竜宮城からお嫁に来ました

砂城

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フレイ・ザナル

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 アンジール王国北部方面軍第二大隊所属、上級騎士フレイ・ザナル。
 それが彼の身分である。今のところは、という注釈が付くが。

 元は、というか今もその事実に変わりはないのだが――血のつながりは消えてなくなるものではない――アルセアの南東部に小さな領地を持つラゼルム伯爵家の四男として生まれた。伯爵夫妻の末子で、すぐ上の兄でさえ八歳の差があり、そのため年の離れた末っ子として可愛がられた……というようなことはあまりなく、いわゆる『恥かきっ子』扱いであった。
 無論、伯爵家の子息ということでそれなり以上の待遇と教育を施されはしたが、何しろ四男だ。成人したとしても実家に居場所があるはずもない。そのため、かなり早い段階から自立の道を探ることになったのは当然であり、家族からも『必ず家から出ていく者』としての扱いを受けていたために、『家族愛』等というものとは少々縁遠く育ったのもまた当然だろう。
 十五で成人したのと同時に騎士としての叙勲を受け、そのまま北方方面軍へと配属をされたのだが、それを期に『ラゼルム』の姓を名乗ることを止めたのも、それらの理由が大きい。
 そもそも、幼いころから言われていたのだ。
 長男次男まではともかく、それ以下の者は養えぬ、と。
 それでも成人するまでは、贅沢三昧とは言えぬまでもきちんと遇されていたし、騎士として独り立ちする折にはそれなりの支度はしてもらった。まぁ、それに『手切れ金』という意味合いも含まれていたのは、贈る方・受け取る方共に、口には出さないが暗黙の了解というやつである。
 尤も、こうなるとわかっていたのなら、実家の者たちも『せめて家名だけでも名乗らせておけばよかった』と思うのだろうが、後の祭りである。
『下手に分家扱いをして、何事かあったときに本家にまで係累が及んでは困る』という思惑であったのだが、まさか予想とは反対の事態になるなど、誰が想像するだろうか。
 
 それはさておき、家を出てからの話だが……こちらは特筆すべきことはあまりない。
 軍での最初の一年は見習い扱いだったが、これは誰もが通る道である。そもそも、十五になったばかりの者が、騎士の身分だけを得ても使い物になるはずがないのだ。
 一年たった後は正式に隊に組み入れられるが、やはりここでも最初は最下級扱いだ。この段階で、覚悟ができていない者はふるい落とされる。幸いにもフレイはそうはならず、三年目に行われる昇級試験にも無事合格をし、上級騎士の称号を手にすることができた。
 そして、さらに一年が経った時に、不意に、それまでほぼ音信不通であった実家から(軍経由)で連絡が来たのである。

 曰く、『すぐさま王都に戻り、灘公選定の儀に参加せよ』。

 それを聞かされた直後は、本気で父親の頭の中身を心配した。上官から直接伝えられたのでなければ、何をばかなことを、で済ませていたかもしれない。
 彼とて灘公の名は知っている。というよりも、アンジールの国民でそれを知らぬものなどいない。
 アンジールにおける唯一の『大公家』であり、国王に次ぐ権威を与えられる存在だ。
 なぜなら、灘公と呼ばれるのは灘妃が選んだ相手なのだから――灘妃については、これはもう語るまでもない。アンジールのみならず、陸の国々に水の恵みを与えてくれる灘の女神より遣わされた御方。ほとんど、女神そのものと同一視されるほどの存在である。
 その灘妃の夫を選ぶための場に『参加』せよ?
 それはつまり、自分自身もその対象となれ、ということか?

「……これはどういう意味でしょうか? 閣下は何かご存知ではありませんか?」

 あまりにも突飛というか、ありえない内容に、思わずそんなことを尋ねてしまったフレイを誰も責められまい。

「私も詳しくは知らんのだがな。ただ、これと同じ内容のものが、お前の他にも、もう一人に届いている。それと、表向きはお前の実家からの連絡ではあるが、その元となっているのは王家よりの通達だ」
「は? 王家、ですか……?」
「ああ。それ故に、これについてはお前に拒否権はない。もちろん、上司たる私にもだ――まぁ、少し長めの休暇とでも思えばいい。お前にとっても、久しぶりの王都だろう? 会いたい者もいるだろうし、そのついでに責務を済ませたら戻ってくるがいい」
「はい」

 ついでの位置が違う、という突っ込みは無しだ。だが、『詳しいことは知らない』と言いつつもその口ぶりからも、間違っても『本命』として呼ばれたのではないのがよくわかる。
 なお、これについては、フレイと同じく呼びつけられたというもう一人――これが『選定の儀』の折に、彼と一緒にいた同輩なのであるが――に確認したところ、ほぼ正解であることが判明する。
 伯爵家の次男であり、今も家族との仲が良好な彼は、フレイよりも幾分だが多めの情報を持っていた。
 これに関しては、実家の対応もあるが、『灘妃・灘公』というものについて、フレイよりも興味を持ち、それについて調べていたという理由が大きかった。

