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女性たちの危機に、鬼たちのリーダーは……。
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先に斬りかかったのは咲耶だった。
「刃を交えるのは初めてじゃなかったかな?」
高々と跳躍したかと思うと、鵺笛の脳天に刀を振り下ろす。
だが、鵺笛は足元に油でも引いてあるかのように、音もなく、滑らかに退いた。
大きな空振りに終わった刀を斜め下段に構えて、咲耶はふわりと舞い降りる。
鮮やかなものだったが、その瞬間、鵺笛が動いたのは俺の目にも分かった。
咲耶に危険を告げようにも、口が動かない。
その足が着地する直前を狙って、鵺笛はさっきの咲耶よりも、なお低い姿勢で滑り込んだ。
横薙ぎに払った手刀が、咲耶の両足を斬り飛ばすかと思われたときだ。
「なるほど、この瞬間を狙うわけだね」
神主装束の白い服と白い袴が、空中でくるりと一回転する。
目の前にさらされた鵺笛の背中に向かって、咲耶は逆手に持った刀の切っ先を突き立てにかかる。
だが、鵺笛は更に、その上を行く手練れだった。
手刀にしていた掌を突くと、反転して短剣を薙ぎ払ったのだ。
咲耶は、落ち着き払って囁いた。
「いい手だけど、惜しかったね」
足を垂直に伸ばしたかと思うと、全身で半月を描いて着地する。
その背中に突き立てられようとした短剣は、咲耶が振り向きざまに突きつけた杖と牽制しあった。
咲耶の喉元に、鉤状に曲げられた指が飛ぶ。
「ボクの勝ちだね」
俺もここで、つぶやく咲耶の勝利を確信した。
単純極まりない、じゃんけんだ。
しかも、手はそれぞれ二つしかない。
刃物と、そうでないものだ。
いかに鵺笛の手が凶器だとはいえ、真っ向から刀を振り下ろされたら、ひとたまりもない。
だが、その読みは甘かった。
手首が、くいと動いただけで短剣は反対側の手へと移動する。
咲耶が呻いて、斬りつける。
「こんな手品で!」
降り下ろした刀は、三つ又の短剣に絡め取られた。
手刀が、杖を叩き折る。
それでも、咲耶は諦めない。
髪の毛の中から抜き放った髪留めで、鵺笛の目を突きにかかる。
そこで初めて、鵺は咆哮した。
「往生際が悪いわ、人間!」
咲耶の手首を掴んで、軽々と空気投げを食らわせる。
受け身を取りはしたが、立ち上がることはできなかった。
巨大な獣が唸り声と共に、のしかかってきたからだ。
鵺笛が、やれやれといった調子で息をついた。
「では、行け。獣たち……」
獣たちに襲われたのは、咲耶だけではなかった。
辛くも鬼たちに勝利を収めようとしていた退魔師たちは、大混乱に陥っていた。
咲耶が呻く。
「大口真神……」
つまり狼の化物が、群れを成して食らいついてきたのだ。
どれだけ刀で斬りつけても、すぐに回復してしまう。
何人も一斉に掛かって、足を残らず斬り飛ばしたとしても、顎だけで食らいついてくる。
信じられないほどの敏捷さでかわしても、狼は次から次へと現れる。
たちまちのうちに、退魔師たちは背中合わせに追い詰められる。
刀を構えて、外向きの円陣をいくつも張る羽目になった。
だが、事はそれだけでは済まなかった。
退魔師たちの遥か頭上から、甲高い声を上げて急降下してくるものがあったのだ。
咲耶は、不安げにつぶやく。
「善知鳥《うとう》……」
それが何なのかは、咲耶が田舎からこっちへやってきてから聞いたことがある。
能の謡《うたい》のひとつだ。
ある旅の僧侶が、「日本の屋根」とも、また地獄にも見立てられる立山連峰にさしかかったとき、ひとりの漁師の亡霊が現れる。
形見の品を預かって、妻と子に届けた僧侶が供養すると、現れた漁師の亡霊が地獄の辛さを物語るのだ。
その様が、目の前に展開されていた。
鉄の色をした翼を持つ鳥が、赤銅色の爪をぎらつかせて、退魔師の頭上から急降下する。
