の出来事に、フレイの動きが止まる。
が、止まっていたのは体の動きだけで、思考の方はさすがに一瞬の停滞はあったものの、すさまじい速さで現状の把握に努めている。最前線ともいえる場所の職業騎士なのだから、これは当然のことである。
――何故、人がいる? 案内してくれた奴は、何も言っていなかったぞ。ということは、知らされていなかったのか、或いは口止めされていたという可能性もある。だが、何のために……? 殺気は感じられない。ここは神殿の中だしな。というか、この男、どこかで見た覚えが……
「っ!? さ、宰相閣下っ!」
記憶と、目の前にいる男の容貌が一致するや否や、反射的に直立不動の姿勢をとる。
騎士への叙勲の折に一度目にしただけだが、アンジール国宰相フラマディール・ラウラ・リュディアス本人に間違いない。
何故? とか、どうして? とかいう疑問は一旦棚上げして、自分の態度に非礼がなかったかどうかを反芻する。といっても、与えられた部屋に入ってきただけなので、それを責められても困るところなのだが。
「いやいや、殿下。私奴にそのような態度は不要でございます。急ぎ、殿下にお伝えせねばならぬことがありまして、参上仕りました。ご不在の折にお邪魔してしまいましたこと、お詫び申し上げます」
慇懃に詫びてくる宰相は、白髪交じりの髪に口ひげを蓄えた老紳士といった外見だ。たしか現王よりも十いくつか年上だと聞いている。先王の時代から重用され、現王が即位するにあたり宰相位についた。
アンジールの首脳部についての少ない知識の中から、今必要な情報を思い出す。
二代にわたって国を動かす地位にいるのだから無能なはずもないが、アンジールと国境を接する国々からは国王以上の警戒を抱かれていると聞いた覚えもある。
そんな相手が、なぜ今、ここに? と、そこまで考えたことで思い当たる。
新たな灘公(つまり自分だ)を見定めに来た――そんなところだろう。
態度も口調も丁寧でありはするが、本当に自分(灘公)に敬意をはらっているのなら、留守中の部屋にずかずかと入り込むような真似はしない。
ただ、王国の宰相といえば多忙を極める。それが単に様子見だけで来るとも思えないので、自分に用があるというのも本当だろうが。
「いえ、こちらこそ、突然のことで驚いてしまい、失礼いたしました。北方軍にて上級騎士の位をいただいておりますフレイ・ザナルでございます」
「これはご丁寧に。私は、王国宰相リュディアスでございます。が、殿下は私のことをすでにご存じであったようですな」
「はい。騎士の位をいただきました折、遠くより拝見いたしました」
「おお、そうでありましたか」
堅苦しい礼は必要ない、とは言われたものの、素直に従えるものでもない。というよりも、そうしたが最後、この宰相閣下が自分に対してどのような評価を下すか、考えるのも恐ろしい。
そもそもの話、騎士への叙勲という一生に一度の機会でもなければ、その顔を知ることができなかったくらいに、フレイと宰相を取り巻く環境は違っている。いや、違っていた、というべきか。それなのに、突然、二人きりで――驚いたことに、宰相は護衛すら引き連れていなかった――向かい合う羽目になったのだから、これでうろたえない方がおかしい。
――それにしても、なんで宰相殿が? 嫌な予感しかしないんだが……。
しかし、そうは思いつつも、追い返す等という選択肢はない。
少しの間、他愛のない、つまりは無害な会話を交わした後、いよいよ、といった風に宰相が切り出した。
「ところで、殿下。先ほど申し上げましたように、殿下にいくつかお伝えせねばならぬことがございまして、まかり越しましたが……よろしければ、腰を下ろす許可をいただけますかな? この年になりますと、立ちっぱなしというのがつらくなってくるのですよ。それに、お互い、座った方がゆっくりと話もできましょう」
「これは、失礼をいたしました。どうぞ、おかけになられてください」
じっくり腰を据えて話す必要があることなのか、と。半ばうんざりしながらも、顔に出すわけにもいかず、慌てて部屋にあったソファーへと誘う。その際に、上座を勧めてしまい、慇懃に断られたりもしたのであるが、それはさておき。
「さて、遅ればせながら、お祝いを述べさせていただきます。選定の儀にて灘妃様が殿下のお手をおとりになられたこと、真に祝着至極」
「ありがとうございます。私のどこが灘妃様のお心に叶ったのか、いくら考えても一向にわかりませんが、お選びいただいたからには、全身全霊をこめてお仕えする所存です」
「いやいや、ご謙遜を。灘妃様は、我々が見逃していた殿下の美点を見ぬかれた。それに気が付かなかった我らの不見識を恥じるばかりでございます」
「いえ、私はこの通りのただの武骨な騎士です。それ以上でも、それ以下でもございません。ただ、この後は、灘妃様のお心に沿えるよう精進したいと思っております」
要するに――
『何でお前が選ばれたかわからん。こんなののどこがよかったんだ?』
『こっちもわからんが、もう選ばれてるんだから仕方ないだろう』
……という、軽いジャブの応酬といったところか。
