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1巻
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「どうしたんだ?」
「殿下、アリンナ・ガザール男爵令嬢様がお越しです」
「この庭に向かっているのかしら?」
「……はい。殿下がここにいると話すと、こちらへ向かってきております」
「ここは招待を受けるか、許可のない者は入れないわ。アリンナ嬢は王妃様の許可を得たのかしら?」
「いえ。許可をいただいておりません」
「……なら仕方がないですね」
「すまないエリアナ。せっかく君とお茶をしていたけれどアリンナはここには来られないし、彼女をサロンの方へ連れていく。中途半端になってすまない」
「……構わないですわ。私なんかより、どうぞアリンナ嬢を優先してあげてくださいませ」
「ありがとう。では迎えにいってくる」
彼はすまなそうにしていたけれど、私の言葉を待っていたようで返事を聞いて喜んで迎えにいってしまった。
殿下の様子を見ていた従者は残された私を見て流石に気まずそうにしている。
「下がりなさい。後は私だけで楽しむから大丈夫よ」
従者は一礼して去っていく。
残された私とサナとカイン。
「またあの妾ですかぁ。どう考えてもお嬢様を最優先しないといけないのに。自分から誘っておいてあれはないよねぇ、カイン」
「まぁ、そうだな。自分から誘っておいてこの庭に来られないからという理由で迎えにいくなんてのはもってのほかだろうな」
「仕方がないわ。それほどに愛おしい人なのでしょう」
「それにさぁ、何あれ。あれはないよねぇ。お嬢様と二人なのに妾との惚気話。殿下の従者だって困っていたよね。お嬢様に対しての当てつけなの? 途中で止めに入ろうかと思ったよ」
サナが私の代わりにすごく怒っている。
その気持ちだけで私は救われる気がするわ。
冷めない間に花びらが浮かんでいるお茶を飲む。
その香りと景色を楽しみながら重い息を一つ吐いた。
「さて、執務にそろそろ戻らなければいけないわね。サナ、後で王妃様にお礼を」
「畏まりました」
私達は滅多に入ることのできない庭に名残惜しさを覚えつつ、また執務へと戻った。
行く時は二人で行ったのに早々に一人で部屋に戻ってきたせいか文官達は困惑気味。
気を遣わせてしまったわ。
この日の執務は休憩した分、夜まで執務をこなすことになったけれど、サルタン殿下からは謝罪の伝言すらなかった。
彼を待っているわけではないし、謝罪だってほしいわけじゃない。別に気にしていないの。
けれど何かが私の心に重くのしかかる。彼に対しての捨てきれない情、なの、かしら……
私は今日も変わらず早朝に一人執務をしている。
小鳥の囀る声に耳を傾けながら考えごとをしているとマリーが声を掛けてきた。
「エリアナ様、いかがなされましたか?」
「そういえばアリンナ嬢はもうすぐ側妃として嫁がれるのよね? 私はまだ顔合わせもしていないわ。正妃なのに……大丈夫なのかしら?」
「普通は後宮入りする側妃様の選定は正妃様が行うものですが、今回は殿下が仕切る形となっています。サルタン殿下の不手際でしょう。問い合わせはしておきます」
「お願いするわ」
マリーに頼んだ後、午前中は休まずに執務に取り掛かる。頼んだことも忘れてしまうくらいに忙しかったけれど、ちょうど昼食時に殿下の従者が伝言を持ってきた。やはり私とアリンナ嬢の顔合わせを忘れていたようだ。
早ければ今日の午後にでも顔合わせを行うという。
確か午後からは大臣との打ち合わせがあったわ。文官に確認してみるけれど、やはり午後は抜けることができない。
どう予定を空けようとしても明日の昼食時くらいしか時間が取れなかった。
昼食にアリンナ嬢との顔合わせをすると思うと気が重いわ。
でも仕方がないことよね。正妃なんだもの。
従者に明日の昼食時なら時間が取れると話をすると従者は一礼をして去っていく。
その後、連絡が来ていたようだ。『明日の昼食時で構わない』と。
翌日、私は多忙に過ごしている。
急に入った顔合わせの時間。今日は顔合わせの場に王妃様も参加すると聞いたわ。
私はギリギリまで執務を行った後、謁見室へと急ぎ足で向かった。
「お待たせいたしました」
私の声で視線が集まった。既に皆は部屋に揃っていたようだ。
でも、なぜかしら? あまり雰囲気がよくないと感じるわ。
眉を顰めながら扇で口元を隠している王妃様。
向かいには困り顔のサルタン殿下と笑顔で話し続けているアリンナ嬢。
……このまま回れ右をして戻ってもいいかしら。
私が用意された席に座るのを躊躇していると、王妃様が微笑みながら横へ座りなさいと声を掛けてくださった。
部屋には私達のほかに王妃様の従者や護衛、私の連れてきたマリーとラナンが部屋の隅で待機している。サルタン殿下の従者や護衛は部屋の外で待機している。
これは王妃様が意図的に外させたに違いない。
「さて、エリアナも来たことだし、さっさと始めるわ。エリアナ、政務の時間を無理やり割いてごめんなさいね。誰かさんのせいでエリアナが苦労しっぱなしなのよね」