人の絶叫にも似た鳴き声は、金縛りにかかった身体の奥にも、悪寒と鈍い痛みを走らせる。
……「うとう」「やすたか」「ウトウ」「ヤスタカ」と。
ましてや、 狼たちに押さえつけられているとはいえ、わずかながらも自由の利く身体は、その苦痛に捩じれ、もがき、のたうち回る。
さらにその爪は、退魔師たちの身体を情け容赦なく抉った。
色とりどりの神主装束は引き裂かれ、真っ赤な血の色で一様に染まる。
形勢は、一気に逆転した。
今まで、息も絶え絶えになりながら戦っていた鬼たちは、俄然、勢いづいた。
こういうとき、抑えつけられていた者の怒りや憎しみというのは、抑えつけていた者のなかで最も弱い者へと向けられる。
しかも、この場合は、鬼たちの中に本能として潜む、そして当然の宿命として課されたものが指し示す相手が、すぐ目の前にいた。
うずくまる羅羽を牽制する、女たちだ。
むせかえるような色香を放つ、全裸の……。
鬼たちが雄叫びを挙げて、退魔師の女たちに殺到した。
女たちは羅羽を背にして囲むと、手に手に武器を持って構える。
もともとは長い黒髪の中に隠していた簪や針、鎖分銅が、鬼たちへと放たれた。
だが、逆上し、興奮に身を任せた鬼たちはもう、そんなものは通用しない。
女たちの武器は、唸りを上げる刃の前に、ひとつ残らず弾き飛ばされた。
勝ち誇った鬼たちは、自分たちの武器をも投げ出す。
田舎の神社で見た狒狒神たちのように猛り狂って、女たちへと飛びかかった。
たちまちのうちに、白く瑞々しい身体は、禍々しく隆起した鬼たちの肉体の下に組み伏せられる。
最初のうちは歯を食いしばって抵抗していた女たちだったが、とうとう、ひとりが耐え切れずに微かな声を立てた。
「いや……」
それがきっかけとなって、はりつめた意図が切れたかのように、次から次へと悲鳴が上がっていく。
「やめて!」
「離して!」
女たちの包囲から解放された羅羽はというと、その場にうずくまったまま、仲間のすることを呆然と見ていた。
その鬼たちを制止したのは、以外にも、鵺笛だった。
「やめろ! 女たちに手を出すな!」
だが、鬼たちは聞く耳を持たない。
鵺笛はなおも、鬼たちの大義を説き続ける。
「確かに、人間の女をさらって子を成すのは、鬼が鬼であるためには当たり前のことだ。だが、これは我らの世界を守るための戦いだ!」
鬼たちの腕力に、女たちはぐったりとして、なすがままにされている。
鵺笛の口から、唸り声と共に牙が覗いた。
「いかに同胞とはいえ、鬼の誇りを忘れた者に容赦はせん」
そう言い捨てると、いちばん手前の鬼の首元を掴み上げて、女の身体から引き剥がす。
双方の顔に浮かんだ恐怖の色など知らないという顔で、鵺笛はきっぱりと告げる。
「掟に従ってもらうぞ」
本当に、仲間でさえも殺してしまいかねない勢いだった。
その手には、さっき咲耶に向けて振るった短剣が輝いている。
鵺笛は、退魔師の女にも告げた。
「おぬしたちは、鬼の世界にここまで足を踏み込んだ。その報いは、受けてもらう」
狼たちの咆哮と、善知鳥たちの叫喚が響き渡った。
抵抗する退魔師たちは、ひとり、またひとりと力尽きていく。
咲耶もまた、大きな狼の足の下に押さえ込まれている。
鬼たちの狼藉は止んだが、鵺笛の前に、人間は男も女もない。
目の前でたくさんの人が死へと向かっているというのに、俺はどうすることもできない。
それが、たまらなく悔しく、忌々しかった。
身動きもできないまま、そんなことを考えていると、俺の頭の中に浮かび上がった顔があった。
……母さんだ。
だが、絶体絶命の俺を見るその目は、厳しくはあっても優しくはなかった。
むしろ、叱りつけられているような気さえした。
……もうだめだなんて、言い訳しないで。あなたが正しいと思うことをしなさい。
それは分かっている。
何かしようと思っても、俺にはできない事情があるのだ。