フレイも元貴族(というか、今も一応そうなのだが)なので、これくらいなら何とかなる。若干、腹立たしいのは、そんなフレイの受け答えに、宰相が「ほう?」とでも言いたげな表情をしたことだろうか。
どれだけ脳筋と思われていたんだ、俺は……。とは、フレイの心の声である。
しかしこの場合、『脳筋』と思われたままの方がよかったのかもしれない。
何故ならば、ここまでの一連のやり取りにより、どうやら宰相は、フレイに『そこそこ頭が回る』という評価を下してしまったからだ。
「殿下のご見識、真に天晴と存じます。ところで、殿下。殿下は、この後、灘公としてのお披露目を行い、民を導くお立場になられますが、その灘公についてどこまでご存じでしょう?」
……聞きようによっては、まだお前は正式な灘公ではない、と言われているともとれる言葉である。だとしたらわざとらしく『殿下』などと呼ばないでほしいと思うフレイだが、それを持ち出してものらりくらりと躱される未来しか予想できないので断念する。
「灘公につきましては、恥ずかしながら御伽噺に出てくる程度のことしか存じません――百年に一度、灘よりお越しになられた灘妃のお心に叶ったものが、一代限りで与えられる称号、と」
「成程。御伽噺でございましたら、確かにそれだけでよろしゅうございましょう。ですが、実際に……となりますと、色々と面倒なことが付いてまいるものでございます。詳しいことは、この後、実務を担当するものがご説明申し上げますが、お心構えをしていただくためにも、先に私から大まかなことをお伝えしておきたいのです」
「お心遣い、ありがたく存じます」
「いえ、本来でありましたら、これは選定の儀の前にお伝えせねばならなかったことでございます。ですが、担当の者がうっかりしていたのでございましょう。殿下へのご説明ができていないと聞いたときには、卒倒しそうになりましたぞ」
嘘である。人数合わせで呼びつけられただけなのだから、説明する必要がないと判断したのだろう。しかし、今更それを指摘したところで、誰も幸せになれないので、フレイもそっとしておくことにする。
「誰にでも過ちはございます。どうぞ、寛大なご処置をお願いいたします」
「そうおっしゃっていただけたこと、その者も感謝いたしますでしょう」
本当にそういうものがいたかどうかも不明であるが、一応はそう言っておく。宰相が不手際を認め、こちらもそれを許した、という事実が重要なのだ。
「さて、灘公についてでございますが、基本的には殿下がご存知の通りでございますが、もう少し詳しく申し上げさせていただきます。まず、灘公は『大公』であらせられます。わが国では、女王陛下の御代にその王配殿下か、灘公のみが大公位に就かれます。どちらも一代限りの称号でございまして、殿下ご夫妻にお子様がお出来になられました場合は、一つ下がりまして公爵家を興していただくことになります。それと……王配殿下の場合もご同様なのでございますが、灘公におかれましては基本的には国の政には携わられないことになっております」
なるほど、これが言いたかったのか、と心の中で独り言ちる。
ちなみに説明しておくが、王配というのは女王の夫ということだ。王に対する王妃と同じ扱いであり、アンジールでは王の配偶者といえども政治的な権限は与えられない。
「無論、これは『基本的には』でございます。幾人かおいでになられた王配殿下の中には、女王陛下を補佐された方もいらっしゃいますし、灘公も、もともとがそのような役目を担っていた者を灘妃様がお選びになられたこともございまして、その場合は引き続き政務を担当していらっしゃいました」
「宰相閣下のおっしゃられたこと、理解いたしました。こう申し上げては何ですが、安堵しました。剣をふるうことしか能のない私です。いきなり国政の中心に据えられても何もできないのは明白でございますので、そのような重責を担う必要がないというのは、ありがたいことと存じます」
「いやいや、ご謙遜を。私こそ、こう申し上げては不敬になるやもしれませんが、これまでの短い時間ではございますが、殿下のご見識が想像よりもはるかに高いこと、感服仕りました。今はともかく、後には陛下、或いは次期陛下の良き相談役になられる可能性もあられるかと」
「陛下の周りには、今でも十分に有能な方々が集っておいででしょう。王太子殿下におかれましても、同様かと存じます。私の出番などないものと心得ております」
褒められているようだが、それは違う。後々、野心が芽生えても与えられるのは、実際の権限のない相談役がせいぜいだといっているのだ。そして、それに対するフレイの返事は、要約すれば『そんなことはこちらから御免被る』。この宰相一人を相手にするだけで、疲労困憊になるのだ。だれが好き好んで、それと同等な魑魅魍魎が跋扈する場所に足を踏み入れたいと思うのか……。
そして、そのフレイの思いは、正しく(本音も含めて)宰相に伝わったようである。
にっこりと笑うその顔に、自分が彼の思い通りの答えを返したのだと悟るが、だからと言って他に返事のしようがない。
