オタク教師だったのが原因で学校を追放されましたが異世界ダンジョンで三十六計を使って成り上がります

兵藤晴佳

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第三十四計(後) 苦肉計《くにくのけい》…自分を傷つけて、相手を信用させます。

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 僕が目隠しもされずに連れていかれたのは、あのみすぼらしい、リカルドの私邸だった。
 なんべん見ても、私邸というよりは一戸建てと言うのがふさわしい、こじんまりした家である。
 その奥にある書斎に通された僕は、ようやく背中の刃物から解放される。
 だが、腕は近衛兵を自称する若者にねじ上げられ、僕はリカルドの前に引き据えられた。
 その乱暴なやり方には、さすがに抗議しないわけにはいかない。
「あなたの部下に言ってください。逆らうつもりはないと」
 リカルドの目くばせひとつで、僕は床に放り出された。
 椅子も勧めてもらえなかったが、それはとりあえず置いておく。
 いかにも開き直ったというふうに胡坐をかいてみせると、リカルドは唇を歪めて笑った。
「存外に物分かりがいいな」
 僕も同じ顔つきをしてみせる。
「背中から刺されて死ぬよりはマシです」
 ここまでは、本心からの言葉だった。
 三下に意地を張って、わざわざ命を捨てることもない。

 だが、そこまで言ったところで邪魔が入った。
 薄暗い部屋の中で光り輝く、羽の生えた小さな身体の持ち主がリカルドの前にたちはだかった。
「カリヤには指一本、触らせないんだから!」
 フェアリーのポーシャだった。
 悲鳴を上げて逃げ去ったのは若い近衛兵たちだ。
 普通の人間の前に、フェアリーが姿を現すのは大きな災難が起こる前触れだと信じられているのだから無理もない。
 さらに、若者のひとりひとりが、壁にぶつかったり床でけつまずいて倒れたりと大騒ぎになる。
 これは、あちこちを飛び回っている、レプラホーンのハクウのいたずらだ。
「ほらほらほら、どこ見てんだい!」
 やがて、部屋の中には僕とリカルドだけが残された。
 ポーシャが、耳元で囁く。
「大丈夫だよ、カリヤがさらわれたって、みんな知ってる」
 ハクウは、笑っていた。
「情けねえなあ、それでも異世界召喚者様かい?」
 そこで僕は、面倒くさそうに答えた。
「悪いけど、ディリアに伝えてくれないかな……命が惜しくて、リカルドの厄介になることにしたって」
 次の瞬間、ポーシャの飛び蹴りが僕の横っ面に炸裂した。
「最低!」
 おまけにリカルドまでもが、くしゃみが止まらないのに涙を流しはじめた。
 これは、ハクウがそういう粉を撒いたのだろう。
 やがて、僕とリカルドのくしゃみが収まったとき、飛び回っていた妖精たちの姿は消えていた。

 鼻をぐしぐしやりながら、僕はリカルドに尋ねた。
「こんなことをして、あなたに何の得があるんですか?」
「ない」
 即答だった。
 きょとんとしている僕に、リカルドは初めて腹の内を明かした。
「知ってのとおり、ディリア様にはふさわしい夫がいない。王統は、絶えるしかないのだ。それならば、私はその後のことを考えなければならない」
「つまり、あなたが支配者になって秩序を保つ……そういうことですね?」
 まわりくどい物言いに水を差すと、リカルドは少し機嫌を損ねたようだった。
「東西南北の大貴族たちがいる。いかに愚かであろうとも、己らの国のことは己らに考えさせればよいのだ」
「あの人たちにできるでしょうか?」
 いっぺん会いはしたが、その当主たちには貫禄といえるものはなかった。
 それは、リカルドも同意見だったらしい。
「できなければ、没落させればよい……貴族たちの話し合いのほうがマシだろうからな」
「ディリアさまの朝礼で見る限り、実りあるものになるとは思えませんが」
 本心からツッコミを入れると、リカルドは僕をたしなめるように言った。
「人間のほとんどは烏合の衆だ。その中から血筋だけで人を選んでも、たいしたことはできまい」
 そこで僕は、さらに皮肉を込めて混ぜっ返した。
「では、どうやって選びます?」
 リカルドは、ため息交じりに答えた。
「烏合の衆の話し合いしかあるまい」
 それは、間接民主制を取るということだ。
 だが、それでリカルドにはどんな得があるというのだろうか。
 いや、ある。

 |三十六計、その三十四。
 苦肉計《くにくのけい》…自分を傷つけて、相手を信用させる。

 リカルドが黒幕になるということだ。
 すると、ディリアの身はどうなるのだろうか。
 一応、聞いてみた。
「では、ディリア様は一般市民の代表に?」
「無理だ、あの性格では」
 同感だった。
 人望があろうがなかろうが王家の血筋にやたらとこだわり、わがままで幼稚で嫉妬深い。
 そんなディリアではリカルドに挑むどころか、選挙に勝てるわけがない。
 しかし。
「黙っていらっしゃるでしょうか? ディリア様が」
 オズワル辺りが担ぎ出してクーデターなど謀ろうものなら、完全に悪の女王だ。
 すると、リカルドには僕に向かって身を乗り出した。
「異世界へ消えてもらう……遷移の呪文がダンジョンにあるのでな」
 それを探すのは、僕の役割だということだ。

