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第1章 遥か高き果ての森
二十九話 目覚め
しおりを挟む……どこからか、歌が聞こえた。
その歌はとても聞き覚えがあって、俺が一番好きだった歌。聞いていると他の何よりも安心することができる、そんな歌だ。
それによって、深い……それこそどんな光も届かないような、そんな深い暗闇の中に眠っていた意識が少しずつ浮上し始めた。随分長らく眠っていたようで、とても遅いペースだ。
だが、やがて時間をかけて這い上がった俺の意識は眠りと覚醒の狭間にある水面に行き着いた。しかしそこから上に行くことが難しく、朧げにしか感覚を掴めない。
そんな状態でも、俺の耳に確かにその歌は響いてきた。そうしてようやく、はっきりとしない意識の中で俺は気づく。それを歌っているのが、誰よりも好きな人の声だったことに。
……ああ、そうか。これは夢か。どうりでなかなか覚めないわけだ。けど、どうせなら覚めたくない。この声を聞いていられるのなら…それこそ、ずっとこの夢の中でもいい。
しかし皮肉にも、そう思えば思うほどあれほど曖昧だった感覚がはっきりとし始める。それに少し残念な気分を覚えていると、不意に頭の後ろに柔らかい感覚を覚えた。
それを自覚した途端、触覚をはじめとして、それまで歌を捉えていた聴覚以外うまく機能していなかった五感が研ぎ澄まされていった。体も動かせるようになる。
半分寝ぼけ眼の状態のまま、俺は寝返りを打って、手を動かし頭の後ろにあった柔らかい何かを両手で抱え込んだ。それからはいい匂いがして、それが心地よくて腕に込める力を強くする。
するとぴくり、と柔らかい何かが震えた。思わず顔をしかめると、頭に何かが乗せられる。そのまま乗せられた何かは左右に動いて、まるで俺の頭を撫でているようだった。
……ん? 震える? 撫でられてるみたいな感じ?
「!?」
その瞬間、あれほどの俺の意識を離さなかった曖昧な感覚が一気に引いていった。すると当然、それまで半分以上眠っているようだった意識が完全に覚醒し、感覚が戻る。
それを実感した途端に、それまで曖昧だったせいで錯覚していたこれが夢でないことを自覚した。俺は夢の中になどいない、確かに起きている。
その証拠に、これまで頑なに開くことのなかった瞼がパッチリと開いた。そのままばっと横を見ると、視界いっぱいに肌色が映り込む。
え、何だこれ?肌色ってことは誰かの肌なのか? ということは今、俺は誰かに膝枕をされて寝ていたことにーー。
そこまで思考が行き着いたところで、心の奥から湧き上がってきた羞恥心で思わず体を捩ってしまう。その拍子にバランスを崩して体を預けていた何かから転げ落ちた。
「うぐっ、いてて……」
驚きで受け身も取れずしたたかに尻を地面のような硬いものに打ち付け、思わずそう呟く。寝起きで急激に動いたからというのもあるかもしれない。
そう思って立ち上がろうとすると、歌声が止まった。そしてそれまで寝転がっていた場所の方から誰かが立ち上がり、こちらに歩いてくる気配がする。先ほど俺が膝枕をされていた誰かだ。
内心警戒していると、その人物は俺の目の前で立ち止まった。そしてすっと俺に手を差し出してくる。そこから敵意は感じなかった。
それでも用心しながらその手を取って、ゆっくりと立ち上がる。そしてその人物の顔を見ようと顔を上げてーー
「……………え?」
ーーその人物の顔を見た瞬間、頭の中が真っ白になった。
体が硬直し、周りから音が消える。口を開けて間抜けな表情を晒し、目を見開いて目の前にいるその人を穴が空くほど見た。けれど……そんな中で、心臓だけはうるさいくらいに高鳴っている。
時が止まった、という表現をよく聞くが、まさかそれを自分が実際に体験する時が来るとは思いもしなかった。それほどに衝撃的だったのだ。
普段の俺ならどんな状況かもわからない中で、一端の陰陽師としてそんな隙だらけな状態を晒しはしない。けれど、そんなものは今この場において全く意味をなしていなかった。
……でもそんなの、当たり前だ。
だって今、俺の目の前にいるのは……俺が生まれて初めて好きになって。もう会うことは叶わないとわかっていても。
何度諦めようとしても、忘れようとしても。それでもーー
「…相変わらずそそっかしいですね。そんなに驚いたんですかーーセンパイ」
「る、り……?」
ーーそれでも恋い焦がれた……初恋の少女だったのだから。
ずっと、忘れられなかった。一日だって忘れた日はなかった。俺の心の中にずっとい続けて、思い出して苦しくて泣いた時もあった。
その瑠璃色の綺麗な髪も、透き通るような、けれどどこか眠たげな瞳も、それを隠す青縁の眼鏡も、桜色の唇も、すっと通った鼻筋も、少しだけ低い身長も。
なによりも……そのいたずらげな微笑みを。全部、はっきりと覚えている。
異世界に来てから何度も一緒にいたあの日々の夢を見て……目が覚めて、それがまやかしだったことに涙を流した。心が張り裂けそうだった。
ふとした瞬間に脳裏にその笑顔がよぎって、それを忘れるためにいつも以上に鍛錬を重ねて、それで心の底から湧いてくる寂しさを誤魔化していた。
エクセイザーや、シリルラと会話していて……物静かで、それでいて楽しそうに話す姿が思い浮かんできて。涙を流さないよう、空元気を振りまいたこともあった。
頭の中に、次から次へと会うことのできなかった時間の苦しい思いが溢れてくる。そして一つ浮かんでくるたび、それは頬を伝う雫へと変わっていくのだ。
胸が、締め付けられるように痛い。今この瞬間でさえも、ただの泡沫の夢なのではないかと疑って酷く寂しい気持ちになる。
だから、俺は……
「あっ……」
…気がつけば、彼女を抱きしめていた。
腕の中に、確かな暖かさがある。彼女の息遣いが、鼓動が伝わってくる。それを実感できた瞬間、まるでダムが決壊したようにとめどなく涙が溢れできた。
「ふぐ……ぅ…あ…!」
それでも、彼女の前で声を出すのは恥ずかしくて、嗚咽を噛み殺す。
そんな俺に、突然の抱擁に驚いていた彼女は困ったようにかすかに笑う。そしてそっと、俺の背中に手を回してくれた。
驚いて、一瞬嗚咽が止まる。そこに見計らったかのように彼女は耳元に顔を寄せてきて、いつものように悪戯げな口調で囁いた。
「……我慢しなくていいですよ。センパイが寂しがりやなこと、知ってますから」
「っ……! う、あ、ぁあああああぁああぁあっ…!」
彼女の声を聞いた瞬間、それまで必死に見せまいとしていた声がまるでタガが外れたかのように口から溢れ出す。
それと同時に、ここにきてようやく、まだまやかしなのではないかと疑っていた彼女がここにいることを完全に実感することができて、腕に込める力を強くした。
そんな俺に、彼女はまた薬と困ってように笑い。まるで子供をあやすように背中を撫でてくれる。
「会いたかったっ……ずっと…ずっと会いたかった……ッ!」
「……私もですよ、センパイ」
そう言いながら背中を撫でてくれる手が受けれてくれたようで、どこか嬉しいのだった。
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