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37.獅子族の慣習
しおりを挟む『それじゃ、アンクスガットの法令制定はまだなんですか?』
『ああ、戻ってから再度話し合いの場を設けることになった。が、残る国務卿の内、二人にも了承は得ているし、問題はないだろう。ロルフ殿も協力してくれた。……おまえのおかげだな』
ラーディンの指に頬をくすぐられ、俺は赤くなった顔を隠すようにラーディンの胸を押し返した。
考えてみると、他にも獣人が何人もいる前で抱き合ってイチャイチャしてるって、かなり恥ずかしくないか。
『ともあれ、おまえを取り戻せて本当によかった。万が一、おまえを奪われたまま、その命を盾にされれば、私に打つ手はないからな』
う。それを言われると謝るしかない。
ラーディンは愛しげに俺を見つめ、言った。
『早く王都に戻ろう。……なぜファルザリ侯爵の私兵と戦う羽目になったのか、くわしい事情を教えてくれ』
アンクスガットで替えの馬などを調達した後、俺たちは一路、王都を目指した。
その帰路で、俺はラーディンに今回の経緯について説明した。
『……それではおまえは、アデリナ妃とファルザリ侯爵によって、エルガー王国へおびき寄せられたのか』
馬を並べ、ゆっくりと進ませながらラーディンが俺に言った。
『魔力属性を知られたということだが、それでは今後も、向こうの王妃におまえの命を狙われる可能性があるのか?』
『ああ、……それは、うん……、そうなるでしょうね……』
俺はため息をついた。
正直、それが一番頭の痛い問題だった。
これからはエルガー王国の刺客にも気を払わねばならない。しかも、一生だ。
『おまえのことは、私が守る。……が、常に暗殺の危険に脅かされるのは辛かろう。向こうの王妃とファルザリ侯爵は、私が始末しておくか?』
さらっと言われ、俺は仰天してラーディンを見た。
『は? 始末って……、え?』
まさか、殺すってことか? ど、どうやって……、仮にも一国の王妃とその兄だぞ。
『わが伴侶を害する者は、何人たりとも許さぬ。それが他国の王族であってもな』
『いや、でも、どうやって』
ラーディンはちらりと俺を見やり、言った。
『……エルガー王国の思惑は、想像がつく。早いか遅いかの違いだ。いずれ戦うことが避けられぬなら、徹底的に叩くまでだ』
う……、たしかにエルガー王国はパルダン王国の魔石鉱脈を狙っている。しかし、
『ラーディンの言う通り、エルガー王国は信頼に足る同盟相手とは言えません。ですが、どうにかして戦争を回避することはできませんか? ……俺は、三度も時を巻き戻し、やり直しを試みました。今度こそ、平和で穏やかな人生を送りたいと思ったからです。ラーディンが戦いを望めば、……は、伴侶である俺も、それに巻き込まれてしまうでしょう』
噛んだ俺を見て、ラーディンが嬉しそうに笑った。
『……そうか。わが伴侶は、平和を望むか。ならば、こちらから戦を仕掛けるのはやめておこう』
よ、よかった……。
『向こうから仕掛けられれば、火の粉は払わねばならんがな』
胸を撫で下ろす俺に、ラーディンが釘を刺すように言った。
『そうでなくとも獣人は戦好きが多い。同盟を蔑ろにされたとわかれば、みな嬉々として開戦の準備を始めるだろう』
『いや、待ってください。そこは外交努力でなんとかしましょうよ』
『おまえが色仕掛けで平和を要求するなら、すぐさま応じるぞ』
冗談を言って笑うラーディンに、俺は苦笑した。
でも、今回はラーディンのおかげで助かったのは事実だ。
心臓の誓いがなければ、塔から落ちた時点で動けなくなってただろうし、無事脱出できたとしても、イルジャミラ河を渡りきれたかどうかわからない。
『……俺を迎えに来てくれて、ありがとうございます。ラーディン』
『アンスフェルム?』
『無事にパルダン王国へ戻れるかどうか、ずっと不安だったんです。ナシブ伯爵らに何かあれば、俺の責任ですから。……ラーディンが来てくれて、正直ホッとしました』
『嬉しいことを言ってくれる』
金色の瞳を輝かせ、ラーディンが俺を見た。
『感謝の気持ちは、体で返してくれればそれでいい』
『全然よくないです!』
『王都に戻ったら、すぐ婚儀を挙げよう。エアハルト陛下は、神聖帝国にいらっしゃるということだったな。婚儀にはぜひ、陛下にも出席していただきたい。帝国に使者を遣わそう』
エアハルト様に……、それはありがたい。じゃなくて!