 だが、おかげで編成途中の近衛兵団を預かることができた。
 ただし、僕はダンジョンへ送ってくれるよう頼んだだけだった。
 あとの指揮はこれまでの団長に委ねたところ、掌を返したような恭しさで、近衛兵団の伝令がもたらした報告を伝えてくれた。
「我々の動きを察知したオズワルが、騎士団を率いて戻ってきます」
 面倒といえば面倒だが、僕はここにチャンスを見出した。
「どの街道を通ってくるか割り出してください。鉢合わせをしないように」
 ダンジョンの前で僕を下ろした馬に乗って、近衛兵は何処かへ姿を消した。
 代わりにやってきたのはオズワルの率いる騎士団だ。
 すぐさま拘束されそうになったが、僕は言い訳しなかった。
 ただ、こう告げただけだ。
「このダンジョンを突破できるのは、異世界召喚者である僕しかいない」 
 馬上のオズワルは渋い顔をしたまま、騎士団と共に僕の後についてダンジョンに潜った。

 オズワルは無口で口下手なので、王国のどこでどのようにワイヴァーンと戦ったのか聞く由もない。
 団長がしゃべらないことを騎士団がしゃべるはずもないので、僕は現れるモンスターだけを気にしていればよかった。
 もっとも、騎士たちはリカルドについた僕に活躍の場を与えまいとしているのか、その全てを倒してくれた。
 第34層にたどり着く前に、無駄な時間を食わずに済んだのはありがたい。
 夜にならないと霧の湖に現れないグレンデルは、まだ、このダンジョンにいるはずだ。
「地上に日があるうちに、倒さなくちゃいけないんだ」
 そう言って殿《しんがり》を頼んだのは、第33層を守っていたドワーフのドウニだ。
 共に潜った第34層は、巨大な洞窟が続いていた。
「相当デカいな、そのグレンデルってのは……」
 ようやく洞窟の果てにたどり着くと、禍々しい光に包まれた地獄門が、ふたつ並んでいる。
 地上ではそろそろ日が沈むのだろう、一方の門が開いて、その奥の鈍い光の中から歩み出る影があった。
 僕はドウニに聞こえるように言った。
「あれが、グレンデルだ」
 グレンデルはふたつの目をぎらつかせて、鋭い爪を振るう。
 騎士たちは剣を振るって応戦したが、どうしても、その皮膚は貫通できない。
 あまたの武器が失われたところで、ドウニが渾身のハンマーを振るう。
 だが、けたたましい金属音が鳴り響くだけだった。
 ドウニは叫ぶ。
「固いぞ、あいつ相当!」
 それでも僕は、剣を抜いて斬りかかった。
 グレンデルの腕が伸びて、その刃を弾き飛ばす。
 しかし、それこそが僕の狙いだったのだ。
 グレンデルの腕を両腕で抱え込むと、背中を向けて思いっきり巻き込む。
 柔道など習ったこともないが、一本背負いのつもりだ。
 筋力が100で器用度が95なら、見よう見まねで、できないことはない。
 グレンデルの巨体は、閉じてゆく地獄門の彼方に放り込まれた。

 残るは、ワイヴァーンだった。
 もう一方の地獄門が開いた奥からあふれてきた、禍々しい光の中に、翼を閉じたワイヴァーンが現れた。
 剣を持つ騎士たちが、一斉に斬りかかる。
 だが、ワイヴァーンは身を翻して、長い尾を横薙ぎに振るった。
 騎士たちは一斉に吹き飛んだが、尾の先にある毒針で刺されることはない。
 踏みとどまったオズワルが唸り声を上げた。
「おのれ……」
 大剣を腰だめに構えて突進しようとするのを、僕は押しとどめた。
 凄まじい形相で睨みつけてくる眼差しを、指先ひとつで逸らしてやる。
 大穴のあいたワイヴァーンの腹を見つめながら、僕はオズワルをなだめた。
「逃がしてやりましょう。追い詰めれば、騎士たちが傷つきます」
 
 孫子曰く。
 ……帰師《きし》には遏《とど》むることなかれ、囲師には必ず闕《ひら》き、窮寇《きゅうこう》には迫ることなかれ。
 ……引き返そうとする軍勢を止めるな、包囲した軍勢には逃げ道を開けてやれ、逃げ場のない敵を追い詰めるな。

 僕が送り込んだ近衛兵団の大砲は、ワイヴァーンの腹を撃ち抜いたのだ。
 瀕死の飛龍は、巨体を引きずるようにして地獄門の中へと消えていく。
 その姿が溶け込んだ鈍い光が消え失せると、そこにはどこまでも続く闇だけが残った。
 僕もオズワルも騎士たちも、そしてドウニも、ようやくのことで深い息をついた。
 そのときだった。
 闇の向こうから、凄まじい怒りの咆哮が聞こえてきた。
 何か他のモンスターが現れるのかとも思ったが、ダンジョン自体が震えているのに僕は気付いて叫んだ。
「戻りましょう!」
 残ると言って聞かないドウニを急かし、警備の騎士たちを促しながら、僕はオズワルと共に地上を目指した。

 ……ダンジョンが、怒っている。

 確かな根拠はないが、僕にはそれが、これまでリカルドの心の奥に煮えたぎっていた怒りのように思われて仕方がなかった。
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