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強弓の勇者
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およそ能登守教経の矢先に回る者こそなかりけれ。矢だねのあるほど射尽くして、今日を最後とや思はれけん……(平家物語)
次の朝、夜が明ける前に隠れ家を発った僕たちは、日が昇る頃にはあの海岸に着いていた。
「では、手筈通りに」
朝日を浴びながら弓を手にして妙に勢い込んでいるオットーを、姿の見えないミカルドがたしなめた。
「そう気を張らずともよい、謀は密なるを尊ぶと申すではないか」
荷馬車の後ろから聞こえる声は晴れた夜明けの海辺にふさわしく、澄み渡って爽やかだった。
それでも気が静まらないのか、オットーは僕をしきりに煽り立てた。
「では、抜かりなきよう」
「僕なりに、できることをするまでさ」
軽口を叩いてみせるが、実は結構、気持ちは張りつめていた。
これが、最後の決戦なのだ。
ジョセフは今度こそ、名誉と誇りと生き残りを懸けて、たった3人しかいない僕たちに全力で戦いを挑んでくる。
それを、僕の魔法とオットーの弓矢だけで凌ぎ切らなければならないのだ。ミカルドは育ちが育ちだけに、全くあてにはできない。
頼みの綱は、ザグルーの船団だ。だが、それにしてもアトランティスを覆う結界が解けないことには、僕たちの窮地を救うことはできない。
「かたじけない、縁もゆかりもない我が主君のために、枕を並べて討ち死にしてくださるとは」
オットーはかなり真剣だったのだが、僕は自分の緊張を和らげるために、怒られても仕方がない軽口を叩いた。
「ミカルドのためっていうのはともかく、死ぬつもりは全くないので宜しく」
恐怖と向き合うために、そんな他愛もないやりとりをしながら、オットーと二人で荷馬車を背にして待つ。
やがて朝日を背にして、地平線の向こうから大きな人影が、長い旗を立てた人馬をぞろぞろ伴ってやってきた。
僕は息を呑んで、オットーに尋ねた。
「あまり聞きたくはないんだけど……あれは?」
「ヨシウの配下のベン・ケイと、白旗隊だ」
オットーは低い声で、苦々しげに答えた。それは、ジョセフがゴーレムを伴って現れたということだ。
だが、オットーは愉快そうに笑った。
「来ましたな、あやつら。夜っぴて駆けた甲斐があり申した」
昨夜、ミカルドから預かった短冊を胸に、オットーは弓矢を背負って、白旗隊の本拠地へ馬を走らせていった
夜闇に紛れて常識では考えられない距離から放った鏑矢は、高らかな音を立てて城壁を越えたことだろう。
その先に結び付けてあった短冊には、こう書いてあったらしい。
「わが母が父にまみえし女《おみな》が背《せ》遺せる兄に追わるるは誰ぞ」
「垣を越え海崖《うなひら》に待つ丈夫《ますらお》に代ふるに足るは天の群雲《むらくも》」
それらはジョセフの出自を嘲り、僕とシャナンの剣を賭けた1対1の勝負を挑む決闘状だった。
歌の意味は、こんなところだ。
「私の母方の祖父の妾になった女(ジョセフの母)が夫との間に産んだ実の子のうち、兄に追い立てられているのは誰だろう? (ジョセフ、おまえのことだ)」
「城壁を越えて、海岸の崖で待っている勇者(つまり僕のことだ)が欲しかったら、シャナンの剣を持ってこい」
やがて、ぬらぬらと昇る真っ赤な太陽が白い朝日に変わる頃、黒い鎧をまとって長柄の偃月刀を携えたジョセフが、栗毛の馬に乗ってやってきた。
腰には、あの「シャナンの剣」と思しき直剣を提げている。
その背後には、黒衣の騎馬戦士十数名。
さらにその両側に3人ずつ控えている馬上の者は、灰色のマントとフードで全身をすっぽり覆っている。
オットーが不審げにつぶやいた。