ほかの人がいないせいかいつも優しい口調で話をする王妃様が今日は厳しい。
やはり私が来る前に何かあったのかもしれない。
「すまない、エリアナ。今回の件に関しては私の不手際だ」
「そうですわね。まぁ、今更でしょう? 単刀直入に聞きますわ。今まで淑女教育はされてこられたのかしら? アリンナ嬢、残念ながら今の貴女は淑女とはほど遠い。これから貴女は側妃として王宮に入りますが、教師が決まり次第、すぐに妃教育を受けてもらいます」
私が口早に伝えるとアリンナ嬢はあっけらかんと言った。
「淑女教育なんて必要なの? 勉強は学院でしてきたし、これ以上はしたくないわ」
……早速頭が痛くなってきたわ。男爵家では一体何を教えていたのかしら。上位貴族はもちろん、下位貴族にも淑女教育はあるはず。男爵は娘の教育にお金を掛けていなかったのかしら。
「私は幼少期より王妃教育をしてきましたわ。これは王を支えるため。王に何かあった場合、王妃が指揮を執るのです。側妃は王妃の補佐をしなければいけません。時には外交を行い、貴族の折衝を行ったりします。政務に関しても王妃や王が倒れた場合、こなさなければいけないのです。その時になってできませんでは許されないのです。理解しましたか?」
「なら私の勉強ではなくて、陛下や王妃様が病気や怪我をなさらないように医者を連れて歩いたらいいじゃない」
私は噛んで含めるようにわかりやすく言ったつもりだったけれど、アリンナ嬢は斜め上の方向で応戦してくる。
「舞踏会や王家の行事に着飾り、サルタン殿下のエスコートで褒められたいのでしょう?」
「そうよ! 舞踏会で着飾って皆に綺麗ですねって褒められたいわっ」
私はアリンナ嬢の虚栄心の強さを突いて話をすることにした。
王妃様もそれに乗ってくれるようだ。
「アリンナ、所作の美しい側妃、教養のある側妃。さすがサルタン殿下が選んだ人だと皆から賞賛されたいでしょう? 今よりももっと素敵になるために王家から講師をお願いしてます。取り組んでちょうだい」
「……そうね」
アリンナ嬢が教育に関して興味を持った矢先。
「私は今の天真爛漫なアリンナも大好きだよ。この間、翔鸞の庭の白い花をちぎった時には焦ったけど、その仕草がとっても可愛かったんだ」
……敵がここにいたわ。
隣の王妃様は扇を持つ手が震えている。もう帰りたい。
アリンナ嬢がサルタン殿下に微笑み返し、口を開こうとした瞬間。
「そういえばアリンナ嬢、体調はよろしいのですか? 毎日のように王宮へ来ていると伺っていますが」
私は険悪な雰囲気になる前に話題を無理やり変えた。
「えぇ、大丈夫よ。毎日動いていないと丈夫な子を産めないって聞いたし、タウンハウスから毎日歩いて殿下に会いにきているの。幸いつわりもあまりないから本当に楽なのよね」
タウンハウスから毎日王宮へ歩いてくる……
王都は治安がいいけれど、貴族が馬車を使わずに王宮へ来るなんて襲ってくれと言っているようなもの。その上、彼女は妊婦だ。誰の子かわかればそれこそ狙われてもおかしくはない。
あまりの危機感のなさに驚きを隠せないでいる。
「アリンナ、本来なら許可しませんが、特別に王宮の客室に住むことを許しましょう。結婚式まではそこに住み、朝から妃教育を受けてもらいます」
王妃様も同じことを考えたのだと思う。野放しにしていると後々面倒ごとが増えるに違いない。
「王妃様、本当!? やった! ありがとうございます」
サルタン殿下もアリンナ嬢も喜んでお互い見つめ合って惚気ているけれど、それを見ている人達の目は冷たい。
そうして王妃様の一声でアリンナ嬢は王宮の客室に住むことになった。
これから同じ王宮内に住むアリンナ嬢。
サルタン殿下はアリンナと会う時間が増えると喜んでいる。
彼女は客室で勉強をしながら過ごし、側妃となった後はまず出産。その後、妃教育が済み次第、公務に携わることや正妃の邪魔をしないことを告げるが、浮かれている二人に聞こえてはいない様子。
「先が思いやられるわ」
「……同感です」
王妃様が部屋を出るときにポツリと零した言葉。
私も同意するしかなかった。
アリンナ嬢に宛がわれた客室は王族の居住区や執務室から一番遠い場所が選ばれた。部屋も一番質素な部屋のようだ。彼女は質素な部屋に不満を漏らしていたようだが、侍女が付くと知って機嫌を直した。男爵家には執事と侍女の二人しかいないらしい。生活のほとんどを自分達でやっていたのだとか。そう話を聞くと、淑女教育もされていなかったのだと納得したわ。
彼女が引っ越ししてきた翌日から講師が待ち構え、朝から晩まで勉強が始まったようだ。
子供が生まれてからの勉強は滞りがちになるだろうと予想して、今から取り組む手はずになっている。
アリンナ嬢が勉強で部屋から出られないため、サルタン殿下がアリンナ嬢に会いにいっているのだとか。私のところに来なくなったおかげで、執務を邪魔されずに済み平和に過ごせている。
「エリアナ様、申し訳ありません」
突然執務室へとやってきた宰相。その姿はここ数か月でげっそりとやつれているようだ。
私は執務の手を止めて宰相の話を聞く。
「宰相、どうしたのかしら?」
