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16章
16章④
しおりを挟む思わず伸ばしかけた手を鍵盤の上に戻す。
「今考えると、そんなにはっきり決めてたわけじゃないと思うんだけどさ。――俺の地元、海が近いんだけどね。その夜、波打ち際でぼんやりしてて、ああなんか月が綺麗だなあって」
ふらふらと満月の光に誘われるように。
「な……なんで……」
光希は持っていたグラスを傾け、中の氷が揺れる様をじっと見つめた。
「高校のとき、好きなひとがいて。同級生なんだけど……ちょっとしたことで俺の気持ちがバレて、噂になって……田舎だし。すぐ町中に広まっちゃった」
智弥は、鍵盤においた指先が震えるのを感じた。
「うち、すごく厳しい家でね。ゲイなんてもってのほか。家の恥だ、出ていけって追い出されて……海を見てたんだ」
光希の漆黒の瞳に涙が滲んできたのに気づいて、智弥は立ち上がった。
「おい、もういいから……」
智弥の手を制して、光希はそっと微笑んだ。
「ごめん、よかったら話させて。重いけど」
そう言って、光希はソファに座った。智弥も黙って隣に腰を下ろす。
「……それで、海に入った俺をある人が助けてくれた」
カラン、とグラスの中で氷が溶ける音がした。
「フリーのカメラマンだって言ってた。あの町にも、仕事でしばらく逗留するだけだったみたい。町はずれの空き家を借りて一人で住んでた」
光希の瞳の奥に恋慕の情がかすめたのを智弥は見逃さなかった。
「その人が家族を説得してくれて……なんとか高校卒業まではこじつけて。もうちょっとだったしね。そんで、大学の費用負担する代わりに、絶縁された」
費用を負担って。――普通の親なら、当たり前のこと。
光希の細い頼りなげな体が今まで乗り越えてきたものを思い、智弥は自分の体が引き裂かれるようだった。
「そいつのこと、好き、だったのか?」
智弥は自分の声が震えているのに驚いた。心臓が掴まれたように痛い。こくり、と頷く光希をみて、さらに痛みが増した。
「俺は好きだったけど、全然相手にされなかった。……馬鹿だよね、少し優しくしてもらったらすぐ好きになっちゃって。山崎のこともそうだし……惚れっぽくて、自分でも嫌になる」
嘲りを含んだその表情に、智弥は自分のシャツの胸元を掴んだ。
「諦めなきゃ、ってずっと思ってたけど、どうしても好きで。だから、最後その人が町を離れるときに自分から一度だけって、せがんで……抱いてもらった」
すっと紅を刷いたように、頬を赤らめて話す光希を見て、智弥は自分の身体が熱くなるのを感じた。光希を抱いた見知らぬ男に対して憤りすら感じ、大きくため息をついて自分を律した。
「ごめんね、こんな話聞かせて。――なんだか、智弥には知っておいてほしい気がして」
フッと微笑む光希はいつもと違い年相応に見えた。
今までどれほどの悲痛に耐えてきたのだろう。蔑まれ、疎まれ、悲しみにくれ、どん底から這い上がり、いっときの愛情に溺れ、そしてまた孤独に打ちひしがれ。――ほんの少しの優しさに縋ってしまう。
「光希……」
俺は、こいつに何がしてやれるんだろう。
「智弥には、感謝してるんだ」
「俺に?」
「きみに会えて、いろんな人と出会えた。俺は俺のままでいいって思えた。……今、すごく幸せな気持ちなんだ。だから、その……ありがとう」
はにかむようなその笑顔に心臓を貫かれたような気がした。一瞬で何も考えられなくなり――光希の細い肩を引き寄せ、自らの胸にかき抱いた。
「と……智弥?」
心臓が痛いほどに波打っている。合わさった光希の鼓動も同じように速い。
「光希……」
背中に回した手を腰まで下げると、細い身体がびくりと震えた。
――怖がらせた?
そう感じ腕の力を緩めると、光希がは、と息をついた。
光希の体温が離れていく。
「あ、の……」
何か問いたげに上目遣いで智弥を見上げたが、開きかけた口元をぎゅっと引き結ぶ。
そして先程までの重たい空気を振り払うように、光希はすっかり氷の溶けたグラスを持ったまま立ち上がった。
「――か、帰るね。今日はありがとう」
「おい、光希……」
掴まえようとした細い腕は、意図的かそうでないか、智弥の手を器用にすり抜けた。
――逃げるように。
智弥は掴みそこねたぬくもりを追って、閉じられてしまったドアを見つめていた。そしてそこからいつまでも動くことができなかった。
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