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エピローグ
エピローグ②
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「……そういえば、颯さんなら知ってんのか? その……か、母さんの口癖」
口ごもったことに颯がくふふ、とほくそ笑む。気に食わない。
「あれでしょ? amabile,brioso,amoroso.」
「どういう意味?」
光希が尋ねてくるのに、鍵束を見ながら答える。
「楽譜に書かれてる発想記号……作曲者の意図や演奏するときの心づもりみたいなもんを、組み合わせてるってのは分かるけど。アマービレが優しいとか可愛らしい。ブリオーソが陽気に、快活に。アモローソが愛らしくって感じかな」
「エマは、智弥のことだって言ってたよ。私に元気をくれる可愛い、大切な宝物って」
「え……」
意外な答えに、思わず持っていたものを取り落としそうになる。
「好きな記号を合わせただけなんだけど、『魔法の呪文みたいでしょ』って嬉しそうだったなあ」
颯が頬杖をついて、当時を思い出すようにうっとりと目を細めた。
「そっか。素敵なお母さんだね」
光希が智弥を見て、にっこり微笑んだ。智弥はぎゅっと抱き寄せてキスしたい衝動にかられたが、鍵束を握ってどうにか堪えた。
ブランカで片づけを終え、光希と二人店の裏口から外に出る。何となく黙ったまま、並んで歩く。
もうすっかり梅雨も明け、昼間、夏の太陽をぞんぶんに浴びたコンクリートが夜になっても空気を熱していた。
智弥は、ちらりとすぐ横にある光希の顔を見た。何度見ても飽き足らない光希の横顔を見つめて、そっと問う。
「……今日、泊まってくだろ」
「う、ん……」
あれから光希も仕事が忙しかったらしく、こちらに戻ってもなかなか会えずじまいだった。こうして二人でゆっくり話せるのは久しぶりだ。
重そうな鞄をもつ細い指にそっと触れると、ぴくんと少しだけ震えた。
正直、ここで断られると心が折れそうだ。
「――あ」
智弥の手をすり抜けて、光希が小走りに離れていく。
「おい……」
追いかけてたどり着いたのは、駅の裏側。
「――ここで、初めてきみを見た」
いつも智弥が路上ライブをする場所。植え込みの中、少し開けた場所。
「ああ……そうだな」
「あのとき、きみがいなかったら、俺ダメになってたかも。……ありがとう」
そう言って破顔する光希の髪に、駅の明るい照明が反射する。――冠みたいだな、と思い、また自分の想像に可笑しくなる。
「……あんただって、俺を茨の城から救ってくれた王子様じゃねえか」
「え? なにそれ……」
もうどうにも止められなくて、腕の中にその愛しいひとの体を抱き込んだ。
「と、智弥?」
「……一回しか言わねえから」
耳元でそっとささやく。
「……あんたのおかげで、前に進めそうな気がする。……ありがとう」
触れ合った頬がたちまち熱をともなった。
「智弥……」
「ん?」
ぎゅっと、シャツの裾を掴んでくる。
「今日、泊まって、く」
「ん」
くすりと笑いながら、俯いてしまった光希を促して帰途につく。
温かいものに全身を満たされて、智弥は夜空を仰いだ。上弦の月が、街のざわめきを静かに見下ろしていた。
Fin.
ありがとうございました!
口ごもったことに颯がくふふ、とほくそ笑む。気に食わない。
「あれでしょ? amabile,brioso,amoroso.」
「どういう意味?」
光希が尋ねてくるのに、鍵束を見ながら答える。
「楽譜に書かれてる発想記号……作曲者の意図や演奏するときの心づもりみたいなもんを、組み合わせてるってのは分かるけど。アマービレが優しいとか可愛らしい。ブリオーソが陽気に、快活に。アモローソが愛らしくって感じかな」
「エマは、智弥のことだって言ってたよ。私に元気をくれる可愛い、大切な宝物って」
「え……」
意外な答えに、思わず持っていたものを取り落としそうになる。
「好きな記号を合わせただけなんだけど、『魔法の呪文みたいでしょ』って嬉しそうだったなあ」
颯が頬杖をついて、当時を思い出すようにうっとりと目を細めた。
「そっか。素敵なお母さんだね」
光希が智弥を見て、にっこり微笑んだ。智弥はぎゅっと抱き寄せてキスしたい衝動にかられたが、鍵束を握ってどうにか堪えた。
ブランカで片づけを終え、光希と二人店の裏口から外に出る。何となく黙ったまま、並んで歩く。
もうすっかり梅雨も明け、昼間、夏の太陽をぞんぶんに浴びたコンクリートが夜になっても空気を熱していた。
智弥は、ちらりとすぐ横にある光希の顔を見た。何度見ても飽き足らない光希の横顔を見つめて、そっと問う。
「……今日、泊まってくだろ」
「う、ん……」
あれから光希も仕事が忙しかったらしく、こちらに戻ってもなかなか会えずじまいだった。こうして二人でゆっくり話せるのは久しぶりだ。
重そうな鞄をもつ細い指にそっと触れると、ぴくんと少しだけ震えた。
正直、ここで断られると心が折れそうだ。
「――あ」
智弥の手をすり抜けて、光希が小走りに離れていく。
「おい……」
追いかけてたどり着いたのは、駅の裏側。
「――ここで、初めてきみを見た」
いつも智弥が路上ライブをする場所。植え込みの中、少し開けた場所。
「ああ……そうだな」
「あのとき、きみがいなかったら、俺ダメになってたかも。……ありがとう」
そう言って破顔する光希の髪に、駅の明るい照明が反射する。――冠みたいだな、と思い、また自分の想像に可笑しくなる。
「……あんただって、俺を茨の城から救ってくれた王子様じゃねえか」
「え? なにそれ……」
もうどうにも止められなくて、腕の中にその愛しいひとの体を抱き込んだ。
「と、智弥?」
「……一回しか言わねえから」
耳元でそっとささやく。
「……あんたのおかげで、前に進めそうな気がする。……ありがとう」
触れ合った頬がたちまち熱をともなった。
「智弥……」
「ん?」
ぎゅっと、シャツの裾を掴んでくる。
「今日、泊まって、く」
「ん」
くすりと笑いながら、俯いてしまった光希を促して帰途につく。
温かいものに全身を満たされて、智弥は夜空を仰いだ。上弦の月が、街のざわめきを静かに見下ろしていた。
Fin.
ありがとうございました!
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