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37.口づけ

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 馬上で抱きしめられ、情熱的にかき口説かれ、わたしは熱が出そうだった。
 ていうか、心臓がバクバクして破裂しそう。

 わたしは混乱したまま口を開いた。
「め……、迷惑じゃ、ありません……、でも」
「ユリ様」
 わたしを抱きしめるエスターの力が強くなった。

「でも、怖い……」
 わたしは小さく呟いた。

 エスターの気持ちに、心が揺さぶられている。このまま一緒にいたら、きっとわたしもエスターを好きになってしまうだろう。いや、ひょっとしたらもう、好きになってしまっているのかもしれない。
 でも、じゃあエスターを連れて元の世界に戻るのかと言われれば、そこまでの決心はつかない。今まで生きてきた世界を捨てさせるなんて、そんな風にエスターの人生を大きく変えてしまうことが怖い。

「怖い? ……私を恐れていらっしゃるのですか?」
「違う、違います」
 わたしは必死に言った。

「エスターの人生を変えてしまうことが怖いんです。一緒にわたしの世界に来てもらって、それで……、もしエスターが後悔したら、そんな事になってしまったら、って」
「ユリ様」
「わたしの世界とこっちは、何もかもが違うんです。魔法もないし、魔獣もいない。それに、そんな簡単に何もかも捨てるなんて無理です。現にわたしにはできないもの。元の世界にいる両親や友達に、二度と会えなくなるなんて耐えられない」
 言いつのる内に感情が高ぶり、涙が勝手にあふれてきた。

 そうだ、無理だ。違う世界で生きていくなんてできない。少なくともわたしには無理だ。
 自分にできないことを、エスターに強いるなんて勝手すぎる。たとえ本人が、そう望んだとしても。

「後悔などしません」
 エスターはわたしを抱きしめたまま、焦れたように言った。
「ユリ様、あなたに会って、私はやっと自分の心を知りました。……祖父を亡くしてからというもの、私はただ魔獣を屠るだけの、生きながら死んでいるような日々を過ごしていました。あなたに会って、初めて私は……」
「エスター」
 わたしは弱々しく頭を振った。これ以上、エスターの言葉を聞いて、押し流されるようにエスターに傾く心を止めたかった。

「ユリ様」
 エスターの手が後ろからわたしの顎をつかみ、ぐいと持ち上げた。
 涙がこぼれてエスターの表情がよく見えない。エスターが苦しげにささやいた。

「お許しください」
 何を、と聞く間もなかった。

 エスターがわたしに覆いかぶさるようにして、口づけてきた。
 片手で頭をつかまれ、腰を抱かれて身動きもできない。抱きしめる腕や触れる唇が熱くて、何も考えられなかった。
「……ん、っ」
 エスターは角度を変え、貪るように口づけてきた。舌をからめられ、驚いてエスターの胸を叩くと、ようやく唇が離れていった。

「ユリ様」
 ちゅっと軽くキスされ、顔を覗き込まれる。恥ずかしくて顔を背けると、追いかけるようにエスターの唇がこめかみや頬を這った。
「泣かないでください」
 エスターはわたしを抱きしめ、ささやいた。

「あなたが泣くと、たまらない気持ちになる。……騎士の誓いも誇りも投げ捨て、無理やりにでもあなたを自分のものにしたくなってしまう」
 エスターの腕の中で、わたしは何も言えずに泣いた。

 どうしよう。
 こんな気持ちになるなんて思わなかった。どうしよう。

「ユリ様……」
 抱きしめてくるエスターの腕を拒むことも、抱きしめ返すこともできない。
 わたしは黙ったまま唇を噛みしめた。

 エスターは、わたしの気持ちを聞かせてほしいと言ったけど、自分でも自分の心がわからない。
 元の世界に帰りたい気持ちは変わらない。でも、その時エスターを連れていきたいのか、そうでないのか、わたしはどちらを望んでいるんだろう。

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