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水中花壇編
3,夏至の池-2
しおりを挟む「はあ……、冷たい」
小川に足首まで浸かったルウは、気持ちよさに溜め息を漏らした。
小石混じりの細かい砂質の水底が、足の裏をやさしく受け止める。
水底から足を離すと、刻まれていた足跡は、水流で押し流された砂によって消されてしまった。
「水遊びは楽しいか?」
「……師匠」
ルウが振り返ると、ガルバナムはルウが置いた荷物の隣に腰を下ろしていた。なだらかな丘には、風がそよぐ。
「ここでひと休みするよ」
「師匠も入りませんか?」
「俺はいい。水を貰うぞ」
ガルバナムはそう言って、ルウの鞄のなかから細長い水筒を取り出した。
ルウが小川のなかを歩く度に、捲られたズボンから覗く白い足が水鞠を散らして、ガルバナムの目には涼やかだった。
気が済むまで水と戯れたルウは、ブーツを持って濡れた足のまま上がり、寝転んでいるガルバナムの隣に座った。
鞄から取り出したタオルで上機嫌に足を拭って、ルウは言った。
「川に入るのなんて、子どもの頃以来でした」
ルウが照れくさそうに話すと、ガルバナムは目を閉じたまま言った。
「今は子どもじゃないのか」
ルウは、無邪気な笑顔から一変して、口をへの字に曲げる。
「それは、僕が子どもっぽいと言いたいんですか? もう十八なのに」
ガルバナムは、含み笑いをして答えなかった。
「……こうしてのんびり過ごすのも、たまにはいいな」
ガルバナムが目を開けてルウを見上げると、不機嫌だったルウも、一つ頷く。
「ずっと魔法のことで頭がいっぱいだったので、今日は、ようやく肩の荷が下りました」
「おまえは、一つのことに集中するとそればかりになるからな」
「……はい」
ガルバナムの指摘が的を射ていて、ルウは苦笑する。
「他人の魔法なんてたいして気にしたこともなかったが、おまえが魔法を覚えると、俺まで嬉しくなるよ」
師からの思わぬ言葉に、ルウは笑顔を取り戻して言った。
「僕も、師匠から教わった魔法を覚えられて、嬉しいです」
ルウはブーツを履くと、ガルバナムに寄り添って寝転んだ。
暑すぎない日射しの下を、鳥の群れが飛んでいく。
「ルウ」
「なに……えっ?」
ルウがガルバナムに振り向こうとしたとき、ルウの瞼は、ガルバナムの掌で覆われていた。
「な、なんですか?」
狼狽えるルウに、ガルバナムは言う。
「俺も、さっき覚えた……というか、思いついた魔法があるんだ。それを、見てくれないか?」
「……はい」
ガルバナムの魔法と聞き、ルウは密かに胸を高鳴らせた。
時間はかからなかった。
ルウには、ガルバナムがどんな所作をしたのかはわからない。
背中の下で、予め描かれていたガルバナムのサインが、昼の太陽にも負けずに輝きを放って存在を現す。そこで、ルウはガルバナムの魔法が発動していることに気づいた。
閉じていた瞼に再び風と光が当たって、ルウはうっすらと目を開ける。
広がる視界をぼんやりと見上げたルウは、空から降ってくるものを発見した。
それは、一つ二つ確認できたかと思うと、次第に数が増え、踊るように舞い下りてくる。
「雪……?」
初めはそう思ったルウだったが、細部まで正体を捉えた瞬間、衝撃に心を射貫かれた。
「花だ……」
優に千はある色とりどりの花が、くるくると回りながら、ゆっくりと地上に近づいてくる。
しかも、それはつい先ほど見たばかりの花だった。
「これ、池にあった花……? 採ったらいけないんじゃ……」
心配するルウに、ガルバナムは、
「触ってみたらどうだ?」
と、余裕を浮かべる。
恐々と手を伸ばして桃色の花を迎えに行ったルウは、しっとりとしているはずの花びらに触れて、目を丸くした。
「あ……。幻……?」
ルウの指に触れ、地上に触れた花は、積もることなく、シャボン玉のように姿を消した。
「どうやら、俺も成功したようだ」
ガルバナムは、満足げに言った。
その隣で、ルウは口をぽかんと開けたまま、降り続く花に見とれていた。
青空を彩る花々は、水中で見た花とはまた別の美しさだった。
