幻燈町の恋模様

貴船きよの

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大和編

3,すれ違う三人

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 日曜日の午前中、大和は宗司と共に、幻燈町立博物館へ来ていた。
 ほどよく冷房の効いたフロアには、多くの写真が解説文を伴って展示されている。
 『幻燈町回顧展』と題された企画展には、大和と宗司を含め、十人の来場客がいた。
 大和と宗司がチケットを買って入場すると、ちょうど学芸員の解説が始まったところだった。
「戦火を免れた幻燈町には、 淵守ふちもり神社を始め古い建造物が数多く残っていますが、まずは失われてしまった町並みからお話ししてまいりたいと思います」
 大和と宗司は、ほかの来場客と共に彼女の柔和な声に耳を傾け、パネルのサイズに伸ばされた写真を見た。
「こちらの絵葉書に写っているのは、百年ほど前の幻燈駅です。当時は幻燈 停車場ていしゃばと呼びました。現在の駅とは、駅舎も周辺の雰囲気も違いますね。町の名前も、まだ幻燈村だった頃です」
 竣工記念に撮られたセピア色の幻燈停車場は西洋風の造りで、現在の駅よりも立派に見えるほどだったが、辺りには店もほかの建物もなく閑散としていた。
「じつは、この頃から、町には不思議な迷信が広まったと言われています。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、この町には、あらゆる記憶が溢れている、過去でも未来でもどんな記憶でも出会える町である、という迷信があります。現在の町のキャッチコピーにもなっているように、そうした迷信を利用して観光事業を考えられたのが、当時の 深畑巌夫ふかはたいわお村長でした。その後、現在のような駅と商店街が整備されるのは、昭和に入ってからになります。そして……、」
 学芸員が歩を進めるのに合わせて、大和達もわずかに移動する。
「こちらの写真は、井之上病院です。当時、村では一番大きな病院で、親の代から継がれた 井之上正竹いのうえまさたけ氏が院長でした。彼は、深畑村長とも親交が深かったそうです。建物は擬洋風建築の素敵な外観でしたが、残念ながら取り壊され、現存していません」
 正面から撮られたその病院は、コンクリート壁に上げ下げ窓が並ぶシンメトリーな二階建ての建物だった。そして、敷地を黒い鉄の柵と門扉が囲っていた。
 大和は、見たことのないはずのその写真に、なぜか見覚えがあるような気がして釘付けになった。
 インターネットで見たのか、本で見たのか……。答えが出ないまま、解説は次へと進んでしまった。
 その後、一時間かけてすべての写真を見て回ったが、大和の心に残ったのはあの病院の写真だった。
 モノクロームの外観をした博物館から大和と宗司が出てくると、二人を出迎えたのは梅雨空だった。しかし、二人の表情は晴れやかだ。
「こんなに町の詳しい話を知れたのって、初めてじゃない?」
 宗司は、満足そうな横顔の大和に言った。
「うん。図書館の本にも載っていないような話ばかりだった。カタログも買えてよかった!」
 大和は、紙袋を胸に抱いて上機嫌だった。
 宗司は、そんな大和にそっと訊ねた。
「……大和は、大和の未来を見る能力についてなにかわかったら、どうするつもりなの?」
「どうするって?」
「もしも、その能力の原因がわかったり、なくす方法があったりしたら、どうするのかなって」
 大和は、立ち止まった。
「なくす、か……。昔は、こんな能力がなければいいのにと思ったこともあったけど、今はそう思わなくなったよ」
 宗司は、その答えを意外に思った。
「そうなの?」
「この能力とどう付き合っていけばいいのか、今はそれが知りたいんだ」
「……そうなんだ」