『こ、婚儀!?』
『できるだけ早く』
ニヤリと笑うと、ラーディンがふいに馬から身を乗り出し、俺のほうに上体を傾けた。
ふわっ、とあの森の中のような香りがして――。
『ラーディン!』
口を押えて真っ赤になる俺に、ハハッ! と楽しげにラーディンが笑い声を上げた。
『私の伴侶は、ずいぶんと慎み深いことだ。口づけ一つで赤くなるとは』
『だっ……、こんなところで!』
俺は慌てて周囲を見回した。
人気のない街道ではあるが、前にも後ろにもナシブ伯爵や獣人たちがいる。しかしラーディンは少しも気にした様子もなく、笑いながら言った。
『人目が気になるか。では、早く今夜の宿に着くよう、急ぐことにしよう』
『そういうことでは、……ラーディン!』
馬の腹を蹴り、速度を速めるラーディンの後を、慌てて俺は追いかけた。
風になびく金色の髪を見ながら、俺は不思議な気持ちになった。
三度、時を巻き戻し、ラーディンから逃げようとしたのに、結局俺は、ラーディンから離れられなかった。
それどころか、今度の人生ではラーディンと婚儀を挙げようとしている。形だけのものではない、正真正銘の伴侶として、ラーディンと人生を共にしようとしているのだ。
しかも、イヤじゃない。
イヤじゃないというか……、俺もそれを望んでいる。
ラーディンの伴侶として生きていきたいと、心からそう願っているのだ。
『アンスフェルム』
ラーディンが振り返り、俺に笑いかけた。その笑顔に胸が苦しくなる。
いつの間に、こんなに好きになったんだろう。
ひょっとして、気づかなかっただけで、過去のやり直した人生でも俺は――。
馬の足を速め、俺はラーディンの隣に並んで言った。
『……アンでいいですよ。長いでしょ、アンスフェルムって』
女の子みたいで、ほんとはあんまり好きな愛称じゃないけど、ラーディンならいいか。
今までそう呼ぶのはエアハルト様だけだったんですけど、と言うと、ラーディンは驚いたように俺を見た。
『口づけ一つで赤くなるくせに、時々おまえは、驚くほど大胆になるな』
『大胆って……、ただの愛称ですよ』
『おまえにとってはそうかもしれんが、パルダン王国では違うぞ』
ラーディンは金色の瞳をきゅっと細め、からかうような笑みを浮かべて俺を見た。
『家族だけの呼称を他人に許すということは、家族から与えられた体をその相手に許すということだ。……何をされてもいい、と言っているのと同じだぞ』
俺はぎょっとしてラーディンを見た。
『え!? ウソでしょ、そんな慣習、知りませんけど!?』
『まあ、知らなくとも無理はないな。これは獅子族のみの慣習だ』
澄ました顔でそう言うと、楽しげにラーディンは笑った。
またからかわれた……。ほんとラーディンって俺をからかって遊ぶの好きだよな。
あれ、でも獅子族のみって……、ラジーって呼んでいいっていう、アレは……。
『ラーディン殿下は、アンスフェルム様とご一緒ですと、よく笑っておられますなあ。珍しいこと、……喜ばしいことです』
後ろでナシブ伯爵がのんびり言うのを聞きながら、俺はふたたび真っ赤になった顔を隠すようにうつむいた。
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