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2巻
2-2
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ヒールを使うつもりで何かに触ると、そこがへこんでるみたいな感じがするのだ。私の力を受け入れる余地がありますよ、的な感じかな。その感じがおじさまの太ももの半ばくらいからふくらはぎの辺りまでにある。大怪我だったという話も頷けた。
「少し療術を使わせてもらいますね」
「お、おう?」
おじさまに断って、ヒールを使ってみる。私の手がぽわわぁと光って、その光がおじさまの足へ吸い込まれた。
……ん? これ、かなり豪快に吸い取ってくな。古傷だから治りにくいのかも。けど、やり始めてしまったからには最後までやりますよ。
気合を入れ直して、手に魔力を集中する。
ぽわぽわぽわと、時間としてはどれくらい経っただろうか? 一分? 二分? 倒れていたロウを助けた時ほどじゃないけど、それでも結構な時間がかかった気がする。
「……ふぅ」
やっとのことで押し返すような手ごたえがきた。これが治療完了の合図だ。思わず大きく息を吐く。
「おい、お嬢ちゃん……こりゃ……」
「痛みは治まりました?」
「痛みどころじゃねぇぞ」
叫ぶようにしておじさまが、穿いていたズボンの裾をめくり上げる。うは、結構毛深い。やはりアルおじさまはワイルド系だ。
「傷が……消えてやがる」
「はい?」
膝の上くらいまでめくり上げてるんで私にも見えるけど、傷なんてどこにもない。前はあったのだろうが、消えても支障はないよね?
「二十年も前の古傷だぞ。それを跡形もなく……」
そんなことを言いながら椅子から立ち上がると、おじさまは軽くスクワットみたいな動きをした。
「痛みもねぇ、軋みもしねぇときたもんだ。おいおい、お嬢ちゃん。こりゃ一体どういうことだ?」
「どう、って。ヒール――療術を使っただけですよ」
「だけって、おい……ったく、自覚もないのか。こりゃ、『銀狼』共が気をもむわけだ」
「おじさま?」
困ったようにため息をつくと、おじさまはめくり上げた裾を下ろして、椅子に座り直す。
「いいか、お嬢ちゃん。あんたが今使ったのは、王都の神殿の大神官並の術だぞ」
「ええ!?」
「普通、療術使いが癒せるのはできてすぐの傷だけだ。それも、そいつの持ってる力によるから、ひでぇ傷だと何度もかけたり、それでも完全に治しきれない時だってある。俺のみたいな古傷には、それこそ痛みを和らげるくらいしかできねぇんだよ。俺は療術には詳しくねぇが、なんでも『その状態で固定』されちまうからだそうだ」
「そうなんですか」
なんとなくおじさまの言うことは理解できる。例えば、火傷をしてケロイドになったら、そこの皮膚は移植でもしない限りずっとそのまんまってことだよね。
「ところが、今、お嬢ちゃんがやったのは、その――なんていうんだ、『固定される前』の状態に戻しちまったわけだ。こんなことができる奴を俺は初めて見たぞ。医療ギルドのギルドマスターですら、できるとは思えん。療術というよりも、神官どもの使う神聖魔法の『奇跡』に近いんじゃないか? それも大神官級のな」
なんだか話が大きくなってきた。私は単に、おじさまの足が痛くならないようにしたかっただけなんだけど。
「……ってなことを言っても、理解できん、って顔だな」
「すみません。物知らずで……」
「いや、俺のほうこそせっかく癒してもらったのに、礼も言ってなかったな。ありがとうな、お嬢ちゃん。おかげで久しぶりに――二十年ぶりか。今夜は酒を飲まずに朝まで眠れそうだ」
おじさま……。平気そうにしてたけど、ほんとはすごく痛かったんだ。ハイディンを離れる前に癒すことができて、本当によかった。
「本来なら、治療費を払わなきゃならんところだが、生憎、大神官級の術に見合うほどの金は持ち合わせちゃいねぇ」
「いえ、お金なんて……」
「まぁ、聞けよ。もらいっぱなしじゃ、俺の流儀に反する。だから、代わりにもならねぇかもしれねぇが、俺の名をお嬢ちゃんにやる」
「おじさまの名前?」
どういうことだろうか? おじさまの名前はアルザークさんだ。私にそれを名乗れと?
「俺の名はアルザーク・ウェディラード。『穴熊』アルザークとも呼ばれてた。大昔の話だが、今でもそれを聞けば思い出す奴もいるだろう。何か困ったことがあれば、ギルドへ行って『自分は穴熊の義理の娘だ』と言やぁ、何かしらの助けになるはずだ」
「おじさま……」
「勝手に娘にするな、と『銀狼』辺りからは文句が出そうだが、これくらいしか俺にできることがねぇんだ。大目に見てくれるように伝えてくれ」
「……ありがとうございます」
いかん、鼻の奥がツンとして、目からなんか出そうだ。
「それと、普通に傷を癒す分には構わねぇが、さっきの俺のみたいな古傷はなるべく触るんじゃないぞ。ごく普通の放浪者のお嬢ちゃんが、大神官級の力を持ってると知られれば、面倒なことになりかねん」
「はい、気をつけます」
「オルフェンは少々変わってるが、お嬢ちゃんには打ってつけだ。そこでいろいろ覚えて、いっぱしの放浪者になるんだぞ」
「はい、頑張ります。またハイディンに戻ったら、すぐにお知らせしますね」
「その前にお嬢ちゃん達の噂が流れてきそうだが、楽しみに待たせてもらおう。道中、気をつけてな」
「はい――アルザーク父さん」
「お、おい!?」
あは、真っ赤になった。けど、こうやってふざけてでもいないと、涙をこらえきれないんだよ。
しんみりしたお別れはしたくない。明るく笑って「行ってきます」って言って、そして、また元気な笑顔で戻ってこよう。
「それじゃ……父さん、行ってきます」
「お、おう。元気で行ってこい、娘」
「はい」
その後で、それなりに顔見知りになっていたギルドの職員さん達にもお別れの挨拶をした。みんな口々に別れを惜しみ、「元気で」と送り出してくれる。
こちらの世界に来て以来、様々なことがあったけど、私が訪れた最初の街がハイディンだったのはとても幸運だと思う。
次に向かうオルフェンでも、こんなふうな出会いがあるんだろうか?
