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26.思惑
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パルダン王国を出発して二十日後、俺とナシブ伯爵らの一行はエルガー王国に到着した。通常なら一月はかかるから、だいぶ強行軍で来たことになるが、へろへろなのは俺だけで、ナシブ伯爵らはまだ余裕がありそうだ。
『ナシブ伯は文官とお聞きしましたが、ラーディン殿下の許で戦われることもあるのですか? だいぶ鍛えておいでのようですが』
俺は馬に乗ったまま、少し後ろをついてくるナシブ伯爵を振り返って言った。
ナシブ伯爵は俺の隣に馬を並べ、まんざらでもなさそうな表情で言った。
『いやあ、わたしなどまだまだです。わたしは犬族なので、素早さや持久力を買われ、殿下の許で働かせてもらっておりますが、荒事となるとどうしても力が劣りますから。その分は、あの熊獣人の部下に任せておりますがね』
ナシブ伯爵の視線の先を追うと、ラーディンと比べても遜色ないほど大柄な獣人の姿があった。あれが熊獣人か……、たしかに大きい。
『ナシブ伯、おそらく離宮に入れるのはわたし一人で、ナシブ伯らは王宮で足止めされるでしょう』
『……なにか問題でもあるのですか?』
ナシブ伯爵が眉をひそめ、言った。
『われらはラーディン殿下から、伴侶であるアンスフェルム様をくれぐれもお守りせよとご命令を受けております。アンスフェルム様をお一人にするわけには……』
『ええ、それは存じております』
俺は頷き、考えながら言った。
『これは推測を出ませんが……、おそらくエアハルト陛下は、いま現在、離宮にはいらっしゃいません』
『なんと』
ナシブ伯爵は驚いた表情で俺を見た。
『どういうことです、先王陛下が離宮にいらっしゃらないとは』
『今回のエアハルト陛下のご不例については、王宮から知らせが届きました。離宮からではありません。……しかし、本来なら陛下に何かあれば、陛下付きの侍従が真っ先にわたしに知らせてくれるはずです。しかし、今回それはありませんでした』
今回の王宮からの知らせは、どこかおかしい。何かが不自然だ。
『……それならば、離宮へ向かうのは危険では』
ナシブ伯爵が顔をしかめ、言った。
『罠とわかっていながら、みすみすアンスフェルム様を行かせたとあっては、後でラーディン殿下からどのようなお咎めを受けるか』
『殿下には……、わたしから説明します。今は、エアハルト陛下の安全を確認することが一番です。それまではパルダン王国へ戻れません』
俺をおびき寄せるためにエアハルト様を囮に使ったのだとしても、仮にも先王陛下に手出しをするとは考えづらいが、それでも万が一ということがある。俺がそう言うと、
『いったい、誰がそのようなことを。どうしてアンスフェルム様をエルガー王国へ呼び戻す必要が?』
ナシブ伯爵が眉をひそめて言った。
『アンスフェルム様は、ラーディン殿下が心臓の誓いを捧げたお方です。もしアンスフェルム様に何事かあれば、パルダン王国とエルガー王国の同盟は破棄され、最悪、戦争となるかもしれません。それなのに、なぜ』
ナシブ伯爵になんと言えばいいか、俺は考えた。
エルガー王国は、そもそも最初からパルダン王国との同盟を守るつもりなどない。
だから同盟を軽く見ているのは想定内だが、わからないのは、なぜ俺をエルガー王国へ呼び戻そうとしているかだ。
俺がエルガー王国にいないほうが、アデリナ妃やファルザリ侯爵家にとっても都合がいいはずだ。
後ろ盾のない庶子とはいえ、俺がアーサー王の長子だという事実は変わらない。エルガー王国にいれば、王太子に担ぎ上げられる可能性も皆無ではないだろう。しかし、外国の王子の伴侶として国を出てしまえば、さすがにそうした企みもなくなる。それなのに、なぜ?
アデリナ妃とファルザリ侯爵家が、俺を殺そうとしているなら、これらの事由の説明がつく。
パルダン王国にいては、暗殺者を送り込むのもままならない。だから自国に呼び戻し、確実に殺そうとした。これが一番、可能性が高い。
しかし、その理由がわからない。
なぜ今になって、俺を殺そうとするのか。
たしかに昔、アデリナ妃に子がいなかった頃は、俺は何度も命を狙われた。しかし、五年前にめでたく男子を得たアデリナ妃は、それからふっつりと俺に暗殺者を仕向けることはなくなった。嫌われてはいるものの、それだけだ。
それなのに、なぜ今さら。
『アンスフェルム様、到着しました』
ナシブ伯爵の声に、俺の物思いは打ち切られた。日は落ちかけ、空は淡い黄金色に染まっている。
目の前には、見慣れた離宮の門があった。
早馬で帰国を知らせてはいるが、こちらも強行軍で来ている。知らせとほぼ同時の帰国で、離宮も準備ができていないのだろう。慌てた様子で門番が走り出て来る。
門番の後ろから現れた人物に、俺は目を細めた。
あれは王の主馬頭を務める、ファルザリ侯爵家のご令息だ。アデリナ妃の甥にあたり、宮廷では絶大な権力を握っている。
やはり、と俺はぐっと拳を握り、ナシブ伯爵を振り返った。
『ナシブ伯、この後、伯らは王宮へ行くようにと指示されるでしょう。王宮で足止めされるかもしれませんですが、なんとか隙をみて、離宮にいらしていただけますか? ……ひょっとしたら、ナシブ伯の苦手とする荒事となってしまうかもしれませんが』
『仰せの通りに』
ナシブ伯は胸に手を当て、うやうやしく俺に頭を下げた。
