幻燈町の恋模様

貴船きよの

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大和編

1,変化の始まり

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 初詣客で賑わう神社の境内に、三人の男子中学生が固まって参拝の列に並んでいた。
 順番が回ってくると三人で参拝し、混み合う授与所では、揃いの合格祈願のお守りを購入した。
 朱色のお守り袋を眺めながら、 宗司そうじが言った。
「幻燈一校に受かって、三人で通いたいね」
「ああ。三人一緒がいい」
  たけるは賛同して、それから 大和やまとに意味ありげな視線を送る。
「それに、大和は高校以外にも用事があるもんな」
 自分よりも身長のある二人に挟まれていた大和は、両手でお守りを握り、決意を込めるように言った。
「うん。僕は、幻燈町げんとうちょうで、僕の能力の秘密を知りたい」
「なにかわかるかもしれないよね」
 宗司がやさしく同意すると、大和は力強く頷く。
 そして、大和は二人に言った。
「お参りはしたし、お守りも買ったし、きっと大丈夫だよね。絶対に三人で合格しようね!」
「ああ、絶対だ!」
 元気よく白い息を吐いて、三人は約束を交わした。





1,変化の始まり




 幻燈第一高等学校の正門は、修了式を終えた生徒達の下校で賑わっていた。ひとつの学年を終えた安堵感と、まだ十分に一日が余っていることによる解放感で、生徒達の表情は明るい。
 歩道には、臙脂色のネクタイをきちんと結び、紺色のブレザーを纏った男子生徒の列が途切れることなく続いていた。
 そのなかには、大和を間に挟んだ、一年生の三人組の姿もあった。
「今日はなにか見えた?」
 宗司が訊ねると、大和は機嫌よく言った。
「ううん、今日はなんにも」
「大和、このところは安定しているよな。こわいものも見ていないだろう?」
 尊が言うと、大和は得意げに答えた。
「もしかしたら、調整できるようになったのかもしれない。今は、なにも見たくないっていうときには、見えないんだ。目の前のことに集中しているときなんかは、特に」
「調整か。よかったね、昔とは随分変わった」
 宗司は、大和に微笑する。
 ガードレールの向こうには幻燈町の町並みが広がり、丘の上から見下ろす景色は、穏やかな青空に見守られていた。
 都会でも田舎でもないのどかな風景と並んで、三人は歩く。
「今日は、尊の家に遊びに行ってもいいんだよね?」
 大和が尊に訊ねると、尊は退屈そうに言った。
「家に来るのはいいけど、ゲームくらいしかやることないぞ」
「尊が得意な落ちゲー、またやって見せてよ! 僕、あれができないんだ」
 大和は、無邪気にはしゃいでいた。
「尊は、今日はバイトはないの?」
 宗司が訊ねた。
「今月からシフトが変わったんだ」
「そうなんだ」
 尊のバイトの話を耳にした途端、遊ぶことで頭がいっぱいだった大和は、あることを思い出して青ざめた。
「やっばい! 今朝の掃除の時間にできなかった粗大ごみの運び出し、帰ってきてからするようにって言われていたんだった!」
「ああ、言っていたね」
 寮で大和と同室の宗司は、ごみ当番だった今朝の大和の様子を思い返す。
「じゃあ、遊べないのか?」
 尊が訊ねると、大和は力いっぱい首を横に振った。
「ううん! 早く終わらせるから待っていて! 僕、先に寮へ戻るね!」
「大和、手伝うよ?」
「大丈夫!」
 宗司の申し出を断って、大和は慌てて走っていった。
 残された尊と宗司は、急にぽっかりと空いた大和のスペースをそのままにして歩いた。
 反対車線ではボンネットバスが横切っていき、静まった二人の空間には、同じ方向へ帰る生徒の話し声が時折聞こえる。
 無言を保っていた二人だったが、ふと、尊が口をひらいた。
「大和って、好きな人とか、いるのかな」
 いつかは話題にのぼると思っていたことに、宗司はやや緊張感を持って答えた。
「……そういう話は、全然しないね。僕達もだけど」
「宗司が話さないのは、大和のことが好きだからじゃないの?」
 無遠慮に吹きかけられた事実に、宗司は口の端を上げた。
「その台詞、そっくりそのまま尊に返すよ」
 尊は沈黙したものの、否定はしなかった。そして、すでに大和はいないはずの前方に、真剣な眼差しを向けていた。
「もしも俺達が、二人ともあいつに告白したら……」
 途中で口をつぐんだ尊とは、宗司も同じ思いだった。
「困らせちゃうだろうね。それに、友達ではいられなくなるかもしれない」
「だけど、ずっとこのままでいるのか? なにもしない間に、大和がその辺の女子の餌食になったらどうする」
「餌食って」
 尊が大真面目に言うので、宗司は苦笑した。
 けれど、宗司に焦りや不安がないかといえば、そうではなかった。
「……大和は、僕達のことを、どう思っているだろうね」
 前方を歩く見知らぬ生徒達の背中を――その先にいるはずの大和を見つめながら、二人は歩いた。
 大和は、何軒もの民家の前を通り過ぎながら走っていた。
 すると、りん、という涼やかな音色が、突然耳に入り込んできた。
 大和は、思わず足を止め、そばの民家を見やった。
 青銅の風鈴の音色と思われたが、民家の窓辺にでも吊るされているのだろうか。大和はあたりを見渡してみたが、音色の主は見当たらない。
「まだ三月なのに……」
 春が近づいてやさしくなった風が、立ち止まる大和の前髪をそっと撫でて、去っていった。



