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瀬を早み岩にせかかる滝川の われても末に会はんとぞ思ふ(詞花和歌集 崇徳院)
タクシーが「身元不明者センター」の前に着くと、僕は財布から紙幣を2枚ほど、ろくに数えもしないで運転席へ差し出した。
「あれ、お客さん……」
「お釣りいらないから!」
普通なら自動で開くドアを手で押しのけるようにして、僕はタクシーの外へと飛び出した。
「ちょっと、お客さん!」
「だからお釣りは……」
そこでクラクションを鳴らされて、僕はびくりと立ち止まった。
「急いでるんだから……」
「足りませんよ」
指さされたメーターを見て小銭を払った僕は、すみませんというのもそこそこに、「身元不明者センター」の玄関前に飛び出した。
玄関といっても、ほとんど刑務所のようなものだ。あの白旗隊の本拠地のような高い壁がどこまでも延びていて、外界との間を隔てている。
その途中に、ぽつねんと鉄の扉が1つだけあった。両側に立つのは、全身が黒ずくめの防具に覆われたガードマンだ。
見かけはごっついが、彼らも「魔法士」の称号を持っている。下手に逆らえば、魔法高校の生徒など、見たこともない魔法で瞬殺されてしまう。
「さて、やっては来たものの……」
どうやって彼女に会えばいいのか、タクシーに乗っている間も、僕は全く考えていなかった。
保護されているのが、どこか別の国から飛ばされてきた魔法使いなら、まだ面会しやすかったかもしれない。もしかすると、両親や学校に僕の身元確認がされるかもしれないが、そんなことは何でもなかった。
だが、今回の場合は、時空をすり抜けて落ちてきた魔法使いだ。何かとてつもない事情を抱えたり、公にできない情報を隠していたりするから、一介の高校生がそう簡単に会えるものかどうかは分からない。
だが、アトランティスでの戦いを通して、僕の中では何かが変わっていた。
心の中で吼える、獣の声が聞こえた。
やってみろ! そうでなくては、何も変わらない、と。
僕は、その獅子の声に従った ジョセフの城塞にもう一度立ち向かうつもりで、センターの鉄扉に向かって歩き出す。
玄関前まで来ると、黒いプロテクターを着けたガードマンの、鋭い視線が僕を突き刺した。完全に不審者扱いだ。
だが、こんなものはジョセフの眼差しに比べれば何ということもない。僕は負けじと睨み返した。
その態度が無礼に見えたのか、ガードマンは2人とも明らかに機嫌を損ねたようだった。
険しい目つきで、一方が口を開いた。
「君は誰だ?」
表情の割には、穏やかな尋ね方だった。だが、不審者ならタダではおかないという気迫が感じられた。
ここで退いたら、いくら魔法高校の生徒とはいっても本当に不審者扱いされて、下手をするとこの場で拘束されるかもしれなかった。
現に、もう一方は腰の警棒に手をかけている。腰から膝くらいまでの長さだが、一振りすれば3倍くらいの長さになるのだ。
もちろん、これで殴られたら大ケガをするが、走って逃げてもムダだ。これには呪文の力を増幅する「魔杖《ワンド》」の効果もある。どれだけ引き離しても、相当の距離から「金縛り」の呪文で足止めを食らわすだけの増幅力があるのだ。
だが、僕には何のやましいこともない。心の中の獅子に任せて、堂々と名乗った。
「楓ヶ谷学園高等部1年、芳賀公文!」
魔法使いではない者が面白半分にセンターへ入ってきたり、保護されている相手に嫌がらせしたりしたりしないように、これから身元の確認が厳格に行われるはずだった。
だが、ガードマンは制服の肩章を見て「よし」と認めた。肩章の真贋を確かめる「顕示」の呪文さえも唱えはしない。まるで、どこかのパーティ会場に有名人を招待状なしで通すかのようだった。
不思議に思ったけど、この手抜きは僕にとって好都合だった。まずは、第一関門突破だ。
ガードマンが笑みを浮かべて丁寧に尋ねた。
「ご用件は?」
続く難関は、センターへ入れてもらえるかどうかだ。用件によっては、門前払いを食らう。
普通に考えたら、今朝のニュースで見た身元不明者に心当たりがあるなど言っても、信じてもらえるわけがない。
