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20章
20章①
しおりを挟む夕陽が西の空を真っ赤に染めている。梅雨前に吹く風は、少し湿り気を帯びて生ぬるい。
初めて降りる駅の構内はすこぶる落ち着かない。
訊けば、部屋もこちらに借りているという。ますます帰って来る気がないのではないか。そう考えると、足元から焦燥感が智弥を襲う。
ホームページを頼りに新支店だという光希の職場を検索し、ビルを特定した。そこは駅から徒歩五分という好立地の建物であったため、ビルの真正面より駅で見張っていたほうが警戒されないと踏んだのだが。果たしてどうだろうか。
夕暮れの喧騒が辺りを包む。駅前のオフィスビルが立ち並ぶ界隈とはいえ、近くには商店街もあるようだ。買い物客のような人々の姿もちらほら見えている。
光希に会えたとして。何から話せばいいのか。なんせ、一度フラれた身だ。
――でも考えたら、まだちゃんと好きだって伝えてないな。
いきなりキスをしてしまった。驚いただけ、という可能性もあるかも……しれない。
かすかな希望にも縋ってしまうほど追いつめられている。
いやいや、いきなり誰かと二人連れで歩いて来て。『もう付き合ってる人がいるんだ』とかいう可能性だってある。……その時はきっぱり諦めるしかない。
はあ、とため息をついてまた柱に寄りかかったときだった。
少し離れたところでひとつの影が止まった。周辺のざわめきが一瞬、すべて消えた。
「光希……」
「智弥……なんで、ここに」
一歩踏み出すと、光希はびくりとして後ずさった。そして、くるりと回れ右すると駅の構内へと駆け出した。
「おい!」
すぐに後を追ったが、初めての駅では勝手が分からず、光希の姿を見失ってしまった。
「くっそー……」
どうする。このまま闇雲にウロついても簡単に見つけられるとは思えない。電話を、と一瞬手が動いたが、そもそも電話に出てくれないから待ち伏せしていたのだ。
膝に手をついて息を整えていると、柱の向こうから調子外れの「猫ふんじゃった」が聞こえてきた。メロディーも、リズムもかなりめちゃくちゃだ。だが音のひとつひとつに、弾むような楽しげな雰囲気を感じる。
その音に惹かれて、だだっ広い駅の広場へと歩いていく。その端にひっそりと置かれているグランドピアノ。不協和音はそこから聞こえてくる。
ものすごく整った顔の男が満面の笑みを浮かべてそれは楽しそうに鍵盤を奏でている。そばで高校生くらいの、肩まである黒髪を後ろでひとつに束ねた少年が、おいやめろよ、と男の凶行を制しているが全く意に介さない。
ようやく満足したのか「あ~面白かった」と顔に見合ったバリトンボイスで少年に笑いかけ、椅子から立ち上がったところを後ろから話しかけた。
「あの……」
「ん?」
正面から相対すると、壮絶な美形だった。黙って立っていると作り込んだ人形のようだが、「何か用?」と首を傾げる仕草はいかにも子どもっぽい。
「これって、時間制限とかあるんですかね?」
ピアノを指差して尋ねると、男はにっこり眩しいほどの笑みを返してきた。
「どうだろ? でもいいんじゃない、好きなだけ弾いて。待ってる人もいなさそうだし」
と、額に手をかざして智弥の後方に視線を泳がす。
「じゃあ……遠慮なく」
そう言って智弥は男が座っていた備え付けの椅子に腰を下ろした。立ち去るかと思った男と少年は、少しピアノから離れてそのまま佇んでいる。
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