「ヨシウが、妖かしどもを?」
あやかし、と呼ぶのは魔法使いのことだろう。
白旗隊は、魔法使いに頼らずにアトランティス戦争の残党狩りをすることで恐れられてきたはずなのだ。
背後の馬車の向こうからミカルドが言った。
「それほどおぬしを恐れておるのだ」
光栄と言わずばなるまい。現代に戻れば、僕などは珍しくもない魔法高校生だ。あちこちの大会を荒らしてはいるが、魔法使い全体の中では何ということもない。
「迷惑な話だよ、全く」
ぶつくさ言うと、またオットーが睨んでいた。それが見えているかのように、ミカルドは穏やかな声で昔語りを始めた。
「ジョセフならば、血がたぎるであろう。かつて、似たようなことがあったというからな」
全然、心が和まない。あの執念深いジョセフとの戦いを思い出してみると、よくわかる気がしたからだ。
それでも問い返してみた。
「どんな?」
「海上戦闘で落とした弓をわざわざ拾いに行ったらしい……音に聞こえた強弓ならわざと敵に拾わせて兵士共の肝を冷やしもしようが、こんな弱い弓ではその連中に笑われるだけだと言ってな」
命よりも意地と名誉にこだわる男だということだ、ジョセフは。だが、まさにそこが僕たちの狙いだった。
「来ましたぞ」
オットーが告げたのは、巨人と黒い騎馬団の接近だった。最後の戦いのときが、近づいていた。
やがて、ゴーレムが抱えている少女の姿が分かるほどの距離で、ジョセフたちは止まった。
遠目にも分かる、赤毛……。
カリアの名を叫びそうになったが、そこはこらえた。
いくら何でも、魔法使いがいる前では危険が大きすぎる。本当の名前を知ったら、ギアスの呪文で僕たちを攻撃させたり、万が一の敗北にあたってはカリアに自殺させたりということもあり得る。
ゆったりとした、白い女物の囚人服を着せられたカリアは、ゴーレムの腕にしっかりと挟まれたまま、気を失っているようだった。
声もかけられず悶々とする僕など無視して、ジョセフはミカルドを馬上から探した。
「従者の背中に隠れるくらいなら、わざわざ逃げ道のない場所を選ぶものではない」
高らかに嘲笑う声に、歌うように優美な声が答えた。
荷馬車の陰に潜んでいたミカルドが、透けて見えるほど薄い白絹をかぶって僕の傍らに立つ。
「守るも奪い返すも力ずくなら、どこで戦うのも同じこと」
ジョセフの額に青筋が浮かぶのが、遠目にも分かった。そこで、ミカルドは布を払いのける。
そこには、古典の教科書で見たことのある装束姿があった。
前で合わせる形の衣が、首の辺りで結わえた赤い紐で留められている。
大きな輪になった袖を衣に縫い付けた辺りの他に数か所、菊の模様をした飾りがある。
履いているのは、裾の膨らんだ袴に、小さな草履。
長い黒髪は、頭の後ろで結わえている。
いわゆる水干姿だ。
出立前にこの姿で現れたミカルドは、これが少年時代のジョセフの姿だと言った。それは即ち、母の愛から遠ざけられてひとりで生きていた頃の、懐かしくも忌まわしい思い出といえるだろう。
その挑発は、効果てきめんだった。
「おのれ!」
手綱を放したジョセフは、曲馬団のように片手を鞍に置いて、逆さまに跳躍した。
それを見あげて、ミカルドは感嘆の声を漏らした。
「やはり、素早いのう……天狗に習うた技は違う」
空中から振り下ろす偃月刀を、紙一重の差でかわす。大きく踏み込んで、短刀を一閃させた。腰の鞘から抜き放った、優美に反りを打つ短刀である。
だが、その場所に、ジョセフの黒い鎧はない。
「どこを見ている!」
ジョセフはそう言うなり、高々と舞い上がって、ミカルドの背後から斬りつけてくる。
ミカルドは悠然と答えた。
「お前の顔さ」
「出っ歯で色の黒い?」
ジョセフが自虐まるだしの言葉で不機嫌に答える。