だが、嘘をつく必要などなかった。僕は12世紀のアトランティスに行って、「結界の少女」に会ってきたのだから。
「会わせて欲しい人がいるんです」
ここでカリアの話を出したら、疑われるかもしれなかった。しかし、これも本当のことだ。恐れることはない。
「名前は……」
僕がその名を口にしようとした、その時だった。
「え……」
センターの中から、けたたましい警報音が響き渡った。ガードマンたちは、引き抜いた警棒を一振りして「武器強化」の呪文を唱える。
「あの、僕は……」
やましいことなど何もないのだが、アトランティスでの経験が、僕の心を奮い立たせた。
思わず、腰の剣に手をやろうとして、そんなものはもうないのに気が付いた。
目の前のガードマン2人が、青い光をまとった警棒を手に身構える。緊急時だけに、完全に、怪しまれていた。
「しまった……」
そのときだった。
砂色の頑丈そうな壁が、縦一文字に切り裂かれた。いや、空間が開かれたといったほうがいい。
「クモン!」
懐かしい声がした。
そこから飛び出してきたのは、真っ白なワンピースに、長い赤毛を揺らめかせた少女だったのだ。
彼女が目の前にいる。そして、今は魔法使いが名前を隠す時代ではない。
僕はもう、彼女の名前を大声で呼ぶことができるのだった。
「カリア!」
彼女は、「狭間隠し」で壁をすり抜けてきたのだ。
2人のガードマンが叫ぶ。
「そこの2人、動くな!」
もちろん、聞くつもりはなかった。だが、そこで鉄扉が大きく開いて、ガードマンたちが突進してきた。
まるで、白旗隊のように。
その後ろには、金モールもきらびやかな制服の魔法士が控えている。
厳重に管理されているはずの「狭間隠し」を操るカリアを危険な魔法使いと見なして、捕まえにきたのだ。
僕は身体の中に燃える、熱いものを感じていた。
「……やるか?」
相手になってやる、と思ったところで、呪文をとなえるのをやめた。
ここは、現代の日本なのだ。
一瞬、硬直したところで、僕は覚悟した。
「やっちまった……」
抵抗したと見なされて、捕まるおそれがある。これで、僕の経歴には傷がつくだろう。両親と目指して来た、アトランティスとの連絡員への道もこれでおしまいだ。
何年も積み上げてきたものが一瞬で崩れるのを感じて、目の前が真っ白になる。だが、同時に僕は、ずっと背負ってきた荷物をようやく下ろしたかのような解放感を感じてもいた。
そのどちらの感覚も、カリアが僕の首に手を回して飛びついてきたときに消し飛んだ。
「また、会えてうれしい……」
たぶん古英語でしゃべっているのだろうが、思いが通じるは魔法使い同士だからだ。
呆然と立ち止まるガードマンや魔法士などには目もくれず、カリアは膝から下を晒すスカート姿を恥じるように笑った。
センターで着せられたのだろう。たぶん、現代に漂着したときは……。
あの水車小屋と同じ想像にうろたえる僕を、カリアはじっと見つめる。
「どうしたの?」
そこへ、センターの職員らしい魔法使いが、白いガウンをまとって現れた。
「どういったご関係ですか?」
恋人だといってやりたかったけど、まだ、そんな関係じゃない。それを聞いたカリアも、何というか分からない。
とりあえず、こう答えておいた。
「ご想像にお任せします」
黒いガウンの魔法使いは、振り返って命じた。
「道を空けろ」
その一言で左右に分かれたガードマンと魔法士たちの間を、白衣の魔法使いに導かれた僕たちは歩きだした。
「クモン……」
「大丈夫」
僕とカリアは、この白衣の魔法使いに12世紀での冒険譚を語ることになるのだろう。歴史を動かした事件との関わりは多分、秘密にされる。
その先は、どうなるか分からない。でも、僕に不安はなかった。
彼女ともう一度、12世紀とはいわず、現代のアトランティスでいいからもう一度、戻ろう。
その方法は、たったひとつだ。両親が叶えられなかった、連絡員の道しかない。
結局、望みをかなえてやるようで面白くないが。
……まあ、いいか。
その前に、ここで一勝負だ。
まずは、カリアを引き受けさせないと。
そのくらい、認めさせてやろう。いままでいい子にしてきたのだから、そろそろ……。
そんな小さな思いつきに、僕の胸は高鳴った。