『ラーディン殿下からは、アンスフェルム様を主と思ってお仕えせよと申し付けられております。――今のわたしの主は、アンスフェルム様お一人。どうぞ何なりと、このナシブにお命じくださいませ』
『ナシブ伯は文官とお聞きしましたが、ラーディン殿下の許で戦われることもあるのですか? だいぶ鍛えておいでのようですが』
俺は馬に乗ったまま、少し後ろをついてくるナシブ伯爵を振り返って言った。
ナシブ伯爵は俺の隣に馬を並べ、まんざらでもなさそうな表情で言った。
『いやあ、わたしなどまだまだです。わたしは犬族なので、素早さや持久力を買われ、殿下の許で働かせてもらっておりますが、荒事となるとどうしても力が劣りますから。その分は、あの熊獣人の部下に任せておりますがね』
ナシブ伯爵の視線の先を追うと、ラーディンと比べても遜色ないほど大柄な獣人の姿があった。あれが熊獣人か……、たしかに大きい。
『ナシブ伯、おそらく離宮に入れるのはわたし一人で、ナシブ伯らは王宮で足止めされるでしょう』
『……なにか問題でもあるのですか?』
ナシブ伯爵が眉をひそめ、言った。
『われらはラーディン殿下から、伴侶であるアンスフェルム様をくれぐれもお守りせよとご命令を受けております。アンスフェルム様をお一人にするわけには……』
『ええ、それは存じております』
俺は頷き、考えながら言った。
『これは推測を出ませんが……、おそらくエアハルト陛下は、いま現在、離宮にはいらっしゃいません』
『なんと』
ナシブ伯爵は驚いた表情で俺を見た。
『どういうことです、先王陛下が離宮にいらっしゃらないとは』
『今回のエアハルト陛下のご不例については、王宮から知らせが届きました。離宮からではありません。……しかし、本来なら陛下に何かあれば、陛下付きの侍従が真っ先にわたしに知らせてくれるはずです。しかし、今回それはありませんでした』
今回の王宮からの知らせは、どこかおかしい。何かが不自然だ。
『……それならば、離宮へ向かうのは危険では』
ナシブ伯爵が顔をしかめ、言った。
『罠とわかっていながら、みすみすアンスフェルム様を行かせたとあっては、後でラーディン殿下からどのようなお咎めを受けるか』
『殿下には……、わたしから説明します。今は、エアハルト陛下の安全を確認することが一番です。それまではパルダン王国へ戻れません』
俺をおびき寄せるためにエアハルト様を囮に使ったのだとしても、仮にも先王陛下に手出しをするとは考えづらいが、それでも万が一ということがある。俺がそう言うと、
『いったい、誰がそのようなことを。どうしてアンスフェルム様をエルガー王国へ呼び戻す必要が?』
ナシブ伯爵が眉をひそめて言った。
『アンスフェルム様は、ラーディン殿下が心臓の誓いを捧げたお方です。もしアンスフェルム様に何事かあれば、パルダン王国とエルガー王国の同盟は破棄され、最悪、戦争となるかもしれません。それなのに、なぜ』
ナシブ伯爵になんと言えばいいか、俺は考えた。
エルガー王国は、そもそも最初からパルダン王国との同盟を守るつもりなどない。
だから同盟を軽く見ているのは想定内だが、わからないのは、なぜ俺をエルガー王国へ呼び戻そうとしているかだ。
俺がエルガー王国にいないほうが、アデリナ妃やファルザリ侯爵家にとっても都合がいいはずだ。
後ろ盾のない庶子とはいえ、俺がアーサー王の長子だという事実は変わらない。エルガー王国にいれば、王太子に担ぎ上げられる可能性も皆無ではないだろう。しかし、外国の王子の伴侶として国を出てしまえば、さすがにそうした企みもなくなる。それなのに、なぜ?
アデリナ妃とファルザリ侯爵家が、俺を殺そうとしているなら、これらの事由の説明がつく。
パルダン王国にいては、暗殺者を送り込むのもままならない。だから自国に呼び戻し、確実に殺そうとした。これが一番、可能性が高い。
しかし、その理由がわからない。
なぜ今になって、俺を殺そうとするのか。
たしかに昔、アデリナ妃に子がいなかった頃は、俺は何度も命を狙われた。しかし、五年前にめでたく男子を得たアデリナ妃は、それからふっつりと俺に暗殺者を仕向けることはなくなった。嫌われてはいるものの、それだけだ。
それなのに、なぜ今さら。
『アンスフェルム様、到着しました』
ナシブ伯爵の声に、俺の物思いは打ち切られた。日は落ちかけ、空は淡い黄金色に染まっている。
目の前には、見慣れた離宮の門があった。
早馬で帰国を知らせてはいるが、こちらも強行軍で来ている。知らせとほぼ同時の帰国で、離宮も準備ができていないのだろう。慌てた様子で門番が走り出て来る。
門番の後ろから現れた人物に、俺は目を細めた。
あれは王の主馬頭を務める、ファルザリ侯爵家のご令息だ。アデリナ妃の甥にあたり、宮廷では絶大な権力を握っている。
やはり、と俺はぐっと拳を握り、ナシブ伯爵を振り返った。
『ナシブ伯、この後、伯らは王宮へ行くようにと指示されるでしょう。王宮で足止めされるかもしれませんですが、なんとか隙をみて、離宮にいらしていただけますか? ……ひょっとしたら、ナシブ伯の苦手とする荒事となってしまうかもしれませんが』
『仰せの通りに』
ナシブ伯は胸に手を当て、うやうやしく俺に頭を下げた。
『ラーディン殿下からは、アンスフェルム様を主と思ってお仕えせよと申し付けられております。――今のわたしの主は、アンスフェルム様お一人。どうぞ何なりと、このナシブにお命じくださいませ』
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