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scene 4.

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 遊歩道の桜並木は緑の葉で覆われ、足元のレンガ道に木漏れ陽を作りだしている。
 遼太郎は空を見上げ、眩しさに目を眇めた。
今朝は気温もぐんと上がり、まだ五月だというのにすでに夏日のような日差しだ。

 急に出張の予定が入り、この道を歩くのも三日ぶりになる。
 大通りの信号を待ちつつ、すでに視界に入っているビルのガラス扉を眺めた。

 黒木はもう来ているだろうか。


 避難訓練が終わったあと、帰りのエレベーターで一緒になった。黒木を見ないようにしていたので気まずかったが、お互い連れがいるだけに避けるわけにもいかない。

「黒木さん、このあとは?」
「ええと……田尻さんとさっきの打ち合わせの続き」
 忙しいですね、と清楚なお嬢様が労うように微笑む。近くで見ると大きな瞳が印象的だ。声も顔に見合って可愛い。

 ちらりと黒木を見ると、またあの笑みを浮かべていた。何故かちくり、と胸が痛んだ。
 エレベーターが停止し、二人は目を合わせて話しながら五階で降りていく。扉が閉まる。黒木は遼太郎の方を見なかった。

「どうしたの佐野くん」
 顔がシリアス、と綾花が心配そうに声をかけてくる。
「え? そう? いや前川さんになに奢ってもらうか考えてただけ」
 慌てて取り繕うように笑って、前髪をかきあげる。

 ふうん、と綾花はじろじろと遼太郎の顔を眺めまわす。ヘンなところで勘が鋭いのでやっかいだ。

 自分でもこの感情がどういう意味を持つのか分かっていない。仮に綾花に突っ込まれても説明できない。

 ふう、と大きなため息をつくと、おつかれ、と綾花が肩をぽんぽんと叩いてきた。



 あれから事務所に戻るとすぐ出張の打診が来て、帰って準備して出張先に直行したので、エレベーターに乗るのも三日ぶりだ。
 ガラス扉を抜けて、エレベーターホールにたどり着く。

 ――いた。

 遼太郎の気配を感じたのか、黒木が振り向く。

 無表情だった顔が、ぱあっと光がさしたように綻んだ。はじめて黒木の笑顔に惹かれたときと同じ、屈託のない、無邪気な微笑み。

 ――なぜだろう。やはり惹かれてしまう。

 自分にこの笑顔が向けられていることに喜びを覚える。心のうちの戸惑いや狼狽を押し隠すように、遼太郎は黒木から目を逸らした。

「……お、おはようございます」
「おはよう……ございます」

 黒木がおずおずと小声で挨拶してきたのにつられて、思わず顔を上げて答える。
 かれこれ最初に会って一か月近くが経とうとしているのに、朝の挨拶を交わすのはこれが初めてだ。そう思うと笑いがこみあげてきて、遼太郎は少し緊張が解れた。

「よかったです……ここ何日かお会いできなかったので、もしかして時間変えられたのかな、と思ってました」

「あ、ああ……出張行ってたんで……」


 そうなんですね、と黒木はまた微笑んだ。

「あの、この間はありがとうございました。その……ケース持っていただいて」
「いや、そんな大したことじゃ……」
「でも助かったんで。すごく」

 ぺこり、と深く頭を下げてくる黒木に恐縮してしまう。どう声をかけようか迷っていると、黒木のほうから、あの、と話し出した。

「黒木といいます。お名前、伺っても……いいですか?」
 そういえば自分からは名乗っていなかった。黒木という名前も電話で話すのを聞いただけだ。

「あ、佐野です。えーと…」
 遼太郎は上着の内ポケットから名刺を取り出した。黒木も慌てて図面ケースをいつかのように足元に置いた。
 早朝のエレベーターホールで名刺交換をする。

「佐野……遼太郎、さん」
 フルネームで呼ばれるとくすぐったい。黒木が瞳を細めて遼太郎の名刺をこころもち嬉しそうに眺めている。遼太郎も受け取ったばかりの相手の名刺に目をやる。

 黒木馨介くろきけいすけ

 予想通り勤務先は設計事務所だった。いつも図面ケースを持ち歩いているのはそのためなのだろう。

「営業さん、なんですね」
「ですね。もうこき使われて大変ですよ」

 ふとそこで気づいた。いつもだったらこんな初対面に近い相手と話すときは得意の営業スマイルなのに。黒木に対するときも最初はそうだった。でも今は。

 黒木の、あの笑顔に接してからは、なんだか素の自分で話せている気がする。

 思わず、自分の頬に触れた。――今、自分はどんな顔をしているのか。


「あの、多分ですけど、佐野さんの方が年上ですよね。俺、今年24なんですけど」

 24? 新人じゃなかったか。少し申し訳ない気持ちになりながら、

「あー、ですね。もう27なんで」

 二十代も後半に入って久しい。どんどん近づいてくる三十代の波に抗いたいお年頃だ。

「そしたら、あの敬語いらないです。名前も呼び捨てで大丈夫です」
 ニコニコしながら黒木が笑いかけてくる。確かに取引先でもない三つ下の相手に敬語で話すのはヘンな気もする。

「じゃあ、まあ…遠慮なく」
「はい」
 エレベーターが到着した。二人で乗り込んで、習慣で遼太郎が「5」と「7」のボタンを押した。

「ありがとうございます」
 黒木がまた軽く頭を下げる。
「いや……」
 本当に大したことじゃないのに。なんでそんなに嬉しそうなんだろう。

 エレベーターが五階で停止する。黒木は開いた扉を見ながら、少し焦ったように遼太郎を見た。
「?」
 黒木は境界線を抜けた後、思いきってというふうに口を開いた。

「あの、よかったら、今度……飲みに行きませんか?」
「え……」
「あ、いや、本当に、よかったらですけどっ」
「あ、ああ……まあ、俺でよければ」
「ホントですか? ありがとうございます!」

 あのとき見た、春の陽だまり。

 今度はその笑みが遼太郎の胸に矢のように突き刺さった。それを掴むように、遼太郎は自分の胸に手を置いた。

 扉が閉まり、黒木の笑顔が見えなくなっても遼太郎は胸を押さえたまましばらく動けなかった。
 

  scene 4. 〈了〉
 
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