それが楽しみでもあり、ちょっと怖くもある。けど、行ってみなけりゃわからない。私のそばにはロウとガルドさんがいる。この二人がいてくれれば、きっとどんなことがあっても乗り越えていけると信じられた。
ギルドでのお別れが済んでから二日後。いつものように夜明け前に起きた私達三人は、日が昇るのと同時に街の門の前にいた。
門番さんが話しかけてくる。
「いつも早いな。今日はどこまで行くんだ?」
「あー、えっと……ちょっと遠出します。しばらく戻らないかもしれないです」
「そうなのか? それは少々、残念だが……まぁ、気をつけていくんだぞ」
「はい、ありがとうございます。また戻ってきた時はよろしくお願いします」
門番さんにぺこり、とお辞儀をして門を出ると、そこからは先は『いつもの』じゃない世界が広がっていた。
オルフェンは、ハイディンからは大街道を馬で西に五日、そこから更に北に三日ほど進んだ森林地帯に位置している。
背後に北嶺山脈がそびえるそこは、『魔導の都』と呼ばれており、人族の都市としては最も魔術の研究が盛んなのだという。ちなみに『人族の』とわざわざ頭につけるのは、大森林にすむ霊族を憚ってのことらしい。
オルフェンにはガリスハール一の規模を誇る魔導ギルド支部がある。領主はおらず、各ギルドの合議により街の運営がおこなわれており、ある意味独立した都市だ。巨大な城壁がぐるりと街を囲み、門には強大な番人がいて外敵から街を守っているらしい。
図書館の資料で得られた情報はざっとこんな感じ。けど、どのくらい巨大な城壁かとか、強大な番人ってどんな人とか、そういうことは実際に行ってみないとわからないよね。
ワクワクしながら旅路をたどり、ようやくオルフェンを視界に収める場所に着いた私は、噂の門番を見た途端、思わず声を上げてしまった。
「……おっきいね」
「だろ? あれが、オルフェン名物の城壁と門番だぜ」
街が見えると言ってもまだそれなりの距離があるのだが、それでもソレがかなりの大きさであることがわかる。オルフェンの街を囲む城壁自体も、ハイディンのものより高い。ハイディンの壁は十メートルくらいだったと思うのだけど、その倍近くはありそうだ。
『門番』は、背が城壁の半分くらいある石造りの像――つまり、ゴーレムだった。少なく見積もっても七、八メートルはある。盾と槍を持ってるのと、両手で巨大な剣を持ってるのとの二体が、門の両脇に立っていた。
な、なるほど。これが『強大な番人』なのか。確かに強そうだ。暴走したりしないのかな?
ゴーレムに睨まれてビビってしまった私に、ガルドさんが教えてくれる。
「敵対行為をしない限り、危険はねぇよ。例えば目の前で剣を抜いたり、魔法をぶっ放したり、だな。そこのところにオルフェンの通行証を発行してくれる奴がいるから、それを持ってりゃ後は通り放題だ。ちなみに、通行証がなくて無理に通ろうとしても襲ってくるぜ」
ハイディンにいた門番の騎士さんの代わりに、あれがいるってわけだね。ゴーレムに目が行って気がつかなかったんだけど、街道沿いの木立の間に小さな建物があった。あそこで、通行証とやらを作ってくれるんだろう。
ゴーレムの視線を気にしつつそちらへ向かうと、小屋の中にはローブを着た人が数人詰めていた。
「ようこそ、オルフェンへ。初めてここを訪れる方ですか?」
「俺は二度目だが、こっちの二人は初めてだ。通行証の発行を頼みてぇ」
「承りました。尚、お一人に付き、発行費用として銀三枚をいただきます」
「ああ、承知してるぜ」
あら、お金を取るのか、ここは。
「ちなみに、以前はいつ頃来られたのでしょう?」
「そうだな……二年くらい前か」
「左様ですか。では、申し訳ありませんが、貴方の通行証を見せていただいてよろしいでしょうか? 一年以上ここを離れられている方の場合は、更新の必要があるのですよ」
そんなやり取りの後、ガルドさんが魔倉から細い腕輪みたいなものを取り出した。
「ありがとうございます。では、そちらのお二方は、身分を証明するものをお願いします」
ギルドタグでいいんだよね? 私とロウ、そしてガルドさんも、各々がタグを取り出す。
その間に、ガルドさんのものと同じ腕輪が二つ用意された。で、ここにも、ギルドにあったみたいな水晶球があって、それにタグを近づけると青く光る。
「さて、まずは、レイガ殿」
「はい」
「それから、ロウアルト殿に、ガルドゥーク殿」
「俺だ」
「おうよ」
名前を確認しつつ、お金と交換でタグと腕輪を渡してくれる。
「既にご存知かもしれませんが、規約ですので説明させていただきます。こちらがオルフェンの門の通行証となります。門を通り抜ける際、また近づく場合にも、必ずこれを身に着けておいてください。冒険者の方々とお見受けしますが、魔倉に入れたままではなく腕にしっかりと装着しておくようご注意ください。また、万が一、紛失した場合は必ず届け出るようにしてください。再発行と、前のものの登録破棄の必要がありますので」
かなりしっかりしたセキュリティシステムがあるみたいだな。クレジットカードの対応に似てる気がする。そう考えると、発行費用は、そのシステムの維持管理に使われてるのかもしれない。
その他、いくつかの注意事項を聞いた後小屋を出て、早速腕輪を身につける。
すると、さっきは睨まれたのに、今度は近づいて行ってもゴーレムは私達を無視した。
すごいな、ほんとに効き目があった。っていうか、なかったら困るんだけどね。
なんとなくびくびくしながら門を潜ると、いよいよそこがオルフェンの街だ。
街に入ってまず最初に気がついたのは、ローブを着てる人が異様に多いってこと。それから私みたいに杖を持ってる人も。ローブに杖とくれば、魔法使いかそれに類する職業の人ってことになる。
ハイディンでもちらほらと見かけてはいたけど、ここはその何倍もいた。ローブを着てるのは大人だけじゃなくて、十歳くらいの子供もいる。あの子達も魔術師や療術師なんだろうか。さすがは『魔導の都』と言われる場所だ。
「レイ。あまりキョロキョロするな。はぐれるぞ」
ちょ、ロウ! そんな大きな声で言わないでよ。周囲から、くすくす笑いが湧き上がったじゃない。でも、それほど注目を集めてる様子でもないな。私みたいなお上りさんは見慣れてる、ってことですか?
