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繰り返される夏の夕暮れに、退魔師の幼馴染は俺に寂しい笑いを見せます

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 まだ、呆然と佇んでいる羅羽。
 何をどうやったのか、身のひと振りで素肌を元通りの服の下に隠した咲耶。
 夏の夜闇の中に、ふたりの少女の姿が溶け込んでいく。
 代わりに聞こえてきたのは、遠ざかっていく喚き声だ。
「だから知らねえって!」
「何も持ってないってば、クスリなんか!」
「気が付いたら倒れてたんだよ!」
 たぶん、昨日のヤンキーどもの声だ。
 話は署で聞くから、となだめているのは警官たちだろう。
 何が起こったのかは、羅羽の声が教えてくれた。
「結界の中の戦いだったの……鬼が、放った大口真神を通して作った」
 独り言に近いつぶやきだったが、何となく、ほっとした。
 少なくとも、正気を取り戻してくれてはいる。
 負けじとばかりに、咲耶が語りはじめる。
「鬼どもが取りついてたんだよ、あいつらに。操ってたのさ」
 それは、羅羽にはつらい言葉だったろう。
 俺は話をそらそうとして、聞いてみる。
「何のために?」
 咲耶は、あまり考えもしないで答えた。
「さあ……出てこられない事情があったんだろうね」 
 微かな足音が歩み去るのが聞こえた。
 羅羽だ。
 何気なく咲耶が言ったことでも、敢えて人間の世界に生きる鬼にとってはこたえただろう。
 俺は、足音を頼りに、羅羽を追った。

 神社からの裏道に出たところで、咲耶が追いついてきた。
「あいつらも、憑いていたものが落ちたら鬼じゃなくなって、結界から閉め出されたってわけ……聞いてる?」
 羅羽の反対側について歩くのは、俺との間に割り込めないからだ。
 触れあってもいないのに、羅羽のつややかな肌が分かる。
 そのくらい、俺たちは寄り添って歩いていた。
 羅羽はどういうつもりか分からない。
 だが、俺はなぜか、離れられないものを感じていた。
 いや、離れてはいけないと思っていた。
 たぶん、俺を鬼の世界へ連れていくと言っていた羅羽は、嘘をついている。
 鬼たちにも、自分にも。
 だから、俺が本当のことを言ってやるしかない。 
「戻りたくないんだろう?」
 鬼を祓う桃の力に苦しめられながら、羅羽は俺に助けを求めることはなかった。
 共に鬼の世界に行こうと言ったのは、そのためだ。
 俺を鵺笛と闘う危険にさらさないためには、そう言うしかなかったのだろう。
 だが、今の羅羽は、こう答える。
「言わなくちゃ、ダメ?」

 俺となら、と告げたときの羅羽の声は真剣だった。
 もしかすると、心の底のどこかには、そんな気持ちがあったのかもしれない。
 だから、俺は聞いてみた。
「俺を連れて鬼の世界に戻ったとしても、大丈夫なのか? 羅羽は」
 そこには、鵺笛たちが待っている。
 羅羽は、微かな声で答えた。
「心配しないで」
 確かに、さっきは掟に背いたことを大目に見ると言ってきた。
 しかも、羅羽にとっては願ってもない条件付きだ。
 俺と交わって、子を成せというのだから。
 だが、それもまた、羅羽を鬼の世界に引き戻すためだ。
 しかも、俺と、羅羽との間の子どもという仲間を増やすことができる。
 つまり、それは鬼たちの都合にすぎない。
「縛られるだけだぞ、お前たちの掟に」
 羅羽は即答する。
「いいの、お兄ちゃんと一緒なら」
 そのひと言の切なさが、胸を締め付ける。
 だが、それはもう一方で、鬼たちの掟の厳しさを意味する。
 俺さえいれば、どんな目に遭わされても構わないというのだ。
 そこには、羅羽の無理が感じられた。
「俺は……お前を連れて行きたくない」
 鬼の世界に行けば、そこにいる母さんに会うこともできるだろう。
 だが、そこではしゃぐ羅羽の姿は、どうしても想像できなかった。
 夏休みが始まってからは、毎日のように目にしてきたのに……。
 そう思うと、羅羽と交わす言葉は途切れてしまった。
 しばしの沈黙の後で、思い出したことがある。
「咲耶……」
 知らん顔をしたわけではないと、言い訳しようかとも思っていた。
 だが、声をかけた辺りには、もう、静かな夜の闇しかなかった。
 