 大和が自分の能力を否定的に捉えてはいないことに、宗司は安心した。
「お昼はどこで食べようか。もうすぐ一時だよ」
 大和は再び歩き出した。宗司も歩を合わせて言った。
「駅前まで行く? その途中になにかあるかな」
「この辺だと……、うどん屋さん、ラーメン屋さん、パンケーキのカフェ、かな」
「どこでもいいね」
 宗司は決めかねたが、大和はひらめいたように言った。
「そうだ、ハンバーガーは?」
「ああ! 今日は尊がいるかも」
「店員さんの尊を見るの、僕、好きなんだよね」
「日曜は何時からって言っていたっけ。いなかったらどうする?」
「うーん、それならほかでもいいかも……」
 なかなか昼食の場所が決まらないまま、二人は交差点の赤信号で足止めされた。
 そのとき、たまたま反対側の歩道を見やった宗司が言った。
「あれ? 尊?」
 宗司が気づいたことで、大和も反対側をきょろきょろと探した。
「本当だ! 噂をすればだね」
 車が行き交う向こうに見覚えある長身の姿があり、それは紛れもなく尊だった。
 しかし、彼は一人ではなかった。
「あの子達って、尊にラブレターを渡してって頼んできた子達だよね」
 宗司の言うように、尊は三人の女の子と向き合い、話し込んでいた。
「うん……」
 ラブレターは受け取るのを渋った尊だったが、彼女達と話している尊は時折笑みもこぼれ、大和にはまんざらではない顔に見えた。
「なにをしているんだろう。尊は、時間的にバイトに行く途中かな。声をかけようか?」
 宗司の提案に、大和は首を横に振った。
「邪魔しないであげようよ」
「……そう?」
 尊を応援すると決めた大和は、その態度を貫き、尊を気遣ったつもりだった。
 ところが、宗司には大和が女の子達の味方をしているように映った。一通のラブレターに対して、真剣に取り扱っていた姿を見ていたせいだろう。
 尊の大和への想いを知っている宗司としては、尊を放っておくことに申し訳ない気持ちも湧いてくる。
 宗司のそんな思いなど露知らず、大和は宗司の腕を引き、尊から離れるように足早に青信号を渡った。
 歩いていると、今度は宗司の携帯電話が鳴った。
「大和、ちょっと待って。電話だ」
 宗司が鞄から携帯電話を取り出して電話に出ると、
『和佐! よかった出てくれて。瀬野がどこに行ったか知らない?』
 と、携帯電話から漏れるほどの大きな声が大和にまで届いた。
「……日向くん?」
 大和が訊ねると、宗司は苦笑して頷く。
『お昼に食堂で会ったんだけど、それからいくら探してもいないんだ。和佐とは一緒じゃない?』
「僕はまだ大和と外に出ているよ。日曜なら、瀬野はたぶんあそこかな……」
『あそこ? どこ? 教えて!』
「言うなって言われているんだけどな……」
『俺が怒られるから教えてほしい。お願いっ!』
「仕方ないなぁ」
 にこやかに電話で会話を楽しむ宗司の様子を、大和は黙って見守っていた。
 宗司がつばめ喫茶というカフェの名前とそこまでの道順を教えると、耀太は御礼を言って電話を終えたようだった。 
 宗司は電話を切ってからも、耀太のテンションが移ったように笑みをこぼした。
「瀬野のことになると一途なんだよね、耀太は。本当にすごいよ」
 宗司が恋に突き進む耀太を羨ましいと感じる気持ちは、変わっていなかった。
「宗くんってさ……」
 そんな宗司の真意を知らない大和は、そっと宗司の耀太への気持ちを確かめようとした。
 耀太が好きな相手は実光だとわかっているのに、宗司が叶わぬ恋に踏み込んでいるのだとしたら、それは大和には切なく映ったのだ。
「ん? なに?」
 しかし、宗司本人からなにも打ち明けられていないのに不躾に訊ねることはできないと思い直し、踏みとどまった。
「……ううん、なんでもない。ご飯、食べに行こう」
 このときは自ら引き下がった大和だったが、後に、意外なタイミングで宗司の本音を知ることになった。



