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沛 南へ
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呂文は南への旅の途中、沛にある農家の軒下で休憩をとっている。
南への旅の目的は米が実際に実っている稲という植物を見ることである。
(稲を作るためには年間の降水量が1000㎜越えねばならず、中原では作れない。中国で言うと黄河と長江の中間を流れる淮河より南の地域でなければならない。)
呂文の住む単父から南にある淮河に出るには淮河の支流にでて、それに沿って下ることになる。具体的には二通り。南に進み商丘から淮河の支流に入るか、西に進み沛から同じく支流に入るかである。
呂文はこのうち沛を選んだ。
商丘から淮河の支流に入るには泓水の付近を通らなければならない。
かつて宋の襄公が楚軍に敗北した場所である。
襄公がその際にとった指揮のまずさは「襄宋の仁」の故事で知られている。
宋は呂文がまだ幼いころに滅んでいるため、思い入れはない。
しかし、もとは宋国であった土地の住民として、なんとなく縁起が悪い気がして、泓水を通るのは気が引けた。
もう一つの理由は沛には父の隠し財産の一部を預けてある友人がいたからである。
友人は郊外の一帯で大きな土地を所有している豪農であった。
その豪農の家の軒先に座り呂文は休んでいた。
この後は沛の県令に挨拶に行く予定である。
(父はなぜか県令とも知己であった。)
軒先から少し離れた木の下で、ここの主人の妻が子供の体を洗っている。
主人は妻との間に子供が生まれたばかりであった。
呂文がその方を見ているのは妻が子供を洗う水を張っている容器が珍しかったからである。
容器は鼎であった。なんでも主人が川で拾ってきたらしい。
使い道がないため、水をいれて容器に使われていた。
川になぜ鼎を捨てるのかと呂文は鼎を眺めながら考えていた。
妻が大声で呂文に話しかけてくる。この子は竜の子なんだよ、夢でお腹の中に竜が入ってくるのを見たんだ、と。
子供のほうを見ていると思われたようである。
呂文はニコニコしながら妻が子供を自慢するのを聞いた。
自分にも子供が生まれれば、この子は特別なのだと思うのだろうか。
主人がやってきて呂文に挨拶したが、妻は呂文と主人にもさらに話しかけてくる。
「子供が生まれるって時にこんな鼎なんか拾ってきて、ほんとに役に立たない人なんだよ。」
そう言われて、主人が言い返す。
「前のガキが生まれたときに手伝おうとしたら、邪魔だ、いない方がましだって言われたんで、今度は家を離れてたんだよ。」
「子供が生まれるんで落ち着かねぇから川でも見ようと川を歩いていたら、音が聞こえたんで、行ってみたらこの鼎が鳴いてたんだ。それでこれはなんかすごいもんじゃないかと思ってもってきたんだよ。」
主人の反論に対し、鼎が鳴く訳ないだろう、と妻がなじる。
まあまあと呂文は妻をなだめるように言う。
「珍しい鼎ですよ。足が三本しかないでしょう、周王朝になってからは四本足の鼎しか作られていないはずです。」
「商王朝のころの品か、ひょっとすると夏王朝のころかもしれません。」
夏王朝は商王朝のまえにあったといわれる伝説の王朝である。
「聞いたか、わかる人には分かるんだよ。」と主人は言う。
妻は不満そうにしていたが、子供を洗う作業に戻る。
「ここは平和そうですね。」と呂文は主人に話しかける。
中原では秦国との戦いの影響で人々にどこか余裕がなかったが、ここは違うようであった。
沛の地は楚国の版図である。
「楚も都が淮河に移ってから、こっちもにぎやかになってきてね。最近になって春申君がここら一帯を治めるようになってね。それで治安も良くなってるよ。」
と主人は言う。
20年ほど前に秦国の白起将軍により当時の楚国の都である郢を陥落した。秦国は手に入れた郢周辺の地を南郡として支配している。
楚国は都を郢から移すにあたり、上流を秦国に支配された長江流域は危険であると判断したためか、淮河流域の陳に都を移している
以来、楚国は中心は淮河流域に移ってきている。重臣の筆頭というべき春申君に淮北(淮河の北側一帯)を治めさせ、流域の発展に一層力を入れている。
春申君は戦国四君の一人である。楚国の現在の王である孝烈王の擁立に功があり、孝烈王のもと宰相として手腕をふるっている。
数年前の邯鄲の包囲では楚軍を率い趙国を救援している。
「なるほど春申君が治めているのですか。」
楚国ならもしかすると秦国を抑えることができるかもしれないと呂文は思う。
ただ、春申君という名には覚えがある。
秦国の華陽夫人が呂不韋に養子候補を探すよう依頼した一件での楚国側の窓口になっている人物でもある。
かつて人質として秦国にもいたことのある人であるから秦国の事情にも詳しい。
休憩をとった後、県令に挨拶を終えると、呂文は淮河に向かうため進路を南に向けた。
