竜宮城からお嫁に来ました

砂城

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珊瑚の林に遊ぶ真珠色の波

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「灘を統べられる大いなる媛神よりの神託があった。そなたが此度の灘妃として、陸へと向かうように」

 父である王からそう告げられた時に、彼女が最初に感じたのはまぎれもない歓喜であった。海の奥つ城。海中に住まうものたちからは『竜宮』と呼ばれる場所でのことである。

「勅命、謹んでお受けいたします」

 つつましやかに答えつつも、答えた声がわずかに弾んでいたのに、父王はきっちり気が付いたようだ。威厳のある態度は崩さないものの、『やれやれ』といった感情が頭の両脇に生えているヒレの動きで分かる。

「うむ。輿入れは今より一年の後となる。それまでに、できうる限りの陸の知識を得て、灘人の名を辱めることのなきように」
「重ねて承りました。全身全霊を以て、ご期待に沿えるよう努力いたします」
「その言やよし。励むのだぞ――はぁ……」
「……父様、最後のため息で色々台無しでございます」

 海の王は媛神(陸では『灘の女神』と呼ばれている)の最高神官も兼ねる。政教両面での文字通りの最高権力者であるのだが、その分、苦労も多い。そして、その日頃の苦労の一端であるのが――まちがえてはいけない、神託が下りる前から、のことである――今、目の前にいる彼の娘であった。

「十二姫、『珊瑚の林に遊ぶ真珠色の波』よ。誰のせいだと思っておる。媛神も一体何をお考えやら……よりによって、そなたを選ばれるとは」
「まぁっ、そのお言葉は心外でございます。わが父、『灘にあまねく深蒼の大波』様。わたくしほど、陸に向かうにふさわしい者はおりませんでしょう?」
「子らの中でも特に賢く麗しいのは兎も角、灘におりながら陸に興味津々で、目を離せばすぐにふらりと姿をくらますほどに無駄に度胸と行動力がある、という意味では、確かにな……」

 思わず遠い目になる海王である。海王家は代々子だくさんで、現王も合計二十名の父であるのだが、その中でも抜きんでているのがこの姫なのである――色々な意味で。

「しかし、わかっておるだろうが、一度陸に上がれば、二度と灘に戻ってくることはできぬ。母とも兄姉たちとも金輪際会えぬ。その覚悟があるのだろうな?」
「……はい。勿論、悲しゅうございますし、寂しゅうございます。ですが、わたくしはこれまで皆々様に慈しみ、可愛がっていただきました。その思い出は、陸の者となりましても変わりなく、わたくしの心に刻まれておりましょう」

 ですので、後悔なぞいたしません。
 そう言い切れるのは、まだ前しか見えない若さゆえか、と。父王は再び、深いため息をつく。
 だが、兎にも角にも、神託があった以上、これは決定事項である。

「そなたが陸に嫁ぐまでの一年。諸々のことに励むのは無論であるが、残り少ない時を父や母、そなたの兄姉らとできる限り共に過ごそうぞ」
「はい。父様」
「うむ。では、下がってよい」
「失礼いたしまする」

 一礼をして、しずしずと引き下がり、王の御前を辞した後。
 背後で謁見室の巨大な扉が閉まったのを確認した途端、十二姫は喜びを爆発させた。

「やったわっ、陸よっ。陸に行けるのよっ」

 興奮のあまりに思い切り尾びれを打ち振ってしまったものだから、かなり高さがある通路ではあるのだが、その天井近くまで浮かび上がってしまい、危うく頭を打ちそうになる。
 慌てて身をひねり、半回転してひれにちかい部分を天井に着いた後、ついでとばかりにそこを蹴り飛ばして、更にものすごい勢いで通路を泳ぎまくる。

「姫さま……まだこちらは御前に近うございます。お喜びになられるお気持ちはわかりますが、もう少しお抑えくださいませ」

 その様子を、父王以上に深いため息をつきつつ、幼い頃から彼女の身の回りの世話をしていた侍女がたしなめる。

「でも、『宵闇にそよぐ小さな海蛍』っ! 灘妃に選んでいただけたのよっ。大手を振って陸に行けるのよ!」
「存じ上げておりまする。海王陛下のお言葉は、神力によりまして灘に住まうものたちすべてに伝えられておりますれば」
「え? そうなの? って、まさか……?」
「お言葉は姫様がご神託により灘妃に選ばれ遊ばしたことのみでございますれば、ご安心くださいませ」
「そうなの? ならよかった」

