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20.招かれざる客
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「……そうか。そういえば人間は、あまり旅をせぬ種族だったな」
「僕らからすると、旅が出来ないなんて、ずいぶんと息苦しいだろうなと思うけどねえ。エステルは、旅をしなくても平気なのかい?」
アンセリニ侯爵に問いかけられ、わたしは半笑いで答えた。
「まあ、あの……、年に一回くらい、家族で景勝地を訪れたりするくらいですけど、それでわたしは十分ですね。旅の好きな貴族ですと、一年中あちらこちらと訪れていらっしゃるようですが」
言いながら、わたしは考え込んだ。
前世のわたしは、いったいどういう人間だったんだろう。
罠にかかった鶴を助け、どこかを目指し旅をしていた。でも、何の為に?
旅が困難な時代に、貴族でもない人間が娯楽のために旅をするとは考えられない。
わたしは、何のために、どこを目指して旅をしていたんだろう。
「エステル? どうかしたか?」
「……いえ、なんでもありません」
わたしは頭を振り、考えるのをやめた。
クレイン様ではないが、前世は前世、今は今だ。今さら前世のことを知ったからって、何も変わらない。それよりも、
「クレイン様、そろそろ離れていただけませんか」
「なぜ? 私たちは愛を確かめあった婚約者同士ではないか」
わたしを抱きしめたまま、クレイン様が大真面目に言う。
アンセリニ侯爵の生温い視線がツラい。クレイン様、ちょっと前のめり過ぎじゃないですか。
その日はクレイン様が屋敷まで送ってくださった。
病み上がりなのに大丈夫なのかと思ったが、
「鶴は、愛する相手と一緒にいればいるほど健康になる。愛が力の源なのだ」
真顔で言われ、わたしはもう反論するのをあきらめた。
言ってることはめちゃくちゃなのに、顔が美しすぎて「そうなのか」と思わされてしまう。わたしが流されやすい性格だってせいもあるだろうけど。
「では後日、正式にそなたの両親にご挨拶にうかがう。……それまでは、できるだけ外出を控えてもらえないだろうか」
「わかりました」
わたしは素直にうなずいた。
蛇族の執着の激しさはよく知られた話だし、用心に越したことはない。まあ、いかに蛇族とはいえ、いきなり貴族の娘をさらうような真似は、さすがにできないと思うけど。
「それから、私がいない時は、この不死鳥の羽衣を羽織っていてほしい。手に持っているだけでもいいのだ。これがあれば、たいていの難事からは逃れられるはずだから」
なんでも、この羽衣には不死鳥の羽根による幸運が付加されているのだという。
……よく考えなくても、この羽衣、国宝レベルの品物なんじゃ……。いや、考えるのはよそう。これ以上、胃に負担をかけたくない。
屋敷に戻ったわたしは、両親に事の顛末を説明した。
蛇の騎士(おそらくは元王族)に狙われていること、クレイン様に求婚されて、それを了承したこと。
わかっていたけど、両親は恐慌状態に陥った。
「蛇族に!? ああ、なんてこと! いったいどうしたら……、可哀そうなエステル!」
「いや、待て、クレイン殿下が婿入り希望!? 天人族の王子が!? いや、それは……、いったん宮廷へ申し上げ、判断を仰がねば」
うん、そうなるよね……。申し訳ありません、お父様、お母様。
なんだかんだで寝室に戻ったのは、夜も更けた頃だった。
今日は疲れた……。仕事も中途半端にしてしまったし、明日は一日、書類の処理に追われるだろう。どうせしばらく外出できないけど……、そうだ、ブレンダに手紙を書かなきゃ……。
うとうとしながら明日しなきゃいけない事を考えていた時だった。
ふっ、となんだか湿った風が頬にあたったような気がして、わたしは目を開けた。
窓は閉まったままだが、なんだか部屋の空気がおかしい。
寝返りを打ったわたしは、息を呑んだ。
暗闇の中、まるで幽霊のようにたたずむ男性がこちらを見つめていたからだ。
「ヒッ……」
男性が一歩、寝台に近づき、わたしはかすれた声を上げた。
だ、誰だ。まさか幽霊?
