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35.三人合議(ラーディン)
しおりを挟む『遅い』
部屋に入るなり、叔父上に叱られた。
『おまえから呼びつけておきながら、待たせるとはどういうつもりだ。おまえは最近、伴侶を得たらしいが、それに浮かれて仕事をおろそかにしているのではないか?』
ニヤニヤしながらからかう叔父上に、ため息がもれた。
悪い方ではないのだが、叔父上は私を見るたび、こうしてからかってくる。
狐獣人らしく、体つきは獣人の中にあってはやや小柄だが、謀略渦巻く宮廷にあって、敵を作らず物事を調整することに長けた叔父上を、侮る者は誰もいない。
『お待たせして申し訳ありません。赤猫の処理に手間取りました』
私の返答に、叔父上が苦い表情を浮かべた。
『バルミラ妃か……。まったく、おまえも苦労するな。兄上も、あれのどこが気に入ったのやら』
私は肩をすくめただけで答えなかった。
父上の女の趣味はどうかと思うが、それを叔父とはいえ、他人とあげつらう気にはなれなかった。
私はため息をつき、部屋を見回した。
ここは主に内輪の合議に使用する間で、パルダン王宮にあって珍しく気密性が高く、続き間も窓もない。
それでも万が一ということがある。私は、ふだん隠している獣耳をつかい、周囲の気配を探った。
……特に異常はないようだ。私も少し、神経質になっているのかもしれない。
テーブルの隅に、居心地悪そうに身を縮めて座っているロルフ殿に、私は声をかけた。
「ロルフ殿、遅れてすまない。クロース公爵領内の兵の駐屯地について、こちらのサイード殿に説明いただけるか。私が通訳を務める」
「は、はい……。あの、アンスフェルム殿のおっしゃっていたアンクスガットの法令は」
「サイード殿に概要は説明してある。ロルフ殿から、アンクスガットの川向かいにあるクロース公爵領について、さらに詳しい情報を話してほしい。今日は、法令制定の先についても話を詰めておきたいのだ」
ロルフ殿は怪訝そうな表情になった。
「その先、とおっしゃいますと……」
「わが伴侶も、ロルフ殿も、エルガー王国に対して過剰なくらい、同盟の悪用を気にされていると思ってな。それで、少し探ってみたのだが、どうやらエルガー王国は、あまりこの同盟に対して真摯な対応をとるつもりがなさそうだとわかった」
「それは……」
「だからといって、こちらから同盟の破棄をするつもりはない。向こうがそのつもりなら、こちらもこちらで万全の備えをしておこうというだけだ。パルダン王国の兵をどこに、……たとえばアンクスガットあたりに置いても、何ら問題はない。法令を通せばな」
アンクスガット、という単語に、叔父上がぴくりと反応した。
『なんだ、何をしゃべっている? 西域語で話せ、大陸語はよくわからん』
『叔父上も大陸語を習得されては? 敵の言葉がわからねば、敵の腹の内は読めませぬ』
『……敵か』
叔父上は、小さく笑った。
『おまえが心臓の誓いを捧げた相手は、エルガー王国の王子ではないか。大陸語を話す者が敵なら、エルガー王国の王子も敵だ』
『アンスフェルムは西域語を流暢に話し、歌いさえいたします。彼は私に、西域語で愛の歌を贈ってくれました』
叔父上は鼻白んだような表情を浮かべた。
『……よもやおまえにのろけ話を聞かされるとは思わなかったぞ。よほどその伴侶に入れあげているようだな』
『入れあげているのではなく、互いに想いあっているのです。わが伴侶の美しさ、聡明さ、優しさを知れば、叔父上とて私の気持ちを理解されるかと』
『ぬけぬけと言いおって』
フン、と鼻を鳴らし、叔父上はロルフ殿に向き直った。
「兵……、国境、クロース、兵、位置。教えろ」
「は? ええと……」
困惑するロルフ殿に、私は助け船を出した。
「ロルフ殿、サイード叔父上はこうおっしゃっている。クロース公爵領における、国境付近の兵の駐屯地の位置を知りたい、と。こちらはアンクスガットに兵を置くつもりだが、あそこにはイルジャミラ河がある。橋頭堡を築くにしても、向こうの駐屯地を知らねば動きようがないからな」
言いながら、私はアンスフェルムに思いを馳せていた。
私の伴侶は、今、エルガー王国にいる。彼の父親(実際には祖父だが)には、もう会えたのだろうか。重い病でないといいのだが。アンスフェルムが嘆く姿は見たくない。
ロルフ殿がテーブルに地図を広げ、クロース公爵領を指し示しながら説明を始めた。
それを眺めながら、私の心はエルガー王国へと飛んでいた。
早く会いたい。赤猫の始末もつけたし、アンクスガットの法令も間もなく制定できるだろう。あとはエルガー王国に対する備えを固めるだけだ。こちらから罠を仕掛けてもよいかもしれぬ。なんにせよ、すべてはアンスフェルムがこの手の中に戻ってきてからだが。
そう考えていた時だった。
「う……!?」
ふいに体に不自然な重みがかかり、私は思わずテーブルに手をついた。
全身に鈍い痛みが走り、衝撃に頭が揺れる。
『ラーディン!?』
「殿下、どうかなさいましたか!?」
叔父上とロルフ殿が、驚いたように私を見た。
私は、はあ、と大きく息を吐き、全身の痛みを逃がそうとした。そのまま、ゆっくりと肩を回し、たしかめるように足を動かしてみる。
体は問題なく動く。少し痛みは残るが、気にするほどでもなさそうだ。しかし、これは……。
『心臓の誓いを捧げた相手に、何かあったのか?』
叔父上の問いかけに、私は頷いた。
間違いない。この痛みは『心臓の誓い』がもたらしたもの。アンスフェルムに、何か不測の事態が起こったのだ。
「ロルフ殿、申し訳ないが私は一旦失礼する。アンスフェルムとともに王宮に戻ってきてから、再度話し合いの場を設けさせていただく」
「え? ええ、……はい、……アンスフェルム殿と?」
目を白黒させるロルフ殿をよそに、大陸語を解さぬはずの叔父上は、すべてお見通しと言わんばかりの顔で言った。
『今すぐ伴侶の許へ飛んでゆきたいと、そう顔に書いてあるぞ。獅子の王子よ、急ぐことだ。心臓の誓いを捧げた相手は、唯一無二の存在なのだからな』
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