上 下
101 / 163

姫君の異変(現実世界パート)

しおりを挟む
 その日の終礼が終わると、俺は沙羅を教室から連れ出した。取り巻きだった連中がやってくる前に手を引いて出ようとしたが、逆に手をパシっと叩かれた。今朝は目を泣き腫らして見る影もなかった沙羅だったが、夕方にはもう、落ち着いていたのである。
 ここまで来るのは結構、大変だった。
 沙羅は朝礼が終わってからこっち、安達ケ原の鬼女もかくやと思うような有様で髪を振り乱し、ぐったりと机に伏していたのである。その姿ときたら、1時間目から授業開始の度に、教科担当を恐怖でのけぞらせるのに充分だった。
 とはいえ、一度見てしまえば何ということもないらしい。4時間目にやってきた担任は、机にしがみつく沙羅には目もくれず、それを何となく見つめている俺もついでに視界の外に置いてくれていたようだった。
 他のクラス一同が背筋を伸ばして授業に集中するのにさえ背中を向けて、漢詩を黒板に書き連ねながら朗々と吟じ続けたのである。
 昼休みに入ると、俺はわざわざ自分の机を窓際に持って行った。沙羅が机に伏したまま、動きもしなかったのだ。クラスの他の連中が、自分の席から動かないで弁当を食べていたのとはわけが違う。
 揺すり起こしていいものかどうか見当がつかず、俺は昼休みいっぱい、何も口にしないで様子を見ていたのだった。クリスマスパーティを開こうなどと太平楽を並べていた他クラスの連中は、とうとう顔を出さなかった。
 こうして午後を迎えた俺は、放課後まで立ち上がりもしなかった沙羅を先導しながら、空腹を抱えて家路を急ぐこととなったのである。
 周囲の民家の屋根には、夕べ降り積もった雪が夕暮れの光を照り返していた。
その寂しさときたら、見ているだけで凍えそうである。この田舎町が、いわゆるホワイトクリスマスを迎える雰囲気になるとはどうしても思えなかった。
 そんなことが気になったのも、今朝、沙羅が俺を誘った言葉が耳元に蘇ったからだ。
 ……「あたしとクリスマスパーティしない? 2人で」
 すぐには答えようがなかった。別にそんな間柄でもないし、門限も厳しい。
 俺の後ろを歩く沙羅がどんな顔をしているか気にはなったが、どうしても振り向くことができない。それは、朝の一言のせいだったろう。
 ヘッドライトを点けた車が行き交う国道脇の歩道は、ざらめ状の雪を脇に残している。俺は無言のまま、その間を悶々としながら歩いた。
 その沈黙を破ったのは、背中に聞こえた沙羅の声だった。

