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1巻

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   プロローグ


 王宮のとある一室での出来事。

「エリアナ、すまない。アリンナに子供ができたんだ」

 その部屋は貴族をもてなすような豪華絢爛な装飾された部屋ではなく、質素な作りで小さな丸テーブルが一つ、椅子が三脚のみの小さな部屋。
 密談時に使うのかと思うくらい王宮には似つかわしくない。
 私、エリアナ・サラテ公爵令嬢はそんな部屋に突然に呼び出された。
 王妃教育のために王宮に来ていた私は勉強の合間を縫ってやってきた。
 普段は使われないこの小さな部屋に呼び出されたのは、執務で何か問題があったからだろうか? 
 第一王太子のサルタン殿下はいつもにまして辛そうな表情をしながら、テーブルを挟んで座っている。
 何事だろうと不思議に思いながら席に座り、彼の口が開くまで待った。
 二人の間にしばらくの間、沈黙が流れたが、意を決したように彼はそう告げた。
 私は上手く言葉を聞き取れなかったのかもしれない。
 今、なんて言ったの? 
 聞いた言葉は本当のこと、なのよね? 
 いえ、でも、どうすれば良いのかしら。
 先ほどの言葉の意味を一生懸命に考える。
 私達の結婚式ひと月前だというのに、そこでそんな予想だにしていない言葉を聞くなんて。
 連日、王妃教育で多忙を極めていた私に突然降りかかってきた言葉。
 私の気持ちとは裏腹に、彼はようやく言えたと少しホッとしている。
 私は彼の言葉が腑に落ちない。
 えっと、えっと、と内心動揺し、混乱しているけれど、顔に出してはいけない。

「では殿下側の有責で婚約破棄ですね。アリンナ・ガザール男爵令嬢が来月の式に私と交代で王太子妃となるのですね。承りましたわ」

 手は震えていないだろうか。テーブルの下に手を隠し、ギュッと手に力を込めながらようやく言葉を口にできた。
 王太子妃の交代と婚約破棄、男爵令嬢の懐妊の影響を考え、とりあえず父に話をしなければならない。礼をして立ち去ろうとしたが、サルタン殿下は慌てて私を引き止めた。

「いやっ、違うんだ、待ってくれ。エリアナ、アリンナは王太子妃になれないんだ。父上からアリンナを王太子妃として認めないと言われたんだ。……エリアナ。君とこのまま婚姻し、君は王太子妃になり、アリンナが側妃になる」


「え?」

 私は自分が考えていた内容とサルタン殿下が発した言葉が一致せず聞きそこなったのかと思い、ピタリと動きを止めた。

「えっと、だから、エリアナが王太子妃でアリンナが側妃になるんだ」

 サルタン殿下の言葉を理解しようとしたけれど、そうすればするほど言葉を失うことしかできなかった。


 我が国は基本的に側妃を持つことは認められていない。正妃に子供ができない場合を除いて。
 過去に王妃と側妃達の間で王の寵愛を求めて争いが起き、それが世継ぎにまで及んだからだ。
 その影響は大きく、貴族まで巻き込み国の情勢が不安定となった。国内の情勢が不安になると他国との取引にも影響を及ぼす。当時の王は国の安定を図るため、生涯正妃だけを伴侶とするとしたのは有名な話。
 王族を絶やさないために、婚姻してから三年以上正妃に子ができぬ時、側妃を迎えられる。もちろん歴代の王の中には生涯正妃だけと決めて血族から養子を迎えた例もある。
 つまり、婚前に側妃が決定しているということは私は子供が産めないと言っているようなもの。
 ……ひどすぎる。馬鹿にするのも大概にしてほしい。

「陛下がそう仰ったのですか?」
「いや、アリンナを黙って妾にしろと」

 怪訝な顔でサルタン殿下に問うと、彼は眉を下げて素直に答えた。
 結婚前からいる妾。形としてはそれが慣例を破ることなく正しい形だろう。
 でも、違うの、そうじゃないの。
 長年の妃教育、私だって簡単にできたわけではない。
 辛いことだってたくさんあった。
 やりたかったことだっていくつも諦めてきた。
 でも、彼と生涯を共にして、支え合っていこうと考えていたから今までやってこられたの。
 それなのに、突然の彼からの裏切り。
 こぼれそうになる思いや言葉をグッと堪える。
 長年の婚約者に対する仕打ち、ひどすぎるわ。
 私は震える手で取り出した扇で口元を隠し、彼に告げる。