「……実は、アリンナ嬢が懐妊してからというもの、サルタン殿下はアリンナ嬢にお会いになる時間を作るため執務が滞っておるのです。アリンナ嬢が王宮に住むようになってからは特にひどくて。今度、隣国からの技術者が我が国にやってきます。我が国の威信が懸かっておりますゆえ、どうかお力添えをお願いしたく参りました」
本来ならサルタン殿下一人で十分行える執務の量になっている。
技術者と一緒に現地へ赴き視察を行うのも無理のない範囲で予定が組まれていたはずだ。
私の仕事の邪魔をしなくなったと思っていたけれど、政務を放り投げるのはよくないわ。
サルタン殿下に厳しく言ってもアリンナ嬢は何かとサルタン殿下に我儘を言って引き止めるに違いない。
「……わかったわ。サルタン殿下の書類をこちらへ回してちょうだい。それと隣国の技術者の件ですが、私が殿下の代わりに視察へ向かいます。交代の準備を」
「ありがとうございます」
宰相のホッとした顔を見ると、とても切羽詰まっていたのだろう。
けれど、今までも私の執務はサルタン殿下の物が含まれていたのよ。朝からずっと執務をしていたのに、さらに量が増えると思うとげんなりしてしまう。
「お嬢様、執務を王妃様にもお願いしてはいかがでしょうか?」
「そうしたいのはやまやまだけれど、王妃様はアリンナ嬢の教育に手が取られているはずよ。もう少し落ちつくまでは無理ではないかしら」
マリーが心配して声を掛けてくれる。アリンナ嬢の講師が付いているけれど、妃教育のマナーはマナーの講師と王妃自らが行っている。匙を投げさせないためだ。まだ始めたばかりなのでとても忙しそうにしているの。普段の公務に加えて妃教育をしていらっしゃるのだから。
王妃様に書類を押し付けてしまえば楽だけど、それでは私の心証を悪くしてしまうわ。今後のことも考えるとやはり私がやっておくべきなのだと思う。
宰相は水を得た魚のようにみるみる元気になっていたわ。
すぐに手配したようで私の書類は増え、サルタン殿下が行う執務は最低限となった。そのおかげで私は夜も明けぬうちに執務室へ入り、朝食を簡単に済ませてから執務を始めることになった。
思っていた以上に書類が溜まっていたわね。彼はずっとやっていなかったようだ。元々サルタン殿下は優秀で学生の頃は執務もきっちりと行い、生徒会業務もこなし、その上で領地視察にだって行っていたのに。
……恋は盲目というけれど、これは、ね。
私は深く息を一つ吐いた後、執務を始める。
自分の執務も片づけて一段落する頃には既に日付が変わろうとする時間になっていた。
「カイン、毎日遅くまで付き合わせてごめんなさいね」
「大丈夫ですよ。俺達はシフトを組んで十分に休んでいますから。お嬢様の方が心配です」
「心配してくれてありがとう。でもこればかりは代わる人がいないから仕方がないわ。殿下ももう少しやってくれたらとは思うけれど、ね」
私はさっと机の上を片づけた後、部屋へと戻る。もう数時間すればまた明日の執務が始まる。
頑張れるだけ、頑張るわ。
自分の気持ちに蓋をするように執務をこなしていくこと数日。
隣国の技術者が我が国へとやってきた。疲れを見せないようにマリーに少し厚い化粧をしてもらい謁見の間へと向かう。
「フェルシュール国より参りました、ガルキン・マーゾフ・ロダールと申します。この度は我が国の技術者をお迎えいただきありがたき幸せにございます。技術の向上に向けて尽力させていただきます」
フェルシュール国からはダム建設の技術者が、我が国からは農地開発の技術者がそれぞれ赴いて技術を広める計画である。
挨拶をしたガルキン・ロダールという男はフェルシュール国の外交官の一人で今回の責任者だ。彼の後ろには技術者が十名ほど並んでいた。
フェルシュール国は水の都と呼ばれるほどの水源豊かな国の一つ。雨が降り、川が氾濫すれば街や村、田畑に壊滅的な被害をもたらす。そのためにダムや治水工事が盛んに行われていて技術力も高い。
一方、我が国では川や池は程ほどにはあるが氾濫するほどの大雨は降ることがないため災害が少ない。だが、災害が起これば甚大な被害になる。幸いなことに災害が少ないため田畑は豊かになり、農業の技術が飛躍的に伸びていったのだ。
『ようこそおいでくださいました。皆様のお知恵をお借りし、我が国に貢献していただけること、大変嬉しく思います。私もダム建設の領地へ赴きます。一緒に過ごす仲間としてよろしくお願いいたしますね』
私はフェルシュール語で挨拶を行うと後ろにいた技術者達が笑顔で手を差し出してきた。
『俺は現場監督のジャンだ。よろしく。こっちは設計士のモーノ』
私はジャンと握手をした後、一人一人の紹介を受けて握手をする。技術者の方は気のいい人ばかりのようだ。
私は少しホッとしながら挨拶をしていった。
『お酒も食事も準備しております。長旅から到着したばかりですから旅の疲れを癒やしてください』
私がそう言うと、ジャン達はおぉ!と歓声を上げた。事前に聞いておいてよかったわ。彼らはお酒を嗜むと聞いていたの。蜜酒のようなお酒をよく飲んでいるのだとか。蜜酒は国でも作られているので蜜酒を中心としたお酒や酒に合う食べ物を手配している。