 夏休みに入ると、大和と宗司は、それぞれ飲食店と土産物店でアルバイトをする生活を送っていた。
 二人ともお盆休みだけは取り付けていて、八月半ばになると揃って帰省することになった。
「大和、僕は事務室に用があるから、先に出るよ。外泊届けを書き直してこないと」
「わかった。玄関で待っていればいい?」
「うん、そうして」
 宗司は、鞄を片手に部屋を出て行った。
 寮で同室の二人は、荷造りというほどでもない鞄一つに納まる荷物を準備し、あとは出発するだけだった。
 大和もリュックサックの中身を確認し、窓を戸締りすると、部屋を出てドアの鍵を閉めた。
 鍵をリュックサックのなかへとしまいながら、大和は、階段のほうから話し声がすることに気づいた。人の少なくなったお盆前の寮では、人の気配はささやかであっても目立っていた。
 大和が廊下を進んで近づいていくと、話し声の主は宗司と実光だった。
「耀太に、はっきり返事をしたらどう?」
 そう言ったのは宗司だった。
 なにを話しているのかすべては聞き取れなかったが、耀太の話題が出ていると気づくと、大和は咄嗟に廊下の柱の陰に隠れた。
 なぜ隠れてしまったのか、大和は自分でもわからなかったが、胸に氷を当てられたかのようにひやりとしたのだ。
 それからすぐ宗司の声で、ショッキングな言葉が飛び込んできた。
「耀太のこと、僕は好きだな。行動力はあるのに、なんか不器用で」
 大和は、目を丸くして固まった。
 大和が宗司に確かめられなかった気持ちを決定的に裏付ける、明快な言葉だった。
 耀太についての話はまだ続いているようだったが、大和は突然のことに頭が真っ白になっていた。宗司の発言を受け止めることだけで、精一杯だった。
「やっぱり、日向くんのことが好きだったんだ……」
 想像はついていたものの、本人の口から聴くと、そのリアリティには衝撃を伴った。
 宗司と実光が階段を離れるまで、大和はその場を動けなかった。
 誰もいなくなった階段をとぼとぼと下りていくと、靴箱が並ぶ玄関はがらんとしていた。ガラスドアの外は眩しい日光に照らされ、蝉がジジジとくすぶるように鳴いている。 
 自分の深く沈む想いをまるで無視されているようなコントラストに、大和は立ちつくした。
「遅くなってごめん」
 宗司の声に、大和は振り向いた。宗司の顔を見ると、自然と笑顔になった。
「僕も今下りてきたばかりだよ」
 大和は何事もなかったかのように宗司に応えた。
「バスの時間は何分だっけ」
 壁にかけられた時計を見てから、大和は言った。
「二十分だよ。全然、余裕」
 大和と宗司は、寮を出てバス停へと歩いた。覚悟はしていたものの、日射しが熱かった。
「日焼け止めを塗っていても焼けそうだな」
 宗司が言うと、大和は太陽に手をかざして言った。
「どうせなら、遊びに行って焼けたいよね」
「海とか?」
「そう! 一日くらい行けないかな。尊にも訊いてみようよ」
「そうだね。バイト三昧で夏休みが終わったらつまらないものね」
 二人は、あれこれと遊ぶ予定の候補を挙げながら歩いた。
 宗司の耀太への気持ちを聞いてしまった今、大和は複雑な想いを重ねていた。
 自覚していたとはいえ、自分の宗司への気持ちはより明確になってしまったのだ。
 しかし、それでも大和の決意は揺るがなかった。
 宗司が耀太を好きだということははっきりしたのだから、宗司にはこれまでどおり接すればいい。
 耀太が実光を好きだとしても、宗司にもチャンスが巡ってくるようにと、大和は心のなかで密かに願った。