 下手なことは言っていないつもりだが、全国中継されていたなら話は別だ。一応、生まれた時から『姫君』業をやっている身としては、国の民へ与える印象というものが大事なのは骨の髄まで理解している。しかも、今回はその国(海)を代表して、陸へと向かうことになったのである。
『こんなものを陸に送りだしては、灘の恥』などと思われるのはまずい。
 神託で選ばれたのであるから、他の者にとって代わられる心配はないが、その分、これから一年の間の『陸のお勉強』がやたらと厳しくなるのは間違いない。

「どのみち、生半なものではございませんよ。代々の灘妃の方々も、それはそれは苦労をして身につけられたと伺っておりまする」
「……わたくしは何も言ってはいなくてよ?」
「おっしゃられなけば姫様の御心の内を読めないようでは、側仕えは務まりませぬ」 

 幼いころは遊び相手、長じては筆頭侍女となった相手である。両親や兄姉以上に近くにいて、自分のことを何から何まで知っているのだから、どうにも分が悪い。

「お側に侍ることができますのも、あと一年、ということでございますね……」
「今は、それを言わないで――お前と別れなければならないのは、陸に行ける喜びを半減……ううん、それ以下にするわ」
「姫様……ですが、行きたくない、とは仰いませんのね」
「当り前じゃない。ずっとずっと願って、でも、絶対に叶わないとあきらめていたことよ」
「存じております。ですので、この身にできうる限りのお手伝いをさせていただきまする」
「ええ。これから一年、信じられないほどに忙しくなるのでしょうけど、お前はずっとそばにいてね」
「はい。姫様が嫁がれるその瞬間まで」

 灘人はあまり表情を変えることをしないのだが、その時に二人の顔に浮かんだのは、これ以上はないほどに晴れやかな笑みだった。
 そして、この一年の後に、父母、兄姉、臣下の者たちに見送られ、媛神により開かれた『扉』の奥に十二姫の姿が消えるその瞬間にもまた。涙がにじみはしていたが、同じほどに美しく晴れやかな笑みが二人の顔には浮かんでいたのだった。


 そして、開いた扉のその先にあったのは……。


「ようこそ、灘妃様。遠き灘よりのはるばるのお越し、恐悦至極に存じます」

 海の底にある竜宮では、決してあり得ないほどの太陽の恵みが降り注ぐ中、水底から浮かび上がった十二姫に、陸人が声をかけてきた。
 これまでの学習の成果により、その言葉が理解できることに安堵すると共に、初めて実際に目にする『陸の者』に、十二姫は内心で驚愕していた。

――灘で教えられてはいたけれど、頭ヒレがないわ。代わりに小さな身の色の突起が付いているのね。髪の様子は同じだけど、あの目……二色に分かれているなんて、ちょっと気味が悪いわ。手に泳膜もないし、あれでは水をかくのが大変でしょうに。それに、本当に全身に布をまきつけているのね。確か『服』といったかしら、不思議な風習だこと。それに、あんなものを身に着けていたら、『足』が見えないわ。楽しみにしてきたのに、なんてことなのっ。しかも、この白い邪魔なものは何? せっかくの陸の風景を眺めることができないじゃない。

 そんなことを思いつつも、慣れ親しんだ擬態(猫かぶりともいう)は健在だ。
 最初が肝心、とくれぐれも言われていた通りに、上品に、且つ威厳を持ってその相手に
微笑みかける。
 とはいえ、元々、あまり表情が変わらないのが普通――これは感情を伝える為に使われるのが表情筋ではなく頭ヒレの動きであるという灘人の習慣によるものなのだが――であったために、陸の者たちには全く表情が動いたようには見えなかった。
 付け加えて言うならば、最初に出迎えた者たちは神職、それも女性ばかりであったために、裾を引きずるぎりぎりの長さの衣装を身にまとっている。故に、期待していた『足』を見ることができなかったわけである。白い布壁については、改めて語るに及ぶまい。

「お出ましになれて早速ではございますが、これより、灘妃様のご夫君となる者をお選びいただきたいと存じます」

 その無表情っぷりに驚いたにしても表には出さず、代表と思しき者が淡々と事を進めていく。

「あちらより、一名ずつ御前にまかり越します。灘妃様の御心に沿うものが現れましたら、その手をお取りくださいませ」

 いきなりの夫(候補)の登場であるが、これについては故郷でも説明されていたので問題はない。鷹揚に頷き返せば、間を置かず白い壁の隙間から、一人の陸の男が自分に近寄ってくる。

――まぁ、足よ、足があるわ。左右交互に動かして移動している。なんて器用なのかしら!

