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14章
14章①
しおりを挟む南側に面した大きな窓からは、暖かな陽射しが降りそそいでいる。
「もう春だねえ……」
颯がしみじみと窓ガラスの向こうに広がる、庭園の緑を眺めながらつぶやいた。
颯のグランドピアノで智弥は何を弾くわけでもなく、鍵盤の上で指を弄んでいる。
「龍生、智弥に今度のアルバム手伝ってもらうって言ってたよ」
「げ」
颯と龍生の住居であるこの一軒家の地下には、それぞれのスタジオが設けられている。二人ともそれなりにプロとして活躍している身だ。
手伝うという響きはいいが、強制的にレコーディングに参加させられるということだろう。
「……はいはい。借りはちゃんと返します」
――練習不足だって怒られそうだ。
智弥は少しだけ肩をすくめた。
昨夜は結局、光希ともどもこの家に泊まり込み、さらに飲み直し、今に至る。
龍生はケロリとして仕事に出かけてしまった。光希はまだ起きてこない。当然だ。あれだけ酔っていたのに、さらにこの家でワインをあけていたのだ。
もうやめとけと制止したが、酔っ払うと手がつけられない。光希の限界を知っとくべきだとつくづく感じた。
「和鷹を擁護するわけじゃないけどさ。……ホントに似てきたね、エマに」
「そうか?」
記憶の奥底にある母親の顔を思い浮かべようとする。だがそれは湖に映った影のように、手を伸ばせばたちまち波紋にかき消されていく。
「……最近パパからは連絡とかあった?」
「ねえよ。もう何年もまともに話してない。颯さんは?」
毎月、代理人と称する人物から生活費が振り込まれてくる。父との繋がりは今のところそれだけだ。使ってないので貯金額だけが増えていく。
「僕だってそうだよ。第一、僕はまだ和鷹のこと怒ってるんだから」
「……まだ怒ってんのかよ。もういいって。俺は気にしてない」
「そういうわけにはいかないよ。いくら自分がツラいからって。息子の顔くらいちゃんと見てあげないと」
――ごめん……きみがどんどんエマに似てくるから。
そう言って和鷹が智弥から離れて行ったのはいつだったろう。
「……あんなクソ親父のことなんかどうでもいい」
「ほんっと呆れちゃうよねえ。エマとの付き合いは幼馴染みの僕の方が長いのに。その僕がこんなに立ち直ってるっていうのにさ」
「……颯さんには龍生さんがいるからな」
この家で生活を共にしている龍生の名を出すと、颯の頬がほんのり赤く染まった。そういう純粋なところは変わらないな、と微笑ましく思う。
母、エマが他界してもう十六年になる。その頃から父、和鷹は空気の抜けた風船のようになってしまった。
ふらふらと家を出て帰ってこないことも多くなった。一人残された当時四歳だった智弥は、柊吾と岳大の住居である喫茶ブランカでほぼ毎日を過ごした。
「エマ、よく言ってたもんね。病院のベッドに縛られてるくらいなら、一分一秒でも長くピアノを弾いていたいって」
「ふうん……」
正直、母とどんな会話をしていたかなんて覚えていない。顔すらもおぼろげになっているのだ。ただ、はっきり覚えているのは、母の白いピアノ。
実家のサンルーム。揺れるレースのカーテン。陽射しが燦々と降りそそぐなか、楽しそうにピアノを弾く母。智弥も嬉しくて、よくピアノの周りをくるくる走り回っていた。
――智弥は元気ね。まるで小犬みたい。
そう言って「小犬のワルツ」をよく弾いてくれた。
アマービレ・ブリオーソ・アモローソ。
エマがよく口にしていた言葉。
――これを唱えると、元気になれる気がするの。
そして智弥を見て、にっこり笑うのだ。
和鷹は智弥が中学を卒業する頃、とうとう別荘のあるイギリスへ行ったまま帰って来なくなってしまった。
どんどん亡き妻に似てくるから。
顔を見たくないと言われても……どうしたらいいか、分からない。
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