怖い、助けてクレイン様!
「僕らからすると、旅が出来ないなんて、ずいぶんと息苦しいだろうなと思うけどねえ。エステルは、旅をしなくても平気なのかい?」
アンセリニ侯爵に問いかけられ、わたしは半笑いで答えた。
「まあ、あの……、年に一回くらい、家族で景勝地を訪れたりするくらいですけど、それでわたしは十分ですね。旅の好きな貴族ですと、一年中あちらこちらと訪れていらっしゃるようですが」
言いながら、わたしは考え込んだ。
前世のわたしは、いったいどういう人間だったんだろう。
罠にかかった鶴を助け、どこかを目指し旅をしていた。でも、何の為に?
旅が困難な時代に、貴族でもない人間が娯楽のために旅をするとは考えられない。
わたしは、何のために、どこを目指して旅をしていたんだろう。
「エステル? どうかしたか?」
「……いえ、なんでもありません」
わたしは頭を振り、考えるのをやめた。
クレイン様ではないが、前世は前世、今は今だ。今さら前世のことを知ったからって、何も変わらない。それよりも、
「クレイン様、そろそろ離れていただけませんか」
「なぜ? 私たちは愛を確かめあった婚約者同士ではないか」
わたしを抱きしめたまま、クレイン様が大真面目に言う。
アンセリニ侯爵の生温い視線がツラい。クレイン様、ちょっと前のめり過ぎじゃないですか。
その日はクレイン様が屋敷まで送ってくださった。
病み上がりなのに大丈夫なのかと思ったが、
「鶴は、愛する相手と一緒にいればいるほど健康になる。愛が力の源なのだ」
真顔で言われ、わたしはもう反論するのをあきらめた。
言ってることはめちゃくちゃなのに、顔が美しすぎて「そうなのか」と思わされてしまう。わたしが流されやすい性格だってせいもあるだろうけど。
「では後日、正式にそなたの両親にご挨拶にうかがう。……それまでは、できるだけ外出を控えてもらえないだろうか」
「わかりました」
わたしは素直にうなずいた。
蛇族の執着の激しさはよく知られた話だし、用心に越したことはない。まあ、いかに蛇族とはいえ、いきなり貴族の娘をさらうような真似は、さすがにできないと思うけど。
「それから、私がいない時は、この不死鳥の羽衣を羽織っていてほしい。手に持っているだけでもいいのだ。これがあれば、たいていの難事からは逃れられるはずだから」
なんでも、この羽衣には不死鳥の羽根による幸運が付加されているのだという。
……よく考えなくても、この羽衣、国宝レベルの品物なんじゃ……。いや、考えるのはよそう。これ以上、胃に負担をかけたくない。
屋敷に戻ったわたしは、両親に事の顛末を説明した。
蛇の騎士(おそらくは元王族)に狙われていること、クレイン様に求婚されて、それを了承したこと。
わかっていたけど、両親は恐慌状態に陥った。
「蛇族に!? ああ、なんてこと! いったいどうしたら……、可哀そうなエステル!」
「いや、待て、クレイン殿下が婿入り希望!? 天人族の王子が!? いや、それは……、いったん宮廷へ申し上げ、判断を仰がねば」
うん、そうなるよね……。申し訳ありません、お父様、お母様。
なんだかんだで寝室に戻ったのは、夜も更けた頃だった。
今日は疲れた……。仕事も中途半端にしてしまったし、明日は一日、書類の処理に追われるだろう。どうせしばらく外出できないけど……、そうだ、ブレンダに手紙を書かなきゃ……。
うとうとしながら明日しなきゃいけない事を考えていた時だった。
ふっ、となんだか湿った風が頬にあたったような気がして、わたしは目を開けた。
窓は閉まったままだが、なんだか部屋の空気がおかしい。
寝返りを打ったわたしは、息を呑んだ。
暗闇の中、まるで幽霊のようにたたずむ男性がこちらを見つめていたからだ。
「ヒッ……」
男性が一歩、寝台に近づき、わたしはかすれた声を上げた。
だ、誰だ。まさか幽霊?
怖い、助けてクレイン様!
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