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20.砂上の楼閣

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 散々な晩餐の後、俺は酒も飲んでいないのに若干フラフラしながら部屋へ戻った。
 ナシブ伯爵……、悪気はないんだろうけど、助け船のつもりが逆に、重しをつけて水底に沈められた感がある。状況をさらに悪化させる発言の連続だったが、純粋に善意っぽいから文句も言えない。ツラい。

 俺はため息をつき、あてがわれた部屋の前に立った。

 そこで、ふと気が付いた。

 ……護衛の騎士がいない。使用人の姿も見えない。これは……。
 俺は、すぐさまエアハルト様からいただいた紋章指輪に顔を近づけ、ふうっと息を吹きかけた。
 これには、もしもの時に備えて、防御魔術を二、三、仕込んである。呪文なしで魔術の起動可能な優れものだ。
 指輪から魔術陣が浮かびあがり、俺は瞬時に防御魔術に包まれた。念の為、魔術の強度を確認してから、俺は部屋の中に足を踏み入れた。その瞬間だった。

「ぅおっ、と!」

 何かが俺に向かって飛んできた。短剣? 矢? わかんないけど、防御魔術が跳ね飛ばしてくれた。あっぶなー!

 俺はその場に伏せ、部屋を見回した。すると、全身黒尽くめの人物が、寝台の上に立っているのがわかった。しかも土足で!
「おまえ靴脱げよ!」
 俺は怒鳴ると、攻撃魔術を打つべく、空中に簡易魔術陣を描いた。

 そうしている間にも、黒尽くめの人物は俺に向かって次々と短剣を投げてくる。
 だが、それらはすべて、防御魔術に跳ね飛ばされ、俺には届かなかった。
『なに……!?』
 黒尽くめの人物が、動揺したように一瞬、動きを止めた。
 その隙を見逃さず、俺は渾身の力をこめて魔術を放った。

『水の龍!』

 空中に描かれた魔術陣から、凄まじい勢いで水が迸った。水の奔流は、まさしく龍のようにうねりながら、黒尽くめの人物に襲いかかった。

『っ、ぅあ……っ!』
 黒尽くめの人物は、壁に縫いとめられるように水の奔流に体を拘束された。
 苦しげに呻く声からして、こいつ男だな、と俺は判じた。
ならば容赦は無用。俺は、優しくするのは女子どもだけって決めてるからな!

 黒尽くめの男は、なんとか手足を動かそうともがいているが、水は透明な縄のようにそいつの自由を奪い、壁に磔状態にしている。
 俺はそいつの正面に立つと、耳元に顔を近づけ、大声で叫んだ。

『誰かああああ! 殺されるぅううう! 暗殺者だああああ!』

 黒尽くめの男は、俺に耳元で喚かれて、びくっと体を跳ねさせた。
 ふん、こっちは殺されかけてんだ。しかも、寝台には土足で上がられているしな。これくらいの意趣返しはさせてもらうぞ。

 俺は、さらにその男の耳元で、ぎゃあぎゃあ喚いてやった。
『死ぬぅうううう! 誰かああああ! 助けてぇええええ‼』

 すると、
『アンスフェルム!』
 バンッ! とすごい音をたてて、部屋の扉が吹っ飛んだ。

「え?」
 俺は驚き、部屋の入り口に目を向けた。

『アンスフェルム、無事か!?』
 ラーディンが、息を乱して立っていた。
「あ、え?」
 俺は唖然として、壊された扉とラーディンを交互に見やった。

 ウソだろ。こいつ、魔術も使わずあの分厚い扉を吹っ飛ばしたのか!? どんだけ怪力なんだよ。

『アンスフェルム』
 ラーディンは早足でやって来ると、震える手で俺の腕をつかんだ。
『怪我は』
『あ、えと……、ない、です……』

 ラーディンの乱れた金髪の間から、丸い耳がひょこっと覗いている。俺は驚いてそれを見上げた。
 獣人は通常、獣耳を隠している。自ら意図した時以外は、驚いたり怒ったり、とにかく激しく動揺した時にだけ、獣耳が現れると聞いている。

 と、いうことは、ラーディンは獣耳が出てしまうほど、それほど本気で、俺のことを心配してくれたのか。
 ていうか、獣耳、可愛いな……。ラーディンは獅子の獣人だから、耳が丸っこいんだよな。可愛い……。

『……こやつが刺客か』
 俺がラーディンの獣耳に見惚れている間に、ラーディンは壁に磔状態にされている黒尽くめの男に向き直った。そして、いきなり手を伸ばしたかと思うと、ガッとその男の喉をつかんだ。
『ぐ……っ、が、っ』
『誰に命じられた? ……私の伴侶を害そうとはな。その度胸だけは褒めてやろう』
 ラーディンの低い声に、ぞっと心が冷えた。過去の記憶、二度目の人生の最後の瞬間が、脳裏によみがえる。

 ――よくも私をたばかってくれたな。その度胸だけは褒めてやろう。

 ラーディンに首を絞められている、黒尽くめの男。
 あれは、俺だったかもしれない。
 違う選択の積み重ねで、俺はいま、生きて、ラーディンの隣に立っている。
 でもそれは、ささいなミスで崩れてしまうような、砂上の楼閣に過ぎないんだ。

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