「エリアナ様、技術者への心遣いありがとうございます。彼らの技術はとても高く、我が国の誇れる人材なのですが、何分職人気質なところがあって気を揉んでいたのです。エリアナ様のおかげで問題なく仕事に取り掛かれそうです」
外交官であるロダール卿がホッとした様子を見せた。
「とても人のよさそうな方達だと思いましたわ。私達も彼らと一緒に仕事ができることを楽しみにしております」
簡単だけれど謁見の間での挨拶はこうして終わった。
この後、フェルシュール国の人達が湯浴みを済ませたら、晩餐が振る舞われる予定だ。
平民の技術者の方々もいるのであまり畏まった物ではなくワイワイと食べられるようにビュッフェスタイルにしてある。
いつもなら、翌日に我が国の技術者達との顔合わせが終わるとすぐに、実務者協議が行われるのだけれど、今回は彼らを知り、もっと深い技術を習得するべく、我が国の技術職の人達も食事の時に同席してもらうことにした。通訳も呼べるだけ呼んでいるので意思疎通は問題ないはずだ。
『ようこそおいでくださいました。皆様のお口に合えば幸いです。明日からは堅い話となりますので今日くらいは楽しく過ごしてくださいね』
私は簡易なドレスに着替えて晩餐に出席した。
女一人で着飾るのはその場にふさわしくないと思うの。
食事が始まると食べ物を取りに立ち、ワイワイと会話が弾んでいる様子。最初は仲間内で会話をしていたけれど、通訳を通して会話が弾みお互い打ち解けてきているわ。
あとは外交官達に任せてもよさそう。
私はロダール卿に話をした後、我が国の外交担当の人達に任せて執務室へ戻った。
「お嬢様、今回の技術者受け入れは上手くいったようでよかったよ」
「ホッと一息というところね。明日は実務者協議、明後日からの三日間は視察だったわね」
「うん。私達の準備はもうできているし、お嬢様、今日はもう休んだ方がいいよ。このところサルタン殿下の書類を片づけてばかりで疲れているでしょう?」
「サナ、ありがとう。でも視察の道中はやることがないから寝ながら行けるのよ? 十分な休みだわ。それまでにこの書類を片づけておかないと。後で困るもの」
サナは大袈裟に溜息を一つ吐く。
「クソ王子。こんなにお嬢様は頑張っているのに妾にかまけてばっかり。お嬢様が強情なのは知っているけど、無理しないでね」
「サナ、嬉しいわ。その気持ちだけで十分頑張れる」
そうして私は今日中に仕上げる書類の束を一つ一つ片づけていった。
翌日はフェルシュールの人達との実務者協議があるけれど、彼らはたくさんお酒を飲む。それを見越して協議は午後からにしてある。
私はいつもより少しだけ遅く起き、執務室でパンに齧りつきながらギリギリまで執務をこなす。
貴族令嬢としても正妃としても本当ならしてはいけない食べ方だけど、執務は残念ながら待ってくれない。食事を抜いてしまうと途端に痩せて公務に支障が出るため、マリーに食事を摂るように厳しく言われているの。
もちろんマリーが料理長に話をして食べやすいように工夫してくれている。最初は一品ずつ皿に載っていたのだけれど、ゆっくりと食べていては執務が間に合わないので残していたわ。
今は野菜や魚が挟んであるパンに齧りつきながら仕事をするの。どうやらパンに魚を挟んで食べるスタイルは西の方にある港町のスタイルなのだとか。料理長が商人から聞いて『これなら忙しいエリアナ様も手軽に料理を食べることができるのではないか』と特別に作ってくれたの。
「エリアナ様、実務者協議が始まります」
「急ぐわ」
バタバタとしながら会議室へと入り、協議の内容を確認する。ある程度お互い国にいる間に情報はやり取りをしていて大まかには完成しているが、細部はどうしても手紙のやり取りでは難しい。今回の会議は細部のやり取りがメインとなっている。専門的な話はわからないけれど、白熱しながらもお互いに意見を交換して摺り合わせている。
私にはとても実りのある協議だったと思う。
できあがった設計書を見てお互いに笑顔で手を取り合っている。
「皆様、とても実りのある協議でした。明日からの視察もよろしくお願いいたします」
私は会議を終える言葉を述べて早々に会議室を後にする。あまりこういう場で上の私がいては語り合うことも遠慮してしまうから。この後の彼らの食事を従者に指示しておく。
ここから技術者が直接指示を出して我が国の技術者と一緒にダムの建設を行う。
私の視察は移動時間を合わせて三日程度だけれど、技術者達は半年ほど建設に携わるの。それから我が国の技術者に引き継ぎをして隣国へ戻る予定になっている。
「お嬢様、お疲れ様でした。峠は越えましたね」
マリーが労わるようにお茶を淹れてくれている。
会議が夕食時にずれ込んだので、終わって執務室に戻ってきた時は既に文官達も帰宅していた。今は私一人で書類を片づけているの。
「そうね。ようやく一息吐けたというところね」
「これでまたお嬢様の名声が上がりますね。宰相ほか外交官の方々はお嬢様のきめ細やかな対応に舌を巻いていましたよ」
「あら、それは嬉しいわね。ところで彼女に動きはあったかしら?」
私は先ほどの技術者の話よりもアリンナの動向が気になっていた。