そこでミカルドは、一瞬でターンした。凄まじい速さで短刀の間合いに飛び込む。その切っ先は、黒いラメラー・アーマーの隙間を貫通するかに思われた。
次の朝、夜が明ける前に隠れ家を発った僕たちは、日が昇る頃にはあの海岸に着いていた。
「では、手筈通りに」
朝日を浴びながら弓を手にして妙に勢い込んでいるオットーを、姿の見えないミカルドがたしなめた。
「そう気を張らずともよい、謀は密なるを尊ぶと申すではないか」
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それでも気が静まらないのか、オットーは僕をしきりに煽り立てた。
「では、抜かりなきよう」
「僕なりに、できることをするまでさ」
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これが、最後の決戦なのだ。
ジョセフは今度こそ、名誉と誇りと生き残りを懸けて、たった3人しかいない僕たちに全力で戦いを挑んでくる。
それを、僕の魔法とオットーの弓矢だけで凌ぎ切らなければならないのだ。ミカルドは育ちが育ちだけに、全くあてにはできない。
頼みの綱は、ザグルーの船団だ。だが、それにしてもアトランティスを覆う結界が解けないことには、僕たちの窮地を救うことはできない。
「かたじけない、縁もゆかりもない我が主君のために、枕を並べて討ち死にしてくださるとは」
オットーはかなり真剣だったのだが、僕は自分の緊張を和らげるために、怒られても仕方がない軽口を叩いた。
「ミカルドのためっていうのはともかく、死ぬつもりは全くないので宜しく」
恐怖と向き合うために、そんな他愛もないやりとりをしながら、オットーと二人で荷馬車を背にして待つ。
やがて朝日を背にして、地平線の向こうから大きな人影が、長い旗を立てた人馬をぞろぞろ伴ってやってきた。
僕は息を呑んで、オットーに尋ねた。
「あまり聞きたくはないんだけど……あれは?」
「ヨシウの配下のベン・ケイと、白旗隊だ」
オットーは低い声で、苦々しげに答えた。それは、ジョセフがゴーレムを伴って現れたということだ。
だが、オットーは愉快そうに笑った。
「来ましたな、あやつら。夜っぴて駆けた甲斐があり申した」
昨夜、ミカルドから預かった短冊を胸に、オットーは弓矢を背負って、白旗隊の本拠地へ馬を走らせていった
夜闇に紛れて常識では考えられない距離から放った鏑矢は、高らかな音を立てて城壁を越えたことだろう。
その先に結び付けてあった短冊には、こう書いてあったらしい。
「わが母が父にまみえし女《おみな》が背《せ》遺せる兄に追わるるは誰ぞ」
「垣を越え海崖《うなひら》に待つ丈夫《ますらお》に代ふるに足るは天の群雲《むらくも》」
それらはジョセフの出自を嘲り、僕とシャナンの剣を賭けた1対1の勝負を挑む決闘状だった。
歌の意味は、こんなところだ。
「私の母方の祖父の妾になった女(ジョセフの母)が夫との間に産んだ実の子のうち、兄に追い立てられているのは誰だろう? (ジョセフ、おまえのことだ)」
「城壁を越えて、海岸の崖で待っている勇者(つまり僕のことだ)が欲しかったら、シャナンの剣を持ってこい」
やがて、ぬらぬらと昇る真っ赤な太陽が白い朝日に変わる頃、黒い鎧をまとって長柄の偃月刀を携えたジョセフが、栗毛の馬に乗ってやってきた。
腰には、あの「シャナンの剣」と思しき直剣を提げている。
その背後には、黒衣の騎馬戦士十数名。
さらにその両側に3人ずつ控えている馬上の者は、灰色のマントとフードで全身をすっぽり覆っている。
オットーが不審げにつぶやいた。
「ヨシウが、妖かしどもを?」
あやかし、と呼ぶのは魔法使いのことだろう。
白旗隊は、魔法使いに頼らずにアトランティス戦争の残党狩りをすることで恐れられてきたはずなのだ。
背後の馬車の向こうからミカルドが言った。
