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水中花壇編
1,初夏-3
しおりを挟むローズマリーとは、ティータイムの頃に、という約束だった。
母屋の暖炉時計が三時を示そうというとき、菓子店に注文していたレモンタルトが届いた。
ルウは母屋と離れに鍵をかけると、レモンタルトが入った籠を手に提げ、森のなかへと入った。
籠の口を覆うギンガムチェックの下からは、さわやかな甘い香りが漂ってくる。
ローズマリーの店は、空間移動路を通ればすぐだった。
一年中花を咲かせる紫色のすみれが、木々の間の草むらで、道幅を表すように並列して顔を出している。
ルウはローズマリーから、母親が配達をしていた時代にガルバナムの師が通した移動路だという話を聞いていた。
すみれが示す道を行くと、ルウはほどなくして暗闇に吸い込まれた。光水晶が星空のように散りばめられた薄暗い空間を歩き続けていると、遠くに眩い光に覆われた出口が確認できる。
手をかざして一歩下り立ったそこは、ひらけた草原だった。
空が広く見え、反対側の森の向こうには青い山々が連なっている。
ルウが歩く先には、浅い小川が流れていた。板を一枚渡しただけの小さい橋を越えて、すでに視界にとらえていた一軒家へと近づいていく。
森の木陰に佇む赤い屋根の二階建ての建物には、軒先にシャボンの絵が描かれた看板が吊り下がっていた。
「こんにちは。ローズマリーさんはいらっしゃいますか?」
開いていた扉からなかへ入ると、壁沿いのテーブルに、厳選されたカトラリーやバスグッズが、宝物のように陳列されていた。
しかし、店主の姿は見当たらない。
「ローズマリーさん?」
ルウの呼び掛けには一向に返事がなく、代わりに、店の奥から物音が聞こえてくる。
ルウが物音のするほうへと歩み寄っていくと、ガラス張りの扉の向こうで、作業台に向かうローズマリーの後ろ姿があった。
工房には陽が入らず、木製の棚には正方形の石鹸が整列し、背丈の違う様々なオイルの空き瓶が床の隅で身を寄せ合っている。
ルウは、軽く扉をノックした。
しかし、ノックの音が小さかったせいか、ローズマリーは無反応だった。
そこで、ルウはそっと扉を開けた。
「こんにちは」
「きゃっ! ……ああ、ルウくん」
ローズマリーは、心底驚いて作業の手を止めた。
「ごめんなさい。工房まで覗いてしまって」
振り向いて声の主を確認した彼女は、途端に表情を緩めた。
「私のほうこそ。作業に夢中になっていたわ。いらっしゃい」
申し訳なさそうなルウに、ローズマリーはおっとりと答える。
ローズマリーは、普段の可憐ないでたちと違い、長い金髪を一つに束ね、ワンピースの上にはエプロンを掛け、肘まである水を弾くグローブをはめていた。
手にしていた器からは、石鹸のタネが型に注ぎ込まれているところだった。
「来るのが早かったでしょうか」
「いいえ、ちょうど終わるところよ。二階で待っていてもらえる?」
「はい」
鼻をかすめた清潔な石鹸の香りを惜しみながら、ルウは静かに扉を閉めた。
二階に上がると、リビングには窓からレース越しに光が射し込んでいた。
ルウは、白いクロスが掛けられたテーブルに着いた。テーブルの真ん中にある花瓶には、照れて頬を赤らめたようなホタルブクロが生けられていた。
壁にはローズマリーの夫が購入したという海辺の絵が飾られ、棚には柄の異なるカップが何客も並んでいる。
数えるほどしかここへ来たことがないルウだったが、ほどよく生活感のある家に、来るたびに安心を覚えていた。
しばらくして、階段を上るブーツの音が聞こえてきた。
いつもの格好に戻ったローズマリーが顔を出し、
「お茶を淹れるわね」
と言って、そのままキッチンへ入っていく。
テーブルに、切り分けられたレモンタルトと湯気がのぼるアカシソティーが並ぶと、ルウとローズマリーは話に花を咲かせた。
ローズマリーは、笑いながら言った。
「そんなことがあったの。ガルバナムがふてくされるだなんて、見てみたかったわ」
「なぜか、その友達のことだけ、師匠は目の敵にしているようなんですよね」
ルウは、さっき起きたことを話していた。
「ふふっ。ガルバナムも、まさか魔法使い以外にライバルが現れるとは、考えてもみなかったでしょうね」
「ライバル……?」
「ううん、気にしないで。……このレモンタルト、おいしいわ」
ローズマリーはマイペースに、タルトをひとくち口に運ぶ。
「……そういえば、ガルバナムのことは、師匠と呼ぶようになったのね」
ローズマリーの指摘に、ルウは照れ笑いを浮かべた。
「一応、これでも弟子なので。それに、人前でガルバナムさんの名を呼ぶと、驚かれる方もいますから」
「それもそうね」
魔法使いの間では、ガルバナムの魔法は有名だった。
ルウはタルトを食べ終え、ふと疑問が浮かんで訊ねた。
「ローズマリーさんには、師にあたる方はいらっしゃるんですか?」
赤いお茶に口を付けていたローズマリーは、カップをソーサーに載せて言った。
「私にとっては、祖母と母がお師匠様みたいなものね。魔法も石鹸作りも、二人に教わったわ」
「石鹸作りに使う魔法って、どんな魔法なんですか?」
ローズマリーは、
「水と仲良くなる魔法」
と、嬉しそうに言った。
「水と仲良く?」
ルウは、首を傾げる。
「水を汚す石鹸は作れないから、使っても自然に還る石鹸になるような魔法をかけるの。どんな魔法がいいのかは、水がヒントをくれるのよ」
「水の声を聞くんですね」
「そう。水辺に住んでいるのも、そのため」
ルウは、ローズマリーの話に親しみを感じた。
「僕が祖母から教わったことも、少し似ています。僕は魔法薬を作るときに、薬草の声を聞くことを教わりました」
ルウは頭を垂れるホタルブクロに目を遣りながら、育った薬草の一つ一つに触れる、皺が刻まれた祖母の手を思い起こした。
「決して、自分の意思で薬草の声をねじ伏せようとしないこと。薬草が望む行き先に気づいて導いてあげるのが、魔法薬を作る魔法使いの仕事だと。すると、薬草の効能を生かした魔法薬が出来上がります。そのためには、心を静めて、薬草の声を感じ取らなければなりません」
ルウは、笑顔で続けた。
「慣れると、薬草のほうから、どんな魔法薬が作れるのかを教えてくれているように感じるんですよ」
ローズマリーは、感心したふうに何度も頷いて、言った。
「きっと、どんなものの声を聞くのが得意なのか、人それぞれ違うのね。ルウくんは、薬草。私は、水。ガルバナムは……なにを考えているのかわからないわね」
「ふふっ。想像もつきません」
ルウは笑ったが、本心だった。
ガルバナムの魔法は、ルウには真似のできない未知のものに感じられていた。
豪快なだけでなく、繊細に細部まで完成された魔法は、そもそもどんな考えから生まれるのか、知りようもなかった。
「また、お茶しましょうね」
店の前で見送ってくれるローズマリーに別れを告げて、ルウは来た道を戻った。
そして、小川を渡ろうとしたときだった。
一瞬、水が光って見え、水中に視線を下ろすと、そこには銀色のメダカが群れを成していた。光ったのは、陽を反射したメダカだった。
水底までくっきりと見えるそこには、青々とした水草が群生していた。
水草は、白く小さい花を付けている。
穏やかな流れに身を委ねる、たくさんの白い花を眺めたルウは、あることを思い付いた。
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