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水中花壇編
2,師弟-3
しおりを挟む仕事を終えたガルバナムは、夕方になって活気づくアーケードを歩いていた。
メインストリートから折れ、寂れた細い道を行くと、突き当たりに明かりのないティールームがある。
ガルバナムは、ティールームの扉には触れずに路地に入り、同じ建物に備え付けられた狭い階段を上がった。
玄関に到着すると、軒下から夕焼けに染まる空が覗く。
ガルバナムが扉をノックしようとしたときだった。先に扉が開いた。
「あら、ガルバナムさん」
お洒落をして出てきたのは、初老の婦人だった。
「こんばんは。カヤさんの具合はどう?」
ガルバナムは、親しげに訊ねる。
「だいぶらくにはなったみたいだけど、まだベッドにしがみついているわ。あなた、ガルバナムさんがいらしたわよ」
急いでいなくとも常に早口で話す彼女は、家のなかに向かって呼び掛けた。
「どうぞ入って。ごめんなさいね、私、今から出掛けないと。お友達の演奏会を聴きに行くの」
「それはいいね。いってらっしゃい」
「またね」
にこやかに見送るガルバナムにせかせかと手を振って、彼女は階段を下りていった。
家に上がったガルバナムは、迷うことなく、扉が半開きになっている部屋へと進んだ。
一応の礼儀でノックをすると、
「見てのとおり、開いているぞ」
と、なかからは呑気な返事がある。
夕陽に染まる部屋には、ベッドに俯せている老人がいた。
「医者に聞いていた話だと、そろそろ治ってもいい頃じゃないの?」
ガルバナムは、ベッドの側にある椅子に腰掛けて言った。
サイドテーブルには、先ほどの妻が用意していったと思われる食事がある。
「こうしていると、カミさんがいつもより世話を焼いてくれるんでな」
そう言いながら、老人はゆっくりと体を転がして仰向けになった。
「困ったじいさんだな」
呆れるガルバナムだったが、口元は笑っていた。
「キッチンに行けば、飲み物と小腹を満たすものくらいはあるぞ」
「いいよ。様子を見に来ただけだし、今日は早めに帰ると言ってあるんだ」
あとは帰宅するだけのガルバナムが、妙に穏やかな面持ちに思えて、カヤは言った。
「おまえの弟子、ルウといったか」
「うん」
カヤから出たルウの名に、半ば新鮮さを感じながら、ガルバナムは耳を傾ける。
「上手くやっているのか」
「まあ、面白いよ」
「おまえのことだから、課題を順序立てて用意するなんてことはできないだろうな」
「よくわかるね」
ガルバナムは、当然のように答える。
「何年おまえを見てきたと思っているんだ」
飄々としたガルバナムを、カヤは睨み付ける。
「でも、今俺がしていることは、俺の師匠がしてくれたことを真似しているだけだよ」
ガルバナムは、懐かしそうにこぼした。
「決まった課題はない。頃合いを見て、知るべき魔法を教える」
「……シンプルだな。簡単なことではないが」
ガルバナムは、大きく頷く。
「俺の師匠は物静かな人だったから、俺が好き勝手していても、敢えて口を挟まないのかと思っていた。それが、師匠と同じことをしているうちに、弟子のやりたいことをやらせてみるしかなかったんだと思うようになった」
ガルバナムの透きとおった紫の目が、確信を表すように、赤を映す。
「当たり前だけど、俺とルウは、違うんだ。ルウの魔法を生かすには、そうするしかない」
ガルバナムは、軽く息を吐いて言った。
「師匠になったといっても、結局、してやれることはサポートだけだね。……目指す所へ辿り着けるように、道を踏み外さないように」
ガルバナムにしては珍しい饒舌に、カヤは変化と共に安堵を感じていた。
「おまえがそんなことを考えるようになったとは、驚いたよ」
「それは、自分でも驚いている」
ガルバナムは言った。
「ルウといると、今までは感じなかったことを感じるんだ。些細なことで苛立つ、弱い自分も見つかる。あまり経験のないことだから、その後のフォローもできなくて参った」
カヤには、その様子が手に取るように想像できて、声には出さずに笑った。
「おまえが感情を表に出すとは、よほどその子を信頼しているんだな」
「え?」
カヤの何気ない言葉は、ガルバナムにとっては思いも寄らないものだった。
ガルバナムの脳裏には、様々なルウの表情が思い出された。
屈託ない笑顔を見せたかと思えば、泣きそうになるまで悩むこともある。また、温順かと思えば、怒りを表すこともできる。
彼の素直さを前にして、自分を取り繕うことは意味を成さなくなっていた。
ガルバナムはしばらく考え込むと、初めて気づいたような素振りで言った。
「ああ、そうだな」
そして、
「そうかもしれない」
と言って、微笑を浮かべた。
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