淮河の支流にでて、それに伝い南に向かうのである。
淮河に出ると、さらに淮河を南にわたる。
そこから南は中原とは別の文化圏である。
南への旅の目的は米が実際に実っている稲という植物を見ることである。
(稲を作るためには年間の降水量が1000㎜越えねばならず、中原では作れない。中国で言うと黄河と長江の中間を流れる淮河より南の地域でなければならない。)
呂文の住む単父から南にある淮河に出るには淮河の支流にでて、それに沿って下ることになる。具体的には二通り。南に進み商丘から淮河の支流に入るか、西に進み沛から同じく支流に入るかである。
呂文はこのうち沛を選んだ。
商丘から淮河の支流に入るには泓水の付近を通らなければならない。
かつて宋の襄公が楚軍に敗北した場所である。
襄公がその際にとった指揮のまずさは「襄宋の仁」の故事で知られている。
宋は呂文がまだ幼いころに滅んでいるため、思い入れはない。
しかし、もとは宋国であった土地の住民として、なんとなく縁起が悪い気がして、泓水を通るのは気が引けた。
もう一つの理由は沛には父の隠し財産の一部を預けてある友人がいたからである。
友人は郊外の一帯で大きな土地を所有している豪農であった。
その豪農の家の軒先に座り呂文は休んでいた。
この後は沛の県令に挨拶に行く予定である。
(父はなぜか県令とも知己であった。)
軒先から少し離れた木の下で、ここの主人の妻が子供の体を洗っている。
主人は妻との間に子供が生まれたばかりであった。
呂文がその方を見ているのは妻が子供を洗う水を張っている容器が珍しかったからである。
容器は鼎であった。なんでも主人が川で拾ってきたらしい。
使い道がないため、水をいれて容器に使われていた。
川になぜ鼎を捨てるのかと呂文は鼎を眺めながら考えていた。
妻が大声で呂文に話しかけてくる。この子は竜の子なんだよ、夢でお腹の中に竜が入ってくるのを見たんだ、と。
子供のほうを見ていると思われたようである。
呂文はニコニコしながら妻が子供を自慢するのを聞いた。
自分にも子供が生まれれば、この子は特別なのだと思うのだろうか。
主人がやってきて呂文に挨拶したが、妻は呂文と主人にもさらに話しかけてくる。
「子供が生まれるって時にこんな鼎なんか拾ってきて、ほんとに役に立たない人なんだよ。」
そう言われて、主人が言い返す。
「前のガキが生まれたときに手伝おうとしたら、邪魔だ、いない方がましだって言われたんで、今度は家を離れてたんだよ。」
「子供が生まれるんで落ち着かねぇから川でも見ようと川を歩いていたら、音が聞こえたんで、行ってみたらこの鼎が鳴いてたんだ。それでこれはなんかすごいもんじゃないかと思ってもってきたんだよ。」
主人の反論に対し、鼎が鳴く訳ないだろう、と妻がなじる。
まあまあと呂文は妻をなだめるように言う。
「珍しい鼎ですよ。足が三本しかないでしょう、周王朝になってからは四本足の鼎しか作られていないはずです。」
「商王朝のころの品か、ひょっとすると夏王朝のころかもしれません。」
夏王朝は商王朝のまえにあったといわれる伝説の王朝である。
「聞いたか、わかる人には分かるんだよ。」と主人は言う。
妻は不満そうにしていたが、子供を洗う作業に戻る。
「ここは平和そうですね。」と呂文は主人に話しかける。
中原では秦国との戦いの影響で人々にどこか余裕がなかったが、ここは違うようであった。
沛の地は楚国の版図である。
「楚も都が淮河に移ってから、こっちもにぎやかになってきてね。最近になって春申君がここら一帯を治めるようになってね。それで治安も良くなってるよ。」
と主人は言う。
20年ほど前に秦国の白起将軍により当時の楚国の都である郢を陥落した。秦国は手に入れた郢周辺の地を南郡として支配している。
楚国は都を郢から移すにあたり、上流を秦国に支配された長江流域は危険であると判断したためか、淮河流域の陳に都を移している
以来、楚国は中心は淮河流域に移ってきている。重臣の筆頭というべき春申君に淮北(淮河の北側一帯)を治めさせ、流域の発展に一層力を入れている。
春申君は戦国四君の一人である。楚国の現在の王である孝烈王の擁立に功があり、孝烈王のもと宰相として手腕をふるっている。
数年前の邯鄲の包囲では楚軍を率い趙国を救援している。
「なるほど春申君が治めているのですか。」
楚国ならもしかすると秦国を抑えることができるかもしれないと呂文は思う。
ただ、春申君という名には覚えがある。
秦国の華陽夫人が呂不韋に養子候補を探すよう依頼した一件での楚国側の窓口になっている人物でもある。
かつて人質として秦国にもいたことのある人であるから秦国の事情にも詳しい。
休憩をとった後、県令に挨拶を終えると、呂文は淮河に向かうため進路を南に向けた。
淮河の支流にでて、それに伝い南に向かうのである。
淮河に出ると、さらに淮河を南にわたる。
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