 ところが、お盆が終わって寮の部屋に帰ってくるなり、大和は宗司の口から驚くべき事実を告げられた。
「えっ? 付き合うことになったって、瀬野くんと日向くんが!?」
「そうみたい。二人でお祭りに行ったんだって」
 アルバイトの関係で一日早く寮に戻っていた宗司は、寮に残っていた実光から直接話を聞いていた。じつはその前にも耀太からメッセージアプリに着信をもらっていたのだが、そのことは実光には黙っていた。
 耀太の存在を迷惑そうにしていた実光が耀太を受け入れたことは、大和には意外だった。
 けれど、宗司のことを思うと、新たなカップルの誕生を素直には祝えなかった。
「宗くんは、それでいいの?」
 リュックサックも下ろさずに、大和は心配して訊ねた。
「やっとくっついてくれて安心したよ」
 宗司の言葉は、自棄なのか祝福なのか。大和には両方の意味に聞こえた。


 夏休み中はアルバイトで忙しかった大和がまともに実光と耀太と話したのは、二学期が始まってからだった。
 放課後になって、大和が宗司達と一緒に帰るために一組へ行くと、実光と耀太がなにやら言い合っていた。
「書くって言っても、どう書いたらいいのかわからないんだよ」
 自分の席に着いてそう愚痴をこぼす実光と一緒になって、耀太も机の上を覗き込んでいた。
「思っていることを書けばいいんじゃないの?」
「それをどう書くか悩んでいるんだ。手紙なんか書いたことはないんだよ。しかも、大人に向けてなんて」
 実光の机に置かれた一枚の紙には、棒線で取り消された言葉がいくつも並んでいた。下書きをしているらしい。
「好きに書いたらいいのに。見ていてもどかしいよ」
「だったら見なきゃいいだろう?」
 大和には、実光と耀太の仲が特別よくなったようには思えず、二人の会話には苦笑が漏れる。
 それでも、耀太が実光に懐いていることは事実で、宗司はどんな思いで近くにいるのだろうかと思う。
「あの、宗くんがどこに行ったか知らない? 尊は、まだ来ていないかな」
 大和の声に、実光が振り返って答えた。
「和佐なら、絵の具を返しに行くって五組に行ったよ。すぐに戻ってくるんじゃないか」
「五組……、尊のところかな。瀬野くんと日向くんは、なにを話していたの?」
 大和が訊ねると、なぜか耀太が意気揚々と言った。
「瀬野がね、好きな建築家さんに、ファンレターを出すんだって!」
「まだ出すとは言っていない」
 実光は、不機嫌に否定する。
「手紙じゃなくても、SNSで話しかけちゃえばいいんだよね。ほら、その人のアカウントもあるよ?」
 耀太が携帯電話に映るSNSの画面を見せると、実光は憤慨した。
「あのな、相手は友達じゃないんだぞ?」
「だったら、やっぱりファンレターを出すしかないじゃん。好きだっていうのは、言わなきゃ伝わらないよ?」
 さらりと放たれた言葉だったが、耀太が言うと説得力があった。
 それは、たまたまそこに居合わせただけの大和の心にも突き刺さった。
「……簡単に言うなよ」
 実光は返事に詰まって、紙の余白を見下ろす。
 大和は、実光が下書きしている紙を見つめて言った。
「皆、好きな人がいるんだね」
 大和の呟きに、耀太は実光の肩に手を置いて堂々と言う。
「うん、いる!」
「……恥ずかしいからやめろ」
 実光は、呆れながら耀太の手を払う。
 耀太はそんなことなど意に介さず、無邪気に大和に訊ねた。
「藤苗くんは?」
「え?」
「好きな人、いるの?」
 訊かれるとは思っていなかったことに、大和は目に見えて狼狽えた。
「え、す、好きなひと? あの、……ええーっ?」
「あっ、この反応は……いるな?」
「えっとぉ……」
「藤苗、流されて言わなくてもいいぞ」
 耀太の雰囲気に押されている大和に、実光が助け舟を出す。
 大和は実光から与えられた空気に乗って、申し訳なさそうに言った。
「……ごめんね。好きって言うだけじゃ足りないくらい、大切な人なんだ」
 耀太は、それ以上問い詰めることはしなかった。それほど、大和の真摯な思いが伝わった。
 そして、大和に共感を覚えたように彼を見つめた。
「へえ、大切な人か……」