「今からでもいいではないですか。私との婚約を白紙にしてくださいませ。王太子といえども、私は長年の婚約者がありながら不貞を重ねる方と結婚したくありませんもの。誠実な方と将来を築きたいですわ。王太子妃は恋愛ではなく政治的に決まるのは仕方がありません。ですがこの先、私が子を成し、殿下を支えていく必要はないと、それで良いと思っていらっしゃるのね。本当にひどい仕打ち、屈辱ですわ。殿下から裏切られ、周りからお飾り妃とさげすまれてこの先、私はどう過ごしていくのです?」

 心は急速に冷えていくが、矜持きょうじが必死に言葉を紡がせた。

「本当にすまない。だが、君とはこのまま結婚する。陛下は君との結婚以外は許さないと言われた。なるべくエリアナの希望に沿うから」

 眉を下げてすまなそうに話すサルタン殿下。
 ……本当にすまないと思っているの? 
 考えれば考えるほどもどかしくて、身体が沸騰しそうに熱くなる。

「……わかりました。では人前では必ず仲の良い夫婦として公務や行事に参加すること、そう約束してください。ほかの方々に足元を見られてはなりませんもの。あぁ、夫婦の部屋は男爵令嬢とお使いくださいませ。私は王宮の一番端の部屋を」
「君は正妃なのだから、夫婦同じ部屋が良いと思うのだが?」
「殿下、アリンナ様と愛を育んできたのでしょう? 私はそこに割って入る気はありませんわ。それにアリンナ様に子供がいるのでしょう? アリンナ様を第一に考えてくださいませ」
「……エリアナ!! ありがとう」

 サルタン殿下は先ほどの申し訳なさそうな表情が一変した。
 私の言葉で満面の笑みを浮かべて素直に喜んでいるわ。
 私のことなんて、私の気持ちなんて本当に気に掛けてもいないのね。
 不貞をしておいて寝室を同じにしようとするなんて嫌悪感でいっぱいになる。
 ほかの女を触った手で、指一本触れないで。愛を語ったその口で私に口づけをするなんて許したくない。
 私達の間には熱の籠った恋愛でなくても、そこには確かな情はあると信じていた。
 このままお互い信頼し合い穏やかに過ごせると思っていたの。
 彼の横には可愛い我が子、そんな将来を描いていたのは私だけだったのね。
 ギリギリになるまでなぜ黙っていたの?
 私はこぼれそうになる思いを扇で隠し、立ち上がって部屋を出る。
 彼は私の言葉に浮かれて私の様子に気づこうともしない。

「エリアナ、王妃教育の途中だったね。じゃあね」

 言うべきことは言えたとばかりに明るく振る舞う彼。それがまた私の心を傷つける。
 私が部屋を出てすぐに護衛騎士の一人が声を掛けてきた。

「エリアナ様、教師のいる部屋までお送りいたします」
「……ありがとう」

 震える手に力を入れた後、そっと差し出された手に手を添えてゆっくりと歩き出す。
 心がきしむのを必死に抑え、気づかれぬよう気丈に振る舞う。
 これでも私は、王太子妃になるために教育されてきたのよ。
 大丈夫。
 顔には出していない。
 大丈夫。
 部屋の前まで送ってくれた護衛騎士に感謝の言葉を述べてから部屋に入る。
 いつもの部屋。私が王妃教育を受けるために用意された部屋。
 この時間からはマナーの時間。
 マナーの先生はずっと待ってくれていたようで侍女が淹れたお茶を飲んでいた。

「先生、お待たせいたし、ました」

 いつもとは異なる様子に気づいた先生はすぐに立ち上がり、私を抱えて椅子に座らせた。

「エリアナ様、どうなされたのですか? 顔色がすぐれないわ」
「大丈夫ですわ。ただ少し心が落ちつかないだけで……」
「無理せず今日の勉強はお終いにしましょう。そのご様子では勉強などお控えなさるのがよろしいかと存じます。私から体調不良で休むことをほかの教師にも伝えておきますわ」
「先生、ありがとうございます。今日はお言葉に甘えて休ませていただきます」

 泣きたくなる気持ちをグッと押し殺し微笑んだ。今日だけは先生の好意に甘えよう。
 先生が言っているように今の自分では勉強が一つも頭に入ってこない。きっと今周りを見る余裕なんて私にはないのだ。