 萌える桜の若葉が、朝の光に透けていた。
 卒業生が退寮してから若干寂しくなっていた登校の風景は、新入生の入寮で再び賑やかさを取り戻していた。
 登校してきた大和と宗司は、もうすぐ正門に着くというとき、道の反対側から声をかけられた。
「あの……!」
 幻燈第一高校前のバス停に、三人で固まる女子学生がいた。
 そのうちの一人が、肩まである黒髪を揺らして大和と宗司のもとへ駆けてきた。彼女は、大和も町内で見かけたことのある高校の制服姿だった。
「これを、いつも一緒にいる背の高い人に渡してもらえませんか?」
「え……?」
 彼女が大和に差し出したのは、さくらんぼ柄の封筒だった。
「あ……、うん。いいよ」
 大和は勢いに押されながら、封筒を受け取る。すると女子学生は一礼して、バス停に残っていた友人の元へと走って戻っていった。
「いつも一緒にいる背の高い人って……」
 大和は、宗司と顔を見合わせた。
 その封筒は、大和と宗司によって、休み時間に二年五組へと無事に運ばれることになった。
 教室から廊下に顔を出した尊は、大和に差し出されたさくらんぼ柄の封筒を見ると、
「……なにこれ?」
 と、眉をひそめた。
 大和は言った。
「手紙だと思う」
「見ればわかる。なんでそんなものを持ってくるんだよ」
「頼まれたから」
 大和の率直な回答に、尊は険しい顔のまま、ため息をついて言った。
「……捨てておいて」
「ええっ! これ、きっとラブレターだよ?」
「いらないものはいらない」
 ラブレターと思しき手紙を他人事のように持ってくる大和に、尊は苛立ちを隠せなかった。
 尊は突然、手紙を持っている大和の手首を掴んで言った。
「おまえは、俺がこういうものを貰っても、なんとも思わない?」
 怒っているようにも見える尊を前に、大和は戸惑った。
 見つめ合った尊の顔は、長い睫毛が切れ長の二重の目を強調していた。同性から見ても魅力的に映る尊の風貌によって、ラブレターにはより説得力が増すように思えてしまう。
 大和は、思わず微笑を浮かべた。
「尊はモテるね。歩いていても、女の子にかっこいいって言われるものね」
 期待した返答の一部すらなく、尊は、うなだれて大和の手を放した。
「……あっそ」
「せめて、読んであげたら?」
 宗司の声にも、尊は不機嫌に言い返した。
「俺に直接渡しに来ない時点でろくな奴じゃないだろ」
「今日は尊、遅刻すれすれだったんだろう。朝、教室に見に来たときにはいなかったよ」
 答えるのもだるそうな尊に、大和は、唇をきつく結んでいた。そして、自分の元へ緊張した面持ちで封筒を差し出した女の子の顔を思い浮かべていた。
 大和は言った。
「手紙を書くのも、僕達に渡すのも、その子、すごく勇気を出したと思うよ?」
 大和は、尊に突きつけるように、改めて封筒を差し出す。
 尊は、頑なな大和の態度に、観念してため息をついた。
 そして、
「……わかったよ。自分で捨てる」
 と言って、渋々受け取った。
「もう、尊ー!」
「大丈夫。あれは読むよ」
 大和と宗司には振り返らず、尊は自分の席へと戻っていった。
 その後、尊はラブレターを読んだらしく、相手の連絡先が書いてあったけれど連絡はしないとだけ二人に報告し、それ以上はこの話に触れることはなかった。