 しかも二人もいるなどと言えるはずがなく、大和は困って、返事は笑うに留めた。
 そのときだった。
 大和の目の前に、尊と宗司の姿が見えた。
 制服姿の二人は、大和にリラックスした笑顔を浮かべて見せたかと思うと、眩しい光のほうへ、先へ先へと歩いていってしまう。
 大和は二人の背中を見つめながら、追いかけることができずにもどかしい思いに駆られた。二人の名前を呼びたいのに、見ているだけでは声を発することもできない。
「あーっ! なんでしまうの?」
 耀太の大きなリアクションに、大和ははっと我に返った。
「やっぱり、寮に戻ってから考える」
 実光は、机に広げていた紙をたたんでいた。
 大和は呆然とし、一人だけ時間に取り残されて立ちつくす自分を感じた。
 明らかに、今ここにあるはずのないものが見えていた。
 今後目の前に現れるかもしれない、未来の一場面だった。
 尊と宗司は、なんと幸福そうな笑顔だったことか。
 それなのに、大和は一緒に笑えなかった。二人が離れていってしまうという焦りだけが募っていた。
 そんな自分の思いに気づいた大和は、やけに冷静になった。
 尊と宗司を待つ予定だった大和は、実光に言った。
「僕、先に寮に帰るね。宗くんと尊に伝えてくれるかな」
「わかった。言っておく」
 実光は、理由までは訊かなかった。
 大和は人目には変わった様子を見せず、静かに教室を出ていった。
 それから五分もしないうちに、宗司が尊を連れて一組に戻ってきた。
「ああ、和佐かずさ。今、藤苗が来て、先に寮へ帰るって」
 自分の席で帰る準備をしていた実光は、宗司に言った。
「もう帰ったの? ……用事があるとは言っていなかったけど」
「耀太が変なことを訊いたからかもな」
「えっ、俺のせいだった?」
 実光に睨まれている耀太に、尊は反応した。
「大和になにか言ったのか?」
 歩み寄ってきた尊は、長身とその美貌によりやけに凄みがあり、耀太は気圧されながら答えた。
「なにかって、好きな人の話だよ。藤苗くんに、好きな人はいるのって訊いたんだ。そうしたら、はっきりとは言わなかったけど、大切な人がいるって言っていた」
「大和の大切な人!? 誰だよそれ!」
 尊は、耀太の話を聞くや否や、声を荒げた。教室にいた生徒達が、一斉に尊に注目するほどだった。
「そ、そこまでは知らないよ。びっくりした……」
 突然大声を出した尊の勢いに押され、耀太は目をしばたたいた。
「大和にそんな相手がいるなんて、聞いたことがないぞ」
 尊は、眉間に皺を寄せて宗司を見た。
 これには、宗司も驚きを隠せなかった。
「そうだね。僕達の知らない人なのかな……」
「よっぽど大切な相手みたいだったぞ」
 実光の言葉に悪気がないことはわかっていながらも、宗司は追い討ちをかけられたように考え込んでしまった。
 耀太は、実光にそっと耳打ちした。
「一色くんって、結構激しい人だねぇ」
「いや、いつもはあんなんじゃ……なかったと思うけど」
 実光がそう言うそばから、
「はあ? 意味わかんねえ! ああ~、気になる!」
 と、尊は頭を掻いて荒れていた。


 その頃、大和は学校を出て、寮への道を歩いていた。
 アスファルトに照りつける日射しの暑さとは裏腹に、丘の上には涼しい風が吹く。
 俯きがちに歩いていた大和の耳には、終わっていく夏を惜しむ何匹かの蝉の声が重なって聞こえていた。
 大和が、小さい庭付きの木造家屋の前を通りかかったときだった。
 蝉の声に、りんと、風鈴の音色が混じった。
 顔を上げた大和が付近を見回すと、すぐ隣の民家の窓辺に、小さい風鈴が下がっていた。水色の短冊が、そよ風に揺れている。
 大和は、春頃にも風鈴の音色が聞こえたことを思い出した。
 あの頃と今では、大和の周りは変化した。
 大和には、たった数ヶ月で、見える景色ががらりと変わってしまったように思える。
 大和自身も、いつまでも中途半端な立ち位置のままではいられないことはわかっていた。
 そして、大和にはある考えが芽生えた。


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