「そこの貴女あなた、王妃様にエリアナ様の体調不良をお伝えして。そしてそこの護衛、貴方あなたはエリアナ様を馬車までお連れして」

 侍女も護衛騎士も先生の指示に軽く一礼し、素早く動いてくれた。

「今まで休まずに王妃教育をされてきたのです。数日休んでも問題ないでしょうから気にせずゆっくりとお休みください」
「はい、先生」

 いつもは厳しい先生だけれど、この日の先生はとても優しかった。
 その優しさが傷ついた心に触れて涙が出そうになる。

「では、失礼いたします」

 静かに部屋を出て護衛騎士のエスコートで馬車まで辿り着いた。
 護衛騎士は我慢している私を察してくれているのかしら、深く礼をしている。

「エスコートをありがとう。助かりました」

 ――バタリと馬車の扉は閉められた。
 走り出した馬車から見る景色は色褪いろあせたよう。
 曇天模様の空から雫がポツリと窓に当たる。私の気持ちみたい。
 歩く人達は空を見上げたり、頭に鞄を載せて歩いたり、忙しなくしている。
 私はその様子をただじっと見つめているだけ。声に出せない想いが心を更に重くする。
 馬車はやしきに到着すると、侍女達がタオルを持ち迎え入れてくれる。
 荷物を従者に渡してタオルを受け取り、部屋へと戻った。

「お帰りなさいませ。今日は早いお帰りですね。身体が冷えていらっしゃいますし、湯浴みをされた方が良いですね」
「……マリー。今はそんな気分になれないの、少し部屋で休みたいわ。今日は王妃教育を休んだから後で父に話をするわ。少し一人にしてちょうだい」
かしこまりました」

 マリーは何かを察したようでそれ以上何も言わず頭を下げて部屋を出ていった。
 彼女がいなくなった後、鍵を掛けて一人きりになる。
 今は誰にも会いたくない。何も聞きたくない。何も話をしたくない。
 なぜ、なぜと苦しい感情が頬を伝い、身体を動けなくする。
 嗚咽おえつが漏れ、どれくらい泣いただろう。
 雨音が私の声をかき消しているみたい。
 気づいたら眠っていたようだ。
 外は既に白み始めていた。昨日の大雨とは打って変わり、小鳥もさえずっている。

「おはようございます、エリアナ様。どうぞ目をお冷やしになってください」

 私が起きたことに気づいた侍女が、心配そうにハンカチを用意してくれる。
 私は昨日の出来事を思い返す。
 今までこんなに泣いたことなんてあったかしら。
 目は赤く腫れているけれど、昨日とは違い心はなぜかすっきりしている。
 いつまでも悲しい気持ちで過ごしていても変わらない。
 永遠に泣いてなんていられない。
 だって、ずっと私は頑張ってきたのだもの。
 ずっと我慢してきた。
 彼が私の努力をないがしろにするなら私は私の好きにするわ。
 悲かった、苦しい気持ちにしっかりと蓋をしてこれからのことを思案する。

「朝食をお持ちいたしました」

 侍女の言葉に私は気持ちを切り替えた。

「マリー、ありがとう。いつまでも泣いていられないわね。食事が済んだらお父様に報告しなければいけないことがあるの。執務室に向かうわ」
かしこまりました。旦那様にお伝えします」

 そうして昨日あった出来事を咀嚼そしゃくしながらゆっくりと呑み込んでいく。


「エリアナ、無理はしないでおくれ。あぁ、なんと口惜しい。大事に育てた娘が皆にさげすまれなければいけないのか」

 私は食事を終えた後、お父様の執務室を訪ねた。
 昔から変わらないお父様の執務室。幼い頃は本がたくさん並ぶこの部屋でお父様に遊んでもらいたかった。よく部屋に入っては執務の邪魔をしてお母様に叱られていたわ。
 昨日、私が部屋に閉じこもっている間に王宮から父のところへ報告があったのだろう。
 私が部屋へ入ると、眉間に皺を寄せたお父様と目を赤くしたお母様が座っていた。
 そしていつもはにこやかにお茶を淹れてくれる執事が、今日はお母様と同じく目を赤くしながらお茶を淹れてくれる。
 あぁ、私をこんなに心配してくれている人達がいる。
 それだけで自分がこの先に何があっても自分でいられる気がするの。
 私は執事の淹れたお茶を飲みながらしっかりと父の目を見つめる。