降りしきっていた幻の花は次第に数が減っていき、ルウのまるい鼻先に着地したのを最後に、消えた。
夢のような魔法を目の当たりにしたルウは、胸がいっぱいになって、ふと息を漏らす。
「……師匠は、いつでもどこでも、どんな魔法でも、難なく使えてしまうように見えます」
ルウは、余韻があるままに言った。
「魔法薬を作るときのルウも、そう見えるよ」
当然のように答えるガルバナムに、ルウは安堵を覚える。
「師匠は、この森にあるものの力を、信頼しているんですね」
ルウがガルバナムを見つめると、ガルバナムは否定せず、やさしく応える。
「なんだ、いきなり」
ルウは、片方の手を空に掲げて言った。
「水玉を作る練習をしていたときに、気づいたんです。これは、魔法薬を作るときに使う魔法と似ていると」
ルウの手は、光に縁取られて、まるで魔法を帯びているように輝く。
「その魔法を使うとき、僕は、自分の魔法を信頼し、薬草に宿る力を信頼しています」
ルウは光を浴びた手を胸に当て、穏やかに自分の魔法に思いを馳せた。
「自ら心をひらいて信じているとき、薬草は本来の力を見せてくれると、祖母にも言われていました」
「へえ……」
ルウの話が、さながらルウと自分との関係のようにも思えて、ガルバナムは口の端を上げる。
ルウは、続けて言った。
「水玉を作ろうとした最初の頃は、水がもつ力も、自分の魔法も、信じているとは言えませんでした。……師匠の魔法を、なぞろうとしていたくらいですから。でも、それではだめなんですね。自分から、自然と湧き出る魔法でないと」
ガルバナムの言ったことが、ルウには体験をもって身に沁みていた。
「……僕は、弟子といいながら師匠みたいにはなれそうにないですけど、ちょっとでも師匠の魔法が理解できたことは、誇らしい気分です」
ルウの話を頼もしく聞いていたガルバナムだったが、今度は困ったように口をひらいた。
「べつに、弟子だからといって、俺みたいになろうとする必要はないよ。なろうとしたところで、ルウの本来の目的からは外れるだけだろう」
ルウがきょとんとしてガルバナムを見遣ると、ガルバナムもルウをじっと見ていた。
「俺はルウに使えない魔法も使うだろうが、いくら多くの魔法を知っていても、ルウが作る魔法薬と同じものを作れるとは思わない」
「え……」
「おまえは、おまえが見つめていたいものを大事にすればいい」
一番身近にいながら、追いつけないほどの遠い存在である師から授かるには、勿体ないほどの言葉だった。
ルウは、喜びがふつふつと沸き上がり、目を潤ませる。
「……師匠。ありがとうございます」
涙を隠すように瞼を閉じたあと、ルウは笑顔を浮かべた。
ガルバナムにまで伝わったその喜びが、内で眠っていたある衝動を掘り返してしまったことには、ルウは気づかなかった。
「……ルウ、消えていない花が付いているぞ」
ガルバナムは、ルウを見て言った。
「え? どこ……」
ルウが闇雲に髪や肩を払っていると、ガルバナムは上体を起こし、ルウへと顔を近づける。
「そこじゃない」
「へ?」
ガルバナムは、すぐ目の前にあるルウの赤い唇に、唇を重ねた。
「ん……っ!?」
それは長いキスで、ルウは、突然のことに目をしばたいた。
ガルバナムがようやく離れてからも、動揺で鼓動が激しい。
「し、師匠……? あの、は、花は……?」
「幻なんだから、残るわけがないだろう」
ガルバナムの目は、面白がっている。
「嘘をついたんですか? ……もう、師匠に感動していたところだったのに!」
ルウは怒りながらも、照れもあって視線を反らす。
「俺は、自分の欲望にも忠実なんだ」
ガルバナムの真っ直ぐな目に、ルウの翡翠の目が映る。
「それも、覚えたほうがいいことですか?」
「……覚えたいか?」
ルウのもじもじとした質問に、ガルバナムは意地悪く返す。
「僕が訊いているのに……、ずるい」
ルウの不満をすくい取るようにして、ガルバナムは再び口づける。
ルウは、ガルバナムの服を華奢な指で掴むと、
「覚えたい、です……」
と言って、キスを深く受け入れた。
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