そう言いたい俺の気持ちを見透かしたように、母さんは言った。
……できない理由よりも、できると信じて行動を起こす根拠よ、大事なのは。
「刃を交えるのは初めてじゃなかったかな?」
高々と跳躍したかと思うと、鵺笛の脳天に刀を振り下ろす。
だが、鵺笛は足元に油でも引いてあるかのように、音もなく、滑らかに退いた。
大きな空振りに終わった刀を斜め下段に構えて、咲耶はふわりと舞い降りる。
鮮やかなものだったが、その瞬間、鵺笛が動いたのは俺の目にも分かった。
咲耶に危険を告げようにも、口が動かない。
その足が着地する直前を狙って、鵺笛はさっきの咲耶よりも、なお低い姿勢で滑り込んだ。
横薙ぎに払った手刀が、咲耶の両足を斬り飛ばすかと思われたときだ。
「なるほど、この瞬間を狙うわけだね」
神主装束の白い服と白い袴が、空中でくるりと一回転する。
目の前にさらされた鵺笛の背中に向かって、咲耶は逆手に持った刀の切っ先を突き立てにかかる。
だが、鵺笛は更に、その上を行く手練れだった。
手刀にしていた掌を突くと、反転して短剣を薙ぎ払ったのだ。
咲耶は、落ち着き払って囁いた。
「いい手だけど、惜しかったね」
足を垂直に伸ばしたかと思うと、全身で半月を描いて着地する。
その背中に突き立てられようとした短剣は、咲耶が振り向きざまに突きつけた杖と牽制しあった。
咲耶の喉元に、鉤状に曲げられた指が飛ぶ。
「ボクの勝ちだね」
俺もここで、つぶやく咲耶の勝利を確信した。
単純極まりない、じゃんけんだ。
しかも、手はそれぞれ二つしかない。
刃物と、そうでないものだ。
いかに鵺笛の手が凶器だとはいえ、真っ向から刀を振り下ろされたら、ひとたまりもない。
だが、その読みは甘かった。
手首が、くいと動いただけで短剣は反対側の手へと移動する。
咲耶が呻いて、斬りつける。
「こんな手品で!」
降り下ろした刀は、三つ又の短剣に絡め取られた。
手刀が、杖を叩き折る。
それでも、咲耶は諦めない。
髪の毛の中から抜き放った髪留めで、鵺笛の目を突きにかかる。
そこで初めて、鵺は咆哮した。
「往生際が悪いわ、人間!」
咲耶の手首を掴んで、軽々と空気投げを食らわせる。
受け身を取りはしたが、立ち上がることはできなかった。
巨大な獣が唸り声と共に、のしかかってきたからだ。
鵺笛が、やれやれといった調子で息をついた。
「では、行け。獣たち……」
獣たちに襲われたのは、咲耶だけではなかった。
辛くも鬼たちに勝利を収めようとしていた退魔師たちは、大混乱に陥っていた。
咲耶が呻く。
「大口真神……」
つまり狼の化物が、群れを成して食らいついてきたのだ。
どれだけ刀で斬りつけても、すぐに回復してしまう。
何人も一斉に掛かって、足を残らず斬り飛ばしたとしても、顎だけで食らいついてくる。
信じられないほどの敏捷さでかわしても、狼は次から次へと現れる。
たちまちのうちに、退魔師たちは背中合わせに追い詰められる。
刀を構えて、外向きの円陣をいくつも張る羽目になった。
だが、事はそれだけでは済まなかった。
退魔師たちの遥か頭上から、甲高い声を上げて急降下してくるものがあったのだ。
咲耶は、不安げにつぶやく。
「善知鳥《うとう》……」
それが何なのかは、咲耶が田舎からこっちへやってきてから聞いたことがある。
能の謡《うたい》のひとつだ。
ある旅の僧侶が、「日本の屋根」とも、また地獄にも見立てられる立山連峰にさしかかったとき、ひとりの漁師の亡霊が現れる。
形見の品を預かって、妻と子に届けた僧侶が供養すると、現れた漁師の亡霊が地獄の辛さを物語るのだ。
その様が、目の前に展開されていた。
鉄の色をした翼を持つ鳥が、赤銅色の爪をぎらつかせて、退魔師の頭上から急降下する。
人の絶叫にも似た鳴き声は、金縛りにかかった身体の奥にも、悪寒と鈍い痛みを走らせる。
……「うとう」「やすたか」「ウトウ」「ヤスタカ」と。