門の近くに商店が多いのはハイディンと同じなものの、売ってるものが微妙に違った。ハイディンだと生活必需品――食べ物と服が多かったんだけど、こっちでは薬草や、得体の知れない液体が入ったツボとかが混じってる。それを売っているのは、商人さんじゃなくてローブを着た人だ。
ほんとに、全く違う都市に来たんだなぁ、と実感する。
「とりあえずはギルドだな。その後で、今日の宿を探すぜ」
「はーい」
ガルドさんに促されて、まずはこの街の放浪者ギルド本部を目指す。ギルドへ行く途中も珍しいものがいっぱいあって、またもあちこちに視線を奪われた。そして、そろそろギルドの建物が見えてくるところまで来た時、向かいから歩いてくる一人の男性に気がつく。
「あれ……? 今の人……」
「ん? どうした、レイちゃん」
気がついてからすれ違うまでの時間がほんのわずかだった上、相手が目深にフードをかぶっていたため、ほとんど顔立ちはわからなかった。でも……彼から目が離せなくなる。
一瞬のことで、相手が若い男性だってことくらいしかわからないのに、ものすごく強烈な印象を受けたんだよ。同時に、見たことがあるのに思い出せない、絶対に思い出さなきゃいけない――そんな不思議な感覚が湧き上がったんだ。
「お前の知り合いということは俺も知っている相手になるが……そういう奴はいなかったぞ?」
「ハイディンでたまたま見かけた奴が、こっちに来てたんじゃねぇのか? レイちゃんはオルフェンは初めてなんだしよ」
彼のことを伝えると、ロウとガルドさんはそんなふうに返してくる。
「あー、そうか……それもそうだよね」
それだけじゃない気がするんだけど、その時は深く考える間もなく目的地に到着してしまった。
オルフェンのギルドの建物も、ハイディンとほとんど変わらない佇まいだった。石造りの建物の正面には大きくて立派な扉、その横にある『ギルド』と書かれた小さなプレートまでそっくりで、ギルドの建物って統一規格みたいなのがあるのかと思っちゃう。
先頭を行くガルドさんが扉を開けてくれて、私、ロウの順番で中に入った。途端に、中にいた人の視線が私達に集中する。品定めされてるようなこの感覚、懐かしいなぁ。ロウと初めてギルドに行った時も、こんな感じだったよね。
あの頃は、見るもの聞くもの全部が珍しくて、知らない世界にドキドキしてて、すごい緊張してたっけなぁ。今でも珍しいものや知らないことはたくさんあるけど、ハイディンでのあれこれの経験で多少慣れてきた。こんなふうに注目を集めながらも、知らん顔して周囲の様子を観察できるくらいには、ね。
そんなわけで、ギャラリーは放っておいて、カウンターにいる職員さんのところへ行きタグを提示する。余談だが、ハイディンのカウンターにいたのが強面のオジサマばかりだったのに対して、こっちでは女性の受付さんだった。
「戦団名は『銀月』。筆頭はレイガ殿で間違いありませんね?」
「はい、それで間違いありません」
物言いも、ハイディンに比べるとかなりソフトだ。『魔導の都』と言われるだけあって、ハイディンよりも荒っぽい人が少ない感じだからなのかな。
「了解しました。戦団『銀月』、オルフェンへの到着を確かに確認しました」
「ありがとうございます。また後日、依頼を受けに来ると思いますが、今日のところは到着の報告だけ、ということで――これで失礼しますね」
要するに、これはギルド員としての住民票の移動みたいなものだ。定住せず、あちこちを流れ歩く放浪者にとって、ギルドへの登録は自分の身を守る最低限の術でもある。それに、こうしておけば他の場所での知り合い――アル父さんとかが、私達に連絡を取りたい時にギルドを介せば簡単に取れるのだ。
こうして、ギルドでの用事が終わったので、本日のお宿を決めないといけない。
この街に詳しいガルドさんのおすすめで、『大鷲の巣』って宿に泊まることになった。個室を希望したけど、風呂付きはないって。代わりに別棟に大きな浴室があるから、頼めば時間で貸し切りにしてくれると言われた。それがなんと天然の温泉らしい。
うわー、テンション上がるっ!