800年の時を経て連れ帰った、心の中の獅子の咆哮と共に。
(完)
タクシーが「身元不明者センター」の前に着くと、僕は財布から紙幣を2枚ほど、ろくに数えもしないで運転席へ差し出した。
「あれ、お客さん……」
「お釣りいらないから!」
普通なら自動で開くドアを手で押しのけるようにして、僕はタクシーの外へと飛び出した。
「ちょっと、お客さん!」
「だからお釣りは……」
そこでクラクションを鳴らされて、僕はびくりと立ち止まった。
「急いでるんだから……」
「足りませんよ」
指さされたメーターを見て小銭を払った僕は、すみませんというのもそこそこに、「身元不明者センター」の玄関前に飛び出した。
玄関といっても、ほとんど刑務所のようなものだ。あの白旗隊の本拠地のような高い壁がどこまでも延びていて、外界との間を隔てている。
その途中に、ぽつねんと鉄の扉が1つだけあった。両側に立つのは、全身が黒ずくめの防具に覆われたガードマンだ。
見かけはごっついが、彼らも「魔法士」の称号を持っている。下手に逆らえば、魔法高校の生徒など、見たこともない魔法で瞬殺されてしまう。
「さて、やっては来たものの……」
どうやって彼女に会えばいいのか、タクシーに乗っている間も、僕は全く考えていなかった。
保護されているのが、どこか別の国から飛ばされてきた魔法使いなら、まだ面会しやすかったかもしれない。もしかすると、両親や学校に僕の身元確認がされるかもしれないが、そんなことは何でもなかった。
だが、今回の場合は、時空をすり抜けて落ちてきた魔法使いだ。何かとてつもない事情を抱えたり、公にできない情報を隠していたりするから、一介の高校生がそう簡単に会えるものかどうかは分からない。
だが、アトランティスでの戦いを通して、僕の中では何かが変わっていた。
心の中で吼える、獣の声が聞こえた。
やってみろ! そうでなくては、何も変わらない、と。
僕は、その獅子の声に従った ジョセフの城塞にもう一度立ち向かうつもりで、センターの鉄扉に向かって歩き出す。
玄関前まで来ると、黒いプロテクターを着けたガードマンの、鋭い視線が僕を突き刺した。完全に不審者扱いだ。
だが、こんなものはジョセフの眼差しに比べれば何ということもない。僕は負けじと睨み返した。
その態度が無礼に見えたのか、ガードマンは2人とも明らかに機嫌を損ねたようだった。
険しい目つきで、一方が口を開いた。
「君は誰だ?」
表情の割には、穏やかな尋ね方だった。だが、不審者ならタダではおかないという気迫が感じられた。
ここで退いたら、いくら魔法高校の生徒とはいっても本当に不審者扱いされて、下手をするとこの場で拘束されるかもしれなかった。
現に、もう一方は腰の警棒に手をかけている。腰から膝くらいまでの長さだが、一振りすれば3倍くらいの長さになるのだ。
もちろん、これで殴られたら大ケガをするが、走って逃げてもムダだ。これには呪文の力を増幅する「魔杖《ワンド》」の効果もある。どれだけ引き離しても、相当の距離から「金縛り」の呪文で足止めを食らわすだけの増幅力があるのだ。
だが、僕には何のやましいこともない。心の中の獅子に任せて、堂々と名乗った。
「楓ヶ谷学園高等部1年、芳賀公文!」
魔法使いではない者が面白半分にセンターへ入ってきたり、保護されている相手に嫌がらせしたりしたりしないように、これから身元の確認が厳格に行われるはずだった。
だが、ガードマンは制服の肩章を見て「よし」と認めた。肩章の真贋を確かめる「顕示」の呪文さえも唱えはしない。まるで、どこかのパーティ会場に有名人を招待状なしで通すかのようだった。
不思議に思ったけど、この手抜きは僕にとって好都合だった。まずは、第一関門突破だ。
ガードマンが笑みを浮かべて丁寧に尋ねた。
「ご用件は?」
続く難関は、センターへ入れてもらえるかどうかだ。用件によっては、門前払いを食らう。
普通に考えたら、今朝のニュースで見た身元不明者に心当たりがあるなど言っても、信じてもらえるわけがない。
だが、嘘をつく必要などなかった。僕は12世紀のアトランティスに行って、「結界の少女」に会ってきたのだから。
「会わせて欲しい人がいるんです」