「それほどおぬしを恐れておるのだ」
光栄と言わずばなるまい。現代に戻れば、僕などは珍しくもない魔法高校生だ。あちこちの大会を荒らしてはいるが、魔法使い全体の中では何ということもない。
「迷惑な話だよ、全く」
ぶつくさ言うと、またオットーが睨んでいた。それが見えているかのように、ミカルドは穏やかな声で昔語りを始めた。
「ジョセフならば、血がたぎるであろう。かつて、似たようなことがあったというからな」
全然、心が和まない。あの執念深いジョセフとの戦いを思い出してみると、よくわかる気がしたからだ。
それでも問い返してみた。
「どんな?」
「海上戦闘で落とした弓をわざわざ拾いに行ったらしい……音に聞こえた強弓ならわざと敵に拾わせて兵士共の肝を冷やしもしようが、こんな弱い弓ではその連中に笑われるだけだと言ってな」
命よりも意地と名誉にこだわる男だということだ、ジョセフは。だが、まさにそこが僕たちの狙いだった。
「来ましたぞ」
オットーが告げたのは、巨人と黒い騎馬団の接近だった。最後の戦いのときが、近づいていた。
やがて、ゴーレムが抱えている少女の姿が分かるほどの距離で、ジョセフたちは止まった。
遠目にも分かる、赤毛……。
カリアの名を叫びそうになったが、そこはこらえた。
いくら何でも、魔法使いがいる前では危険が大きすぎる。本当の名前を知ったら、ギアスの呪文で僕たちを攻撃させたり、万が一の敗北にあたってはカリアに自殺させたりということもあり得る。
ゆったりとした、白い女物の囚人服を着せられたカリアは、ゴーレムの腕にしっかりと挟まれたまま、気を失っているようだった。
声もかけられず悶々とする僕など無視して、ジョセフはミカルドを馬上から探した。
「従者の背中に隠れるくらいなら、わざわざ逃げ道のない場所を選ぶものではない」
高らかに嘲笑う声に、歌うように優美な声が答えた。
荷馬車の陰に潜んでいたミカルドが、透けて見えるほど薄い白絹をかぶって僕の傍らに立つ。
「守るも奪い返すも力ずくなら、どこで戦うのも同じこと」
ジョセフの額に青筋が浮かぶのが、遠目にも分かった。そこで、ミカルドは布を払いのける。
そこには、古典の教科書で見たことのある装束姿があった。
前で合わせる形の衣が、首の辺りで結わえた赤い紐で留められている。
大きな輪になった袖を衣に縫い付けた辺りの他に数か所、菊の模様をした飾りがある。
履いているのは、裾の膨らんだ袴に、小さな草履。
長い黒髪は、頭の後ろで結わえている。
いわゆる水干姿だ。
出立前にこの姿で現れたミカルドは、これが少年時代のジョセフの姿だと言った。それは即ち、母の愛から遠ざけられてひとりで生きていた頃の、懐かしくも忌まわしい思い出といえるだろう。
その挑発は、効果てきめんだった。
「おのれ!」
手綱を放したジョセフは、曲馬団のように片手を鞍に置いて、逆さまに跳躍した。
それを見あげて、ミカルドは感嘆の声を漏らした。
「やはり、素早いのう……天狗に習うた技は違う」
空中から振り下ろす偃月刀を、紙一重の差でかわす。大きく踏み込んで、短刀を一閃させた。腰の鞘から抜き放った、優美に反りを打つ短刀である。
だが、その場所に、ジョセフの黒い鎧はない。
「どこを見ている!」
ジョセフはそう言うなり、高々と舞い上がって、ミカルドの背後から斬りつけてくる。
ミカルドは悠然と答えた。
「お前の顔さ」
「出っ歯で色の黒い?」
ジョセフが自虐まるだしの言葉で不機嫌に答える。
そこでミカルドは、一瞬でターンした。凄まじい速さで短刀の間合いに飛び込む。その切っ先は、黒いラメラー・アーマーの隙間を貫通するかに思われた。
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