「湧き水がちぃっと温いだけだろ。何をそんなに興奮すんだ?」
「風呂ならば、ハイディンでも使っていただろう?」
大喜びしてる私に男二人は不思議そうだけど、元日本人としては興奮せざるを得ない。
なんでも、北嶺山脈の近くには温泉が湧いているところが多くあるんだって。あれって、火山だったのか。ガルドさんは知ってたらしいけど、そういうことは早く言ってほしい。この世界では、温泉ってそれほどありがたがられるものじゃないらしく、図書館の本にも書いてなかった。知っていたら、もっと早くオルフェンに来てたのに。
勿論、早速使用できるようにお願いしましたよ。
「貸し切りにするのは、四半時くらいでいいですかね?」
四半時ならば、約三十分だ。
「できればもう少し長くできませんか?」
「それは構いませんが……たまにいるんですよね、長湯してのぼせちゃう人が。そこんとこは、気をつけてくださいよ」
宿屋の格としてはハイディンで泊まっていた『暁の女神亭』より下がるらしく、従業員の物言いがフランクだ。
「今の人達が出たら教えに行きますんで、それまで部屋で待っててくださいね」
「はい、お願いします」
普段は大浴場として使われていて、各々が好きな時に入るんだって。だけど、男湯女湯って分かれてるわけじゃないらしい。だとしたら貸し切りにするしかないよね。私は夕食後の予約をお願いした。
「風呂が空いたら、先にお前が使え。俺達はその後から行く」
「えー? どうせなんだし、一緒に入らない?」
「おいおい。いいのか、レイちゃん?」
「今更、二人に裸を見られて恥ずかしいとかないし、時間を気にするのヤだもの。ゆっくりみんなで入ろうよ」
転生してから初めての温泉なんだ。残り時間を気にしながら入るのはもったいない。大浴場ってくらいだから、三人で入っても窮屈なこともないだろうし――と、思ったのは『温泉』って単語にかなり舞い上がっていたからだよね。落ち着いて考えたら、私が貸し切りの時間いっぱい使っても、ロウとガルドさんは他のお客さんと入ればよかったわけだ。
しばらくするとさっきの人が呼びに来て、浴室棟へ案内してくれた。
裏口から宿の本館を出て連れていかれたのは、掘立小屋よりちょっとだけ丈夫って感じの建物だ。
「お客さんはこういうのは初めてでしょ。使い方の説明しときますね」
日が落ちて暗くなってたので、カンテラを持った従業員さんが、ドアを開けて土足のままずかずかと中に入っていく。建物の屋根は半分しかなく、半露天風呂みたいになっていた。
湯船は結構大きくて、周りを岩で囲ってある。洗い場は石畳的なものになっていた。
「こっちで服を全部脱いでから、あっちに行ってください。後で使うお客さんに迷惑がかかるんで、くれぐれも服を着たまま入らないでくださいよ。洗濯もしちゃダメです」
……使い方ってそこからですか。こっちじゃよほど『温泉』がレアなんだろうか。
「湯の中に入る前に、軽く体の汚れを流しといてください。あ、そっちにある水瓶はのぼせた時にぶっかけるためですけど、飲んでも大丈夫です。あと、体を洗う泡石はお湯の中に入れちゃダメですし、体の泡も流してからにしてくださいね」
従業員さんは、他にもこまごまとした注意をしてから「それじゃ、ごゆっくり。時間の少し前にお知らせに来ます」と言ってカンテラを置き、戻っていった。
ロウはぼそっと文句を言う。
「意外に面倒なんだな、温泉というのは」
「いや、普通だと思うよ?」
注意事項はどれも温泉をよく利用する人なら当たり前のマナーだったし。ガルドさんは前にもオルフェンに来てたから知っていたみたいだ。
「ま、いいじゃねぇか。それより、さっさと入ろうぜ」
うん、その意見には大賛成だ。時間が限られてるんだから、急がないとね。
浴室のドアには内鍵がなかったので、結界を発動する。貸しきりにしてもらったけど、間違えて入って来る人がいるかもしれないし、荷物を盗まれでもしたら困る。
脱衣籠的なものが見当たらなかったから、脱いだ服は濡れないように隅っこにまとめて積んだ。
「……私が脱いでるの見てるだけじゃ、自分の服は脱げないよ?」
「い、いや、そういうつもりでは……」
「いやー、つい絶景に見とれてたぜ」
ロウ君、言い訳は男らしくありませんよ。ガルドさんは、潔くてよろしい。が、見られても減りはしないけど、ガン見していいとも言ってないはずだ。
ジロリと睨んだら、二人ともあっちの方向を向いて服を脱ぎ始めた。
その隙に最後の一枚を脱いで湯船のほうへ移動する。うす暗いから、足元に気をつけて滑らないように注意だ。そんで、えーと、洗い桶は……これかな?
馬屋にあるみたいな木でできた大きめの桶が置いてあったので、よいしょと抱えて湯船からお湯を汲み上げる。汲んだお湯でざっと体を流し、ゆっくりと湯船に入った。
湯船は思ったよりも浅くて、私が座って肩が出るくらいの深さだ。温度は少し温めかな。夏だし、これくらいがゆっくり入れていいね。
お湯は透明で、硫黄のにおいはしない。だから温泉があるって気がつかなかったんだな。湯口は奥にあって、木でできた樋から湯船に注がれている。そして、周りを囲ってる石の一ヶ所が低くなってて、そこからあふれたお湯が流れ出ていた。
おお、かけ流しじゃないか。そのおかげで、前に人が入っていてもお湯がきれいなんだね。
柔らかなお湯の感触を楽しみながら湯船の中で体を伸ばして見上げると、美しい夜空が見えた。
うう、極楽極楽。まさか、こっちでこんないい温泉に入れるとは思ってもみなかったよ。
しみじみと幸せをかみしめているところに、やっとこ二人がやって来た気配がする。
「二人とも、ちゃんとかけ湯してから入ってね」
「かけ湯? ……ああ、これか?」
「おい、終わったらこっちにも回してくれや」
ざっぱーん、と豪快な水の音がする。もう、もっとそっと入らないと、マナー違反だってば。すぐにロウが私の隣に滑り込んできた。ガルドさんも反対側に入ってくる。
「湯の中で体を伸ばせるってなぁ、やっぱりいいよなぁ」
「今の時期なら水でも構わんだろうに……」
ロウ、それは無粋ってものですよ。まぁ、口ではそんなことを言いながらも、気持ちよさそうな顔でお湯に浸かってるから大目に見てあげよう。ガルドさんも、大きな体をのびのびと伸ばせてご満悦の様子だ。『暁の女神亭』のお風呂だと、小さくて使いにくかったのだろう。
そのまましばらく、三人で夜空を見上げながらゆっくりとお湯に浸かる。
あ、流れ星だ! この世界は公害の「こ」の字もないし、街灯もないからほんとに星がきれいだ。そう言えば、こっちにも星座とかあるのかな。そのうち教えてもらおう。
そんなことを考えつつ温泉を堪能していたら、もぞりと隣で動く気配があった――ふむ、いよいよ来たな?