マリーはちゃんとわかっていたようですぐに応える。
「殿下、アリンナ・ガザール男爵令嬢様がお越しです」
「この庭に向かっているのかしら?」
「……はい。殿下がここにいると話すと、こちらへ向かってきております」
「ここは招待を受けるか、許可のない者は入れないわ。アリンナ嬢は王妃様の許可を得たのかしら?」
「いえ。許可をいただいておりません」
「……なら仕方がないですね」
「すまないエリアナ。せっかく君とお茶をしていたけれどアリンナはここには来られないし、彼女をサロンの方へ連れていく。中途半端になってすまない」
「……構わないですわ。私なんかより、どうぞアリンナ嬢を優先してあげてくださいませ」
「ありがとう。では迎えにいってくる」
彼はすまなそうにしていたけれど、私の言葉を待っていたようで返事を聞いて喜んで迎えにいってしまった。
殿下の様子を見ていた従者は残された私を見て流石に気まずそうにしている。
「下がりなさい。後は私だけで楽しむから大丈夫よ」
従者は一礼して去っていく。
残された私とサナとカイン。
「またあの妾ですかぁ。どう考えてもお嬢様を最優先しないといけないのに。自分から誘っておいてあれはないよねぇ、カイン」
「まぁ、そうだな。自分から誘っておいてこの庭に来られないからという理由で迎えにいくなんてのはもってのほかだろうな」
「仕方がないわ。それほどに愛おしい人なのでしょう」
「それにさぁ、何あれ。あれはないよねぇ。お嬢様と二人なのに妾との惚気話。殿下の従者だって困っていたよね。お嬢様に対しての当てつけなの? 途中で止めに入ろうかと思ったよ」
サナが私の代わりにすごく怒っている。
その気持ちだけで私は救われる気がするわ。
冷めない間に花びらが浮かんでいるお茶を飲む。
その香りと景色を楽しみながら重い息を一つ吐いた。
「さて、執務にそろそろ戻らなければいけないわね。サナ、後で王妃様にお礼を」
「畏まりました」
私達は滅多に入ることのできない庭に名残惜しさを覚えつつ、また執務へと戻った。
行く時は二人で行ったのに早々に一人で部屋に戻ってきたせいか文官達は困惑気味。
気を遣わせてしまったわ。
この日の執務は休憩した分、夜まで執務をこなすことになったけれど、サルタン殿下からは謝罪の伝言すらなかった。
彼を待っているわけではないし、謝罪だってほしいわけじゃない。別に気にしていないの。
けれど何かが私の心に重くのしかかる。彼に対しての捨てきれない情、なの、かしら……
私は今日も変わらず早朝に一人執務をしている。
小鳥の囀る声に耳を傾けながら考えごとをしているとマリーが声を掛けてきた。
「エリアナ様、いかがなされましたか?」
「そういえばアリンナ嬢はもうすぐ側妃として嫁がれるのよね? 私はまだ顔合わせもしていないわ。正妃なのに……大丈夫なのかしら?」
「普通は後宮入りする側妃様の選定は正妃様が行うものですが、今回は殿下が仕切る形となっています。サルタン殿下の不手際でしょう。問い合わせはしておきます」
「お願いするわ」
マリーに頼んだ後、午前中は休まずに執務に取り掛かる。頼んだことも忘れてしまうくらいに忙しかったけれど、ちょうど昼食時に殿下の従者が伝言を持ってきた。やはり私とアリンナ嬢の顔合わせを忘れていたようだ。
早ければ今日の午後にでも顔合わせを行うという。
確か午後からは大臣との打ち合わせがあったわ。文官に確認してみるけれど、やはり午後は抜けることができない。
どう予定を空けようとしても明日の昼食時くらいしか時間が取れなかった。
昼食にアリンナ嬢との顔合わせをすると思うと気が重いわ。
でも仕方がないことよね。正妃なんだもの。
従者に明日の昼食時なら時間が取れると話をすると従者は一礼をして去っていく。
その後、連絡が来ていたようだ。『明日の昼食時で構わない』と。
翌日、私は多忙に過ごしている。
急に入った顔合わせの時間。今日は顔合わせの場に王妃様も参加すると聞いたわ。
私はギリギリまで執務を行った後、謁見室へと急ぎ足で向かった。
「お待たせいたしました」
私の声で視線が集まった。既に皆は部屋に揃っていたようだ。
でも、なぜかしら? あまり雰囲気がよくないと感じるわ。
眉を顰めながら扇で口元を隠している王妃様。
向かいには困り顔のサルタン殿下と笑顔で話し続けているアリンナ嬢。
……このまま回れ右をして戻ってもいいかしら。
私が用意された席に座るのを躊躇していると、王妃様が微笑みながら横へ座りなさいと声を掛けてくださった。
部屋には私達のほかに王妃様の従者や護衛、私の連れてきたマリーとラナンが部屋の隅で待機している。サルタン殿下の従者や護衛は部屋の外で待機している。
これは王妃様が意図的に外させたに違いない。
「さて、エリアナも来たことだし、さっさと始めるわ。エリアナ、政務の時間を無理やり割いてごめんなさいね。誰かさんのせいでエリアナが苦労しっぱなしなのよね」
ほかの人がいないせいかいつも優しい口調で話をする王妃様が今日は厳しい。
やはり私が来る前に何かあったのかもしれない。
「すまない、エリアナ。今回の件に関しては私の不手際だ」