「過去の灘妃は、ほとんどが王家かそれに連なる家の子弟を夫に選ばれている。ただ、今『ほとんどが』といったように、必ずしも彼らが選ばれるという保証はない。そのために、できるだけ多くの選択肢を用意するのがアンジールの義務であり、灘妃への誠意の表れとされてるんだよ」
「だとしても、アンジールには山ほど爵位持ちがいるだろうに、俺たちのようなものにまでお呼びがかかった訳は?」
「灘妃の夫となるわけだから、当然、既婚者は排除される。婚約者がいる場合も同じだな。そして、わずかな可能性ではあっても灘公になるかもしれないのだから、素行の悪いものは選ばれるはずもない。そうやってはじいていった結果、めぼしい者の数が足りなくなった、ということだろうさ。過去の資料によれば、おおよそ五十から六十名が、候補として集められているようだからな」

 尚、灘妃が降嫁してくるのが百年に一度というのは周知の事実であるが、その相手に選ばれるという奇跡にも近い僥倖を当てにして、目先の縁談を断るというのは、あまり現実的ではない。
 フレイの実家も、彼の他にもう一人呼び出しを食らっているようだが、それは家を継ぐために妻をめとっている長兄ではなく、飼い殺しにされていたがめでたく長兄夫妻が男子を設けたためにお役御免になった次兄である。確か今年でぎりぎり三十だったので、滑り込むことに成功したのだろう。尚、三兄はすでに羽振りの良い子爵家に婿養子として入っていたので、候補にはならない。

「……呼ばれた理由としてはこんなところだろうが、安心しろ。俺やお前が選ばれる可能性など、百万が一にもあるはずがないからな」
「確かにな……」

 数合わせ以外の何物でもないと言い切られては、苦笑する。
 とはいえ、『行かない』という選択肢があるはずもないので、それこそ久しぶりの休暇で王都に行くのだとでも思うしかないだろう。

 そうやって、気楽な気持ちで来たはずなのであるが。
 まさか、その百万が一の可能性にぶち当たってしまったわけだ。

「考えれば考えるほどあり得ん……が、これがすべて夢なわけもないよなぁ」

 座り心地の良いソファーも、目に映る立派な室内もまぎれもない現実である。
 室内にほかの者の姿がないのも、ひとまず落ち着いて、自分の置かれた状況を把握してもらう、という意味もあるのだろう。
 そんなことを考えているうちに、飲み物に手を出す気力も戻ってくる。

「こんな上等な品、実家でも飲んだことはないぞ」

 やや冷めてしまってはいるが、極上の茶葉で淹れられたものであるのは間違いない。その隣に用意されていた軽食も、軍で慣れ親しんだ質より量を重視したものとは雲泥の味である。
 それでも腹がくちくなるのは同じであるので、余人の眼がないのを幸い、遠慮なく平らげる。
 そうやって心身ともにひとまずは落ち着いた頃。
 遠慮がちにドアをノックする音が響いた。

「どうぞ」
「失礼いたします」

 骨の髄まで叩き込まれた騎士としての嗜みとして、ソファーから立ち上がり、手ずから扉を開けたところ、その向こうに立っていたのは先ほど、自分をここに案内してくれた神職であった。

「お寛ぎのところを申し訳ありません。灘妃様におかれましては、ご夫君となられるフレイ様と話がしたいとの仰せでございます。ご同行、いただけますでしょうか?」
「……勿論です」

 返答までに一瞬の間があったのは仕方ないだろう。
 若干なりと落ち着きを取り戻しはしたが、平素の状態とはいいがたい。というよりも、なまじある程度回復したことにより、余計なことまで考える余裕ができてしまっており――ぶっちゃけてしまえば、ビビりまくっている状態だ。
 もし、この申し出が先ほどの出来事の直後であれば、驚きの飽和状態だったことで、却って腹が据わったのかもしれない。
 とはいえ、ここで断るという選択肢もあり得ない。

 そこで彼――フレイが思い出したのは、太祖がその晩年につぶやいたという言葉だった。

『驚きもあまりに度が過ぎると、却って肝が据わる。あり得ないと思うことすら面倒になるという弊害もあるが、自分の場合、それは良い方に転んだ。なぜならば、あの時に我が妻の言葉を素直に、ありのままに受け取り、さらにその手を取ったことにより、この年に至るまで命を長らえ、我が一族の繁栄を目にすることができたのだから』

 己と太祖を引き比べるなど、不敬もよいところではあるが、今のフレイは太祖の気持ちが痛いほどよくわかる。
 そして、太祖が初代の灘妃の手を取ったことにより、後年のアンジールの繁栄につながったのであるから、ここは己も覚悟を決めるべきだろう。

「案内をお願いします」

 きっぱりと申し出れば、神職が小さく微笑んだ。

「かしこまりました。では、どうぞこちらへ」



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