ましてや、 狼たちに押さえつけられているとはいえ、わずかながらも自由の利く身体は、その苦痛に捩じれ、もがき、のたうち回る。
さらにその爪は、退魔師たちの身体を情け容赦なく抉った。
色とりどりの神主装束は引き裂かれ、真っ赤な血の色で一様に染まる。
形勢は、一気に逆転した。
今まで、息も絶え絶えになりながら戦っていた鬼たちは、俄然、勢いづいた。
こういうとき、抑えつけられていた者の怒りや憎しみというのは、抑えつけていた者のなかで最も弱い者へと向けられる。
しかも、この場合は、鬼たちの中に本能として潜む、そして当然の宿命として課されたものが指し示す相手が、すぐ目の前にいた。
うずくまる羅羽を牽制する、女たちだ。
むせかえるような色香を放つ、全裸の……。
鬼たちが雄叫びを挙げて、退魔師の女たちに殺到した。
女たちは羅羽を背にして囲むと、手に手に武器を持って構える。
もともとは長い黒髪の中に隠していた簪や針、鎖分銅が、鬼たちへと放たれた。
だが、逆上し、興奮に身を任せた鬼たちはもう、そんなものは通用しない。
女たちの武器は、唸りを上げる刃の前に、ひとつ残らず弾き飛ばされた。
勝ち誇った鬼たちは、自分たちの武器をも投げ出す。
田舎の神社で見た狒狒神たちのように猛り狂って、女たちへと飛びかかった。
たちまちのうちに、白く瑞々しい身体は、禍々しく隆起した鬼たちの肉体の下に組み伏せられる。
最初のうちは歯を食いしばって抵抗していた女たちだったが、とうとう、ひとりが耐え切れずに微かな声を立てた。
「いや……」
それがきっかけとなって、はりつめた意図が切れたかのように、次から次へと悲鳴が上がっていく。
「やめて!」
「離して!」
女たちの包囲から解放された羅羽はというと、その場にうずくまったまま、仲間のすることを呆然と見ていた。
その鬼たちを制止したのは、以外にも、鵺笛だった。
「やめろ! 女たちに手を出すな!」
だが、鬼たちは聞く耳を持たない。
鵺笛はなおも、鬼たちの大義を説き続ける。
「確かに、人間の女をさらって子を成すのは、鬼が鬼であるためには当たり前のことだ。だが、これは我らの世界を守るための戦いだ!」
鬼たちの腕力に、女たちはぐったりとして、なすがままにされている。
鵺笛の口から、唸り声と共に牙が覗いた。
「いかに同胞とはいえ、鬼の誇りを忘れた者に容赦はせん」
そう言い捨てると、いちばん手前の鬼の首元を掴み上げて、女の身体から引き剥がす。
双方の顔に浮かんだ恐怖の色など知らないという顔で、鵺笛はきっぱりと告げる。
「掟に従ってもらうぞ」
本当に、仲間でさえも殺してしまいかねない勢いだった。
その手には、さっき咲耶に向けて振るった短剣が輝いている。
鵺笛は、退魔師の女にも告げた。
「おぬしたちは、鬼の世界にここまで足を踏み込んだ。その報いは、受けてもらう」
狼たちの咆哮と、善知鳥たちの叫喚が響き渡った。
抵抗する退魔師たちは、ひとり、またひとりと力尽きていく。
咲耶もまた、大きな狼の足の下に押さえ込まれている。
鬼たちの狼藉は止んだが、鵺笛の前に、人間は男も女もない。
目の前でたくさんの人が死へと向かっているというのに、俺はどうすることもできない。
それが、たまらなく悔しく、忌々しかった。
身動きもできないまま、そんなことを考えていると、俺の頭の中に浮かび上がった顔があった。
……母さんだ。
だが、絶体絶命の俺を見るその目は、厳しくはあっても優しくはなかった。
むしろ、叱りつけられているような気さえした。
……もうだめだなんて、言い訳しないで。あなたが正しいと思うことをしなさい。
それは分かっている。
何かしようと思っても、俺にはできない事情があるのだ。
そう言いたい俺の気持ちを見透かしたように、母さんは言った。
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