「そうですわね。まぁ、今更でしょう? 単刀直入に聞きますわ。今まで淑女教育はされてこられたのかしら? アリンナ嬢、残念ながら今の貴女は淑女とはほど遠い。これから貴女は側妃として王宮に入りますが、教師が決まり次第、すぐに妃教育を受けてもらいます」
私が口早に伝えるとアリンナ嬢はあっけらかんと言った。
「淑女教育なんて必要なの? 勉強は学院でしてきたし、これ以上はしたくないわ」
……早速頭が痛くなってきたわ。男爵家では一体何を教えていたのかしら。上位貴族はもちろん、下位貴族にも淑女教育はあるはず。男爵は娘の教育にお金を掛けていなかったのかしら。
「私は幼少期より王妃教育をしてきましたわ。これは王を支えるため。王に何かあった場合、王妃が指揮を執るのです。側妃は王妃の補佐をしなければいけません。時には外交を行い、貴族の折衝を行ったりします。政務に関しても王妃や王が倒れた場合、こなさなければいけないのです。その時になってできませんでは許されないのです。理解しましたか?」
「なら私の勉強ではなくて、陛下や王妃様が病気や怪我をなさらないように医者を連れて歩いたらいいじゃない」
私は噛んで含めるようにわかりやすく言ったつもりだったけれど、アリンナ嬢は斜め上の方向で応戦してくる。
「舞踏会や王家の行事に着飾り、サルタン殿下のエスコートで褒められたいのでしょう?」
「そうよ! 舞踏会で着飾って皆に綺麗ですねって褒められたいわっ」
私はアリンナ嬢の虚栄心の強さを突いて話をすることにした。
王妃様もそれに乗ってくれるようだ。
「アリンナ、所作の美しい側妃、教養のある側妃。さすがサルタン殿下が選んだ人だと皆から賞賛されたいでしょう? 今よりももっと素敵になるために王家から講師をお願いしてます。取り組んでちょうだい」
「……そうね」
アリンナ嬢が教育に関して興味を持った矢先。
「私は今の天真爛漫なアリンナも大好きだよ。この間、翔鸞の庭の白い花をちぎった時には焦ったけど、その仕草がとっても可愛かったんだ」
……敵がここにいたわ。
隣の王妃様は扇を持つ手が震えている。もう帰りたい。
アリンナ嬢がサルタン殿下に微笑み返し、口を開こうとした瞬間。
「そういえばアリンナ嬢、体調はよろしいのですか? 毎日のように王宮へ来ていると伺っていますが」
私は険悪な雰囲気になる前に話題を無理やり変えた。
「えぇ、大丈夫よ。毎日動いていないと丈夫な子を産めないって聞いたし、タウンハウスから毎日歩いて殿下に会いにきているの。幸いつわりもあまりないから本当に楽なのよね」
タウンハウスから毎日王宮へ歩いてくる……
王都は治安がいいけれど、貴族が馬車を使わずに王宮へ来るなんて襲ってくれと言っているようなもの。その上、彼女は妊婦だ。誰の子かわかればそれこそ狙われてもおかしくはない。
あまりの危機感のなさに驚きを隠せないでいる。
「アリンナ、本来なら許可しませんが、特別に王宮の客室に住むことを許しましょう。結婚式まではそこに住み、朝から妃教育を受けてもらいます」
王妃様も同じことを考えたのだと思う。野放しにしていると後々面倒ごとが増えるに違いない。
「王妃様、本当!? やった! ありがとうございます」
サルタン殿下もアリンナ嬢も喜んでお互い見つめ合って惚気ているけれど、それを見ている人達の目は冷たい。
そうして王妃様の一声でアリンナ嬢は王宮の客室に住むことになった。
これから同じ王宮内に住むアリンナ嬢。
サルタン殿下はアリンナと会う時間が増えると喜んでいる。
彼女は客室で勉強をしながら過ごし、側妃となった後はまず出産。その後、妃教育が済み次第、公務に携わることや正妃の邪魔をしないことを告げるが、浮かれている二人に聞こえてはいない様子。
「先が思いやられるわ」
「……同感です」
王妃様が部屋を出るときにポツリと零した言葉。
私も同意するしかなかった。
アリンナ嬢に宛がわれた客室は王族の居住区や執務室から一番遠い場所が選ばれた。部屋も一番質素な部屋のようだ。彼女は質素な部屋に不満を漏らしていたようだが、侍女が付くと知って機嫌を直した。男爵家には執事と侍女の二人しかいないらしい。生活のほとんどを自分達でやっていたのだとか。そう話を聞くと、淑女教育もされていなかったのだと納得したわ。
彼女が引っ越ししてきた翌日から講師が待ち構え、朝から晩まで勉強が始まったようだ。
子供が生まれてからの勉強は滞りがちになるだろうと予想して、今から取り組む手はずになっている。
アリンナ嬢が勉強で部屋から出られないため、サルタン殿下がアリンナ嬢に会いにいっているのだとか。私のところに来なくなったおかげで、執務を邪魔されずに済み平和に過ごせている。
「エリアナ様、申し訳ありません」
突然執務室へとやってきた宰相。その姿はここ数か月でげっそりとやつれているようだ。
私は執務の手を止めて宰相の話を聞く。
「宰相、どうしたのかしら?」
「……実は、アリンナ嬢が懐妊してからというもの、サルタン殿下はアリンナ嬢にお会いになる時間を作るため執務が滞っておるのです。アリンナ嬢が王宮に住むようになってからは特にひどくて。今度、隣国からの技術者が我が国にやってきます。我が国の威信が懸かっておりますゆえ、どうかお力添えをお願いしたく参りました」