「お父様。仕方がありませんわ。……お父様、私、いつ病に倒れるやもしれません。婚姻までに公爵家の名に恥じぬよう教会への寄付はしっかりとお願いしますね」

 お父様の眉はピクリと上がり、やがてニンマリと口角を上げている。
 この言葉だけでお父様にはしっかりと伝わったみたい。
 先ほどまで憤懣ふんまんやるかたない様子だったけれど、打って変わってにこやかな笑顔となった。

「あぁ、そうだな。いつまでも怒り悲しんでいられないな。教会への寄付だろうと何だろうといろいろとしっかり準備しておかないといけないな。ははっ。私としたことが。さぁ、しゅくしゅくと進めていかねばならんな。エリアナ、今から準備を始めようか」
「エリアナ、今は辛いでしょうがきっと救い出しますからね」
「お父様、お母様、ありがとうございます。私も頑張ります」

 母は涙しながらも決意をした表情で抱きしめてくれた。
 ひと月後に迫った結婚式。
 王太子に嫁ぐ私のために、お母様が代々公爵家に伝わるドレスを自ら手直しして用意してくれた、純白のドレス。
 こんなにも複雑な想いで着ることになるなんて思ってもみなかったわ。


 殿下から告げられた日からお父様はどこへともなく出掛けては忙しく動いている様子。
 私の今後を考えて動いてくれているのだと思うと嬉しさと同時に申し訳なくなる。
 母もご婦人方とのお茶で情報収集をしたり、結婚式の準備をしたりと忙しくしている。
 私は最後の王妃教育を受けるために王宮へと向かった。
 サルタン殿下の婚約者になると決まってから、先日一日も欠かさなかった王妃教育。
 何年取り組んでも最初の頃は辛くて涙が止まらなかった。毎日王宮で勉強をした後、やしきでも寝るまで課題をこなしていたの。
 けれど、今日で最後になる。これからは執務がメインの仕事に替わるのだ。

「先生方、今までありがとうございました」
「エリアナ様、頭を上げてください。エリアナ様はとても優秀な生徒でしたよ? 優秀だから結婚前に全ての教育が終了できたのです。これからも苦難の道が続くと思いますが、今まで学ばれたことを活かして乗り越えてくださいね」
「はい。今までご指導いただきありがとうございました」

 私は先生一人一人に感謝の言葉を述べながら、最後の王妃教育を修了することができた。
 今まで頑張ってきたことを思い出して胸が熱くなる。そしてこれから待ち受ける苦難の未来。
 気を引き締めて取り組もうと心に誓ったわ。
 学生の頃から勉強の合間に自分の部屋として用意された執務室でほんの少しだけ執務をしていたけれど、王妃教育の修了と同時に正式に執務が開始される予定だ。
 流石さすがに結婚式まではその準備もあるので毎日ということはないが。
 私は本格的な執務に入る前に執務室に物を搬入することにした。今までは王宮から用意された必要最低限の机と椅子、ソファを使っていたが、毎日仕事をするなら自分の好みに合わせたい。
 一つ一つ丁寧に選び抜いた品物が執務室へと搬入されていく。来客用のソファも私がこだわり抜いて決めた物。今まで執務は簡易的だったから部屋には侍女と護衛しかいなかった。これからは正式に執務を行うため、王太子妃の執務室には部下となる文官五名ほどが一緒に部屋で仕事をする。
 せめて私の執務室で働く部下達には過ごしやすい環境にしてあげたい。机はもちろん、長時間座っても疲れない特注の椅子を用意したわ。
 今日は侍女のマリーを連れてきた理由もここにある。私だけでは気が付かないことも多いのだけれど、マリーなら私の足りない部分にも気づいてくれる。
 あわせて来客用のカップやワゴン、私専用のカップやお皿なども準備する。カップは私のお気に入りの物を公爵家から持ってきたのよ。こればかりは譲れないわ。
 そして執務室はいつでも仕事が始められる状態になった。
 華美な装飾品はなく、ダークブラウンで統一された家財は落ちついて仕事がしやすい環境になっていると思う。

「エリアナ様、執務室の準備は整いましたが、結婚なされてから住むお部屋はどうなさいますか?」
「そうね、壁紙から全て私の好みに揃えてもいいと言っていたわ。今、どんな雰囲気か見ておかないとね。すぐに行きましょう」

 マリーと共に結婚後に住む部屋を見にいくことにした。
 私の執務室からかなり遠いのよね。
 私の部屋は三階の一番奥の部屋だ。ゆっくりと周りを見ながら廊下を進み、角を曲がった先にある。扉を開けると家具類は一切用意されていない空き部屋状態だった。白い壁に塗装された床。とてもシンプルな作りね。