  豆を煮るに豆がらを燃やす
  豆は釜の中に在りて泣く
  本は是れ根を同じくして生ず
  相煎ずること何ぞ太《はなは》だ急なるや
 
 4時間目に担任が吟じてみせた漢詩だった。おかげで、俺はやっと沙羅と言葉を交わすことができた。
「曹植《そうち》の『七歩詩《しちほのし》』だな」
 あれは眠気を催すのに十分な単調さと冗長さを兼ね備えたパフォーマンスだったが、俺は耐えた。寝てしまえば、真面目なクラスメイトの中で沙羅共々、2人して目立ってしまうからだ。
「よくこらえた、偉いぞ」
 冗談を言うくらいの元気は戻ってきたようだった。俺も軽口を返してやる。
「そんなことでガタガタ言われてもつまらんしな」
 沙羅にしても今日ばかりは、営業スマイルの発動はありそうもなかった。だが、机に伏せたままの全身からは、妙な気迫が感じられたのである。
 それとは別のプレッシャーが、背中に来た。
「見てたでしょ、私のこと」
 下手に関わると、何を言い出すか分からないという気がしたからである。
 だから、俺は黒板を見つめながらも、昼休みに入るまで沙羅の様子をマークしていた。担任の注意が沙羅に向いたら、いつでもフォローに入るつもりだったのである。
 それは功を奏したのか、それとも時間と労力のムダに終わったのか。
 ……どっちだっていい。
 空腹と疲れのせいで、俺は考えるのが嫌になっていた。授業で聞いた漢詩なんぞを口にした沙羅に八つ当たりしてしまったのは、そのせいである。
「何いきなり歌いだすんだよ」
「だって」
 沙羅がつかつかと俺の前に回り込んで、スマホの画面を突き出した。
 その中では、グェイブを背負ったシャント・コウ……山藤耕哉が、せっせと豆ガラを拾っては豆を煮るかまどにくべていた。 
 事情は分かったが、だからどうだということもない。
「そこは偶然の一致ってやつで」
 沙羅の具合はよくなったし、その分だけ俺はヘバってきたし、これ以上の行動を共にする理由もない。
「じゃあな」
 言い捨ててバス停に戻ろうとすると、俺のコートが背中から引っ掴まれた。
「お昼、一緒に食べない?」
「今何時だと」
 そう言いはしたが、俺の胃は急激に蠕動を始めていた。
 現在、午後3時半。昼飯抜きで過ごすにはちょっと限界の時間だ。いわゆる腹の虫が鳴るのを抑えることもできず、俺は失笑する沙羅から目を背けてぼやいた。
「だいたい、どこで?」
 これが夏場にやってくる観光客なら、ちょっとそこらで座れそうな場所があればコンビニ弁当を広げていても不思議はない。だが、地元の高校生が同じことをすると、マナーが悪いのなんのと近隣住民が学校へ苦情の電話を入れてくるのだ。
 だが、沙羅は俺の前を軽い足取りで歩きだした。
「知ってるくせに」
 実をいうと、心当たりはあった。沙羅の帰り道で、人目につかないように弁当を広げられそうな場所は1つしかない。
 空腹を抱えてバスに乗るのも、食わなかった弁当をオフクロに見咎められて小言を言われるのも、ごめんこうむりたいところだった。
 ……背に腹は代えられないか。
 俺はバス停を離れて、すごすごと沙羅に付き従った。向かう先は、川から道を挟んだ向かいにある、あの神社だ。そこへたどりつくまでの道のりは短かったが、空腹の極致に達した身としては、耐え難い遠さを感じないではいられなかった。
 7歩のうちに即興詩を作るほどの文才は、曹植ならぬ俺自身には求める術もないが、その分、スマホの中の異世界をじっくり見ることはできる。しかし、そこには間の悪いことに、空腹の苦痛に拍車をかける光景が映し出されていた。
 シャント・コウが、豆ガラを燃しては豆を煮ていたからだ。
 CG画面上にも、煮られてふっくらとした豆が、リアルにくっきりと見えている。質素ではあるが、手間暇が感じられた。決して粗末な料理とはいえない。
 手伝っている女の子にも、見覚えがあった。夕べ、山藤のそばにいた子供たちのひとりだ。
《ククルや》
 そう呼ぶのは、台所らしい部屋の隅で椅子に腰かけた、年配の女だった。確か、村長の妻だ。
 呼ばれるたびに、このククルという子は言いつけられたことを実にてきぱきと片づける。それにひきかえ山藤ときたら、暑いだの腰痛いだのと、異世界では通じないのをいいことに日本語で不満たらたらである。
《いい気なもんだよな……》
 ぼやく相手は、村長の妻である。もちろん、この日本語を聞いてはいない。水を汲んできたリューナに料理を頼んでから、椅子に座って居眠りを始めていたからだ。
 その足元は、もう暗くなっている。冬の現実世界がまだ明るいのに、夏場の異世界のほうが先に日が沈むというのもおかしな話だ。たぶん、時間の流れが全く同じというわけでもないのだろう。
 俺のほうはというと、もう川沿いの道を歩いている。目の前にいた沙羅が小走りに駆け出して、神社の鳥居の前から境内を指差した。
「こっち! 来て、誰も見てないから!」
 人目を避けなければならないほど、悪いことはしていないつもりだ。俺は他人のふりをして、わざとゆっくり歩いた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

極道の勇者、王様ぶん殴ってはじまる異世界転生

ウロノロムロ
ファンタジー
極道 × 異世界転生 身勝手世直しコメディ + シリアス 極道・石動不動(いするぎふどう)は、抗争の際に、宿敵である、真央連合の出門享也と刺し違えて死亡。新米転生の女神であるアリエーネによって、異世界へと転生したが、そこで、自称覇権国家の王様を気に入らず、これを殴り飛ばした。異世界で、覇権国家を敵に回した石動の旅がはじまる。 ※コメディ要素多め、シリアスも強め ※キャラクターとしての極道ですのでリアル志向ではありません。どちらかと言いうと渡世人 ※他サイトでも掲載しています ※不定期更新

結婚前夜に婚約破棄されたけど、おかげでポイントがたまって溺愛されて最高に幸せです❤

凪子
恋愛
私はローラ・クイーンズ、16歳。前世は喪女、現世はクイーンズ公爵家の公爵令嬢です。 幼いころからの婚約者・アレックス様との結婚間近……だったのだけど、従妹のアンナにあの手この手で奪われてしまい、婚約破棄になってしまいました。 でも、大丈夫。私には秘密の『ポイント帳』があるのです! ポイントがたまると、『いいこと』がたくさん起こって……?

異世界転生しました。〜優し過ぎる彼と冷た過ぎる私〜

黒狼 リュイ
恋愛
現実世界に絶望してしまった私は、気付いたら知らない世界に来ていた。 そんな私の目の前には、"知っている"人達が何人も現れる。 その中には、現実世界で片思いを抱いていた彼も居て… 世界に絶望した冷たい私 世界に祝福された暖かい彼 二人の掴む世界はどんなものになるのか?