本来ならサルタン殿下一人で十分行える執務の量になっている。
技術者と一緒に現地へ赴き視察を行うのも無理のない範囲で予定が組まれていたはずだ。
私の仕事の邪魔をしなくなったと思っていたけれど、政務を放り投げるのはよくないわ。
サルタン殿下に厳しく言ってもアリンナ嬢は何かとサルタン殿下に我儘を言って引き止めるに違いない。
「……わかったわ。サルタン殿下の書類をこちらへ回してちょうだい。それと隣国の技術者の件ですが、私が殿下の代わりに視察へ向かいます。交代の準備を」
「ありがとうございます」
宰相のホッとした顔を見ると、とても切羽詰まっていたのだろう。
けれど、今までも私の執務はサルタン殿下の物が含まれていたのよ。朝からずっと執務をしていたのに、さらに量が増えると思うとげんなりしてしまう。
「お嬢様、執務を王妃様にもお願いしてはいかがでしょうか?」
「そうしたいのはやまやまだけれど、王妃様はアリンナ嬢の教育に手が取られているはずよ。もう少し落ちつくまでは無理ではないかしら」
マリーが心配して声を掛けてくれる。アリンナ嬢の講師が付いているけれど、妃教育のマナーはマナーの講師と王妃自らが行っている。匙を投げさせないためだ。まだ始めたばかりなのでとても忙しそうにしているの。普段の公務に加えて妃教育をしていらっしゃるのだから。
王妃様に書類を押し付けてしまえば楽だけど、それでは私の心証を悪くしてしまうわ。今後のことも考えるとやはり私がやっておくべきなのだと思う。
宰相は水を得た魚のようにみるみる元気になっていたわ。
すぐに手配したようで私の書類は増え、サルタン殿下が行う執務は最低限となった。そのおかげで私は夜も明けぬうちに執務室へ入り、朝食を簡単に済ませてから執務を始めることになった。
思っていた以上に書類が溜まっていたわね。彼はずっとやっていなかったようだ。元々サルタン殿下は優秀で学生の頃は執務もきっちりと行い、生徒会業務もこなし、その上で領地視察にだって行っていたのに。
……恋は盲目というけれど、これは、ね。
私は深く息を一つ吐いた後、執務を始める。
自分の執務も片づけて一段落する頃には既に日付が変わろうとする時間になっていた。
「カイン、毎日遅くまで付き合わせてごめんなさいね」
「大丈夫ですよ。俺達はシフトを組んで十分に休んでいますから。お嬢様の方が心配です」
「心配してくれてありがとう。でもこればかりは代わる人がいないから仕方がないわ。殿下ももう少しやってくれたらとは思うけれど、ね」
私はさっと机の上を片づけた後、部屋へと戻る。もう数時間すればまた明日の執務が始まる。
頑張れるだけ、頑張るわ。
自分の気持ちに蓋をするように執務をこなしていくこと数日。
隣国の技術者が我が国へとやってきた。疲れを見せないようにマリーに少し厚い化粧をしてもらい謁見の間へと向かう。
「フェルシュール国より参りました、ガルキン・マーゾフ・ロダールと申します。この度は我が国の技術者をお迎えいただきありがたき幸せにございます。技術の向上に向けて尽力させていただきます」
フェルシュール国からはダム建設の技術者が、我が国からは農地開発の技術者がそれぞれ赴いて技術を広める計画である。
挨拶をしたガルキン・ロダールという男はフェルシュール国の外交官の一人で今回の責任者だ。彼の後ろには技術者が十名ほど並んでいた。
フェルシュール国は水の都と呼ばれるほどの水源豊かな国の一つ。雨が降り、川が氾濫すれば街や村、田畑に壊滅的な被害をもたらす。そのためにダムや治水工事が盛んに行われていて技術力も高い。
一方、我が国では川や池は程ほどにはあるが氾濫するほどの大雨は降ることがないため災害が少ない。だが、災害が起これば甚大な被害になる。幸いなことに災害が少ないため田畑は豊かになり、農業の技術が飛躍的に伸びていったのだ。
『ようこそおいでくださいました。皆様のお知恵をお借りし、我が国に貢献していただけること、大変嬉しく思います。私もダム建設の領地へ赴きます。一緒に過ごす仲間としてよろしくお願いいたしますね』
私はフェルシュール語で挨拶を行うと後ろにいた技術者達が笑顔で手を差し出してきた。
『俺は現場監督のジャンだ。よろしく。こっちは設計士のモーノ』
私はジャンと握手をした後、一人一人の紹介を受けて握手をする。技術者の方は気のいい人ばかりのようだ。
私は少しホッとしながら挨拶をしていった。
『お酒も食事も準備しております。長旅から到着したばかりですから旅の疲れを癒やしてください』
私がそう言うと、ジャン達はおぉ!と歓声を上げた。事前に聞いておいてよかったわ。彼らはお酒を嗜むと聞いていたの。蜜酒のようなお酒をよく飲んでいるのだとか。蜜酒は国でも作られているので蜜酒を中心としたお酒や酒に合う食べ物を手配している。
「エリアナ様、技術者への心遣いありがとうございます。彼らの技術はとても高く、我が国の誇れる人材なのですが、何分職人気質なところがあって気を揉んでいたのです。エリアナ様のおかげで問題なく仕事に取り掛かれそうです」
