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scene 9.

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 今日も無事に定時を迎えた。

「んーっ」

 遼太郎は立ち上がって大きく伸びをした。朝からほとんどパソコンの前だったので、肩が凝り固まっている。

 今日は特に予定はない。帰って適当に食事して、始めたばかりの戦国武将シミュレーションゲームの続きでも、とぼんやり考えてから、隣の綾花におつかれ、と声をかけようとした。

 綾花が珍しく蒼白と言っていいほどの顔をして遼太郎を見た。

「……? どした?」

「ちょっと……やらかしちゃったかもしんない」


 綾花と一緒にエレベーターに乗り、地下二階へのボタンを押す。
「ごめんね、佐野くん。つき合わせちゃって」
「大丈夫だって」
 いつも快活な綾花が、下を向いたまま憔悴している。



 大事な書類がないの、と綾花がか細い声で言った。先方の個人情報が書かれており、いざ帰り際保管しようと探したが見当たらない。
『どうしよう……うっかりゴミ箱に入れちゃったのかな……』
 ああ~あたしのバカバカ、と茶色の髪を掻き乱す。

 ゴミ箱の中はすでに掃除のおばちゃん達によってキレイにさらわれた後だ。

 遼太郎はひと息ついて、綾花に『行くぞ』と声をかけた。
『どこに?』
『こうなりゃ回収されたゴミ袋漁るしかないだろ』

 遼太郎がさっさとエレベーターホールヘ向かうと、半泣き状態の綾花が黙って後ろからついてきた。

 川原がいれば、この役目も変わってやりたいところだが。残念ながら本日は前川とともに出張中の身だ。



 ごみステーションに到着し、掃除のおばちゃんに声をかけて許可をもらう。
 地下の空間は空調が効いておらず、初夏のむっとした空気がまともに体中を覆ってくる。

「……燃えるゴミだけでもけっこうあるな」

 ビル全体のゴミだ。この中から自分のところの袋を見つけるだけでも時間がかかりそうだ。

「ごめん……」
「だからいいって。――ほら、始めようぜ」

 とりあえず片っ端から袋を開けて、中をのぞき込む。他社のゴミをのぞくのは抵抗があったが、ここは仕方ない。ごめんなさいと心の中で頭を下げて作業を進める。

 確認済の袋を選り分けるために、ごみステーションのドアを開放して空いているスペースに袋を山積みにしていく。

「お。これうちっぽいな」
 自社の社名が入った封筒の書き損じを発見して、遼太郎が綾花を見た。

「じゃあその辺の袋が怪しいかな」
 綾花が遼太郎に寄って来た。ん、と近くにあった袋を手渡す。

「……佐野さん?」



 集中していたためか、急に声をかけられてびくりと肩が震えた。

「あれ、黒木」
「おつかれさまです。……何やってるんですか」

 知り合い? というふうに綾花が遼太郎を見て首を傾げる。

「うーん、まあちょっと、探しもの。お前は? 車で帰るの」
「ああ、そうなんです。明日、先方に直行で。だから朝いませんって連絡しようと思ってたんです」

 そう言ってにっこり微笑んだ。

 黒木とは、あれから何回か一緒に飲みに行った。遼太郎が日本酒が好きだと知ってから、珍しい品種を置いてある店や、美味しいツマミを出す店など、いろいろまめに探して来てくれたりする。

 黒木と過ごす時間は楽しい。黒木といると、普段仕事で自分がどれだけ気を張っているかが分かる。職場の仲間とも違う。――春の日射しのように、ぽかぽかと包み込んでくれるような、そんな居心地のよさを感じるのだ。




 事情を話すと、黒木が手伝います、と持っていた図面ケースと背中のバッグを下ろした。

「え、いやいやお前はいいよ。関係ないし」
「そうです、そんなの申し訳ないですから」
 綾花も慌てて黒木を制すが、

「人数多いほうが早く終わりますよ」
 と、笑顔を崩さずそう返してきた。


 結局三人で作業に勤しむ。
 黒木が袋を開け遼太郎の会社のものかどうか見極め、遼太郎と綾花が中身を確認していく。
 延々と続くように見えたが、やがて綾花が一枚の紙を高々と掲げた。

「あったー!!」

「やったな」
 立ち上がって綾花とハイタッチを交わす。 

「黒木もありがとな。助かった」
「いえ……お役に立ててよかったです」
「ホントにすみません! ありがとうございますっ」

 綾花が黒木に向かってペコリと深く頭を下げた。

「西野、また失くす前に保管しにいけ。片付けしとくから」
「うん、ほんっとありがと! ちょっと行ってくる!」
 両手を胸の前で合わせて、綾花が急いでエレベーターへと向かう。

「……仲いいんですね」

「ん? ああ西野? まあ同期だし。困ったときは助け合わないと」

「同期、ですか……」

 開いた袋をまた結び直しながら、黒木が独り言ちる。

「なあ、よかったら、これから飲みに行かねえ? お礼もかねて今日は奢るから」
 探しものが見つかり、高揚した気分のまま黒木を誘う。

「……そのさっきの方、も?」
「まあ、行くって言えば」

 黒木は何も言わずゴミ袋を元の位置に戻して行く。やがてゆっくりと振り向いたその面持ちは悄然としていた。



「――すみません、遠慮しときます。明日早いし、車だし」
「ああ……そっか。じゃあまた改めて」
「すみません……じゃあ、また」
「うん、気をつけてな」

 黒木は軽く会釈すると、バッグを肩に担いだ。そのまま駐車場へと歩き出す。

 ふと視界の端に大きくて平たいものが映り、遼太郎はそれを手にとって黒木を追いかけた。

「――黒木」

 黒木がふり返る。
 遼太郎は軽く笑って、図面ケースを差し出した。

「なんでいつもお前は忘れるかなあ」

「――佐野さん」

 黒木の手は、ケースではなくそれを持つ遼太郎の手首を掴んだ。

「なに……」

 射竦めるような視線に、動けなくなる。

「あの……西野さん……とは、その」

「ごっめーん、お待たせ~。さ、片付け片付け!」

 綾花が両手をぶんぶん振りながら戻ってくる。黒木の手がぱっと離れた。

 手首が熱い。

 そばに立つ黒木を見上げる。その頬は、真っ赤に染まっていた。

「黒木?」

「あ、すみません、お先に失礼しますっ」

 遼太郎から奪うようにケースを手に取ると、黒木は小走りで去ってしまった。

「佐野くん……あの人はお友達かなにか? それともあたしを助けるために現れた正義のヒーロー的な?」

「……友達だよ」

 相変わらず突拍子もない表現をする綾花に頬を緩めながら、黒木の去った方向を眺める。

「大丈夫? 顔が赤いけど。熱中症だったらどうしよ」
「え……」

 そう言われ、手の甲を頬にあてる。手も頬もじんわりと熱い。

 ――何を言いかけたんだろう。

 先ほど握られた手首をそっと撫で、遼太郎は睫毛を伏せた。


 scene 9. 〈了〉
 
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