魔法使いの薬瓶

貴船きよの

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杪夏の風編

2,揺れる針‐3

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 翌日、ルウは午前中のうちにアーケードに向かった。
 ガルバナムに頼まれた店で冷却タイルの配達を注文すると、空間移動路の出入口があるカヤのティールームに戻る。
 昼夜を問わず賑わうアーケードの大通りを歩いていると、店がひしめく途中に、一軒だけ花屋があった。
 店の窓ガラス越しには、ルウが森で見かける花もあれば、一般的には見られない珍しい色や形をした花もある。
 ルウは、美しい花を見ても、今はやるせない思いに駆られるだけだった。
「おお、帰ってきたな」
 ティールームの扉を開けると、カウンターのなかからカヤが声を掛けた。
 老人の店には、ルウのほかに客の姿はない。
「まずくないお茶を淹れるから、そこに掛けなさい」
「……はい」
 ルウは、カウンター席に座った。
 大通りから逸れた小路の突き当たりにあるこの店に、アーケードの喧騒はほとんど届いてこない。
 ルウは、カヤがティーキャディスプーンを紅茶の茶葉のなかに差し込むときの音や、薪のコンロで沸かされている湯が湯気を吹く音に耳を澄ませた。
 体を重たくさせる気分が晴れることはないが、狭いカウンターのなかでお茶が注がれるまでの物語は、そっと寄り添ってくれているように感じる。
 カヤは、ソーサーに載ったティーカップを、ルウが俯く視線の先に置いた。
「さあ、どうぞ」
「……いただきます」
 カップからは、湯気と共に紅茶の香りが上る。熱い紅茶に口を付け、じんわりと温まったルウは、徐々に体の強ばりが解れた。
「ガルバナムは、ルウにばかり雑用を押しつけているんだな。あいつはめっきり買い物には来なくなった」
 カヤは言う。
「買い物は、弟子の仕事ですから。知らないお店に入ることもあって、勉強にもなるんです」
「そうかい」
 カヤは、ルウの浮かない顔に気づいたが、なにも言わずに自分の椅子に深く座った。
 ルウは、紅茶を半分ほど飲み、カップをソーサーに置く。
 そして、カヤをちらりと見やると、彼は腕組みをして瞼を閉じていた。
「カヤさん」
「……ん?」
 カヤは眠ってはいなかったようで、ゆっくりと目を開ける。
「カヤさんのことで、一つお訊きしてもよろしいですか?」
「なにかな」
 ルウは訊ねた。
「カヤさんは、奥様に、贈り物をされますか」
 カヤは、意外な質問に、腕を緩めて言った。
「若い頃はしたよ。こう見えても、彼女に振り向いてもらうために、あの手この手を使った」
「それで、振り向いてもらえたんですね?」
 静かな期待のこもるルウの問いかけに、カヤは苦笑する。
「ところがな、あるとき、もので人の心が買えると思うなと叱られたんだ。そんなつもりはなかったが、行き過ぎていたんだろうな」
「でも、恋人同士になられたんですよね」
 カヤは、照れくさそうにルウから視線を逸らす。
「どうにかな。それで、恋人になって一年の記念日だったか。イヤリングをねだられたものだから、ものがなくてもボクの心は通じるはずだと言って返したら、叱られたんだ。なんでだろうなぁ」
「ふふっ」
 ルウは、思わず笑みが溢れる。
「まあ、わしは思うんだがな。ああいう贈り物は、ものが欲しいわけではないのだろう」
「え?」
 ルウは、カヤの話に強く関心を引かれた。
「贈るほうも、受け取るほうも、ものに込められた特別な想いをやり取りしている。ありふれたものでも、自分だけに贈られるものだから、特別なんだろう」
「想いを……」
 ルウは、こだわっていた知識が身を潜め、しばらく陰に追いやられていた宝物に光が当てられた思いがした。
 そのとき、アーケードの鐘が鳴り響いた。三度、ゆったりとアーケード中に時を知らせた鐘の音は、ティールームでも聞こえた。
「そろそろ、店を開ける時間じゃないか」
 カヤの呼び掛けに、ルウは椅子を下りる。
「はい。紅茶も、お話も、ありがとうございました」
 ルウの表情は、心持ち明るさを取り戻していた。
「ルウ」
 カヤは、座ったまま言った。
「解放の木と呼ばれる、地下に生息する樹木を知っているかな?」
「……いいえ。初めて聞く樹木の名です」
 ルウは、唐突に上がった樹木の名を不思議がる。
 しかし、
「悩み事があるときには、一人でそこへ行ってみるといい」
 とカヤが言うと、ルウは今日の自分自身の態度を省み、深く頭を下げて、トイレマークのついた扉を開けた。


「自然治癒の補助魔法は使えるようになったか?」
 日が落ち、ルウが店を閉める準備をしているところへ、帰宅したガルバナムが顔を出した。
「おかえりなさいませ、師匠。師匠ほど強力な魔法にはなりませんが、魔法薬に使うくらいには、どうにか」
 そう言って、ルウは機嫌よく床を掃いた。
「そうか。……これは、お土産だ」
 ガルバナムは、手に提げていた布製の袋をルウに差し出した。
「なんですか?」
 光水晶の明かりのもと、ルウが袋のなかを覗くと、布にくるまった瓶が並んでいた。そして、一つ取り上げて布を取ると、瓶のなかには黄金色の蜜が詰まっていた。
「わあ、クローバーの蜂蜜ですね!」
 瓶のラベルには、シロツメクサの絵が描かれている。
「ちょうど養蜂場を通りかかったんだ。クローバーの蜂蜜は、ルウが好きだったと思って」
「……憶えていてくれたんですね。ありがとうございます」
 ガルバナムは当然のように言ったが、ルウは、自分の好みを憶えてくれていたことに笑顔を浮かべた。
「それと、あとで母屋の鍵を出しておいてくれないか」
 ガルバナムは、扉の取っ手に手を掛けて言った。
「鍵、ですか?」
「フェンネルが合鍵を複数持っているとも限らない。鍵も魔法も、新しくしようと思っていたんだ」
「あ……、はい」
 フェンネルの名を聞いた途端、ルウの表情は曇った。
「あの……、師匠?」
 ルウは、扉を開けたガルバナムを呼び止める。
「ん?」
「師匠とフェンネルさんは、親しいんですか?」
 ルウは、探るように訊ねた。
「……親しくはない。時々あいつが一方的に来て、一方的に干渉してくるだけだ。ここ一年は姿を見せなかったから、安心していたところだった」
「そうですか……」
 ルウは、フェンネルがガルバナムについて発言した内容に、信憑性があるのかどうかを疑問に思った。
 けれど、ガルバナムの返答では、明快な結論を導けない。
 ガルバナム自身の気持ちを直接訊ければ早かったが、望まない答えが返ってくる可能性を考えると、それはできなかった。
「どうした。この前、フェンネルになにか言われたのか?」
 ガルバナムは訝しがる。
「いいえ。変なことを訊いてすみませんでした。早く片付けて、夕食を作りに行きますね」
「ああ……」
 ガルバナムは、ルウの質問を不審に思いながらも、離れから出ていった。

 ――師弟以上の感情が、あいつにあるだろうか。

 ルウは未だ、フェンネルに投げかけられた問いに、胸を張れる答えを持てずにいた。
 扉のガラス窓の向こうでは、遠くなるガルバナムの背中が夕闇に紛れ、次第に見えなくなった。

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