ここでカリアの話を出したら、疑われるかもしれなかった。しかし、これも本当のことだ。恐れることはない。
「名前は……」
僕がその名を口にしようとした、その時だった。
「え……」
センターの中から、けたたましい警報音が響き渡った。ガードマンたちは、引き抜いた警棒を一振りして「武器強化」の呪文を唱える。
「あの、僕は……」
やましいことなど何もないのだが、アトランティスでの経験が、僕の心を奮い立たせた。
思わず、腰の剣に手をやろうとして、そんなものはもうないのに気が付いた。
目の前のガードマン2人が、青い光をまとった警棒を手に身構える。緊急時だけに、完全に、怪しまれていた。
「しまった……」
そのときだった。
砂色の頑丈そうな壁が、縦一文字に切り裂かれた。いや、空間が開かれたといったほうがいい。
「クモン!」
懐かしい声がした。
そこから飛び出してきたのは、真っ白なワンピースに、長い赤毛を揺らめかせた少女だったのだ。
彼女が目の前にいる。そして、今は魔法使いが名前を隠す時代ではない。
僕はもう、彼女の名前を大声で呼ぶことができるのだった。
「カリア!」
彼女は、「狭間隠し」で壁をすり抜けてきたのだ。
2人のガードマンが叫ぶ。
「そこの2人、動くな!」
もちろん、聞くつもりはなかった。だが、そこで鉄扉が大きく開いて、ガードマンたちが突進してきた。
まるで、白旗隊のように。
その後ろには、金モールもきらびやかな制服の魔法士が控えている。
厳重に管理されているはずの「狭間隠し」を操るカリアを危険な魔法使いと見なして、捕まえにきたのだ。
僕は身体の中に燃える、熱いものを感じていた。
「……やるか?」
相手になってやる、と思ったところで、呪文をとなえるのをやめた。
ここは、現代の日本なのだ。
一瞬、硬直したところで、僕は覚悟した。
「やっちまった……」
抵抗したと見なされて、捕まるおそれがある。これで、僕の経歴には傷がつくだろう。両親と目指して来た、アトランティスとの連絡員への道もこれでおしまいだ。
何年も積み上げてきたものが一瞬で崩れるのを感じて、目の前が真っ白になる。だが、同時に僕は、ずっと背負ってきた荷物をようやく下ろしたかのような解放感を感じてもいた。
そのどちらの感覚も、カリアが僕の首に手を回して飛びついてきたときに消し飛んだ。
「また、会えてうれしい……」
たぶん古英語でしゃべっているのだろうが、思いが通じるは魔法使い同士だからだ。
呆然と立ち止まるガードマンや魔法士などには目もくれず、カリアは膝から下を晒すスカート姿を恥じるように笑った。
センターで着せられたのだろう。たぶん、現代に漂着したときは……。
あの水車小屋と同じ想像にうろたえる僕を、カリアはじっと見つめる。
「どうしたの?」
そこへ、センターの職員らしい魔法使いが、白いガウンをまとって現れた。
「どういったご関係ですか?」
恋人だといってやりたかったけど、まだ、そんな関係じゃない。それを聞いたカリアも、何というか分からない。
とりあえず、こう答えておいた。
「ご想像にお任せします」
黒いガウンの魔法使いは、振り返って命じた。
「道を空けろ」
その一言で左右に分かれたガードマンと魔法士たちの間を、白衣の魔法使いに導かれた僕たちは歩きだした。
「クモン……」
「大丈夫」
僕とカリアは、この白衣の魔法使いに12世紀での冒険譚を語ることになるのだろう。歴史を動かした事件との関わりは多分、秘密にされる。
その先は、どうなるか分からない。でも、僕に不安はなかった。
彼女ともう一度、12世紀とはいわず、現代のアトランティスでいいからもう一度、戻ろう。
その方法は、たったひとつだ。両親が叶えられなかった、連絡員の道しかない。
結局、望みをかなえてやるようで面白くないが。
……まあ、いいか。
その前に、ここで一勝負だ。
まずは、カリアを引き受けさせないと。
そのくらい、認めさせてやろう。いままでいい子にしてきたのだから、そろそろ……。
そんな小さな思いつきに、僕の胸は高鳴った。
800年の時を経て連れ帰った、心の中の獅子の咆哮と共に。
(完)
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