「少し療術を使わせてもらいますね」
「お、おう?」
おじさまに断って、ヒールを使ってみる。私の手がぽわわぁと光って、その光がおじさまの足へ吸い込まれた。
……ん? これ、かなり豪快に吸い取ってくな。古傷だから治りにくいのかも。けど、やり始めてしまったからには最後までやりますよ。
気合を入れ直して、手に魔力を集中する。
ぽわぽわぽわと、時間としてはどれくらい経っただろうか? 一分? 二分? 倒れていたロウを助けた時ほどじゃないけど、それでも結構な時間がかかった気がする。
「……ふぅ」
やっとのことで押し返すような手ごたえがきた。これが治療完了の合図だ。思わず大きく息を吐く。
「おい、お嬢ちゃん……こりゃ……」
「痛みは治まりました?」
「痛みどころじゃねぇぞ」
叫ぶようにしておじさまが、穿いていたズボンの裾をめくり上げる。うは、結構毛深い。やはりアルおじさまはワイルド系だ。
「傷が……消えてやがる」
「はい?」
膝の上くらいまでめくり上げてるんで私にも見えるけど、傷なんてどこにもない。前はあったのだろうが、消えても支障はないよね?
「二十年も前の古傷だぞ。それを跡形もなく……」
そんなことを言いながら椅子から立ち上がると、おじさまは軽くスクワットみたいな動きをした。
「痛みもねぇ、軋みもしねぇときたもんだ。おいおい、お嬢ちゃん。こりゃ一体どういうことだ?」
「どう、って。ヒール――療術を使っただけですよ」
「だけって、おい……ったく、自覚もないのか。こりゃ、『銀狼』共が気をもむわけだ」
「おじさま?」
困ったようにため息をつくと、おじさまはめくり上げた裾を下ろして、椅子に座り直す。
「いいか、お嬢ちゃん。あんたが今使ったのは、王都の神殿の大神官並の術だぞ」
「ええ!?」
「普通、療術使いが癒せるのはできてすぐの傷だけだ。それも、そいつの持ってる力によるから、ひでぇ傷だと何度もかけたり、それでも完全に治しきれない時だってある。俺のみたいな古傷には、それこそ痛みを和らげるくらいしかできねぇんだよ。俺は療術には詳しくねぇが、なんでも『その状態で固定』されちまうからだそうだ」
「そうなんですか」
なんとなくおじさまの言うことは理解できる。例えば、火傷をしてケロイドになったら、そこの皮膚は移植でもしない限りずっとそのまんまってことだよね。
「ところが、今、お嬢ちゃんがやったのは、その――なんていうんだ、『固定される前』の状態に戻しちまったわけだ。こんなことができる奴を俺は初めて見たぞ。医療ギルドのギルドマスターですら、できるとは思えん。療術というよりも、神官どもの使う神聖魔法の『奇跡』に近いんじゃないか? それも大神官級のな」
なんだか話が大きくなってきた。私は単に、おじさまの足が痛くならないようにしたかっただけなんだけど。
「……ってなことを言っても、理解できん、って顔だな」
「すみません。物知らずで……」
「いや、俺のほうこそせっかく癒してもらったのに、礼も言ってなかったな。ありがとうな、お嬢ちゃん。おかげで久しぶりに――二十年ぶりか。今夜は酒を飲まずに朝まで眠れそうだ」
おじさま……。平気そうにしてたけど、ほんとはすごく痛かったんだ。ハイディンを離れる前に癒すことができて、本当によかった。
「本来なら、治療費を払わなきゃならんところだが、生憎、大神官級の術に見合うほどの金は持ち合わせちゃいねぇ」
「いえ、お金なんて……」
「まぁ、聞けよ。もらいっぱなしじゃ、俺の流儀に反する。だから、代わりにもならねぇかもしれねぇが、俺の名をお嬢ちゃんにやる」
「おじさまの名前?」
どういうことだろうか? おじさまの名前はアルザークさんだ。私にそれを名乗れと?
「俺の名はアルザーク・ウェディラード。『穴熊』アルザークとも呼ばれてた。大昔の話だが、今でもそれを聞けば思い出す奴もいるだろう。何か困ったことがあれば、ギルドへ行って『自分は穴熊の義理の娘だ』と言やぁ、何かしらの助けになるはずだ」
「おじさま……」
「勝手に娘にするな、と『銀狼』辺りからは文句が出そうだが、これくらいしか俺にできることがねぇんだ。大目に見てくれるように伝えてくれ」
「……ありがとうございます」
いかん、鼻の奥がツンとして、目からなんか出そうだ。
「それと、普通に傷を癒す分には構わねぇが、さっきの俺のみたいな古傷はなるべく触るんじゃないぞ。ごく普通の放浪者のお嬢ちゃんが、大神官級の力を持ってると知られれば、面倒なことになりかねん」
「はい、気をつけます」
「オルフェンは少々変わってるが、お嬢ちゃんには打ってつけだ。そこでいろいろ覚えて、いっぱしの放浪者になるんだぞ」
「はい、頑張ります。またハイディンに戻ったら、すぐにお知らせしますね」
「その前にお嬢ちゃん達の噂が流れてきそうだが、楽しみに待たせてもらおう。道中、気をつけてな」
「はい――アルザーク父さん」
「お、おい!?」
あは、真っ赤になった。けど、こうやってふざけてでもいないと、涙をこらえきれないんだよ。
しんみりしたお別れはしたくない。明るく笑って「行ってきます」って言って、そして、また元気な笑顔で戻ってこよう。
「それじゃ……父さん、行ってきます」
「お、おう。元気で行ってこい、娘」
「はい」
その後で、それなりに顔見知りになっていたギルドの職員さん達にもお別れの挨拶をした。みんな口々に別れを惜しみ、「元気で」と送り出してくれる。
こちらの世界に来て以来、様々なことがあったけど、私が訪れた最初の街がハイディンだったのはとても幸運だと思う。
次に向かうオルフェンでも、こんなふうな出会いがあるんだろうか?