 姿を現したり消したり、自由自在にできる咲耶のことだ。
 そのときは、むくれて勝手に帰ったのかと思った。
 だから、次の日の夕方、ご丁寧に家のポストへ届いた手紙の差出人が、咲耶だったのには驚いた。
 同じ町内だから、朝早く投函すればその日のうちに着くのかもしれない。
 だが、桃の入ったトートバッグを片手にやって来たのだから、用があったら直接、会えばいい。
 居間にあぐらをかいて封を切ると、いつの間にか後ろに立っていた羅羽が上から覗きこんでくる。
「咲耶ちゃんから?」
 妙に優しい声だったが、その分、背中に感じるプレッシャーには凄まじいものがあった。
 首筋の辺りまで、電気でも流されたようにビリビリくる。
 羅羽に見られないように、手紙をさっと斜め読みする、
 だが、それだけでも、俺は居ても立ってもいられなくなった。
 すぐ目の前の、すらりと伸びた脚のそばをすり抜けながら立ち上がる。
「お兄ちゃん?」」
 鬼娘の羅羽でも反応できないような、自分でも信じられないような瞬発力だった。
 じっくり読む必要などなくなった手紙を、しっかりと握りしめたまま家から駆けだす。
 昨日と同じ黄昏の光の中を、俺は全力で走っていった。
 
 もっとも、それほど鍛えているわけでもない。
 咲耶のアパートに着くまでに、俺はすっかり消耗しきっていた。
 錆の浮いた外階段の手すりを掴んで、ようやくの思いで2階の通路へと上がる。
 だが、咲耶の部屋のドアを叩いたところで、何の音も立てることはできなかった。
「咲耶……」 
 身体の奥から絞り出すような声で呼ぶと、内側からチェーンのかかったドアが、わずかに開いた。
「バカ」
 走ってきた俺をねぎらうどころか、投げかけられたのは悪態のひと言だ。
 言い返す力も残っていないところに、腕を引っ張られて、俺は部屋の中に引っ張り込まれた。
「ほら、何もないけど水でも」
 突き出されたコップを空にすると、不思議な味がした。
 清々しく、それでいて、どこかに苦さが感じられる。
「実家の山の中の湧水なんだ。昨日、送ってきたんだ」
 咲耶は微かに笑っていたが、その言葉には、どこか寂しげな響きがあった。
 無地のTシャツに色あせたジーパンは、見るからに辛気臭い。
 それだけに、俺は腹の中に溜め込んでいた勢いを、すっかり削がれてしまった。
「いきなり何だよ」
 手紙をつきつけて、ようやくそれだけ口にする。
 そのとき、俺は部屋の中がすっかり片付いているのに気が付いた。
 というか、何もない。
 部屋の隅にまとめられているのは、引っ越しの荷物だった。

「もう、いいんだ。幸せになってよ、羅羽ちゃんと」
 手紙の内容を要約すると、学校を辞めて田舎に帰るということだった。
 もちろん、俺はすんなり認める気などない。
 いや、それどころか、まだ逆転の機会はあるとさえ思っていた。
 咲耶の目を見据えて、はっきりと告げる。
「こんなんじゃ、俺は幸せになれない」 
 壁には、まだ咲耶の制服がかかっている。
 俺の通う底辺校なんかとは比べ物にならない、進学校の証だ。
 本当は帰る気などないという読みは、当たっていたらしい。
 だいたい、この街を離れる気なら、黙ってここを引き払えばいいのだ。
 急いで手紙を書いてよこしたのは、俺に止めてほしいという意味にほかならない。
 だが、咲耶は言い訳する。
「学校辞めるにも一応、親の了解がいるから」
 咲耶の両親には、会った記憶がない。
 母さんの実家の人たちにも、会うなと言われていた気がする。
 そんな俺の考えを読んだかのように、咲耶は冷たく言い放った。
「克衛は、ボクたちのことを知らない」
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