 五月の大型連休が明けると、二年一組にやって来た転入生の話は、同じクラスの宗司を介して大和と尊も知ることになった。
「転入生と瀬野はどんな感じ?」
 尊は、転入早々瀬野に告白したという 日向耀太ひなたようたに、少なからず関心を持っていた。
「瀬野は嫌がっているよ。耀太が町を案内してほしいって言うから、瀬野に頼んでみようと思うんだけどさ……。どうなることか」
 昼休み、旧校舎の屋上にいた大和と尊と宗司の三人は、さわやかな青空を仰ぎながら購買部で買ったパンを頬張る。
 三階建ての旧校舎は、二階に美術室が入っている以外は部室や物置として使われるだけで、昼間は静かだった。
 旧校舎下の中庭では芝生やベンチで昼食をとる生徒の姿があったが、旧校舎の屋上まで上がってくる生徒はほとんどおらず、大和達はここを溜まり場にしていた。
 白い柵に背中を預けていた大和は、宗司に訊ねた。
「今日は、瀬野くんは日向くんとお昼を食べているの?」
  実光さねみつが一緒であれば、大和達も中庭で昼食をとっているところだった。この屋上は、あくまで三人の場所だった。
「いや。放送委員の友達のところに行って、放送室に匿ってもらうんだって」
 宗司の言い方から、実光が耀太に付きまとわれているであろうことは、大和と尊にも容易に想像できた。
「やばいな、日向耀太。一目惚れで転校までするんだから、普通じゃないのはわかるけどさ」
 尊はあり得ないと言わんばかりに首を横に振る。
 しかし、宗司は、耀太へポジティブな関心を抱いていた。
「一目惚れって、ピュアじゃないとできないのかもね。相手がどんな人かわからなくても好きになれるのって、打算がないともいえる」
「それって、本当に相手を好きだといえるのか?」
 尊がそう訊ねたことで、大和はふと、尊が貰ったラブレターを思い出した。おそらく、尊を好きになった女の子も尊との接点はなく、一目惚れだったのだ。
 宗司は、どこか楽しげに言った。
「だから、確かめに来たんじゃない?」
「わざわざ? やっぱりやばい奴……」
 呆れて不快感を露わにする尊に苦笑しながら、それでも宗司は頬を緩めていた。
「あのとき話してみればよかったーとか、告白しておけばよかったーとか、思いたくないのかもね。あそこまで気持ちをストレートに言えるのは、羨ましいよ」
 尊と大和は、顔を見合わせた。どうやら、宗司は自分達とは違う感想を持っているらしいと、ようやく気がついた。
「なんで、そんなに転入生の味方をするんだよ」
「なんでかな……。純粋に、すごいと思ったんだ」
 尊にそう答えた宗司は、大和と目が合うと、にこりと笑ってみせた。
「すごい、ねぇ。そりゃあ、いろんな意味ですごいよな~?」
 茶化す尊だったが、大和は宗司の味方をした。
「宗くんが言うんだったら、僕は、日向くんはいい人のような気がする」
 尊は、同意見だと思っていた大和の発言に苦い顔をする。
「なんだよ、大和まで」
 大和は、もしかしたら、宗司は耀太に好意を抱いたのではないかと感じていた。どれだけの深さの好意なのかは、わからない。けれど大和には、今まで見たことのない宗司の笑顔のように思えていた。
 しかし大和は、クリームパンが包まれているラップを剥がしながら、はたと手を止めた。
 尊が貰ったラブレター。
 宗司が好意的に思っている転入生。
 その二つが目の前に現れた今、大和は、これまで感じたことのない違和感が胸にのぼるのを感じた。得体の知れない違和感はいやな味を感じさせ、心臓が掴まれたように苦しくなった。
 そんな大和の変化に、尊と宗司は気づかなかった。
「なんか、しょっぱいパンを食べたら甘いものが欲しくなったな」
 瞬時に尊の胃のなかへと消えていったパンの、最後のひとかけらが彼の口に放り込まれた。
 宗司は、サンドイッチを食んで言った。
「尊のパン、中身はなんだったの」