 最初に進み出てきたのは、この国の第一王子にして王太子。つまりは次代の王である。輝くような金髪に青く澄んだ瞳、凛々しく整った容貌の持ち主だ。さらに言えば、王太子として立てられるだけあって性格能力共にすばらしい、理想を絵にかいたような貴公子である。
 が。
 この時の十二姫にとっては、それらの王太子の美点など、ただの一つも目に入ってはいなかった。彼女が注目したのは、王太子の顔ではなく、下半身。つまりは足、だ。
 そもそも、顔の造作の中で最も目立つ目(眼球)の形状からして違うので、陸の美意識と海のそれと異なっていて当然だ。海での美醜の判断材料の一つに頭ヒレの形や色、透明度などがあるのだが、陸の人間にそんなものが備わっているはずもない。

 海に陸の者が一切いないというわけではないが、彼らが住まっているのは海の中の陸――島か、或いは海の表を行く船の中だ。仮にも海王の息女であり、深い海底にある竜宮に住まっていた十二姫はそれを目にする機会は皆無といっていい。時たま、おつきの者たちをまいて海面にまで出向くことはあったが、運よく船を目にすることができたのは数えるほど。島については、近づくのがなんとなく怖くて遠くから眺めたことしかない。
 そして、陸に赴いた後も、まず出迎えてくれたのが全身をすっぽりと法衣で覆った女性神職たちであったために、正真正銘、これが初めて目にする『陸人の足』であったのだ(ただし、ちゃんと衣には包まれている)。
 となれば、人生初で目にするそれ(足を含む下半身)を凝視してしまったのは無理からぬことだろう。黄金を溶かし込んだような金の眼が、視線のありかを悟られにくいのは幸いだった。でなければ、とんでもない痴女と思われても仕方のない行為である。

 ただ、幸いだったのは十二姫のみ、でもあった。

 アンジールが自信をもって送り出した第一候補――身分や年齢、容姿に加えて能力も折り紙付きの王太子――は、生まれ持った気品と、幼いころから叩き込まれた王族にふさわしい優雅なしぐさで腰を折り、恭しく片手を差し出した。秀麗な表にわずかに笑みを浮かべているのは、その手が取られることを疑っていないからに違いない。
 だが、しかし。
 生憎なことに、十二姫が見ていたのはそれらの見事な貴公子然とした行動ではなく、ひたすらその下半身であった。

――まぁまぁ! なんてことでしょうっ。陸の人の足とは、このように深く曲がるのね。あんな風にして痛くはないのかしら? それに、曲がるのが一か所ではないなんて……。

 海では下半身といえば魚の形である。ひねったり、軽く曲げることはできても、膝関節を持つ陸の者のように直角以上になることなどあり得ない。しかも、片膝をつくという動作は、足首もまた曲げることになるために、直立していた時は気が付かなかったもう一つの『関節』の存在に、十二姫の眼はくぎ付けだ。
 そして興味の赴くまま、そちらばかりを気にしていたら、差し出された手を取るわけもない。
 というわけで。
 王太子ということで、他の者よりも長めに『見極め』の時間を取られていたのだろうが、それも時間切れとなってしまう。
 いつになっても動く気配のない『灘妃(十二姫)』の様子に、女性神職は王太子を『灘妃の御心に沿わなかった』と判断する。

「次の方。前にお進みくださいませ」
「なっ……」
「お静かに。灘妃様の御前にございます」

 まさか、自分が選ばれないなどとは想像もしていなかったのだろう。驚愕の表情を浮かべる王太子を、女性神職達は容赦なく排除にかかる。
 ここは神殿、しかも灘公選定の儀だ。世俗の身分や権力とは一線を画すべき場所と状況であるので、王太子とてそれに従わなければならない。
 歯ぎしりせんばかりの悔し気な顔をしつつも、次に招き入れられた自らの弟にその場を譲る。

――もう行ってしまうのかしら? もっとよく見たかったのに……ああ、でもまた次の方が来られたわ。今度はまた、ずいぶんと細いのね。でもちゃんと歩いているのはすごいわ。

 数年前に成人し、武の面でもそれなりの評価を得ている王太子に比べて、第二王子は今年十五になったばかりだ。幼い頃はやや体が弱かったこともあり、兄に比べれば線が細い。その分、思慮深く、後々は兄王の良い右腕になるだろうといわれているのであるが、十二姫がそんな評判を知るはずもなく、先の者(王太子)との体格面での違いにばかり目が行ってしまう。
 そんな状態では、やはりその手を取るかどうかなどに思いがいくはずもない。