それが楽しみでもあり、ちょっと怖くもある。けど、行ってみなけりゃわからない。私のそばにはロウとガルドさんがいる。この二人がいてくれれば、きっとどんなことがあっても乗り越えていけると信じられた。
ギルドでのお別れが済んでから二日後。いつものように夜明け前に起きた私達三人は、日が昇るのと同時に街の門の前にいた。
門番さんが話しかけてくる。
「いつも早いな。今日はどこまで行くんだ?」
「あー、えっと……ちょっと遠出します。しばらく戻らないかもしれないです」
「そうなのか? それは少々、残念だが……まぁ、気をつけていくんだぞ」
「はい、ありがとうございます。また戻ってきた時はよろしくお願いします」
門番さんにぺこり、とお辞儀をして門を出ると、そこからは先は『いつもの』じゃない世界が広がっていた。
オルフェンは、ハイディンからは大街道を馬で西に五日、そこから更に北に三日ほど進んだ森林地帯に位置している。
背後に北嶺山脈がそびえるそこは、『魔導の都』と呼ばれており、人族の都市としては最も魔術の研究が盛んなのだという。ちなみに『人族の』とわざわざ頭につけるのは、大森林にすむ霊族を憚ってのことらしい。
オルフェンにはガリスハール一の規模を誇る魔導ギルド支部がある。領主はおらず、各ギルドの合議により街の運営がおこなわれており、ある意味独立した都市だ。巨大な城壁がぐるりと街を囲み、門には強大な番人がいて外敵から街を守っているらしい。
図書館の資料で得られた情報はざっとこんな感じ。けど、どのくらい巨大な城壁かとか、強大な番人ってどんな人とか、そういうことは実際に行ってみないとわからないよね。
ワクワクしながら旅路をたどり、ようやくオルフェンを視界に収める場所に着いた私は、噂の門番を見た途端、思わず声を上げてしまった。
「……おっきいね」
「だろ? あれが、オルフェン名物の城壁と門番だぜ」
街が見えると言ってもまだそれなりの距離があるのだが、それでもソレがかなりの大きさであることがわかる。オルフェンの街を囲む城壁自体も、ハイディンのものより高い。ハイディンの壁は十メートルくらいだったと思うのだけど、その倍近くはありそうだ。
『門番』は、背が城壁の半分くらいある石造りの像――つまり、ゴーレムだった。少なく見積もっても七、八メートルはある。盾と槍を持ってるのと、両手で巨大な剣を持ってるのとの二体が、門の両脇に立っていた。
な、なるほど。これが『強大な番人』なのか。確かに強そうだ。暴走したりしないのかな?
ゴーレムに睨まれてビビってしまった私に、ガルドさんが教えてくれる。
「敵対行為をしない限り、危険はねぇよ。例えば目の前で剣を抜いたり、魔法をぶっ放したり、だな。そこのところにオルフェンの通行証を発行してくれる奴がいるから、それを持ってりゃ後は通り放題だ。ちなみに、通行証がなくて無理に通ろうとしても襲ってくるぜ」
ハイディンにいた門番の騎士さんの代わりに、あれがいるってわけだね。ゴーレムに目が行って気がつかなかったんだけど、街道沿いの木立の間に小さな建物があった。あそこで、通行証とやらを作ってくれるんだろう。
ゴーレムの視線を気にしつつそちらへ向かうと、小屋の中にはローブを着た人が数人詰めていた。
「ようこそ、オルフェンへ。初めてここを訪れる方ですか?」
「俺は二度目だが、こっちの二人は初めてだ。通行証の発行を頼みてぇ」
「承りました。尚、お一人に付き、発行費用として銀三枚をいただきます」
「ああ、承知してるぜ」
あら、お金を取るのか、ここは。
「ちなみに、以前はいつ頃来られたのでしょう?」
「そうだな……二年くらい前か」
「左様ですか。では、申し訳ありませんが、貴方の通行証を見せていただいてよろしいでしょうか? 一年以上ここを離れられている方の場合は、更新の必要があるのですよ」
そんなやり取りの後、ガルドさんが魔倉から細い腕輪みたいなものを取り出した。
「ありがとうございます。では、そちらのお二方は、身分を証明するものをお願いします」
ギルドタグでいいんだよね? 私とロウ、そしてガルドさんも、各々がタグを取り出す。
その間に、ガルドさんのものと同じ腕輪が二つ用意された。で、ここにも、ギルドにあったみたいな水晶球があって、それにタグを近づけると青く光る。
「さて、まずは、レイガ殿」
「はい」
「それから、ロウアルト殿に、ガルドゥーク殿」
「俺だ」
「おうよ」
名前を確認しつつ、お金と交換でタグと腕輪を渡してくれる。
「既にご存知かもしれませんが、規約ですので説明させていただきます。こちらがオルフェンの門の通行証となります。門を通り抜ける際、また近づく場合にも、必ずこれを身に着けておいてください。冒険者の方々とお見受けしますが、魔倉に入れたままではなく腕にしっかりと装着しておくようご注意ください。また、万が一、紛失した場合は必ず届け出るようにしてください。再発行と、前のものの登録破棄の必要がありますので」
かなりしっかりしたセキュリティシステムがあるみたいだな。クレジットカードの対応に似てる気がする。そう考えると、発行費用は、そのシステムの維持管理に使われてるのかもしれない。
その他、いくつかの注意事項を聞いた後小屋を出て、早速腕輪を身につける。
すると、さっきは睨まれたのに、今度は近づいて行ってもゴーレムは私達を無視した。
すごいな、ほんとに効き目があった。っていうか、なかったら困るんだけどね。
なんとなくびくびくしながら門を潜ると、いよいよそこがオルフェンの街だ。
街に入ってまず最初に気がついたのは、ローブを着てる人が異様に多いってこと。それから私みたいに杖を持ってる人も。ローブに杖とくれば、魔法使いかそれに類する職業の人ってことになる。
ハイディンでもちらほらと見かけてはいたけど、ここはその何倍もいた。ローブを着てるのは大人だけじゃなくて、十歳くらいの子供もいる。あの子達も魔術師や療術師なんだろうか。さすがは『魔導の都』と言われる場所だ。
「レイ。あまりキョロキョロするな。はぐれるぞ」
ちょ、ロウ! そんな大きな声で言わないでよ。周囲から、くすくす笑いが湧き上がったじゃない。でも、それほど注目を集めてる様子でもないな。私みたいなお上りさんは見慣れてる、ってことですか?