異世界でマシンガンぶっ放したら最強だった件

ぽっちゃりおっさん
ファンタジー
 趣味のサバゲー中に、異世界転生したオカザワアキラ。  転生した異世界は、剣と魔法のファンタジーの世界であった。  近接戦闘の剣術と詠唱が必要な魔法??  そんなのマシンガンぶっ放したら、イチコロじゃね?  

神様の泉で愛を誓い合った幼なじみの2人が同時に異世界召喚と異世界転生された事でとてもややこしい事になっている

PuChi
ファンタジー
生まれた時からの幼なじみ、一希(♂)と悠希(♀)。 隣人、友達、親友、恋人・・・そして結婚を意識し始めた2人。 そんな中ある噂の恋愛スポット"神様の泉"の話を耳にする。 永遠の愛を誓い合う2人が、署名した婚姻届をその泉に沈めると、来世でも必ず出会うことができ、愛を繋いでいくことが出来ると言う話だ。 ただし、泉に沈めて3年以内に結婚しなければ、2人は今も未来も永遠に出会うことが出来なくなると言う条件付き。そのかわり、その3年間は、必ず手の届く所に存在し合えると言うものだ。 高校生の2人は卒業式の日に、重なり合う想いを確認し、神様の泉に婚姻届を沈めに行く事になった。 20歳になったら結婚しようと。 その帰り2人は不思議な現象に巻き込まれる。 一希は青い魔方陣に、悠希は赤い魔方陣に包まれた・・・・・・。 そう、異世界からの呼び掛けだ。 それも2人同時に・・・別々の何かから・・・。 一希は異世界で魔王討伐の勇者として召喚される。 一希は召喚障害として自分の本当の名前を失っていた。 一方悠希は人間を滅ぼそうとする魔王の娘として転生していた。 悠希は転生障害で元の世界の記憶を失っていた。 神様の泉の力が働いたのか2人は手の届く場所、同じ異世界にいる。 しかし、2人はその事を知らず、お互いを知らない。 そして、お互いは敵対関係。 しかも、悠希は元の世界の記憶が無い。 その上、3年以内に結婚しないと2人は二度と会えなくなる。 加えて、結婚する為には失った本当の名前を思い出してもらわないと婚姻届に署名が出来ない! いくつもの障害が立ちはだかる。 つまり・・・・・・ "異世界で、3年以内にお互いの存在も位置関係も知らない2人が、どうにかして出会い、何とかして元の世界の記憶を蘇らせ、失われた名前を手に入れて、どんな手をつかっても魔王の娘である悠希と人間の勇者である一希が婚姻届にサインし元の世界へ戻り婚姻届を提出し、結婚しなければならない" 限られた時間の中であの日の約束を果たすことは出来るだろうか・・・・・・。

(完結)やりなおし人生~錬金術師になって生き抜いてみせます~

紗南
恋愛
王立学園の卒業パーティーで婚約者の第2王子から婚約破棄される。 更に冤罪を被らされ四肢裂きの刑になった。 だが、10年前に戻った。 今度は殺されないように生きて行こう。 ご都合主義なのでご了承ください

異世界転生した私は今日も大空を羽ばたきます!〜チートスキルで自由気ままな異世界ライフ〜

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
高橋かなはある日、過労死で突然命を落とす。 忙しすぎて自由のない日々。 死ぬ間際に見えたのは大空を自由に飛ぶ鳥の姿。 あぁ、鳥になりたい……… 普段は鳥、時には人間、猫や犬までなんでも変身できる最強スキルで異世界生活楽しみます! ※章の始まりごとに追加していきます テーマ 第一章   フェンリル 第二章   騎士団 第三章   転生令嬢 第四章   獣人 第五章   異世界、成長 忙しい時でも1週間に1回は投稿します。 ほのぼのな日常を書きたいな…… その日に思いついた話を書いているので、たまに意見を求めることがあります。 どうか優しい目で見守ってくださると嬉しいです! ※現在休載中

“用済み”捨てられ子持ち令嬢は、隣国でオルゴールカフェを始めました

古森きり
恋愛
産後の肥立が悪いのに、ワンオペ育児で過労死したら異世界に転生していた! トイニェスティン侯爵令嬢として生まれたアンジェリカは、十五歳で『神の子』と呼ばれる『天性スキル』を持つ特別な赤子を処女受胎する。 しかし、召喚されてきた勇者や聖女に息子の『天性スキル』を略奪され、「用済み」として国外追放されてしまう。 行き倒れも覚悟した時、アンジェリカを救ったのは母国と敵対関係の魔人族オーガの夫婦。 彼らの薦めでオルゴール職人で人間族のルイと仮初の夫婦として一緒に暮らすことになる。 不安なことがいっぱいあるけど、母として必ず我が子を、今度こそ立派に育てて見せます! ノベルアップ+とアルファポリス、小説家になろう、カクヨムに掲載しています。

処理中です...