「……次の方」

 三番目に姿を見せたのは、現王の姉が嫁いだ公爵家の次男である。王太子より二つ年かさで、眉目秀麗で有能であるのは当然だが、洒落者としても名高い男であった。
 先の王子二人が身に着けていたのは、上下ともに暗い色の衣装だったのだが、そんな彼が選んだのは上は黒、下は純白という組み合わせだ。
 品位と格式は守りつつ、細かな部分の刺繍や装飾にも気を配り、一世一代のこの舞台で自分を最も引き立てる服装を、と気合を入れてこの儀に赴いたのであるが、この場合、それが裏目に出た。

――あら? 今度の方は、上と下で違うわ。もしかして、あれは一続きではなくて、別々のものなのかしら? 色も違うし……女性が白で、男性が暗い色と決まっているわけでもないのね。陸って、本当に不思議なことだらけだわ。

 ごく普通に上下そろいのものを着ていたのなら、もしかしたら服ではなく、その『中身』に興味を持ってもらえたのかもしれない。しかし、すでに手遅れだ。
 十二姫の興味は、『足』から『服』に移ってしまっている。結果、彼とそのあとの数人に関しては、やはり本体(本人)にはまったく関心を持ってもらえないという結果と相成った――とばっちりを受けた者たちは泣いていい。ついでに、あれほどにこだわり抜いて用意した衣装だが、『基本的な作り(上下別・色違い)』にしか注意を向けてもらえなかった次男もこっそり泣くのを許可する。

 ――そういえば、忘れていたわ。わたくしは、まずここで夫となる方を選ばなければいけないのよね?

 思い出すのが遅うございますっ、と。侍女で幼馴染でもあった『宵闇にそよぐ小さな海蛍』がこの場にいたら、頭を抱えていただろう。いや、賢くはあるのだが、己が興味を示したものに気を取られまくることがあるという十二姫の欠点を誰よりも知っている彼女であれば、もっと早くに(強制的に)思い出させてくれていただろう。が、これもいまさら言ってもせん無いことである。
 十二姫がそれを思い出したのは、宰相の甥っ子、騎士団長と王家直属魔術師団の長男たちに続き、最後に次期親衛隊長予定である侯爵家の若者がすごすごと引き下がった後である。
 この時、白い障壁の内部に招き入れられたのは、先に述べた王太子以下、アンジール国一押しの婿候補ばかりだ。まさか、十二姫がこのような反応を示すなど思いもよらなかっただろう。もしそれがわかっていたのなら、最初の集団はほかの者になっていたはずだし、この後の成り行きも変わっていたかもしれないが、第一団は全員が玉砕、という風に判断されてしまった。
 そして、次に招き入れられたのは、最初よりはアンジール国内での影響力という面で劣りはするが、それでも侯爵家や有力な伯爵家の長子で構成された一団である。お薦め度はやや落ちるが、このあたりで落ち着いてくれれば国としてもありがたい。そんな彼らであったのだが……。

――何かしら、この視線。なんだか、いやだわ。

 やや劣る、という評価は家だけではなく、本人たちにも適用される。
 それなり以上の教育はされてはいるが、ゆくゆくは王や宰相、またその側近として幼い頃から厳しい教育をされていた最初の者たちに比べると、どうしても見劣りしてしまうのは仕方がないことだ。
 初めて異なる場所で生きる者を目にして驚いたのは十二姫も同じなのだが、王太子らはそれをきれいに押し隠すことができていた。けれど、今度の者たちは、そうではない。
 驚愕に目を見開くだけならまだいい。
 己と異なる身体的特徴に、一瞬ではあるが嫌悪を示したり、こっそりと胸や腰にばかり視線を注ぐ者もいる。
 よほど注意をしていなければ見過ごしてしまう程度のものでありはしたが、王族として生まれた十二姫は、そのような相手を見抜くことに長けていた。
 陸人を夫にするというのは、灘妃として赴いた以上は最低限、且つ最初の責務であることは十二姫も重々承知している。
 まぁ、初対面で言葉も交わさない状態で夫を選べ等とは乱暴な話もいいところなのであるが、極端な話、彼女は媛神により遣わされた者である。どんな相手を選んだとしても、粗略に扱われることはあり得ない。重要なのは、『夫を選んだ』という事実だ――それを成し遂げれば、媛神の御業により陸を歩くための足が与えられ、正真正銘の陸人となれると聞いている。
 だが、それでも、この先を共に過ごす相手である。少しでも好ましい相手であるに越したことはない。
 そう思い、注意深く観察し始めた結果……漸く本人達に目が行くようになっても、相手がこれではどうしようもない。
 当然ながら、第二の集団も失格とされ、第三の者たちが変わって進み出てる。
 ちなみに、候補者たちは全部で四つの集団に分けられていたのであるが、三番目と四番目は伯爵家の者たちでまとめられていた。三と四の違いは、特にない。数合わせの意味合いが強いが、それでも家柄では先行集団に劣るものの真面目で、誠実な人柄であると判断されてこの場に呼ばれた者ばかりである。人柄だけで見れば、第二集団より勝っていたかもしれない。
 まさか自分たちにまで出番が回ってくるとは思わなかったのだろう、緊張の面持ちで一人ずつ進み出ては来るのだが……やはり『灘人』の衝撃が強すぎたのか、結果は同じであった。
 そして、最後の者たちの出番がやってくる。