門の近くに商店が多いのはハイディンと同じなものの、売ってるものが微妙に違った。ハイディンだと生活必需品――食べ物と服が多かったんだけど、こっちでは薬草や、得体の知れない液体が入ったツボとかが混じってる。それを売っているのは、商人さんじゃなくてローブを着た人だ。
ほんとに、全く違う都市に来たんだなぁ、と実感する。
「とりあえずはギルドだな。その後で、今日の宿を探すぜ」
「はーい」
ガルドさんに促されて、まずはこの街の放浪者ギルド本部を目指す。ギルドへ行く途中も珍しいものがいっぱいあって、またもあちこちに視線を奪われた。そして、そろそろギルドの建物が見えてくるところまで来た時、向かいから歩いてくる一人の男性に気がつく。
「あれ……? 今の人……」
「ん? どうした、レイちゃん」
気がついてからすれ違うまでの時間がほんのわずかだった上、相手が目深にフードをかぶっていたため、ほとんど顔立ちはわからなかった。でも……彼から目が離せなくなる。
一瞬のことで、相手が若い男性だってことくらいしかわからないのに、ものすごく強烈な印象を受けたんだよ。同時に、見たことがあるのに思い出せない、絶対に思い出さなきゃいけない――そんな不思議な感覚が湧き上がったんだ。
「お前の知り合いということは俺も知っている相手になるが……そういう奴はいなかったぞ?」
「ハイディンでたまたま見かけた奴が、こっちに来てたんじゃねぇのか? レイちゃんはオルフェンは初めてなんだしよ」
彼のことを伝えると、ロウとガルドさんはそんなふうに返してくる。
「あー、そうか……それもそうだよね」
それだけじゃない気がするんだけど、その時は深く考える間もなく目的地に到着してしまった。
オルフェンのギルドの建物も、ハイディンとほとんど変わらない佇まいだった。石造りの建物の正面には大きくて立派な扉、その横にある『ギルド』と書かれた小さなプレートまでそっくりで、ギルドの建物って統一規格みたいなのがあるのかと思っちゃう。
先頭を行くガルドさんが扉を開けてくれて、私、ロウの順番で中に入った。途端に、中にいた人の視線が私達に集中する。品定めされてるようなこの感覚、懐かしいなぁ。ロウと初めてギルドに行った時も、こんな感じだったよね。
あの頃は、見るもの聞くもの全部が珍しくて、知らない世界にドキドキしてて、すごい緊張してたっけなぁ。今でも珍しいものや知らないことはたくさんあるけど、ハイディンでのあれこれの経験で多少慣れてきた。こんなふうに注目を集めながらも、知らん顔して周囲の様子を観察できるくらいには、ね。
そんなわけで、ギャラリーは放っておいて、カウンターにいる職員さんのところへ行きタグを提示する。余談だが、ハイディンのカウンターにいたのが強面のオジサマばかりだったのに対して、こっちでは女性の受付さんだった。
「戦団名は『銀月』。筆頭はレイガ殿で間違いありませんね?」
「はい、それで間違いありません」
物言いも、ハイディンに比べるとかなりソフトだ。『魔導の都』と言われるだけあって、ハイディンよりも荒っぽい人が少ない感じだからなのかな。
「了解しました。戦団『銀月』、オルフェンへの到着を確かに確認しました」
「ありがとうございます。また後日、依頼を受けに来ると思いますが、今日のところは到着の報告だけ、ということで――これで失礼しますね」
要するに、これはギルド員としての住民票の移動みたいなものだ。定住せず、あちこちを流れ歩く放浪者にとって、ギルドへの登録は自分の身を守る最低限の術でもある。それに、こうしておけば他の場所での知り合い――アル父さんとかが、私達に連絡を取りたい時にギルドを介せば簡単に取れるのだ。
こうして、ギルドでの用事が終わったので、本日のお宿を決めないといけない。
この街に詳しいガルドさんのおすすめで、『大鷲の巣』って宿に泊まることになった。個室を希望したけど、風呂付きはないって。代わりに別棟に大きな浴室があるから、頼めば時間で貸し切りにしてくれると言われた。それがなんと天然の温泉らしい。
うわー、テンション上がるっ!
