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10.出発
しおりを挟む離宮の庭園に出ると、まぶしい朝日に俺は目を瞬いた。
初夏の庭園は、吟遊詩人に歌われるほどの美しさだ。小さな白い花群がそこかしこに咲き乱れ、薄紫の花房を重たげに揺らす樹木からは、甘い匂いがただよってくる。
この庭園を歩くのも、これが最後かもしれない。
俺は夢のように美しい庭園を見回し、ため息をついた。
本日、俺はエルガー王国の使節団の一人として、パルダン王国へ向かう予定だ。
目的は二国間の同盟締結に向けての交渉。俺の肩書は通訳および、ラーディンの婚約者である。
ただし、ラーディンの婚約者は俺一人ではない。
使節団には、クロース公爵家次男のロルフ様も、婚約者の一人として名を連ねている。
ロルフ様は「ラーディン殿下とアンスフェルム殿は相思相愛のご様子、そこにわたしが割り込むのは気が引けます」という、非常にこっぱずかしい理由をつけて婚約者を辞退されようとした(本人から聞いたから間違いない)が、ここでまた、アデリナ妃から強硬な反対があったらしい。
俺はそうとう、アデリナ妃から嫌われているんだな。まあ、暗殺者を差し向けられたりしたこともあったし、今さら驚かないけど。
だがともかく今回の人生では、単なる通訳ではなくラーディンの婚約者として、使節団に加わることができた。前回、前々回の人生とは、明らかな違いである。一歩前進、と前向きにとらえておこう。
「もう行くのかね」
庭園でぼんやり立ち尽くしていると、エアハルト様に声をかけられた。後ろに侍従が一人、控えているが、護衛の者はいなかった。仰々しさを嫌う、エアハルト様らしい。
「陛下」
「パルダン王国は、もう真夏の暑さと聞いている。体調をくずさぬよう、気をつけなさい」
俺はエアハルト様の前にひざまずいた。
「どうしたのかね、改まって」
「……今まで、本当にありがとうございました、エアハルト様」
俺はエアハルト様に頭を下げ、言った。
「俺が今まで生き延びられたのは、間違いなくエアハルト様のおかげです」
「大げさだな」
「いいえ」
俺は頭を上げ、エアハルト様を仰ぎ見た。
白髪交じりの金髪に、穏やかそうな青い瞳をした壮年の男性。この方がいなければ、俺は一生スラムから抜け出せず、読み書きもできぬまま、ろくでもない輩の仲間になり、ろくでもない一生を終えたことだろう。
たとえ王宮に引き取られたとしても、エアハルト様の庇護がなければ、早晩俺はアデリナ妃の手の者により、命を奪われたことだろう。
「……恐れ多いことながら、わたしにとっての父親は、あなた様一人と思っております」
事実はどうあれ、俺にとっての父親は、エアハルト様だけ。生きている俺の家族は、この方だけだ。
エアハルト様は、俺の頭を優しく撫で、言った。
「私もそう思っているよ。おまえは、私の可愛い息子だ。……何か困ったことがあれば、いつでも知らせなさい。私にできることなら、何でもすると約束しよう」
「ありがたきお言葉」
侍従が進み出て、俺に小さな包みを渡した。
「これは?」
「必要な時があれば、使いなさい」
エルガー王国の紋章とエアハルト様の印が組み合わさった紋章指輪や、高価そうな首飾り、カフスピン等が一揃い、中に包まれていた。
「……ありがとうございます」
俺は立ち上がり、もう一度エアハルト様に頭を下げると、その場を後にした。
エアハルト様以外、俺をエルガー王国に留める理由は何もない。たとえラーディンに殺されずに生き延びたとしても、俺はもう、エルガー王国には戻ってこないかもしれない。
……でも、この庭園を歩くのがこれで最後だとしたら、それはちょっと残念な気もする。
これほど美しい場所は、この世のどこにもないだろう。ここは俺の知る限り、どこよりも美しく安全な、閉じられた狭い世界だった。
このままここで、エアハルト様に守ってもらい、安穏な一生を送れたらどんなにいいだろう。
俺は大きく息をつき、未練を断ち切るように足を速め、庭園を出て行った。
「遅い。待ちくたびれたぞ」
王宮の東翼、パルダン王国一行が滞在している一角の前に、何台もの馬車が連なっている。そこに、ラーディンが腕組みをして立っていた。
「いや、遅いって……、出発は昼過ぎの予定では?」
「荷物はもう積み込んである。用意ができたなら、出発しても問題あるまい」
せっかち過ぎ! 俺は少しあきれてラーディンを見上げた。
「なんでそんなに急ぐんです? 何か予定でもあるんですか?」
前回、前々回とも、それほど急ぎの交渉事はなかったように思うが。
「いや? まあ、強いて言えば、おまえに早くわが王国を見せたいだけだ」
「はあ?」
「パルダン王国に興味があると言っていただろう。まだ建設途中だが、祈りの塔や女神の泉など、美しい場所はいくらでもある。案内してやろう」
「それは……、ありがとうございます……?」
二回の人生と決定的に違っている点は、ここにもある。
ラーディンの俺に対する態度だ。
俺が婚約者候補に名乗りを上げたせいもあるだろうけど、この距離の詰め方は予想外だ。最初の人生でラーディンの友人になった時も、ここまでぐいぐい来られた記憶はないのだが。
「馬には乗れるか?」
「さすがに乗馬くらいはできます」
いくら庶子とはいえ、腐っても王族。王宮に引き取られてからは、一応、一通りの授業は受けさせてもらっている。
「そうか。残念だ」
「え?」
ラーディンはニヤッと笑って俺を見た。
「乗れなければ、私の前に抱きかかえて乗せてやろうと思っていたのに」
「殿下!」
そんな風に二人乗りをするのは、子どもか乗馬経験のない令嬢くらいのものだ。いくらなんでも俺を馬鹿にしすぎじゃないか?
俺がラーディンを睨むと、ハハッ!と楽しそうにラーディンは笑った。
それを見て、なぜかパルダン王国の一行が驚いたような顔をしていた。
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