「マリー、もっと壁紙には柄が入っていたり、絨毯じゅうたんが敷き詰められているものだと思っていたわ」
「この部屋はほかの客室とは違い、質素な作りになっていますね。希望があれば壁の模様を柄に変えたり、色替えをしますがいかがいたしますか?」

 部屋をもう一度見回し、マリーに声を掛ける。

「私はこの部屋が気に入ったわ。壁紙も床もこのままでいい。でも家具と一緒に深い緑の絨毯じゅうたんを敷きたいわね。ベッドもふかふかの物がいいわ。カーテンは絨毯じゅうたんと合わせて色を一緒にするのはどうかしら?」
「季節によってカーテンは替えますから今は少し明るめの緑がよさそうですね。テーブルはどうされますか?」

 私は想像してみる……深い緑の絨毯じゅうたんに丸テーブル、こっちにはカウチソファを置いて……
 自分で一から決めることができるのは嬉しい。
 執務室もそうだったけれど、長く使うのであればやはりこだわりたい部分ではあるわよね。

「カーテンはマリーに任せるわ。丸テーブルやカウチソファを置きたいし、ベッド横のサイドテーブルは猫足がいいわね。やしきに戻った後、家財商会を呼んでほしいの」
「エリアナ様、商会には連絡をしておきますが、明日以降になりますよ。今日はもう遅いですから明日にしましょう」
「そうね。気づけばもうこんな時間だもの。急いで帰りましょう」

 私はマリーと共に王宮を後にした。
 これから大変だろうけど、せっかくなら自分の好きな物に囲まれて過ごしたい。
 やしきに帰るとかなり遅い時間になってしまったので、商会へは明日連絡することにした。


 その翌日、私はこれから王宮で私専属となる侍女や護衛騎士を選んでいた。
 どうやら王宮に公爵家から侍女や護衛騎士を連れていけると聞いたからだ。
 希望者は玄関ホールに集まってもらったのはいいけれど。

「お嬢様のためならサルタン殿下の暗殺の一つや二つやってみせます!」
「俺だってお嬢様のためなら命の一つや二つ捧げてみせます!」

 思っていたよりたくさんの侍女や護衛騎士が集まってくれたわ。
 そして彼らの士気はすごく高くて驚いたわ。
 みんな私を大切に思ってくれる人達ばかりだった。
 立候補が多すぎて選ぶのに困るくらいだったの。
 こんなにも大勢の従者達が私に付いていきたいと言ってくれる。
 改めて皆の気持ちが嬉しくなる。
 結局、護衛騎士長や侍女長から合格を貰った人だけが私専属の侍女と護衛騎士に選ばれた。公爵家で働く人達は皆エリートだけれど、その中でも選りすぐりを連れていくのだから私もそれにふさわしい雇い主でいなければ。
 私は皆の想いに襟を正す。
 午後からは商会が我が家へとやってきた。
 さまざまな品物を大量に持ってきてもらったのでソファや椅子、テーブルを購入したの。もちろんベッドもよ。
 私が選んだ物は直接王宮へ納めてくれるらしいので助かるわ。
 ここからお飾り妃として毎日が勝負なの、負けるわけにはいかない。
 改めて自分に言い聞かせるように宣言する。
 今の私、少しは前を見ることができそうだわ。


 そうして婚約は破棄されることなくひと月が瞬く間に過ぎていった。



   第一章


 好天に恵まれた私の晴れの日。
 ――コンコンコンコン。

「エリアナ、準備はできたかい?」
「えぇ。サルタン殿下、では行きましょう」
「エリアナ、とても美しいよ」
「お世辞でも嬉しいですわ。でも、その言葉はアリンナ様にどうぞ」
「……すまない」

 何がすまないのかしら、どの口が言うのかしらと内心大荒れよ。まるで吹雪の中を歩いているよう。
 ふぅ、と小さく息を吐く。王太子妃たるもの微笑みを絶やさないように心を引き締める。
 彼は眉を下げて申し訳なさそうな態度をしているけれど、男爵令嬢の懐妊を告げるために会ったあの日以来ほとんど顔を合わせていなかったし、連絡もなかった。
 きっと殿下の中では私に話したことで万事解決となったのね。今は愛するアリンナ様との間にできたお子のことで頭がいっぱいなんでしょう。
 彼の中での私という存在は軽い物でしかなかったのだと思うとまた心が重くなる。


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