外交官であるロダール卿がホッとした様子を見せた。
「とても人のよさそうな方達だと思いましたわ。私達も彼らと一緒に仕事ができることを楽しみにしております」
簡単だけれど謁見の間での挨拶はこうして終わった。
この後、フェルシュール国の人達が湯浴みを済ませたら、晩餐が振る舞われる予定だ。
平民の技術者の方々もいるのであまり畏まった物ではなくワイワイと食べられるようにビュッフェスタイルにしてある。
いつもなら、翌日に我が国の技術者達との顔合わせが終わるとすぐに、実務者協議が行われるのだけれど、今回は彼らを知り、もっと深い技術を習得するべく、我が国の技術職の人達も食事の時に同席してもらうことにした。通訳も呼べるだけ呼んでいるので意思疎通は問題ないはずだ。
『ようこそおいでくださいました。皆様のお口に合えば幸いです。明日からは堅い話となりますので今日くらいは楽しく過ごしてくださいね』
私は簡易なドレスに着替えて晩餐に出席した。
女一人で着飾るのはその場にふさわしくないと思うの。
食事が始まると食べ物を取りに立ち、ワイワイと会話が弾んでいる様子。最初は仲間内で会話をしていたけれど、通訳を通して会話が弾みお互い打ち解けてきているわ。
あとは外交官達に任せてもよさそう。
私はロダール卿に話をした後、我が国の外交担当の人達に任せて執務室へ戻った。
「お嬢様、今回の技術者受け入れは上手くいったようでよかったよ」
「ホッと一息というところね。明日は実務者協議、明後日からの三日間は視察だったわね」
「うん。私達の準備はもうできているし、お嬢様、今日はもう休んだ方がいいよ。このところサルタン殿下の書類を片づけてばかりで疲れているでしょう?」
「サナ、ありがとう。でも視察の道中はやることがないから寝ながら行けるのよ? 十分な休みだわ。それまでにこの書類を片づけておかないと。後で困るもの」
サナは大袈裟に溜息を一つ吐く。
「クソ王子。こんなにお嬢様は頑張っているのに妾にかまけてばっかり。お嬢様が強情なのは知っているけど、無理しないでね」
「サナ、嬉しいわ。その気持ちだけで十分頑張れる」
そうして私は今日中に仕上げる書類の束を一つ一つ片づけていった。
翌日はフェルシュールの人達との実務者協議があるけれど、彼らはたくさんお酒を飲む。それを見越して協議は午後からにしてある。
私はいつもより少しだけ遅く起き、執務室でパンに齧りつきながらギリギリまで執務をこなす。
貴族令嬢としても正妃としても本当ならしてはいけない食べ方だけど、執務は残念ながら待ってくれない。食事を抜いてしまうと途端に痩せて公務に支障が出るため、マリーに食事を摂るように厳しく言われているの。
もちろんマリーが料理長に話をして食べやすいように工夫してくれている。最初は一品ずつ皿に載っていたのだけれど、ゆっくりと食べていては執務が間に合わないので残していたわ。
今は野菜や魚が挟んであるパンに齧りつきながら仕事をするの。どうやらパンに魚を挟んで食べるスタイルは西の方にある港町のスタイルなのだとか。料理長が商人から聞いて『これなら忙しいエリアナ様も手軽に料理を食べることができるのではないか』と特別に作ってくれたの。
「エリアナ様、実務者協議が始まります」
「急ぐわ」
バタバタとしながら会議室へと入り、協議の内容を確認する。ある程度お互い国にいる間に情報はやり取りをしていて大まかには完成しているが、細部はどうしても手紙のやり取りでは難しい。今回の会議は細部のやり取りがメインとなっている。専門的な話はわからないけれど、白熱しながらもお互いに意見を交換して摺り合わせている。
私にはとても実りのある協議だったと思う。
できあがった設計書を見てお互いに笑顔で手を取り合っている。
「皆様、とても実りのある協議でした。明日からの視察もよろしくお願いいたします」
私は会議を終える言葉を述べて早々に会議室を後にする。あまりこういう場で上の私がいては語り合うことも遠慮してしまうから。この後の彼らの食事を従者に指示しておく。
ここから技術者が直接指示を出して我が国の技術者と一緒にダムの建設を行う。
私の視察は移動時間を合わせて三日程度だけれど、技術者達は半年ほど建設に携わるの。それから我が国の技術者に引き継ぎをして隣国へ戻る予定になっている。
「お嬢様、お疲れ様でした。峠は越えましたね」
マリーが労わるようにお茶を淹れてくれている。
会議が夕食時にずれ込んだので、終わって執務室に戻ってきた時は既に文官達も帰宅していた。今は私一人で書類を片づけているの。
「そうね。ようやく一息吐けたというところね」
「これでまたお嬢様の名声が上がりますね。宰相ほか外交官の方々はお嬢様のきめ細やかな対応に舌を巻いていましたよ」
「あら、それは嬉しいわね。ところで彼女に動きはあったかしら?」
私は先ほどの技術者の話よりもアリンナの動向が気になっていた。
マリーはちゃんとわかっていたようですぐに応える。
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