しがない騎士風情でしかない自分が、海千山千の宰相と対等に渡り合えるはずもない、と。半ばあきらめの境地になるフレイであった。
「まぁ、先のことを今、どうこう申し上げても仕方ありませんな。それに、お伝えすべきことはまだまだございます。まずは大公家を興されるにあたり、そのご領地でございますが、これは王家の直轄地から分割されることが決まっております。殿下は北方軍に所属されておられましたので、なじみ深い場所の方が宜しかろうと思いまして――」
まだ半日も経っていないのに、既に決定事項であることにフレイは驚いたが、これはあらかじめいくつかの候補が挙げられてていたからだ。そして、宰相が口にしたのは、コンヴァルというフレイがいた砦に近い場所の名。はっきり言って田舎である。それに、フレイの実家である伯爵家の領地とは、王都を挟んでほぼ正反対の位置だったりする。
そして、それが意味するところにも、フレイは薄々だが気が付いた。
彼の実家に対しては、息子が灘公になったからには、と妙な野心を抱いた場合でも、連絡を取りにくくするため。また、これはかなり先の話になるのだが、フレイの子供の世代になったときにも、下手に力をつけすぎないようにするため――そんなところだろう。
そんなことまでしなくとも、自分には大それた野心などないのだが……と思っても口に出せないのがつらいところだ。
「ご領地の予定の場所には、現在は王家より代官が派遣されておりますが、一度現地をご視察いただいた後に、大公家の方と交代していただかねばなりません。それと、当面は離宮の一つをお使いいただく予定ですが、後々はご自身の屋敷をお持ちいただかねばなりません。それに伴い、護衛や使用人も多数必要になってまいります。通常はご自身の家臣団などを用いられるものですが……」
「そのようなものは持っておりません」
何度も言うが、フレイは騎士だ。一応、身の回りの世話をしてくれる従卒はいるが、家臣とは少々異なる。
「で、ございましょうな。いや――失礼いたしました。でしたら、当面は、ご実家より人を呼び寄せられるのが早道かと存じますが」
「恥ずかしながら、実家とはあまり昵懇とはいいがたい状態です。それに余分な人材などもいないと思います」
「ならば、一から作り上げることになりますな。国からも推挙させていただきますが、殿下ご自身にもお集めいただければ幸いです。殿下には、灘妃様に先駆けまして離宮にお入りいただくことになりますが、お側近くに仕えるのは、やはり気心の知れた者がよろしゅうございましょう。それと、灘妃様のお身の回りのお世話に神殿より人が遣わされる予定でございますので、そのこともお含みおきくださいませ」
「承りました」
コラールについては、神殿に任せておけばよいらしい。だが、その他の者についてはフレイに一任されているのは変わらない。
「更に、殿下ご夫妻には、その生涯にわたり、国より一定の予算が割り振られてございます。お屋敷は先の話としても、お衣装も、大公の位にふさわしいものを急ぎ作らねばなりませんので、勝手ながらその費用もそこから出させていただきます――経理はきちんとお知らせいたしますが、殿下もお忙しいことですし、大公家として金銭の管理をする者をお選びいただくのがまずは急務かと存じます」
「そちらも了承いたしました」
やらねばならないことが山積みすぎて、気が遠くなりそうである。
「ああ、それから――」
まだ、何かあるのか、と。げんなりしていたフレイであるが、次の宰相の言葉で思わず顔が青ざめる。
「年はとりたくないものでございますな。肝心なことを申し上げるのを忘れておりました――殿下と灘妃様のご婚儀でございますが、半年後の寒の雨の初日と相決まりましてございます。お住まいは仕方がございませんが、少なくとも御家来衆に関しましては、それまでにお決めいただければ幸いでございます」
「……わかりました……」
期限が切られてしまった。しかも、たった半年だ。思わず素の口調になってしまうほどには衝撃的な事実である。
「それでは、私はこれにて失礼いたします。この後、王宮に戻りまして、陛下へご報告申し上げるのですが、何かお言伝等ございましたら承りますが?」
「……不肖の身にあまる栄誉をお授けいただけることになり、恐縮の限りです。灘妃様へも勿論ですが、陛下にはこの後一生の忠誠と、菲才の身に可能な限りの献身をさせていただく所存、と」
「そのお言葉、確かにお伝えいたします。では……」
そう言って宰相が出て行ったあと、ぐったりとソファーに沈み込んでしまう。が、すぐにまた扉をたたく音が聞こえ、出たところ――。
「お疲れのところを申し訳ありません。教皇猊下より、本日の夕食を共にさせていただきたいと言付かっております」
「光栄です。ぜひ、ご一緒させていただきたく存じます」
今日という日は、まだまだ終わりそうにない。
たった半日前は、ごく普通の騎士だったはずなのに……。
深い深いため息をつくフレイであった。
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