「湧き水がちぃっと温いだけだろ。何をそんなに興奮すんだ?」
「風呂ならば、ハイディンでも使っていただろう?」
大喜びしてる私に男二人は不思議そうだけど、元日本人としては興奮せざるを得ない。
なんでも、北嶺山脈の近くには温泉が湧いているところが多くあるんだって。あれって、火山だったのか。ガルドさんは知ってたらしいけど、そういうことは早く言ってほしい。この世界では、温泉ってそれほどありがたがられるものじゃないらしく、図書館の本にも書いてなかった。知っていたら、もっと早くオルフェンに来てたのに。
勿論、早速使用できるようにお願いしましたよ。
「貸し切りにするのは、四半時くらいでいいですかね?」
四半時ならば、約三十分だ。
「できればもう少し長くできませんか?」
「それは構いませんが……たまにいるんですよね、長湯してのぼせちゃう人が。そこんとこは、気をつけてくださいよ」
宿屋の格としてはハイディンで泊まっていた『暁の女神亭』より下がるらしく、従業員の物言いがフランクだ。
「今の人達が出たら教えに行きますんで、それまで部屋で待っててくださいね」
「はい、お願いします」
普段は大浴場として使われていて、各々が好きな時に入るんだって。だけど、男湯女湯って分かれてるわけじゃないらしい。だとしたら貸し切りにするしかないよね。私は夕食後の予約をお願いした。
「風呂が空いたら、先にお前が使え。俺達はその後から行く」
「えー? どうせなんだし、一緒に入らない?」
「おいおい。いいのか、レイちゃん?」
「今更、二人に裸を見られて恥ずかしいとかないし、時間を気にするのヤだもの。ゆっくりみんなで入ろうよ」
転生してから初めての温泉なんだ。残り時間を気にしながら入るのはもったいない。大浴場ってくらいだから、三人で入っても窮屈なこともないだろうし――と、思ったのは『温泉』って単語にかなり舞い上がっていたからだよね。落ち着いて考えたら、私が貸し切りの時間いっぱい使っても、ロウとガルドさんは他のお客さんと入ればよかったわけだ。
しばらくするとさっきの人が呼びに来て、浴室棟へ案内してくれた。
裏口から宿の本館を出て連れていかれたのは、掘立小屋よりちょっとだけ丈夫って感じの建物だ。
「お客さんはこういうのは初めてでしょ。使い方の説明しときますね」
日が落ちて暗くなってたので、カンテラを持った従業員さんが、ドアを開けて土足のままずかずかと中に入っていく。建物の屋根は半分しかなく、半露天風呂みたいになっていた。
湯船は結構大きくて、周りを岩で囲ってある。洗い場は石畳的なものになっていた。
「こっちで服を全部脱いでから、あっちに行ってください。後で使うお客さんに迷惑がかかるんで、くれぐれも服を着たまま入らないでくださいよ。洗濯もしちゃダメです」
……使い方ってそこからですか。こっちじゃよほど『温泉』がレアなんだろうか。
「湯の中に入る前に、軽く体の汚れを流しといてください。あ、そっちにある水瓶はのぼせた時にぶっかけるためですけど、飲んでも大丈夫です。あと、体を洗う泡石はお湯の中に入れちゃダメですし、体の泡も流してからにしてくださいね」
従業員さんは、他にもこまごまとした注意をしてから「それじゃ、ごゆっくり。時間の少し前にお知らせに来ます」と言ってカンテラを置き、戻っていった。
ロウはぼそっと文句を言う。
「意外に面倒なんだな、温泉というのは」
「いや、普通だと思うよ?」
注意事項はどれも温泉をよく利用する人なら当たり前のマナーだったし。ガルドさんは前にもオルフェンに来てたから知っていたみたいだ。
「ま、いいじゃねぇか。それより、さっさと入ろうぜ」
うん、その意見には大賛成だ。時間が限られてるんだから、急がないとね。
浴室のドアには内鍵がなかったので、結界を発動する。貸しきりにしてもらったけど、間違えて入って来る人がいるかもしれないし、荷物を盗まれでもしたら困る。
脱衣籠的なものが見当たらなかったから、脱いだ服は濡れないように隅っこにまとめて積んだ。
「……私が脱いでるの見てるだけじゃ、自分の服は脱げないよ?」
「い、いや、そういうつもりでは……」
「いやー、つい絶景に見とれてたぜ」
ロウ君、言い訳は男らしくありませんよ。ガルドさんは、潔くてよろしい。が、見られても減りはしないけど、ガン見していいとも言ってないはずだ。
ジロリと睨んだら、二人ともあっちの方向を向いて服を脱ぎ始めた。
その隙に最後の一枚を脱いで湯船のほうへ移動する。うす暗いから、足元に気をつけて滑らないように注意だ。そんで、えーと、洗い桶は……これかな?
馬屋にあるみたいな木でできた大きめの桶が置いてあったので、よいしょと抱えて湯船からお湯を汲み上げる。汲んだお湯でざっと体を流し、ゆっくりと湯船に入った。
湯船は思ったよりも浅くて、私が座って肩が出るくらいの深さだ。温度は少し温めかな。夏だし、これくらいがゆっくり入れていいね。
お湯は透明で、硫黄のにおいはしない。だから温泉があるって気がつかなかったんだな。湯口は奥にあって、木でできた樋から湯船に注がれている。そして、周りを囲ってる石の一ヶ所が低くなってて、そこからあふれたお湯が流れ出ていた。
おお、かけ流しじゃないか。そのおかげで、前に人が入っていてもお湯がきれいなんだね。
柔らかなお湯の感触を楽しみながら湯船の中で体を伸ばして見上げると、美しい夜空が見えた。
うう、極楽極楽。まさか、こっちでこんないい温泉に入れるとは思ってもみなかったよ。
しみじみと幸せをかみしめているところに、やっとこ二人がやって来た気配がする。
「二人とも、ちゃんとかけ湯してから入ってね」
「かけ湯? ……ああ、これか?」
「おい、終わったらこっちにも回してくれや」
ざっぱーん、と豪快な水の音がする。もう、もっとそっと入らないと、マナー違反だってば。すぐにロウが私の隣に滑り込んできた。ガルドさんも反対側に入ってくる。
「湯の中で体を伸ばせるってなぁ、やっぱりいいよなぁ」
「今の時期なら水でも構わんだろうに……」
ロウ、それは無粋ってものですよ。まぁ、口ではそんなことを言いながらも、気持ちよさそうな顔でお湯に浸かってるから大目に見てあげよう。ガルドさんも、大きな体をのびのびと伸ばせてご満悦の様子だ。『暁の女神亭』のお風呂だと、小さくて使いにくかったのだろう。
そのまましばらく、三人で夜空を見上げながらゆっくりとお湯に浸かる。
あ、流れ星だ! この世界は公害の「こ」の字もないし、街灯もないからほんとに星がきれいだ。そう言えば、こっちにも星座とかあるのかな。そのうち教えてもらおう。
そんなことを考えつつ温泉を堪能していたら、もぞりと隣で動く気配があった――ふむ、いよいよ来たな?
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