――あら、まだいたのね、よかった。
 
 さすがの十二姫も、どうやら己が『やらかしてしまったらしい』事を自覚し始めていたので、まだ候補がいることに安堵の念を覚える。しかし、これまでえり好みをしていたのに、今更妥協するのもどうなのかしら、などと呑気なことを考えているのは、これはもう生まれ持った性格のせいであろう。
 もう一度最初からやり直してもらえるかしら? と、何十人目かになる相手の差し出した手も華麗に無視をかまして、次の者を待つ。それが、最後の一人であることも知らずに。
 その時、だった。

――まぁ。この方……?

 その相手を一目見たとき、十二姫はそれまでの者とは異なる印象を抱いた。それが何によるものなのか、少し考えた末に、答えが出る。

 まっすぐな――それも、過ぎるほどの視線。

 それは、身分ある相手、それも異性に対して不敬、不躾と取られる可能性すらありえた。けれど、思い返せばこれまで会った相手の中に、これほどに自分を正面から見つめてきた者がいただろうか。
 ここまで何十人となく陸人を目にしてきた十二姫である。陸に上がったばかりであるが、己の姿がここでは異端であるという認識はすでに十分だ。
 特に、目。
 こちらから目を合わせようとしても、さりげなく、またはあからさまに視線をそらされてしまうのを何度も繰り返せば、態度には出さないまでも傷つく。
 けれど、彼は。
 近づくまでの間。膝を折り、片手を差し出すその間も。誰もが反らした自分の視線を、真正面から受け止めて揺るぐ様子もない。
 そして(十二姫にとっては)不思議な形状をしたその目が、彼女が初めて見る類の熱を宿して自分を見つめている。
 己が選ばれて当然という傲慢なそれではなく、選ばれた結果の栄華を求める欲望でもない。
 ただ、純粋に自分という存在を求める、その目。その視線。
 
「……漸くに、お会いすることが叶いました」

 待った甲斐があった、とは、まさにこのことだ。
 中途半端に妥協しなくてよかった、とは、十二姫の内心の声である。

「貴方様。わたくしは貴方様の妻となるべく遣わされた者にございます。どうぞ、良しなに」

 慣れない陸の言葉をゆっくりとつむぎ、差し出された手に、己のそれを重ねる。
 その途端、自分の体が光に包まれたのがわかった。
 体の内部から、根本的に作り替えられていくのが感じられた。

『選びましたね。それが、そなたが終生添い遂げる相手です。幸せにお過ごしなさい』

 そして、聞こえてきた――否、魂に触れたのは、媛神の声だった。
 その他にもいくつかのお言葉をいただき、自分もまた何事かを返した覚えはあるのだが、光が消えうせた後には、そのほとんどを思い出すことができなかった。
 しかし、それは構わない。
 お言葉は魂に刻まれていて、必要になれば浮かび上がってくるはずだ。
 それよりも今は、夫を選んだことにより、自分の身に起こった変化を確かめるのが先だった。

 顔は鏡がなければ無理だろうが、そのほかの部分であれば――視線を下げて見たところ腕は、あまり変わらない。
 胸はそこを覆っていた白銀の鱗がなくなり、先端にある小さな紅色の突起が見えている。これは海では子を産み、それに乳を与えるときにだけ鱗の間から顔を出すものなのだが、陸では常に表に出ているらしい。
 胸の両脇は、呼吸のためのえらの裂け目がなくなり、一面同じ皮膚の状態になっていた。
その下のへそは変わりないが(灘人も胎生であるためだ)、さらに下。泉に半身を浸した状態で応対していたために、まだ水の中なのだが、腰のまろみから先に続くのは、魚の形ではなくまぎれもなく二本の足、である。