「照り焼きチキンと、サバカツと、ベーコンチーズ」
「全部しょっぱいのを選んだの?」
 宗司は、甘いものが欲しくなるのは当然とでも言いたげに眉間に皺を寄せた。
 尊の傍らに置かれたパンが入っていたビニール袋の隣には、飲みきった野菜ジュースの紙パックが潰されていた。
「なあ、今日の帰りに、駅のほうまで行こうぜ。ソフトクリームの店で、メロンソフトが出る頃だろう?」
「それ好きだよね、尊」
 尊は、当然、大和も誘う。
「大和も行くだろう?」
 大和は、話しかけられてやっと顔を上げた。二人の話にはうわの空で、手にしていたクリームパンには口もつけていなかった。
「え、あ……、うん」
 大和の反応が鈍いことを敏感に察すると、尊は慎重に訊ねた。
「どうした? お腹でも痛いか? ……なにか、見えたのか?」
 大和が“未来を見た”のではないかと思って、尊は深刻な表情になった。
「ううん。ちょっと、ぼーっとしていた」
 大和は、誤魔化すように笑って、クリームパンに噛りついた。
 しかし、内心穏やかではなかった。
 尊が気遣ったように、未来を見たわけではない。
 大和は、これまで考えたこともなかった事態と、初めて向き合っていた。
 それは、尊も、宗司も、恋をするということだった。
 尊は、大和が出会った頃から、女子に人気があることは知っていた。けれど、これまで誰かと付き合う素振りはなかったし、女子の話をすることも好まなかった。きっと、尊は誰とも付き合わない。そんな思い込みがあったから、ラブレターの橋渡しもできた。
 宗司は、やさしい気配りの人だった。高校が共学であれば、宗司を好きになる女の子はいくらでもいるだろうと、大和は思う。けれど、尊と同じく、彼の口から好きな人にまつわる話は聞いたことがなかった。
 思春期真っ只中の男が三人いて、なぜだか恋愛の話はほとんどせずに過ごしてきたのだった。
 大切な話を打ち明け合ってきた親友である二人が、大和に隠しごとをしているとも考えにくい。
 大和は、そんな二人とずっと一緒にいられるような気がしていた。しかし、それは自分の願望でしかなかったと、今になって初めて気づいた。
 二人とも、いつか、誰かと恋をする。
 今まで向き合ってこなかった現実に、大和は急に、尊と宗司が自分から遠ざかってしまったような寂しさに襲われた。
 それは、大和が尊と宗司に対して育んできた気持ちを、自覚した瞬間でもあった。
 口数が少なくなってしまった大和を見て、宗司は、サンドイッチを少しちぎって差し出した。
「大和、これも食べる? 大和の好きなたまごサンド」
「えっ、いいの?」
 大和は、思わず反応してしまった。
「うん。はい、あーん」
 宗司のペースに乗せられ、大和は口を開けて入れられたたまごサンドを頬張った。
「ふふっ。購買部のたまごサンド、やっぱりおいしいなぁ」
 頬をおさえて笑みを浮かべる大和に宗司が安心していると、尊が大和の顔を覗き込んだ。
「おまえ、口の周りについているぞ」
 尊は、大和の口元についたたまごのフィリングを人差し指ですくったかと思うと、それを舐めとって食べてしまった。
「ああっ、そんなの食べないでよ!」
「勿体ないだろ?」
「僕、子どもじゃないんだよ?」
 世話を焼いてくれる二人があまりにも自然で、大和は笑ってしまった。
 大和は、落ち込んだときに、二人に助けてもらったことが何度あっただろうかと思う。
「……尊、宗くん。ありがとうね」
「どういたしまして」
 笑顔で受け止めてくれる二人に、何度救われただろうかと思う。
 だからこそ、大和は二人の邪魔をしたくなかった。
 気づいたばかりの自分の気持ちを封じ、大和は、二人の恋を見守ろうと心に誓った。



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