 それらのことを、自分の眼でしっかりと確認し、『本当の意味』で海と決別をしたのだと。
 喜びと悲しさが合いまった感慨にふける十二姫であったが、周囲ではそれには関係なくどんどんと事態が進んでいた。

「当代の灘妃におかれましては、その伴侶となられる灘公をお選びになられました。灘・陸の両の神々に感謝を。そして、何卒、お二人と陸の国々を末永く嘉されますよう」

 そんな声が聞こえ、夫となる相手を退けられたかと思う間もなく、泉から丁重に引き上げられる。
 初めて『足』で立ち上がらされ、慣れない感覚によろめきかけるが、それもしっかりと支えられて、体の水気を拭われ人生初の『衣装』を体にまとわされた。
 自分の髪以外の物が、常に肌に触れている感覚は、十二姫にとって非常に奇妙なものだった。違和感のあまりにすぐに脱ぎ捨てたくなるのを懸命にこらえる。陸で暮らしていく以上は、慣れなければならない関門の一つなのだ。
 窮屈で仕方ないが――陸の基準ではほとんど拘束感のない寝巻のようにゆったりとした衣装であったのだが――何とか我慢し、ふらふらと頼りない体を支えられて何とか直立させている間に、白い障壁が取り払われる。
 どうやら二重になっていたらしいそれがすべて撤去されると、やっとこの場所の全貌を目にすることができた。

「改めまして、ご紹介申し上げます。当代の灘妃様にあらせられます」

 背後には先ほど、自分が出てきた泉。それをぐるりと囲むようにして、広く石畳が敷かれている。神殿の他の部分とは異なり、ここのみ天井がないので、円形の広間というよりも中庭のような作りであるが、これは神聖な泉の上部を人の手で作ったものが覆うという不敬を避けるためであり、また天の恵みをさえぎることなく受け入れる意味もある。まぁ、そんな細かいことはまだ十二姫が知る由もないので、せっかくの陸だというのにこの場所にはあまり見るべきものもないと判断し、さっさと正面に向き直る。その際、会釈なりをして愛想のよいところを見せたほうがいいかもしれないとは思ったが、不安定な体を支えるのがやっとであったためにそれは見送られることとなった。
 その後で夫となる者の名を初めて知り、それに続いて自分も名乗ったのであるが。

「我が名は『珊瑚の林に遊ぶ真珠色の波』」

 陸の言葉で発する自分の名は、奇妙な響きを持っていた。海にいた頃に、『陸での名は別に用意する必要がある』と言われたのはこのためかと、納得する。

「――けれど、これは灘での呼び名故、これよりは『珊瑚』あるいは『真珠』、と」

『宵闇に遊ぶ小さな海蛍』と二人で、ああでもないこうでもないと悩みまくった挙句に決めたものであるが、改めて陸の言葉で発したそれは、不思議なことにずっとそうであったかのようになじんだ。

「かしこまりました――では、今より貴方様を『コラール・パレレ・ユラ』様とお呼びさせていただきまする」

 この間、それほど長い時間は経っていないはずなのだが、陸人の足を得て立つ、という初めての経験に、十二姫はかなりの疲労を覚えていた。なので、次に告げられた言葉にひそかに安堵のため息をつく。

「灘妃――コラール様は、遠き海よりお越しになられ、たいそうお疲れであろうかと存じます。まずはそのお体をお休めいただくのが肝要。諸々のことはその後ということで――これにて、選定の儀を終えさせていただきとうございます」

 ぞろぞろと群れを成して退出する者たちを見送っていると、どこからともなく輿が運び込まれてきていた。体を伸ばして寝そべることができるほどの大きさで、丁寧な手つきで抱きかかえ上げられそこに体を横たえると、心底ほっとする。

「お労しい……さぞやお辛ろうございましたでしょう。ゆっくりとお休みいただけますよう、部屋を用意してございます。夫君となられた方ともお会いになりたいとは存じますが、まずはそちらで落ち着かれてから、ということで……?」

『落ち着く』というのは、陸人の形になった自分の体を確認するという意味も含んでいるのだろう。願ってもない申し出にすぐに頷き返せば、輿はしずしずと進み始めた。
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